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わたつみの魔王  作者: 山谷 宗
第1章 初陣
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4.葬送

皮肉なことに武田が伊23の指揮を引き継いで間もなく天候が回復した。現在は風もうねりもほとんどなくなり、水上航行に支障はない。しかし他のフネにこちらの姿を見られるわけにはいかないため、浮上は夜を待ってからになった。



板垣の遺体は看護兵によって丁寧に清められ、遺髪と爪が切られた。これらは遺骨の代わりに遺族に渡される。そして毛布でしっかり包まれた遺体は艦長予備室に安置されている。枕元には誰かが供えた一升瓶と果物の缶詰が置かれていた。


艦内は高温多湿で遺体の痛みが早いため、浮上次第水葬を執り行う予定だ。



日没まであと1時間。


士官室はどこかぎこちない雰囲気だった。

最も艦首側の板垣の席は当然空席になっているが、誰もがそこへ目を向けないようにしている。皆が目を伏せてもそもそと飯を食べている。


普段の食事時なら板垣とヘル談長の異名をとる原との間で詳細過ぎる女性談義が賑やかに繰り広げられていたのだが、今は皆が口を噤んでおり、カチャカチャと食器の鳴る音だけが妙に室内に響いていた。


覚悟を決めたつもりでも、板垣を悼む気持ちはまた別で、簡単に気持ちの切り替えができるわけではないのだ。



そこへ飯を掻き込みに武田がやってきた。


「辛気臭い面だな。通夜みたいだ…まあ通夜みたいなものか」


あまりの言い草にぎょっとする一同を尻目に武田はソファにどっかりと腰を下ろし、テーブルの上にウイスキーの瓶をどんと置いた。


「大物を喰ったら乾杯しようと思って水交社からかっぱらってきたんだよ。これで艦長に献杯しよう」


そう言いながら瓶の口を開ける武田。


「ほら従兵。皆に注いでやってくれ」


従兵は瓶を受けとるときびきびとした動きでウイスキーを注いで回った。


「よし、皆立て」


武田は一同を見回した。


「いいか、俺は艦長と皆に誓う。必ず任務を全うして無事に横須賀に帰ると」


機関長が茶碗に視線を落とした。


「俺達が全力を尽くせば必ずできる。なんたって板垣艦長の教えを受けたんだからな」


原が力強く頷いた。


「だから自分を信じろ。仲間を信じろ。艦長の教えを受けた皆を信じろ」


壁際に立つ従兵も頷いている。


「辛気臭くちゃ艦長も心配にもなるだろうから盛大にやるぞ」


武田は艦長予備室の方に向き直ると茶碗を掲げた。


「艦長に献杯」


「献杯」


皆は一斉に茶碗を掲げて力強く唱和すると中身を一気に飲み干した。


「これは効きますね」


通信長の土屋中尉が涙目になってむせると、士官室に小さな笑い声が起こった。久々の笑い声だった。



日没から1時間が経過した。



「潜航やめ、浮上する。メインタンクブロー」


武田の命令で艦はゆっくりと浮上を始め、やがて潜望鏡深度についた。


そしてしばらくの間、精密聴音を行って周辺に他のフネがいないことを確認し、さらに武田が潜望鏡で周囲を確認。くどいほどの警戒を行ってから伊23は海面に姿を現した。



艦橋のハッチが開くと武田と原、それに見張員たちがラッタルを駆け上がった。空には星が輝いて雲はない。月齢は10なので空は明るく海は暗い。まるで水平線を境に塗り分けられたように見える。


全員でくまなく周囲を確認するが他のフネの姿はない。こう明るいとこちらの姿も丸見えだが、相手の姿も早期に発見できるため悪いことばかりではない。



現在位置は敵地に近く他のフネとの遭遇も予想されるため、水葬は略式で迅速に行わざるを得ない。


艦の浮上と同時に上甲板に上がった運用科員たちが応急用の角材とケンバス(帆布)で即席の滑り板をこしらえた。


そして板垣の遺体が前部ハッチから上甲板に引き上げられて滑り板の上に安置された。砲術科員が14センチ砲弾を錘代わりに毛布に縛りつけると水葬の準備が整った。


武田と原が滑り板の傍らに立って姿勢を正すと、信号員がラッパで「命を捨てて」を吹き始めた。


物悲しい調べが海面に響く中、武田の敬礼を合図に板が傾けられて板垣の遺体は静かに海面に滑り落ちた。


上甲板と艦橋に上がったわずかな数の乗組員の敬礼に見送られて板垣の遺体は数分間海面を漂っていたが、やがて錘に引かれるようにゆっくりと海中に沈んでいった。


この海域の水深は5000から6000メートルもある。板垣はこの深い深い海の底を奥津城として眠るのだ。




「分かれて配置につけ」


武田の命令で水葬が終わった。

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