1.水交社記事「先の大戦の特徴についての考察」
「先の大戦の特徴についての考察」
1 はじめにー問題意識
先の欧州における大戦は従来の戦争とは参戦国数、参加兵力、戦死者数等で従来の戦争とは次元を異にする全く新しい戦争であった。
大戦がもたらした惨禍は永久平和への機運を大いに高めてはいるが、人類の歴史を省みるにかのモルトケの言を借りるまでもなく、永久平和とは夢にしか過ぎないと言わざるを得ず、今後も同様な大戦が起こることは十分に考えられる。
国防の重責を担う者としてかかる事態に備えることは蓋し当然であるが、正しく備えるためにはこの大戦を正しく理解することが必要である。
そこで筆者は非才を省みることなく大戦の特徴を抽出し、これに考察を加えて諸兄に呈示することとした。
勿論本稿で呈示するのは筆者の私見であり、異論や反論もあろうかと思う。
しかしこの駄文が諸兄の議論や考察を深める叩き台になることで、大戦の本質を理解し、正しく備えるための一助になるのではないかと筆者は考える。
2 大戦の特徴
(1) 戦場が広大であること
これまでの戦争は交戦国の国境線やその沿岸、あるいは植民地の境界線を中心とした領域を戦場として行われていたが、本大戦においてはそれを遥かに超える広大な領域が戦場となった。
確かに主戦場は欧州であったが、参戦国の同盟関係や植民地の位置といった要因から、欧州を遠く離れた中東やアフリカさらには大西洋等、世界各地において戦闘が繰り広げられた。
我が国も参戦直後に青島のドイツ租借地を攻略したり、太平洋上を跳梁するドイツ艦隊を捕捉撃滅すべく艦隊を派遣した。また、英国の要請により派遣艦隊が地中海で船団護衛に従事した。
我が国の艦隊が遠く離れた地中海で行動することなど戦前に予想した者はいなかったであろう。これこそ戦場が広大になったことの何よりの証左である。
(2)戦争の性質の変化
a.決戦戦争から消耗戦争へ
兵器の発達は同時に防御手段の発達も促し、故事にある盾と矛の関係が現実のものになった。そのため戦場における敵軍の一方的かつ完全な破壊はタンネンベルク会戦のような特異な事例を除いてほぼ不可能になったと考えてよい。
しかしそのタンネンベルク会戦の大勝利ですら戦争そのものの勝利には結び付かなかったことに注意が必要である。実際、ロシアはこの戦いで2個軍団を失うもその継戦意思は損なわれず、以後3年間戦争を継続した。
他の戦線においても一戦で戦争の行方を決定づけるような決戦は起こらず、むしろ「吸血ポンプ」と評されたベルダン会戦のような、互いに出血を強要して千日手が如く消耗を繰り返す戦いが典型となった。
海戦においても同様の現象が見られた。参加した艦艇の数から見たら史上最大の海戦であるジュットランド沖海戦も決戦になり得ず、巡洋戦艦3隻を失っても英国の制海権は揺るがなかった。
そしてその後はドイツ側が艦隊の保全策に傾いたため、大規模な海戦は発生せず、代わりに潜水艦Uボートによる英国に対する逆海上封鎖とこれに対抗する護衛艦艇との熾烈な戦いが繰り広げられた。ドイツの無制限潜水艦戦は、当初は英国をあと一歩のところまで追い詰めたが、英国が態勢を立て直したため、これを打倒するには至らなかった。
つまりドイツ潜水艦とこれに対抗する護衛戦力との地道な戦いこそが海上の戦いの行方を、ひいては戦争そのものの行方を決定づけたのである。
そもそも彼我の装備や練度を総合した戦力に隔絶した差がない限り一方的な勝利自体が起こり得ない。そして近代国家同士の戦争においてそこまで隔絶した戦力差が生じるとは考えづらい。ゆえにたった1回の決戦が戦争の帰趨を決する時代はもはや過去のものとなり、代わりに国家の持てる資源全てを吸い尽くす、地味で陰惨で泥沼のような消耗戦争の時代になったのでないだろうか。
b.国民の意識の変化
フランス大革命を経てナポレオンが登場するに至り、平民が国民としての意識、つまりは愛国心に目覚め、彼らの大量動員が可能となった。
そしてこの意識の目覚めは、国民一人一人が自身と国家との紐帯を自覚し、さらに自分の運命と国家のそれとを同一視することに繋がった。
本大戦開戦時における参戦国々民の熱狂ぶりはまさにその頂点といえよう。
当初の予想と異なって戦争が長引くと、国民の士気は低下するどころか国内宣伝によって敵愾心が掻き立てられて、ますます戦意が高揚した。
また戦場における甚大な損害が却って敵に対する憎悪を掻き立てて、厭戦気分を打ち消す程のものになったこともある。
そして政府といえども国民を意思を無視し得ず、政治的目的を達成した時点、あるいこれが不可能になった時点での停戦を選択できなくなるという事態に陥った。
これが未曾有の長期戦となった原因の一つである。
そしてこのことは一つの恐るべき事実を浮かび上がらせるが、それについて触れることはここでは避けようと思う。
c.戦争目的の変化
前節とも関係するが、政治的目的の達成のための戦争ではなく、正義のための戦争という概念が生まれた。例を挙げるなら開戦直後のドイツ軍によるベルギー市民の虐殺事件は大々的に報じられ「ベルギーを救え」が英仏の兵士の間で合言葉になったことが挙げられる。
正義の旗印は誰にでも受け入れ易く、自分の側に正義があると確信できれば他人を殺すことに対する禁忌意識は薄くなってより効率的に戦うことができるようになる。
そして正義ための戦争と言う考えは不正義である敵国の完全な打倒を目指すことにも繋がる。ここでいう完全な打倒とは敵国の指導層を丸ごと入れ換えること、国家体制を崩壊せしめること、あるいは古のカルタゴのように国家そのものを消滅させることまで様々な可能性が考えられるが、勝った側が勝者の特権を行使するであろうことは想像に難くない。
(3) 科学技術の劇的な進歩
20世紀が始まってからの科学技術の進歩は目覚ましいものがあり、潜水艦、飛行機、タンク、毒ガス等数々の新兵器が開発されて大戦に使用された。また地味ではあるが通信技術の発達による迅速な情報のやり取りが可能になり、軍の展開や移動速度に大きな影響を与えるようになった。
これらの兵器が戦場を広大なものにし、膨大な戦死者を生み出し、大量の物資を消費したのである。
そして今やこれらの兵器なくして戦争を行うことは不可能であり、その優劣と数が勝敗を決すると断言できる。そしてより優れた兵器の開発を支えるのが科学技術であり、科学技術とは即ち国家としての基礎体力である。
この科学技術を軍備に活用するには軍が独自の機関で研究を行うだけでなく、大学等民間の力を活用することも必要である。
そのためには平素から大学等の研究機関へ人員を派遣して関係を密にし、相互に刺激し合う関係を構築すること。
そして有効と思われる研究に対する資金援助や優秀な学生の勧誘等の施策が必要と認められる。
また用兵側も技術の有用性を忘れず、現状に満足することなく、技術の改善や新技術の開発要望を適宜行う必要があるだろう。
(4) 生産力と補給の重要性
今次大戦においては想像を絶するほど大量の物資が消費された。先に例に挙げたベルダン会戦においては約10ヶ月の間に独仏合わせて2000万発の砲弾を使用したとのことであり、将来の会戦ではどれ程の物量が必要となるのか想像もできない。
我が国においては「百発百中の砲一門は百発一中の砲百門に勝る」とされて、一発一発の命中率を尊ぶが、百発一中の砲一万門をもって大量の砲弾を投射されたら、たった一門の砲は為す術もなく殲滅されるのは明らかである。
大量の物資を生産し、これを遅滞なく前線に送ることができて初めて戦うことができるのだ。
生産力の強化を達成するには単に工場を拡充するだけでは足りない。これに加えて
・ 効率的な資源の配分
・ 生産行程の科学的な管理
・ 工員に対する適切な教育
といった管理面の重要性が増してくる。
また、いかに新兵器の数を揃えて工場で武器弾薬が大量に生産されても、これらが適時適切に前線に届かなければ意味がない。そして弾薬や燃料等の物資がなければどんな兵器も有効に活用できない。
近代戦は巨大な消費を伴う消耗戦争であることは既に述べた。
これを下支えするのが補給であり、これを可能にするためには平素から補給計画を研究し武器弾薬等の物資を効率的に輸送し配分する方法の研究に努めなければならない。
また兵器を運用するのは人である以上、兵士に対する適切な給養は戦力を十全に発揮させるために必要不可欠なものである。
(以下略)