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妖怪白記  作者: 風風風虱
7/12

その七 元興寺(がごぜ)

■■■■■


 ばちん 


  ばちん

 

 鐘楼(しょうろう)で人を殴る音が静かに響き、くぐもったうめき声が聞こえてきた。


「どうじゃ、思い知ったか。たかが寺男(てらおとこ)の分際で我らのやることに文句をつけおって身分をわきまえんか」


 若い僧侶が三人、一人の初老の男を囲んで殴る、蹴るの乱暴を働いていた。

 初老の男は血まみれだった。すでに気力もつきたのか、拳骨で殴られても小さなうめき声が出るだけだった。


「……」


 震えるように男の唇が動いたが、何を言っているのかは聞き取れなかった。

「なんじゃ?なんと申した?」

 長身の僧侶が見下すように男をねめつける。

 僧侶の名前は如信(にょしん)という。俊英の学僧で若い僧たちの中心的な存在だった。それだけに傲慢な態度が普段から鼻につく人物でもある。

「……だ」

「ふむ、聞き取れん。下衆(げす)は謝る事すらまともにできぬか」

 如信が目配せすると二人の僧侶は掴んでいた男の腕を放した。

 男は支えを失うとそのまま地面にへたりこんだ。それはまるで手をついて土下座をしているように見える。

「ほうれ、謝れば許してやらんでもない。

二度と余計な事をいわんと誓え」

 如信は教え諭すように男の耳元で囁いた。

「…………がげ……………」

男の声はやはり掠れて聞き取れない。如信は耳を近づける。と、突然男はかっと目を見開くと大声で叫んだ。

「下衆はお主らじゃ。(ぬし)らが寄進を勝手に自分たちのものにしているのをワシは知っとるぞ!

全部、洗いざらい和上様にお伝えしてやる」

 よもやの寺男の反撃に如信は逆上した。

「なにお、このクソがぁ!」

 如信は怒りに任せて寺男を蹴り上げた。ぐらりと寺男の身体が傾くと止める間もなく鐘楼から転がり落ちた。


 鐘楼の下には寺男が転がっていた。

 少しも動かない。息もしていない。

「まずいぞ、まずいぞ、如信。

和上(わじょう)様になんと申し開きをするのだ」

 泰山(たいざん)は如信の袖を掴んでゆさぶった。二人の後ろでは青心(せいしん)が名前の如く真っ青な顔でガタガタ震えている。

 しかし、如信だけは不敵な笑みを浮かべていた。

「なに、どうと言うこともない。たかだか寺男の一人死んだぐらいでおたおたするな。みっともない」

「しかし、本当の事を言えば厳しく罰せられるぞ」

「心配するな、和上などなんとでもいいくるめれるわ。私に任しておけ」



「ふむ。夜な夜な怪しげな影が鐘楼に現れるのでその正体を調べるために皆で見張っていたと申すのか」

 和上は目の前で平伏している三人の僧侶に向かい、もう一度確かめるように言った。

「はい、そうでございます。

皆で見張っておりますと真夜中過ぎに怪しい影が現れました。なにものかと月明かりに透かしてみると目から真っ赤な光を放ち、口は耳まで裂けた恐ろしい形相の鬼でございました。

これは悪鬼羅刹の類いと思いまして、もう、無我夢中で皆で殴りかかったのです」

「しかし、これはどうみても普通の男ではないか」

 和上は、死体を見て困惑したように言った。そして、眉間に皺を寄せる。

「ふむ。見覚えがあるぞ。名前は忘れてしまったが確か寺で雇っておる者ではないか?」

 その言葉に泰山と青心の肩がビクリと震える。が、如信は顔色一つ変えることなく(おもて)を上げた。

「確かにこの男は和上様のもうされる通り寺男でございます。

さても面妖なことでございますが、朝日が昇ると鬼の身体が見る間に縮み、寺男の身体に成り果てたのでございます」

 和上は大きくため息をついた。

「にわかには信じられん話である」

「我ら三人がこの目で見たのでございます。

御仏に誓って嘘偽りは申しません」

 如信は和上ににじり寄ると語気を強めて訴える。

「恐らくは鬼が寺男に化けて、我らをたぶらかそうとしたのでございましょう。

そう言えば、この寺男、我らのありもしない良くない噂を流して回って、ほとほと困っていたのです。

一つ、二つ、和上様のお耳にもお入りになられているかも知れませんが、ゆめゆめお信じになりませぬように」

 和上は少し黙って考え込んだが、ついにぼそりと呟いた。

「……さようか」

 和上の言葉に如信は会心の笑みを浮かべる。

「さようでございます。

このような不浄な輩をまともに葬る必要はございません。

西の山にでも打ち捨てて、禽獣に喰わせてしまうのが――」

 如信の言葉はけたたましい叫び声に遮られた。何事かと振り向くと、泰山と青心が一点を指差して震えている。

 見ると、死んだ筈の寺男がよろよろと立ち上がろうとしていた。

 全身が朱に染まり、二回り、三回りも膨らんで、今では見上げるほどの大男になっていた。

 目は松明のように爛々と赤く燃え上がり、口は耳までさけ、刀のような乱杭歯が上下に生えている。

 それは先ほど如信が語って聞かせた『鬼』そのものだ。

 さしもの如信も言葉を失う。

 鬼は一声吠えるとまっしぐらに如信に襲いかかり……


□□□□□


 ダン ダン ダン


 ダン ダン ダン ダン


 扉を叩く音が男子トイレに響き渡る。

「誰か!居るんでしょ? 扉を開けてよ」

 寺沢(てらさわ)和男(かずお)は、トイレの個室の扉に体当たりをした。体当たりを受け、ドアはブルブルと小刻みに震えたが、それだけで一向に開く素振りを見せなかった。

 トイレ内に和男の助けを聞く者が居ないわけではなかった。

 むしろいる。

 トイレの個室に閉じ込められた和男と同じ高校の制服を着た三人の男子生徒。

 しかし、彼らはニヤニヤ、笑みを浮かべるだけで和男の助けに応えようとはしなかった。

 それもそのはず三人こそ和男をトイレに閉じ込めた張本人たちだったからだ。

 「トイレでは静かに~」

 黒メガネをかけた長身の少年がせせら笑いながら言う。

 「他の人の迷惑だぜ」

 隣に立つ五分刈りで四角い顔が吐き捨てるように言い。「黙ってウンコしてろや」と最後に茶髪の少年が切って捨てる。

 和男は唇を噛む。拳を握ると再び扉を叩いた。

「開けてよ。僕がなにしたっていうんだ」

 と、間髪を入れずに扉が反対側から蹴りあげられた。扉がけたたましい音とともにビリビリと揺れる。

「うるせえ、クソが!」

 メガネの少年の怒声が響き、和男は思わず後退りした。

 名を如月(きさらぎ)信悟(しんご)と言う。

 細身で長身。

 体型とメガネのお陰で知的で穏やかな印象を与えるが、実はとんでもなく狂暴で切れやすい性格だった。ニヤニヤ笑っていたかと思うと突然、鬼のような形相になって手やら足が飛んでくる。

「クソはクソらしく黙ってクソにまみれてやがれ!」

 如月は、激昂して叫びながら二度三度と扉を蹴った。何度も殴られた経験のある和男は扉越しであっても、怒り狂う如月を思い浮かべすくみあがった。

「信悟、少し落ち着け」

 扉越しに信悟をなだめる声がした。

 声から和男は秦山(はたやま)(まもる)の四角い顔を思い浮かべた。柔道部所属で顔も体型も正方形をしていた。腕力は三人の中で一番あるが信悟の狂暴な性格に押されてもっぱらブレーキ役に甘んじていた。

「そこでじっとしてやがれ!」

 信悟は置き土産とばかりにもう一度扉を蹴った。やがて、三人がトイレを出ていく微かな気配がした。

 和男は便座にへたりこむと、すすり泣きを始めた。




「お~い、早くこんか!」

 年の頃は40代と思われる男が大きな声で叫ぶ。男の視線の先には三人の男子生徒が小走りでやって来る姿があった。

 長身のメガネ、茶髪、五分刈りの三人だ。

「なにやってんだ、修学旅行は遊びじゃないんだからな」

「へっへっ。すいませ~ん」

 茶髪の男子生徒がにやけた笑い顔で頭を下げる。

 それが三人組での青葉(あおば)(たけし)の立ち位置だった。

「まあ、いい。さっさと並べ」

 男は三人を他の生徒たちの列へ並ぶように促し、点呼を始めた。

「一人足りないな。だれだ?」

 男は眉を八の字にして言った。

「寺沢だと思いま~す」

 青葉の声だった。

「腹が痛ぇって言ってたからしゃがんでじゃないですか」

 生徒の列からどっと笑いが湧き上がった。

「なんだと?しょうがないな。

あいつには後で説教だ。

まあいい、お前たちは早くあっちに行って和尚さんの話を聞け。授業なんだからな、静かに聞くんだぞ」




「……悪き事をすれば地獄に落ちる。

当然の(ことわり)ですな。皆さんもせいぜい悪い事せんよう生活しなくてはあきまへんえ」

 寺の和尚は、猿が袈裟を着ているような小さくしわがれた人だった。

 甲高いが良く通る声で寺の縁起から始まり、寺の各建物の役割や本尊についてとうとうと説明した。生徒たちの興味なしな冷たい視線もものともせず、寺所蔵の地獄絵の解説を終えたところだった。

「次は、こちらを紹介しまひょうかね」

 和尚は、本堂の片隅へとひょこひょこと移動した。

 そこには、古びた着物が吊るされている。前のところがひどく黒ずんでいた。

「これは、この寺に代々伝わる、鬼が着ていた着物です。鬼の名前は『がごぜ』言いますのや。

この近くの『元興寺(がんこうじ)』さんが訛って『がごぜ』になったと言われてますのや。

なんや、お寺の名前が鬼の名前になるなんてけったいな話やおもうやろう。

それにはそれなりの理由がおますねん。

昔の話でしてな。

元興寺さんの鐘楼(しょうろう)に怪しい影が夜な夜な現れる事がおうてな。寺の若い僧たちが正体を見極めようとしたんや。

夜中過ぎ頃、怪しい影が確かに鐘楼に上がってきた、そんで若い僧たちは、エイヤッてばかりに一斉に影に打ちかかったのや。

たちまち大立回りや。

そのうち、影が鐘楼から転げ落ちた。

ほいで、朝になって見てみたらなんと鐘楼の下で寺男が死んでおった。

寺男はどうやら鬼が化けていたものだったそうや。

それでやな、その寺男が着ていた着物いうのがこれやという話や」

 和尚は眉間に皺を寄せ、どすの効いた低い声で話を終える。生徒の列のどこからか失笑が微かに聞こえた。




 和尚の話が終わると自由時間になった。

 三人組はどうやって時間に潰すかの算段をしていた。

「さっきの和尚の下らない話を聞いてて思いついたことがある」と信悟が口元を歪めながら言った。

「話の再現をしようぜ。

寺沢にさっきの着物着せて、鬼だーって殴って遊ぶんだよ。

まー、ごっこ遊びだな。

あいつ、ヒーヒー言って喜ぶと思うぜ」

 嬉々として自分の思いつきを話す信悟に、秦山と青葉は顔を見合わせた。

「うん、なんだよ、つまんないか?」

「い、いや、面白いんじゃないかなぁ。

丁度、あそこに鐘楼もあるし」

 自分の意見を否定されるととたんに不機嫌になる信悟をなだめるように青葉が慌てて調子を合わせた。

「おー、本当だ。いい鐘楼があるじゃねぇか」

 青葉が指差した方を見て、信悟は蛇のように舌なめずりをした。

 青葉が指差した寺の境内の片隅には鐘楼があった。

 高さ10メートルぐらいだろうか。コンクリートで作られた階段が鐘まで延びている。鐘をつくところは数人が一度に立てるぐらいのスペースがありそうだった。

「良し、決まりだ。

剛は、さっきの着物を持ってきてくれ。

俺と守は和男ちゃんを迎えにいこうぜ」

 信悟は今にもスキップしそうな勢いで和男を閉じこめたトイレに向かって走り出した。




「や、止めてよ。

どこつれていくのさ。もう、許してよ」

 和男は情けない声を上げるが秦山の羽交い閉めにされたまま、ずるずると引きずられて行く。

 向かう先になにやら大きな鐘突堂が見えた。

「お前さ、さっきトイレに籠ってたから和尚さんの話、聞けてないだろ」

 先を歩く信悟がウキウキした声で喋っていた。今にも踊り出しそうなほど高揚しているのが傍目にもわかった。

「それでさあ、俺たちが和尚さんの替わりにお前に教えてやろうと思ってさ。

な、親切だろ?」

 鐘楼を登りながら信悟は楽しそうに話し続ける。和男は反対に顔面を白くした。和男には良いことなんて起こりっこないのが分かりすぎる程分かった。

 鐘楼を登りきると、そこには既に青葉がいた。手に小汚ない布を持っていた。信悟はそれを受けとると和男に広げて見せる。

「これはな、昔、鐘楼に現れた鬼が着ていた着物なんだってさ」

 そこまで言うと、信悟は着物を和男に被せた。

「わっ?!」

 突然の事に和男は小さな悲鳴を上げた。

「鬼は鐘楼で僧侶たちに殴られ!」

 と言うと、信悟は頭から着物を被せられ視界の利かない和男をなぐりつけた。

 鐘楼にくぐもったうめき声が響く。

「蹴られて!」

 更に信悟は和男のお腹の辺りを蹴った。

「あくっ」

 和男は身体をくの字に曲げて膝まづく。

「ほら、お前たちもやれよ。鬼退治だぜ?」

 信悟は心底楽しそうに和男を殴り、蹴る。

 視界が遮られているので、和男はまともに防御の体勢も取れない。殴られ、蹴られる度によろよろとよろめく。それが余計に信悟を興奮させるのか、徐々に行為がエスカレートする。

「ほらよ」

 信悟の蹴りが和男の鳩尾(みぞおち)にまともに決まった。和男は数メートル後ずさると階段を踏み外し、ゴロゴロと階段下へと転がり落ちた。

「や、ヤバイぞ」

 秦山が慌てて鐘楼の縁から階段下を覗きこんだ。和男は階段の下まで転げ落ちていた。

 上半身は着物に完全におおわれていたが、膝の当たりからは両足が見える。うつ伏せで倒れたままピクリとも動かない。

「信悟、こりゃヤバイぞ。死んじまったかも知れない」

 隣に立つ信悟に秦山は言う。声が震えていた。

「まさか。気絶してるだけだろ」

 信悟はそう答えたが、信悟の声もやはり掠れていた。

「おい、寺沢、寝てないで起きろよ。

驚かそうとしてもそうはいかないからな」

 信悟がゆっくりと階段を降り始める。しかし、和男はまるで反応を示さない。

「この野郎。騙そうとしてもそうはいかないぞ。さっさと起きないともっとひどい目にあわせるぞ」

 信悟は声を荒げて言った。

「いい加減にしろ!

起きろって言ったら起きろよ!!」

 信悟の声は金切り声になっていた。その時、和男の脚がピクンと動いた。

「ば、馬鹿野郎、脅かしやがって」

 それを見て信悟はほっと息をついた。

 ピクン

 また、和男の脚が動く。

 ピクン ピクン 

  ピクン ピクン ピクン ピクン

   ピクン ピクン ピクン ピクン

 和男の脚が激しく痙攣を始める。

「な、なにやってんだ!

ふざけた真似してんじゃねーぜ!」

 信悟が切れぎみに絶叫する。

「うおおおおおぉぉぉぉぉ」

 地の底から地響きのような声が呼応し、和男が半身を起こす。パサリと着物がずり落ちた。

 和男の姿を見て、皆、あっと驚く。

 朱色の身体に爛々と輝く真っ赤な(まなこ) 。口はさけ、上下に氷柱(つらら)が如く犬歯が伸びたその形相は鬼、いや、和尚が話していた元興寺(がこぜ)だ。

「うわ、うわぁ、和男が『がごぜ』になった。

うわ、うわ」

 パニックになった信悟が悲鳴を上げた。

 『がごぜ』は一声吠えるとまっしぐらに信悟に襲いかかり……

 

- - - - - - - - -


《元興寺縁起略記》

昔、元興寺(がんこうじ)の鐘楼に夜な夜な鬼現れけり

僧たち、鐘楼に待ち伏せて鬼を打ち殺すなり。

朝になると鬼、寺男に変じる

僧たち驚き騒ぐと、鬼たちまち息吹き返し、僧の一人を掴み、西の空に消える

僧たち、西の山に追いかけるが鬼を見つけることあたわず

ただ、首失いし僧の死体と鬼が着ていた血塗れの着物があるだけなり

僧たち死体と鬼の着物を持ち帰る

鬼、元興寺(がんこうじ)に因みに『がごぜ』と名付くるなり


- - - - - - - - -






2019/02/05 初稿


これはフィクションです。

実在の場所、人物、団体等と一切関係ありません。


次回は「塵塚怪王(ちりづかかいおう)」の予定です。

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