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妖怪白記  作者: 風風風虱
6/12

その六 鎗毛長・虎隠良・禅釜尚

鎗毛長(やりけちょう)

日本無双の剛の者の毛鑓にや


虎隠良(こいんりょう)

たけき獣の革にて(せい)したるきんちゃくゆへにや


禅釜尚(ぜんふしょう)

茶は閑寂を事とものから、陰気ありてかかる怪異もありぬべし

 深夜の公園のトイレで顔を洗う男が一人。

 蛇口から流れ出る水をすくっては顔や腕に浸す。その度に洗面口も水も真っ赤に染まった。


「くそっ、あの婆ぁ、いきなり大騒ぎしやがって。

くそっ、くそっ、くそっ。

みんな、あの婆ぁが悪いんだ。自業自得っんだよ」


 男は呪文を唱えるように小さく呟く。

 何かの気配を感じ、男はふと顔を上げる。

 キョロ、キョロと落ち着かない様子でトイレの中を見渡すが、深夜のトイレに男以外に誰もいるはずもない。バシャバシャと水音だけが無機質に反響していた。

 男は誰もいないことを確認すると、小さく息を吐き、再び顔や腕にベッタリとこびりついた血糊を洗い流す事に意識を集中させた。


 時は少し戻る。男は町外れの家に空き巣に入ったのだ。ごうつく張りの婆さんが一人でやってる質屋だ。血も涙もないと評判で、それだけに小金を溜め込んでるとの噂もあった。

 この手の婆さんは銀行も信用してないので現金を店のどこかに隠していると踏んだ男は、夜中にその質屋に忍び込んだ。

 壺やら茶道具、絵画、果ては槍やら刀(多分模造品か刃を潰したもの)がところせましと置かれた部屋を物色して回った。

 二時間ほど探しまくり、部屋の片隅に無造作に置かれていた錆びた茶釜の中に布に包まれた札束を見つけた。

 箪笥銀行ならぬ茶釜銀行だ。

 男はまんまと狙いが当たった事に小躍りしようとしたその時、突然部屋の扉が開かれた。

 扉の先には居る筈のない婆さんがいた。

 婆さんは婆さんで男が居るなど夢にも思っていなかった。

 二人は互いに目を丸くしたまま見つめあった。しかし、それも本当に一瞬の事だった。

「うぎぁあー。ドロボー!」

 婆さんがこれでもかという大声で叫んだ。

ガツン

 男は反射的に手に持っていた茶釜で婆さんを殴った。

ガツン ガツン ガツン

 一発で昏倒して手足を痙攣させている婆さんを男は執拗に何度も茶釜で殴り付けた。

 気がつくと辺り一面血まみれだった。

 足元にはピクリとも動かなくなった婆さんが横たわっていた。腕にも服にも血で濡れている。恐らく顔も返り血で真っ赤に染まっているのだろう。ぬるぬるする気色の悪さに顔を拭いたくなるのを必死に堪える。

 今は一刻も早くこの場を立ち去るのが優先される。

 男は札束をポケットにねじ込むと急いでその場を立ち去った。

 どこをどう走ったか余り覚えてはいないが、とにかく人気のない公園のトイレを見つけた男はそこに駆け込んだ。

 顔と腕の血を洗い落とした男は嵌めていた手袋をトイレに流した。返り血を浴びた服も何とかしたいと思ったが着替えを持っていないので何ともならない。どこかで着替えを調達しようと男は考える。

 とにかく今は逃げられるだけ逃げてやる。

 男はそう思いながらトイレを出ようとした。

「!」

 トイレの出口から何か黒い小さなものが男に向かって近づいてきた。

 大きさかは猫ぐらい。

 余りの早さに黒い筋にしか見えない。筋のようなものが稲妻のようなジグザグを描き、男に迫る。

「あ、痛っ」

 黒いスジが股ぐらを擦るように通り抜けたとたん、男は膝に鋭い痛みを覚え、声をあげる。

 見るとジーパンごとバックリと切れていた。

 刃物で切られたような跡だった。

 黒い筋はトイレの端まで行くと折り返して再び男に向かってくる。

 男は筋を避けようと横に跳んだが筋は軌道を変えて追従してきた。

「あがっ。

くそっ!」 

 今度はふくろはぎに痛みが走る。ふくろはぎから踵にかけて真一文字に切り裂かれていた。ドクドクと血が吹き出てくる。

 何が何だか分からないが黒い筋が自分に危害を加えようとしているのは分かった。

「この野郎!」

 男は三度(さんたび)襲いかかってきたそれにカウンターで蹴りを合わせた。

 不思議な感触だった。空気の抜けたサッカーボールを蹴った、それが一番近い感覚だった。

 蹴飛ばされたそれはトイレの端まで吹き飛ぶ。

「なんだありゃ……」

 正体を見極めようとして、男は逆に混乱する。何か茶色い袋のようなものがトイレの床に転がっていた。袋から細い手足が生えている。巾着のお化け、とでもいうのだろうか。

 男の常識の埒外の存在だった。

 その巾着のお化けが細長い手足を動かし、よろよろと立ち上がる。そして、傍らに落ちていた黒い棒を拾い上げる。その棒の先には銀色に光る(やいば)かついていた。男はあれで切りつけられたと理解した。

 巾着には手足だけではなく目玉もついていた。巾着の口辺りに血走った大きな目玉が一つ、ギロリと男を睨み付けてくる。目玉には悪意、いや、殺意の色が見てとれた。

(逃げよう)

 男は瞬間的にそう判断するとトイレの出口に向かって走った。

 外に出る瞬間、男は激しい衝撃を頭に受けた。必死に痛みを堪えて見上げると、トイレの(ひさし)の所に何かがいた。

 白っぽい小動物の尻尾のようなものが大きな木槌を構えている。これもまた、男の常識にはない存在だった。

『婆ぁ様の(かたき)じゃ』

 毛むくじゃらのそれは、そう言うと構えている木槌を男に降り下ろした。

 木槌が男の額を直撃する。額がバックリと割れ、血が吹き出た。

 男は声にならない悲鳴を上げ、額をおさえて片膝をつく。追い討ちをかけるように背中に鋭い痛みが走った。

 振り向くと巾着の化け物がいた。槍を男の背中に突き立てている。

「ぐあっ」

 たまらず地面に倒れた男に巾着と尻尾のお化けが容赦なく槍で突き、木槌で殴りかかってくる。

 男は呻きながら這いつくばって逃げる。

 その男の前に何かが立ちはだかった。

「?」

 額から流れる血に霞む視界に円形のものがぼんやりと映る。何か見覚えがあった。

「ち、茶釜?」

 それは、男が婆さんを殴り付けた古びた茶釜だった。違うのは茶釜の胴体に目と口、それから手足がついていることだった。今度は茶釜の化け物だ。

「い、一体なんなんだお前らは?」

『ばぁ様の恨み、思いしれ』

 茶釜のお化けは男の質問には答えず、ぐらりと体を傾かせる。茶釜の口からグツグツ煮え立った熱湯が男に降り注がれた。






 パシャ、パシャと鑑識員がせわしなく現場写真を撮っている中、年配の刑事は部屋の真ん中で腕を組んで考え事をしていた。

 部屋中に古いものが散乱している。

 この部屋で老婆が撲殺されているとも通報を受け駆けつけたところだった。

 一見すると居直り強盗のようだが、と年配の刑事は静かに思う。

 そこへ若手の刑事がやって来る。

「被害者はこの質屋の経営者のようですね。殺された婆さんが一人でやっていたみたいです」

「すると何が盗まれたかは調べようがないな」

「いや、そうでもないですよ」

 若手の刑事は持っていたノートを開いて見せる。

「ここの婆さん、マメに質草を記録してたみたいです」

「ほう。つまり、そのノートに見当たらないものがぬすまれたものってことか?」

「そうなりますね。

それで、このノートによると……

茶釜、巾着、槍毛(やりけ)が見当たりません」

「槍毛ってなんだ?」

「よく分かりませんが槍の先につけていた飾り見たいです」

「飾り?」

「何かの動物の尻尾のようなものらしいですね」

「なんでそんなものを盗んだんだ?値打ちものなのか?」

「いいえ。古いのは古かったみたいですが二束三文見たいですね。

あっ、でも茶釜は凶器の可能性があるみたいなので、犯人が持って逃げたかも知れませんね」

「ふーん。犯人を捕まえないと分からないってことか」

 そこで年配の刑事の携帯が鳴った。

 携帯に出た刑事の表情がみるみる曇る。

「どうしたんですか?」

 携帯を切った刑事に若いほうが聞いた。

「どうもこうも……

近くの公園で男の変死体だってよ」

「変死体?」

「全身に熱湯をかけられてるらしい。他にも殴打や刺し傷があるらしいからヤクザ者のリンチかなにかかもしれん。ここを片付けてそっちも見ろって話だ。今日はなんて日だろうな」

 刑事は髪をかきむしると大きくため息をついた。



 二人の刑事が変死体の傍らで茶釜と巾着、槍毛を見つけてさらに首を捻るのはそれから一時間程後の話だった。



2018/08/11 初稿

2019/01/29 誤記修正&文章少し直しました


次話は、元興寺(がごぜ)です

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