その五 火消婆
「これはまた、厄介な連中に憑かれおったな」
その陰陽師はあごひげを扱き、眉間に皺を寄せる。皺の深さが物事の深刻さを表しているようだった。
「それほどまでに厄介な事なのでしょうか?」
「うむ、これは百連衆と言うもののけじゃ。
格の低い魑魅魍魎の類いで、一つ一つは大したことはないが、なにせ数が多い上に執念深い。故に一度目をつけられると助かる者は少ない」
「そ、そんな。どうか倅を助けてやってください。大事な内の跡取り息子なんです。
お礼ならほらこの通り幾らでも」
年配の男は両手に握った小判を陰陽師の前に差し出す。
「ほら、お前も頭を下げてお願いせんか」
男は、隣に座る若者の頭を掴むと畳に押し付けるようにしてお辞儀をさせる。
男は大店、近江屋の大旦那で、隣の若者はその息子の市之進と言った。
必死に陰陽師に嘆願する大旦那に対して若旦那の方は魂が抜けたような青い顔をしていた。
何しろ今日にでも化け物どもに貪り喰われるかもしれないのだから、無理もなかろうと陰陽師は思った。
刻は17日ほど遡る。
市之進とその取り巻き、五郎丸と定治の三人は若気に任せ無頼の生活を繰り返していた。
行きずりの若い女に手を出したり、天秤棒を担いで行商に励む棒手振りの売り物の青菜や魚を無断で食い散らかし、文句を言われれば天秤棒を奪って殴る、蹴るの狼藉を働いた。
一言で言えば、ごろつきである。
表立って問題にならなかったの一重に市之進の父親である近江屋が金とコネで皆の不平、不満を抑え込んでまわったからだ。
さて、そのような近江屋の苦労など露とも知らぬ市之進ら三人は市之進が囲っている女の所で朝から酒を飲んで管を巻いていた。
「あーあ、詰まんないねぇ。
なんか面白い話はないのかね」
市之進はごろりと寝転んだまま、空になった徳利を弄びながら呟いた。
「梅雨になったら急に蒸しましたな」
定治がつるつるの頭を撫でながら同調する。この男、数年前まで仏門の徒であったが山での修行に耐えきれず還俗した身だった。経もろくに読めぬ半端者であったがなぜか髪だけは未だに綺麗に剃りあげていた。
「なぁ、五の字、何か気の晴れる面白い話はないのか?」
「へえ、若旦那。気の晴れる話ですかい?」
五の字と呼ばれた五郎丸は、市之進の乳母の実子で市之進の乳兄弟だった。幼い頃から一緒に育った。元々、貧乏育ちなので下世話な話に詳しかった。市之進たちが退屈すると大抵五郎丸が面白い話を持ってきた。
「そう大雑把に言われましても困りますね。
どんな感じの話がよござんすか?」
五郎丸の言葉に定治が反応する。
「そうだな、こう蒸すとなにか涼しくなるような話がよいな」
「そうだ。定治の言う通り、なにかこう暑気払いになるような事がよい」
市之進は大仰に頷いた。
「さて、暑気払いですか」
五郎丸は少し考えていたが、パシリと膝を打つ。
「最近聞いた話です。
町の外れの古寺の更に裏手に竹林がありまして」
そこで五郎丸はぐっと声を低く、後を続ける。
「夜な夜な変な声が聞こえてくるとの事でございます」
「変な声とは?」
少し興が乗ってきたのか、市之進は起き上がり、胡座を組んだ。
「大勢の人が笑い騒ぐような声とか、悲鳴とも聞きます。
また、竹林の奥から青白い火が見えるとか見えないとか」
「見えるのか、見えないのか、どっちだ」
定治はじれったそうに言うと少し苦笑した。
「いや、わっちが見たわけではないので分かりません。ただ、そう言うもっぱらの噂でございます」
「面白い。では、我々の目で直に確かめてみるか」
市之進は一言叫ぶと立ち上がる。
「どうした、どうした。さあ、いくぞ」
定治と五郎丸は市之進を呆気に取られて見つめたが、やがて渋々立ち上がった。
「本当にここなのか?」
定治が提灯を掲げて竹林を照らしながら言う。
「場所はここで間違いないです」
と五郎丸。
「しかし、なにも聞こえんの」
とは市之進。
「いや、いや、いや」
定治が珍しく真剣な表情で竹林に耳を寄せる。そして、提灯の火を吹き消した。
辺りがふっと暗闇に包まれる。その日は新月、月の無い夜だった。提灯の火が無ければ、自分の手すら見えない闇になるはずが、そうはならない。
辺りは薄ぼんやりした光に照らされ、三人は辛うじて隣の者の顔を認めることができた。
朧気な輪郭だけの顔を付き合わせた三人は竹林の奥へと視線を移す。淡い光は竹林の奥から来るようだった。
「…… …… ……」
単に風の音かもしれないが微かになにかが聞こえてきた。三人は恐る恐る竹林の奥へと足を踏み入れる。
「これは、何としたことか」
定治は一言呟くと絶句する。定治だけではない五郎丸も市之進も目の前の光景に言葉を失った。
酒樽のように大きな頭を持つ男が耳まで裂ける程の大口を開け笑っていた。
男の隣には逆さになった三味線が藍色の地に桜をあしらった女物の着物を着て座っていた。
その正面には黒の着物を着た徳利がいた。顔に当たる徳利は割れて大きな穴が開いていた。その穴から血走った眼が不気味な光を放っている。
場の中央では、酒樽頭と同じぐらいの大きさの、しかし平たい頭を持つ何か、恐らくは女なのだろう、が真っ白な上半身をはだけ、豊かな双丘を揺らしてくねくねと踊っていた。
明らかに人でない、異形の集まりだ。
異形のものたちの周囲には鬼火なのか狐火なのか、なにか妖しい火の玉がゆらゆらと中空を漂っていた。
「これは、これは……」
妖し気な宴を目の当たりにして定治はぺろりと頭を撫でる。と、足元に妙な違和感を感じた。足の甲に生暖かい油をゆっくりと落とされたような感触。
視線を落とすと、自分の右足に白いブヨブヨしたものが乗っかっていた。一見、肉の脂身のように見えた。大きさは一抱えはある。ようく見るとブヨブヨ、プニプニ小刻みに震えている。
なお、じっと見ていると一ヵ所がぼこりと陥没した。陥没したところがすぐに隆起して目が現れた。黄色く澱んだ眼がぎろりと定治を睨む。
定治はぎょっとなった。
ぼこり、ぽこんとその隣にもう一つ目が現れて、やはり定治を睨みつける。
ぼこり、ぽこん、ぎろり
じっと見ているうちに目が三つになった。
ぼこ、ぽこ、ぎろ
ぼこ、ぽこ、ぎろ
ぼこ、ぽこ、ぎろ
あっという間に目は倍の六つになる。
ぼこ、ぽこ、ぎろ、ぼこ、ぽこ、ぎろ、ぼこ、ぽこ、ぎろ、ぼこ、ぽこ、ぎろ、ぼこ、ぽこ、ぎろ、ぼこ、ぽこ、ぎろ、ぼこ、ぽこ、ぎろ、ぼこ、ぽこ、ぎろ、ぼこ、ぽこ、ぎろ、ぼこ、ぽこ、ぎろ、ぼこ、ぽこ、ぎろ、ぼこ、ぽこ、ぎろ、ぼこ、ぽこ、ぎろ、ぼこ、ぽこ、ぎろ、ぼこ、ぽこ、ぎろ
無数の目が現れる。もう脂身の塊ではなく目の塊だ。その目の塊が定治をじっと睨み付けてきた。
「うわはぁ~」
定治は、腰を抜かしで大声で叫ぶ。
と、異形のものたちが一斉に竹林に隠れている定治、市之進、五郎丸の方を向く。
「人じゃ」
「人か」
「人だの」
「人じゃ、人じゃ、人じゃ!」
異形のものたちは口々に叫ぶと物凄い形相で市之進たちの方に迫ってきた。これは不味いと、三人は反射的に逃げ出す。
「た、助けてくれ」
あちらこちらに擦り傷を作りながら市之進は竹林から転がりでる。その横に一拍おいて五郎丸も転がった。
定治は?と、市之進は竹林の方を振り向く。
定治は半身を竹林から出していた。だか、そこで動きが止まっていた。
「わ、若旦那!
た、助けてぇ~ください」
手を伸ばし、助けを求める定治の後ろから筋張った手が現れる。指の先端には捻れ曲がった鉤爪のようなものが生えていた。間違いなく異形のものの手。その手が定治の顔を掴む、爪がズブズブと定治の顔に食い込み血が流れた。「あ、痛、いただだだぁ」
鉤爪が定治の目に突き刺さり、定治は苦痛に悲鳴を上げた。と、必死に竹を掴んでいた手が緩み、定治の半身は竹林へと姿を消す。
「ぎゃあー」
竹林に引き込まれると同時に定治の絶叫が辺りに響き渡った。
「痛い、痛い
食われてる。食われてる。
やめて、たずげでえ"
あぎゃあ、いははぁ」
定治の悲鳴が止んだ後も竹林からは、コリコリ、ガリガリとなにか固いものをかじるような音が続いた。
市之進たちはただ、ただ、それを震えながら聞くのみだった。
やがて、その音もしなくなる。
『うまし、うまし』
『満足、満足』
竹林から、そんな声が聞こえてきた。
『はて?もう二人いなかったかえ?』
『おった、おった』
『今宵は満足。残りはまたにしよう』
『そうだな、そうだな、6日後にまた来ようぞ』
『6日後に、の』
『6日後、6日後』
そして、声はふっつりとなくなった。後には静けさと地に伏しガタガタと震えている市之進と五郎丸だけが残った。
夜が明けて、竹林の中が捜索されたが定治の姿はどこにもなく、あるのは大量の血糊と定治の着ていた着物の切れ端が少しあるだけだった。
そして、瞬く間に6日が過ぎる。
その日、二人は近江屋の離れで酒を飲んでいた。二人とも化け物どもが残した言葉を忘れた訳ではない。むしろ逆で、二人はこれでもかと言うぐらいに怯えていた。
離れの出入り口にはお札を貼り、心張り棒もかけ誰も入ってこれなくしていた。酒を飲んでいたのは少しでも恐怖を紛らすためだった。
日が暮れ、夜が進んでいくと何か空気がぴんと貼りつめてくるのが感じられた。
「今、何かきこえなかったか?」
市之進が怯えたように言った。
離れの外が急に騒がしくなってくる。何か大勢のものの気配はする。
『ここか?ここか?』
『ここじゃ、間違いない』
戸口の外から囁き声が聞こえてくる。
戸口が無造作に引かれた。心張り棒が音をたてる。
『開かんぞ』
『うむ、開かんな』
『どこか入れるところを探すんじゃ』
『探すんじゃ』
『探そうぞ』
離れの戸口や壁の至るところがガタピシと音を立て始める。大勢のものが離れを囲んで中にも入ろうとしている。
市之進と五郎丸は震え上がった。
ベコンと壁に穴が開いた。開いた穴から部屋の中を覗く目があった。一目見て人のものではないと知れる。何故なら縦に眼が三つ並んでいた。
『おお、いたぞ。いたぞ。』
とたんにメリメリと木の裂ける音がした。天井に目を向けると天井板が外れ、節くれた巨大な腕が伸びてくるではないか。
とっさに市之進は飛び退くが五郎丸は遅れた。
「うは、わ、若旦那!助けて」
腕に胴体を一掴みにされた五郎丸は自由になる片手で市之進に助けを求める。しかし、市之進は恐怖で動けなかった。
腕は五郎丸を掴んだまま天井上に消えていった。
「うぎゃあ、助けて!
痛い、噛むな、よるな、よるな、よるな」
なにもできずに震える市之進の耳に五郎丸の悲鳴が届く。市之進が先程開いた壁の穴から外を伺うと、離れの外で五郎丸が無数の異形のものにまとわりつかれ食われていた。
市之進はへなへなとその場にへたりこむ。
五郎丸の声はすぐに聞こえなくなり、辺りには前に聞いたガリガリ、コリコリと言う耳障りな音のみになる。
やがて、それも止んだ。
呆然となる市之進の耳に残ったのは、異形のものたちの最後の言葉だけだった。
『ならば、10日後にまた来ようか』
『来よう。来よう』
『10日後、10日後』
そして、今に至る
「一回だけだ」
陰陽師は渋々と言った。
「一回は我が術で凌ぐことができよう。
だが、それであやつらが諦めるかどうかだ。
諦めれば良し。諦めれなければ、その先は儂の力ではどうにもならん」
「へい、へい。その一回でよござんす。
是非、お助けください」
近江屋の大旦那は畳に額を擦り付け、頼み続ける。何せ八方手を尽くしてようやく見つけてきた最後の望みがこの陰陽師だったのだ。
その夜。
市之進は、五郎丸と一緒に襲われたあの離れにいた。違うのは一人であることと、戸締まりをしていない事。そして、もう一つ。
市之進は離れの部屋の丁度真ん中に座っていた。市之進の回りの床には三角形とか四角とか波線とかの奇妙な図形が描かれていた。
市之進は不安に駈られながらも陰陽師に言われた事を思い出していた。
「これは隠形印だ。さらに、この五つの蝋燭に火を灯す。それで術は完成じゃ。お前の姿は異形のものには見えなくなる。
だから、例えどんなことがあろうとも声を出したり、印の外に出るな。蝋燭の火を消すのも厳禁じゃ。
そのどれかを破れば術はたちどころに破れる
お主の居場所がわからぬ限りは奴等は襲ってこない。夜明けまで耐えるのじゃぞ」
そして、市之進は日が暮れてから、ジリジリと嫌な臭いを放つ蝋燭に囲まれたまま、一人で離れで時が過ぎるのをじっと待っていた。
いわゆる丑三つ時になった頃、辺りの空気がピーンと張りつめた。前と同じ感覚だ。やがて、ざわざわと周囲がざわめき始め、異形なものたちが続々と離れに踏み込んできた。
市之進は口に手を当てて懸命に声が漏れるのを我慢する。
『ふーむ、おらん。どこへいった』
一つ目の大入道が陰形印の回りをぐるぐる回りながら呟く。どうやら陰陽師が言うように異形のものたちには自分の姿が見えていないのだと市之進は内心ほっとする。しかし、何かの拍子で隠形印の中にこいつらが入ってこないとは限らないと思うと気が気ではなかった。
『気配は間違いなくここなのに、はて、どこにおるのやら』
『探せ、探せ』
無数の異形のものが離れを行ったり来たりして市之進の姿を探し回ったが見つける事はできなかった。
『見つからんのお』
『みつからん、見つからん』
『あな、くやしや』
『また、来ようぞ』
『来ようぞ、来ようぞ。12日後じゃ』
『12日後じゃ』
『そうじゃ、12日後にまた来ようぞ』
異形のものたちは口々にそう言うと離れを去っていった。
(助かった)
市之進はほっと安堵する。と、同時に脂汗が滝のように吹き出した。恐怖で汗すらでなかったのかと今更ながらに恐怖の大きさに気づく。
(しかし、あいつら、気になることを言っていたな。
また来ると。12日後にまた来ると……)
「確かに12日後にまた来ると申したか」
陰陽師は念を押すように聞いてきた。市之進は無言で頷く。
「そうか、それは厄介な話だ」
「厄介とは?例えまた来たとしても同じようにすれば良いではないですか」
大旦那の言葉に陰陽師は良い顔をしない。
「この方法はただ単に取られたくないものを隠しているに過ぎない、何度もやればいつか見つかる」
「でも、見つからないかも知れないのでしょう?」
大旦那は必死に食い下がってくる。
「理屈の上ではな。儂が言いたいのは確実な方法ではないと言うことだ」
「だとしても、何卒、倅を助けてやってください」
陰陽師は困ったようすで髭を撫でる。少しめんどくさくなっても来ていた。
(このままなにもしなくては確実にたすからないのだから、やるだけやって後はこの若者の運に任せるか)
陰陽師は大旦那の横でぼうっとしている若者を見ながら思った。
「分かりました。では、12日後に同じ術を行ってしんぜよう」
陰陽師は渋々ながら承諾した。
そして、あっという間に12日が過ぎた。
市之進は前と同じ隠形印の中にいた。五つの蝋燭は例の悪臭を漂わせながら燃えていた。
丑三つ時。
ピンと空気が変わり、辺りが騒然となる。異形のものたちの到来である。
『ううむ。また気配はするが姿が見えん。
これはどうしたものか』
『見えんの、見えんの』
異形のものたちは離れを右往左往しながら、悔しそうに呟く。
大分時間がたちもうすぐ夜明けかと思われた頃、巨大な頭だけの化け物が離れの中央、つまり市之進が隠れている辺りをじっと見つめる。
市之進は気づかれたのかと震え上がった。
『あそこの光が眩しいて、よう見えん』
大頭は野太い声で呟いた。その言葉につられて、異形のものたちが一斉に市之進の方を見た。
『ううむ。確かに眩しい。それに蝋燭が臭くてたまらん。これでは人の臭いも紛れて分からんくなる』
『誰か、婆様を連れてこい』
『うむ、婆様じゃ、婆様じゃ』
異形のものたちは一斉に囃し立てる。
市之進は何が始まるのか気が気でなかったがどうすることもできなかった。
と、離れの戸口に老婆が現れた。
『眩しくて、中に入れん』
老婆は戸口から半身を乗り出し、顔を手で隠しながら言った。
『火消しの婆様。部屋の蝋燭を消してくだされ』
異形のものたちが頼む。
『消せば良いのか。お安いご用じゃ
ほうれ、ふーーぅ』
婆様が口をすぼめて息を吹き掛けると市之進の目の前の蝋燭が消えた。
(ひっ)
市之進は声のない悲鳴をあげる。
『ほうれ、ふーーぅ。
ほうれ、ほうれ、ふーーーーぅ』
老婆は次々に蝋燭の火を消していく。五つの蝋燭が消え、離れは闇に包まれた。
『おおう。いたぞ、いたぞ』
『見つけた』
『見つけた』
闇の中、異形のものたちの嬉しそうな声がした。そして、次の瞬間、市之進の絶叫が辺りに響き渡った。
「あああ、よるな、よるな、よるな、
助けて、助けてぇ、
誰か、助けてぇ!」
2018/06/14 初稿
2018/07/12 文章少し修正と加筆しました
2019/02/03 誤字修正
なんと主題の火消婆さんはラストの数行にしか登場しないと言う衝撃の展開、でした
百連衆は筆者の創作です
次話は「鎗毛長・虎隠良・禅釜尚」です
……いや、石燕先生、夢に見たとかフリーダム過ぎるでしょう
これちょっと恐くできるのかな、心配