その三 鬼一口
『新郎、新婦の入場です。皆さん、盛大な拍手をお願いしまーす』
司会の音頭で会場は割れんばかりの拍手に包まれる。
スポットライトの中、初々しい男女が晴れやかな笑顔で登場する。
(……シ、ネ……)
「ね、今、聞こえたでしょ。
死ねって言ってるように聞こえなかった?」
初音は動画を停止させると、興奮した声で言う。
確かに、初音が言うように『死ね』と聞こえなくもない。しかし、何せ素人の録画なので周囲の雑音を拾いまくっている。その上、会場は拍手の渦だ。
「こう、雑音が酷いとね。『死ね』って聞こえなくもないけど、服か布が擦れた音にも聞こえるわ」
「そんな事無いって。ここだけじゃないのよ。
この先にもあるの。そっちはもっとハッキリ聞こえるわ。もう、凄いんだから」
初音は早送りを押す。
たちまちカシャカシャと動画の人物たちが忙しく動き回る。
笑い顔。
おどけた顔。
踊る人。
歌う人達。
普通の速度ならば、皆、喜びと祝福を口々に叫んでいる筈なのに早送りになるとまるで地獄の責め苦に苦しんでいる亡者の集団に見えた。
「ここら辺」
再生ボタンがクリックされ速度が正常に戻る。
『それでは皆さん、準備は宜しいでしょうか。おまちかねの接吻ターイムです。
さぁ、さぁ、皆さん。カメラ、携帯を持って近づいてやって下さい。
さぁ、準備はいいですか、新郎さん、新婦さん。合図とともにブチューとやってくださいよ。いいですね』
司会が大声で捲し立てる。沢山の人が決定的瞬間を撮ろうと新郎、新婦に群がる。
(シネ、シネ、イマスグシネ、イマスグ、イマスグ)
暗く、陰鬱な声。耳にするだけで底冷えしてくる声だった。
「ねっ」
初音が勝ち誇ったような顔で言う。
「ねっ、て言われても……」
私は答えに窮する。
「誰かのイタズラじゃないの。後から誰かがダビングしたとか」
「イタズラ!
この後、何が起きたか知ってるでしょ。そのビデオにそんなイタズラ仕込む度胸のある人はいないって」
初音は信じられない、といった風に私を見る。
だが、生憎私の意見は初音と逆だ。
この後に起きた出来事が衝撃的であればあるほど尚更面白半分に加工して、世の中に流す輩がいるのではないだろうか。
さしずめ『呪いの声が入った血塗られた結婚式』とかだ。
「ね、これ低いけど女の声だよね」
そんな私の考えなどお構い無く初音は熱心に自分の世界に没頭していた。
「私ね、思うのよ。
新郎の卓郎さんて女たらしだったじゃない。だから、結婚式にいた女の招待客の誰かが呪った声が入ったんじゃないかな。
それで最後にあんな事故が」
「止めて!
そんな馬鹿な話、聞きたくもないわ」
私は慌てて初音の言葉を遮った。
呪いなど、呪いなんて言葉……
もうウンザリだった。
しかし、初音は自己の主張を捨てる気はサラサラないようで更に声のトーンをあげて言う。
「この先、もっと衝撃的なのがあるのよ。それ見てもイタズラだと思う」
初音はもう一度、早送りをクリックし、タイミングを見計らって、通常再生に切り替えた。
画面はオープンカフェのような場所を映していた。
二次会の場面だ。
新郎、新婦がシャンパンを持って客に注いで回っていた。
「凄く小さくて聞き取りにくいんだけど、ようく聞いてみて。背景にずっと変な声が入ってるから」
私は音に集中する。
《コロス コロス コロス コロス …… 》
背景ノイズのようにそんな声が入っていた。
それも絶え間なく。
「ね、凄くない?
で、この先よ。事故のあった場面でね……」
「止めて、事故の場面なんて見たくない!!」
私は思わず叫び、画像を停止させる。
「なんでよ。そこに凄いものが映ってるのよ。
私も最初は気付かなかったけどコマ送りにして初めて分かったんだ」
「コマ送り。正気なの?!
事故の場面をコマ送りで見るとかあなた、頭おかしいんじゃないの?
とにかく、私は事故の場面なんか二度と見たくないわ」
金切り声で叫ぶと私は乱暴にノートパソコンを閉じた。
「帰って」
私は言葉を絞り出す。
「で、でも」
「良いから、今日はもう帰って。そして、もう結婚式の話は二度としないで。でなければ絶交よ」
初音はやれやれと肩をすくめて見せた。そして、私の剣幕に遂に諦めた。
「はーい。分かりました。
もう、この話はしませーん。それで良いでしょ」
初音は胸に手を当ててそう言った。宣誓のつもりだろう。
「分かって貰えればそれで良いわ」
私もそれ以上言うことはなかった。
一人になった私はノートパソコンを開き、動画の再生ボタンをクリックする。
新郎、新婦がシャンパンを注ぐシーンが再び再現される。しばらく同じような光景が繰り返されるが突然周囲が慌ただしくなった。皆が空を気にしだした。周囲も急に暗くなる。
風が吹き出したのか、女性客の服が激しくはためいた。
ピカリと一瞬画面が光る。
次の瞬間、ゴロゴロと音がした。
雨音と共に激しく大粒の雨が落ちてくる。
雷を伴う突然の雨にオープンカフェはパニックになった。
画面の中心にいた新郎、新婦も同様だ。慌てて画面の奥の大木に逃げ込もうとした。
と、画面が真っ白になった。ほぼ同時に耳をつんざく雷鳴が轟く。そして、新婦の上に黒く大きなものが覆い被さってきた。
画面が激しく反転して地面が映し出される。
カメラが倒れたのだろう。
フレーム外で誰かの絶叫が聞こえる。
ガツンと音がして、画面がクルクルと回転する。誰がカメラを蹴ったのだろう。
ようやく静止すると、画面に新婦が戻ってきた。
新婦はだらりと両手を垂らし、うなだれている。落雷で割れた木の幹が鋭利な槍となって新婦を貫いていた。
打ち捨てられ案山子のように、体を貫いた幹が新婦を地面に突き立てている。
傷口から溢れる鮮血が純白のドレスを真っ赤に染め上げていく。
新婦は幸せの絶頂で絶命した。
痛ましい事故。
画面を少し巻き戻し、コマ送りにする。
そして、私は見た。
覆い被さる木の幹に二重写しのようにぼんやり映る巨大な顔を。
僅か数コマではあるが紛れもなく人より大きな顔が口を開いて新婦に襲いかかる様子がはっきりと映っていた。
『鬼はや一口に喰ひてけり』
伊勢物語の一節が頭に浮かぶ。
「ウップッ」
突然胃の奥から喉へと込み上げてくる不快感に、私は洗面所へと駆け込む。
「ウゲ、ガハァ」
洗面に思いきり吐瀉物をぶちまける。
ハァハァと息をつき、顔を上げると洗面所の鏡に自分の顔が写っていた。
その形相はさっきの動画に映っていたものと瓜二つ。
そう、初音が言っていた事は正しい。
新婦は呪いに喰われたのだ。
そして、呪ったのは私。
動画に録られて声の主は私だ。
結婚式で私は一心に呪い続け、遂には思いを遂げた。
私は口を拭う。ベッタリと赤い血が腕にまとわりつく。
「カハッ」
私は再び大量に吐血する。
人を呪わば穴二つ。
「ふは。ふはははは」
何故か腹の底から笑いが込み上げてくる。
自分の魂の火が尽きようとする今、この時に……
妄執だけで人は人をくびり殺せる。
驚くほど簡単な真実。
私はどす黒い血にまみれ、ひたすらに笑い続ける。ただ、ひたすらに。この命が尽きる迄。
人はそれを鬼と云うのだろうか
2018/05/08 初稿
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