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妖怪白記  作者: 風風風虱
2/12

その二 苧うに

 昔の話に深い恨みで人が怨霊や鬼になる話がよくある。

 中には天狗になる人もいるがあれは身分の高い人限定のようだ。死後の世界でも身分格差はあるということだろう。

 とかくこの世は世知辛い。

 自分のような庶民では、恨みを残して死んだとしてもせいぜい訳の分からない魑魅魍魎(ちみもうりょう)になり、地べたを這いずりまわる事になるのだろう。どんなに深い恨みを持とうが、結局その肝心の恨みを忘れ、未来永劫あの世とこの世の狭間でさ迷うのがオチだ。


 これから私の体験を少し話そう。


□□□

夕暮れ時。

 学校にほとんど誰もいない頃。

 私は校舎をある人物を求めて走り回っていた。

 校舎の裏のごみ集積場と焼却炉の辺りに来た時、私は水の音と微かな嗚咽を聞いた。

 音を頼りに歩を進めると地面から生えたむき出しの水道管と蛇口一つの簡単な水場に誰かが踞っているのが見えた。踞って蛇口から出る水を浴びている。丁度西日の逆光で影のような黒い塊が蠢いる様は気味が悪かった。

美幸(みゆき)?美幸なの」

 私は近づき声をかけると影が振り向く。果たして美幸だった。私を認めると真っ赤に泣き腫らした二つの眼から涙がボロボロとこぼれ落ちる。

「取れないの。取れないのよ」

 何を言っているのか分からなかった。

 だが、直ぐに美幸の長い髪の異変に気がついた。金属屑や廃棄された雑巾の切れ端、壊れたボールペン等のゴミが無数に髪に絡みついていた。

「酷いなこれは」

 近づいてみて分かった。髪に絡みついているのではなく接着剤でべったりと貼り付けられているのだ。

 水で洗ってとれるような生易しい状況ではなかった。それでも美幸はずぶ濡れになりながら懸命に洗い落とそうとしていたのだ。

 私は水を止める。

 春とは言え、日が落ちるとまだ肌寒い。こんなことをしていては風邪をひくだけだ。

 かといってこのまま帰るのも難しい。

 見ればひしゃげたアルミの箱とか拳大のプラスチックの台座の様なものもくっついている。こんなものをぶら下げて帰るわけには行かない。

「ね、美幸、髪の毛切るしかないよ」

 私の提案に美幸は小刻みに首を横に振る。

「嫌、嫌。絶体、嫌」

 気持ちはよく分かった。美幸は真っ直ぐで長い髪が自慢だった。何よりも自慢だった。だからこそ、苛めの標的にされたのだろう。

「全部は切らないから。どうしても切らなきゃならないところだけちょこっとだけ切ろう。ね?」

 とは言ったものの、結局半分近く切る羽目になった。

 真っ暗な夜道を泣き続ける美幸を半ば抱き抱えるように家まで送っていった。

 次の日から美幸は学校に来なくなり、代わりに苛め問題で学校は騒がしくなった。

 最終的には校長と担任が転属になって終結した。

でも、美幸は帰ってこなかった。

 そして、中学卒業の2か月前、美幸の死を知らされた。

 自殺とのことだ。

 苛め問題から1年以上経過していたから、苛めとは無関係とされたが、私は苛めが原因だと思った。苛めが原因で美幸の心は壊れてしまったのだ。

 壊れた心を抱えて苦しんで、苛めた相手を恨んで死んだと思う。

 でも、誰も責任を問われない。

 誰も恨みを晴らせない。

 世の中とはそう言うものだ。


□□□

「これ何ですか?」

 差し出された一枚の絵。谷川か何かをバックに髪の長い女の生首が描かれていた。

 お世辞にも女の顔は可愛くない。むしろ般若の様な顔をしている。

「鳥山石燕が描くところの『()うに』だ」

「石燕? おに? おうに?」

 編集長の説明を聞いても全くちんぷんかんぷんだった。

「石燕は江戸時代の画家。妖怪の絵をよく描いた人だ。こいつは、その石燕先生が『画図百鬼夜行』に描いた一枚な訳だが、『画図百鬼夜行』の妖怪は石燕の創作(オリジナル)も沢山あるんでこれがどんな妖怪かは良く分からん」

「はあ。私は何で編集長がそんなものを私に見せるのかが分かりません。新手のセクハラかパワハラですか?」

「なわきゃねーだろ。今度の特集のお前の担当分だよ」

「特集……?

ああ、夏の妖怪ナンチャラって奴ですか?」

「『夏の妖怪探訪奇談』だよ。お前も編集者の一人なんだから特集の名前ぐらい覚えろ。

噂でな。山奥でそんな妖怪が目撃されるって場所があるらしいんで、お前に取材してきてもらいたい」

「ダメです。

編集長、私が山ガールに見えますか?山なんか登らせたら遭難します」

「そんな山奥じゃないって。電車とバスで行けるところだ。どっちかって言うと保養地って感じだ。これ渡しておくんで後は頼むぞ」

 編集長は私の目の前に封筒をどさりと置いて去っていった。封筒の中身は写真やらメモやらだった。手書きの地図を取り出して眺める。

「美倉沢……」

 はて、聞いた事があるような無いような。

 少し考えたが何も思い付かなかった。

 興味を無くした私は地図を封筒にしまうとホテルと電車の予約をするために電話を取った。


□□□

 私は中学の制服を着てパイプイスに腰掛けていた。両手を固く握りしめ、両膝に乗せている。真っ直ぐ背筋を伸ばし前を睨む。周囲には同級生も先生もいない。何故ってそこは学校ではないからだ。

 私は口を真一文字に結んだまま、少し離れたところに飾られた遺影を睨む。

 遺影の少女は申し訳なさそうな表情を私に返してきた。

(別に怒っているのではないのよ、美幸)

 私は心の中で呟く。

 私が怒っているとしたら、それは自分に対してだ。

 私はあなたが学校に来なくなってから、それでもそれなりに幸せに、のほほんと生きていたと思っていた。のんびりできて良いね、などと少し妬ましく思ってもいた。

 でも、本当は。

 あの時以来、ずっとあなたは苦しんでいた。

と全てが終わってから思い知った。

 何で、あなたに会いにいかなかったのだろう。

 ごめんなさい。謝らないといけないのはきっと私の方だ。

 だから、私は背中に定規を入れたように背筋を伸ばし、血が出るほどに両手を握りしめ、ここにじっと座っている。

 だって、もうそれしかできないから。

「可哀想にねぇ」

「本当にねぇ。佐和子さん、人相変わっちゃったわね」

 私のすぐ後ろの席で見知らぬオバサンたちがひそひそ話をしていた。

 佐和子?

 確か、美幸のお母さんの名前が佐和子さんと言ったな、とぼんやり思う。

「一人娘がおかしくなって、結局自殺なんてしたら、そりゃ人相も変わるわね」

「死に方も酷かった見たいよ。療養所の2階のベランダから飛び降りたらしいんだけどね。

ベランダの下は沢になっていて、落ちてる最中に岩にぶつかって頭がもげたって話よ。

探しにいったら髪の毛が木の枝に絡まって、生首が風に揺れていたとか」

「あら、あら、凄い話ね」


□□□

ガタン ガタン

ガタン ガタン

 リズミカルな振動を受け、私は眠りから引き上げられる。

 窓の外は目も眩むような峡谷。列車は長い鉄橋を渡っている最中だった。

 取材のために美倉沢へ向かう列車の中で知らぬ間に眠っていたようだ。

(嫌な夢を見たなぁ)

 私の苦い記憶。

 10年以上たった今でもぬぐいきれない慚愧の念。

 心の奥底に封印していたはずなのになんで突然思い出したのか、不思議に思った。

 そして、不意に思い当たる。

 美幸が身を投げた沢の名前。確か、美倉沢と言わなかったか?

 私は慌てて取材先の資料を取り出した。


□□□

カシャリ

カシャリ

 細かく砕けたガラスの破片を踏みながら私は廃棄された建物を進む。

 人に見捨てられ10年近くになるだろうか。美倉沢診療所、いや診療所跡と言うべきか。

 今回の妖怪騒ぎの最古の記録がここだった。

 この診療所に入院していた患者が飛び降り自殺した頃からこの診療所に女の生首が出没するようになったという。

 患者の名前は分からなかったが年は14歳となっていた。

 これが美幸かどうかは分からない。

 しかし、私は妙な繋がりを感じた。もしかして呼ばれたのか?

 そんな予感が走りもした。

 周囲の写真を撮りながら私は更に奥に進む。

 私は2階への階段の踊り場ではっとなる。

 女の生首が浮かんでいた。

 息を飲むが次の瞬間、吹き出した。それは下半分が割れて無くなっている鏡に映った自分の顔だったからだ。

「幽霊の正体みたり、ってところね」

 小さく呟くと私は階段を登りきる。

 暗く薄気味の悪い廊下の両側に等間隔でドアが並んでいた。

 もしも、ここが美幸が入院していた診療所だと言うのなら、このどれかに彼女はいたことになる。

 私は順番にドアを開けていった。

 どの部屋も同じ作りだったが、右側の部屋だけにベランダがあった。

 美幸はベランダから飛び降りたと言っていた。ならば、右側の部屋のどれかなのだろうか。

 私は適当に写真を撮りながらベランダに出る。ベランダから下を覗くと眼が眩むような断崖絶壁が広がっていた。

 こんなところ、落ちたら絶対に助からない。

 私は肩をすくめて部屋に戻ろうとした。

 その時


オオオオオォ


 咆哮のような、泣き叫ぶ声の様なものが聞こえた。

 私は立ち止まり、振り返る。

 体を硬直させたまま耳を澄ませるが、何も聞こえない。

 気のせいか?いや、確かに聞こえた。

 なら、風の音?

 さっきまで全く感じていなかった恐怖がむくむくと自分の中で育っていくのが分かった。

 逃げろと言う声と確かめなくてはと言う声がせめぎあう。

 結局、好奇心が一歩先んじた。

 私は恐る恐るもう一度ベランダから下を覗いてみる。

 さっきと変わらない深い峡谷が広がっていた。

 峡谷の一番底には水色の川が流れていた。

「うん?」

 何か黒い小さな点があった。岩かなにかと最初は思ったが違う。動いていた。

 点は急速に大きくなる。

 それは谷底を垂直に上って来る。

来る。

来る。

来る!

 ぶつかる寸前、私はのけ反りそれを避けるが、バランスを崩して無様に尻餅をついた。

 耳元でゴウッと風が唸る。

 尻餅をつき、見上げる先に女の生首があった。

 耳まで裂けた口。絡み合った黒髪。

 正に石燕が描いた妖怪『苧うに』がそこにいた。

『……な… …れな…』

 何か言っていた。

「え?なに?」

『取れない 取れない 取れない』

 その意味を知って私は心が震えた。

「美幸なの?美幸なのね」

 しかし、私の問いに『苧うに』は何の反応も示さない。

 私は理解した。

 『苧うに』は私を見ていない。いや、なに一つ見ていない。なにも見ていない虚ろな眼で虚空を睨み、ひたすらに同じことを呟いているだけだった。

『取れない 取れない 取れない 取れない』同じことを呟きながら『苧うに』は薄れ、そして消えた。


魂ならば。


 人の魂であるのならば、いつか成仏するかもしれない。

 だが、人の情念や怨み、哀しみだけがこの世に留まったならばどうだろう?

 それを外道、妖怪と言うのならば、果たしてそれらが成仏する時は来るのだろうか?


 だから、私は手を合わさずにはいられない。

妖怪に成り果ててしまったかも知れない友人の哀しみにいつか救いがあるように、私は願わずにはいられない。




2018/04/26 初稿

2019/01/29 誤記修正

2020/02/28 誤記修整


実は『画図百鬼夜行』をランダムに開いたページを次のモチーフにしています。


次回は『鬼一口』


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