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妖怪白記  作者: 風風風虱
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その一 簑火

江戸時代。

季節は葉月。


 夕暮れから降りだした雨は夜半になっても止むことなく降り続いていた。

 霧雨(きりさめ)である。

 降ると言うより細かな雨滴が宙を漂うと表現したほうが良い。

 故に雨は昼間の熱を和らげる事もなく、むしろ生暖かい湿気となり肌に不快にまとわりついてくる。

 真っ暗で人気のない田舎道にたより気ない光が一つ。ゆらりゆらりと揺れている。

 亡者の魂か、はたまた鬼火か?

 否、ただの提灯の火である。

「全く!お前が茶屋の娘なんぞに色目を使っておるからこんなことになったのだ」

 伊之助(いのすけ)は提灯を手に持ち、ぬかるむ道を照らし照らし歩いていた。

「全部俺が悪いのか?お前も鼻の下を伸ばして喜んでいたぢゃねーか。それに娘と(ねんご)ろになったからこうして提灯と簑を貸してくれたというもの。ありがたいと思え」

 与平(よへい)は伊之助の後ろにへばりつくように歩きながら反論する。

 この二人、世間で流行りの伊勢参りの途中である。

 桑名のあたり、名物のハマグリを出す茶屋で長居が過ぎたせいで雨に祟られた。

 日もとっぷりと暮れてしまい、宿場の光も見えない暗い夜道を歩くはめに陥っていた。

「ええい、そんなに近づくな。歩きにくくて堪らん!」

「そう言うな。こうも暗くてはお前が持つ提灯だけが頼りというもの。はぐれてしまえば一歩も前に進めぬわ」

「本当にそれだけか。もしやお前、闇が恐いか?」

「ば、馬鹿を言え。一人前の男が夜を恐がってたまるか。なんの事もない。平気のへいざだ」

 伊之助の挑発に与平は血色ばるが、その慌てぶりがやはり怪しい。ふふんと鼻で笑う伊之助に与平は声を張り上げる。

「なんだ、その馬鹿にした笑いわ!

俺は本当に恐くなぞ……恐くなぞ……

おお、あれはなんだ、あれは。

ほれ、あれを見てみろ!」

 突然与平は声を震わせた。

「ははん、そいつは桑名のなんとやらだ。驚かそうったってそうは問屋は卸さない」

「違う違う。あれがお前には見えないのか?

ほうれ、道の外れの林の中。何かぼうっと光っておろう」

 与平に言われる方を見ると、確かに林の奥で青白い炎が見えるではないか。

 しかし、伊之助は若く肝も据わっていたので、奇怪な炎を見ても別段怖いとも思わなかった。

「はてさてこれは面妖な。提灯でも松明の火とも違っている。さては狐の仕業か幽鬼の類いか。面白い。旅の土産に、ちと見聞してみるか」

「何を馬鹿なことを。こんな時刻に怪しいこと限りなし。近づくなどもってのほかだ。捨て置け、捨て置け」

「はっ。

やはり与平は臆病者だ。怖ければ、そこで一人で待っていれば良い。俺がいって確かめてくる」

 伊之助は与平を笑い飛ばすと一人で恐れる様子もなく青い光の方へと歩いていった。

「ほうれ、やって来たぞ。狐か、狸か知らぬがその間抜け面を見せてみろ」

 伊之助は恫喝するように声を上げ、青い光を提灯で照らす。すると不思議なことに光はスッーと消えてしまった。

「これはつまらん。こいつもとんだ臆病者だ。この伊之助に恐れをなしたと見える」

 伊之助は消えてしまった光に対して憎まれ口をひとくさり投げると意気揚々と与平のもとに戻ってきた。

「つまらん。近づいたら、なんも起こらず消えてしまったぞ」

 得意満面の伊之助に与平は青い顔で叫ぶ。

「何を言っている。ようっく見ろ。お前の簑じゃ。青く燃えているぞ!」

 与平に言われて伊之助がかえりみると確かに自分の簑が青い炎を上げて燃えているではないか。

「なんだこれは」

 伊之助は慌てて簑を手で払ったが火は消えるどころか逆に笠や顔に飛び火する。

 更に払うが火は舞い散るだけで一向に消えない。あっと言う間に伊之助の全身が青い炎に包まれた。

「やや、これは一大事。伊之助が燃えてしまう」

 与平の言葉にさすがの伊之助も慌てるが、不意に大声で笑い始めた。

「あはは。なんだ。ちっとも熱くないぞ。むしろひんやりとして気持ちが良いわ」

 伊之助は簑や笠はおろか、顔や手にも火がつき燃えていたが不思議なことに全く熱くないようだった。

 しかし、やはりその光景は薄気味悪く、与平は少し後ずさった。

「どうした。熱くもない火が怖いのか?

全くもってどうにもならない臆病者よ。

夜道には提灯要らずの便利な火ではないか」

 そんな与平をカラカラと笑い飛ばすと、伊之助は提灯を与平に渡し、意気揚々と歩き始める。

 確かに青い炎が道を照らすので伊之助には提灯が不要であった。

 そんな伊之助を薄気味悪く思ってか、少し距離を離して黙って与平はついていった。

 それから一刻程して二人はようやく宿場にたどり着く。

 その頃には伊之助の炎はすっかり消えていた。

 その夜は不思議なこともあるものだとといいながら宿をとったのだが、次の日の朝。

 与平は、伊之助のウンウンと唸る声に目を覚ます。一体何を唸っているのかと伊之助を見て、驚いた。

 伊之助の顔にも手にも酷い水脹れが出来ているではないか。まるで火で炙られたようだった。

 与平は慌てて医者を呼んで手当てをしたが、結局、伊之助は三日三晩苦しみ悶えて死んでしまったと言う。


『古老曰く

青い火は簑火(みのび)と言う妖怪なり

陰中の火なり

人が長く触れて良いものではない

万一簑火にあったのならば燃えたる簑を静かに脱いで打ち捨てよ

しかるのち速やかにその場を立ち去るべし』


2018/4/17 初稿



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