婚約破棄の日
まだ殺戮始まりません。もう少しお待ちください。今回は三人称です。
メデスタル村はスラス王国の辺境に位置し、代々「壁」の警備と維持管理を王に任命されてきた村である。
「壁」を超え、しばらく行くと、魔族の住む魔界がある。
魔族は幾度となく「壁」を超えようとしたが、メデスタル村の人々がメンテナンスした「壁」を超えることは出来なかった。
そんな王国の誉れ高いメデスタル村の村長は、代々コウジィ家が世襲してきた。
村長ボーナム・コウジィは三十七代目の村長である。
ボーナムの一人息子、パウエル・コウジィとフレイア・ミリンダは幼なじみだ。
フレイアの家は代々続く医者の家柄で、父は優れた魔法医、母は薬草調合師だった。
コウジィ家とミリンダ家は隣同士だったこともあって、パウエルとフレイアはいつも一緒だった。
幼い二人は男女を意識せず楽しく過ごしていたのだが、成長するにつれ、お互いを男女として意識するようになった。
「ねえ、パウエル。明日から『壁』の向こうに行くの?」
パウエルが十八歳になる前日の夕方、村の外れにある川岸で、二人は並んで座っていた。
「ああ。村長になるためには十八歳の誕生日、『壁』の外で一週間過ごさなくてはならないんだ。そして、少なくとも一匹のオークの角を持って帰らないと、二十歳になっても村長になることは出来ないんだ」
メデスタル村に古くから伝わる成人儀式、イニシエーションである。
「いや! いやよ、パウエル! 『壁』の外にはオークやサラマンダー、さらにはアンデッドモンスターもいるのよ! 殺されるわ!」
フレイアは目に涙を浮かべて、訴えた。
「フレイア。僕だって怖い。だけど、これはコウジィ家の男子にとって、避けて通れない道なんだ。僕の父も祖父も、みんなこの儀式を経験してきた。僕だけやらずに村長になることは出来ない」
パウエルが優しくフレイアの頭をなでる。
「……死なないでね」
「ああ」
パウエルがフレイアの頭を抱きかかえる。
フレイアはそっと目を閉じ、唇をパウエルへ向ける。
パウエルは自分の唇をフレイアに重ねた。
二人のファーストキスであった。
「ご、ごめん……」
パウエルが言った。
「ううん。いいの……」
うっすら頬を紅潮させたフレイアが答える。
「あのね、パウエル」
「なんだい? フレイア」
フレイアが恥ずかしそうにそっと下を向く。
「私、男の人とキスしたの、初めてなの」
「ぼ、僕も、キスは初めてだよ、フレイア」
パウエルの顔も赤くなる。
「……パウエルは、他の人とも、キスをするの?」
フレイアが上目遣いでパウエルと見上げる。パウエルは目をそらさず、フレイアの目を見た。
「しないよ。一生涯、フレイアとしか、キスしないよ」
「本当に?」
「ああ。フレイア。僕が無事『壁』の向こうから帰ってきたら、婚約しよう。結婚は村長になる二十歳までできないけど、婚約なら十八歳から出来る。だから、君と婚約したいんだ」
フレイアの目に大粒の涙が光った。
「わ、私なんかでいいの? パウエル。ボタルック商店のチチョリーヌの方がお金持ちだし、スタイルいいし、美人だよ。パウエル、小さい頃、チチョリーヌと結婚したいって言ってたじゃない」
フレイアは指をもじもじしながら、少しばかりすねた声で言った。
「あ、あれは、こどもの頃の話だよ。そりゃ、チチョリーヌは魅力的さ。でも、少なくとも、僕にとって最高に美しくて魅力的な女性は、フレイア、君なんだ!」
パウエルはフレイアをぎゅっと抱きしめた。再び、彼はフレイアにキスをする。
「好きよ、パウエル、ずっと好きだったの、小さい頃から」
フレイアもパウエルの求めに応じて、熱い抱擁を交わした。
二人の唇は、何度も激しくお互いを求め合った。
「……絶対、無事に帰ってきてね」
「ああ」
そんな二人のラブラブシーンを物陰から見ていた人物がいた。
ボタルック商店の一人娘、チチョリーヌだ。
チチョリーヌは怒り狂っていた。何が「一生涯フレイアとしかキスしない」よ。あんた、昨日私とキスしたじゃない。
おまけにおっぱい触りまくったじゃない。
「僕、巨乳が好きなんだ」って言いながら、ずーっと揉んでいたわよね?
なんで、つるぺたのフレイアなんかとキスしているのよ?
おっぱいは揉んでないみたいだけど。
まあ、あの貧乳じゃ揉むとこないか。
本来ならパウエルの浮気性を恨むべきなのだがチチョリーヌは、フレイアを恨んだ。
私の人生計画が狂ってしまう。村長の嫁になって、莫大な財産を相続して、贅沢するはずだったのに。
この村は小さな村だけど、「壁」を守っているから、村長は王様からものすごい褒美をもらっている。それが私のものになるはずだったのに!
「パパ、どうしよう、フレイアが私のパウエル盗っちゃった!」
チチョリーヌは父ボタルックに泣きついた。
「かわいそうだのう、チチョリーヌ。だが、男なんて他にもおるぞ。ほら、ドンスコイなんてどうだ?」
「ドンスコイ? ああ、あの貧乏詩人?」
チチョリーヌは想像した。
食べるものもなく、ひもじい思いをしながら、ひたすらクソおもしろくない夫の詩を聞き続ける毎日を。
絶対嫌だ。
「いやよ、あんなのと結婚したら、死ぬ」
そこまで言わなくてもいいだろう、とボタルックは思ったが、まあ、確かにドンスコイは貧乏すぎるかもしれないな、と思った。
「じゃあ、鍛冶屋のジョンはどうだ? なかなかのイケメンだぞ。あと、農夫のフッドもいいやつだぞ」
「みんな貧乏じゃない!」
なんで、父は貧乏人とばかり私をくっつけようとするのかしら、とチチョリーヌは悲しくなった。
「でも、みんないいやつじゃよ……」
こうなったら、爆弾発言しかない。チチョリーヌは意を決して、父ボタルックに言うことにした。
「私はもう、パウエルにおっぱい揉まれたの! お父さんに言えない恥ずかしいところもいっぱい触られたの! 他の人のところになんか、お嫁に行けない!」
「な、なに……」
チチョリーヌの発言の後半は嘘だった。恥ずかしいところは触られていない。だが、多少話は盛った方がいい。
「よくもワシの娘のおっぱいを……許さん! 責任とってもらう! チチョリーヌよ、ワシに考えがある……」
一週間後。
パウエルが「壁」の外から無事、オークの角を取って帰ってきた。
パウエルはフレイアにプロポーズし、フレイアはオッケーした。
奇しくも、それはフレイア十八歳の誕生日だった。
その日、パウエルの生還を祝って、村では祭りが行われた。
パウエルとフレイアの婚約が発表され、一段と祭りは盛り上がった。パウエルは大人の証拠として、ワインをしこたま飲まされた。
そのときであった。酔っ払ったパウエルが、いきなり、「俺はチチョリーヌのおっぱいが大好きだ!」と叫びだしたのである。
フレイアは動揺した。え? どういうこと?
「俺はなあ、フレイアよりも先に、チチョリーヌとキスしたんだあ。ヒック。おっぱいだって揉んだぞ。ヒック」
ボタルックがワインに東洋の自白剤を混ぜたのであった。
すかさず、ボタルックがパウエルに質問する。
「パウエル殿、なんと、我が娘チチョリーヌとキスをしたと? フレイア様より先に?」
「ああ、そうだよーん。ベロまで入れたよーん。おっぱいもみもみしながらね。ヒック」
「チチョリーヌ、本当か!」
「うわああん、お父様、本当なの。だってパウエルが結婚してくれるっていうから、胸触らせろって、キスさせろって、うわあああん」
ボタルックがパウエルの父、ボーナムに詰め寄る。
「ボーナムさん、聞きましたか? パウエル殿は、ワシの娘、チチョリーヌと結婚するって言って、娘の身体をもてあそんだのですぞ! どう責任を取ってくれまするか!」
あわてたボーナムがパウエルに聞く。
「お前、本当に、結婚するって言ったのか? キスしたのか?」
「うえーい、覚えてなーい。あ、でもキスはしたよ。ヒック。おっぱいも、揉んだよ。おおきかったよ。また揉んでいいの? ヒック」
ふらふらしながらパウエルが答えると、チチョリーヌが号泣しはじめた。
「うわあああん、お嫁に行けなーい、もう死ぬー」
ボタルックがボーナムにさらに詰め寄った。
「こうなったら、フレイア様との婚約を破棄して、うちのチチョリーヌと再度婚約するしかなりませぬな!」
「ううう、し、仕方ありません」
フレイアは叫んだ。力の限り抗議した。
「ちょ、ちょっと、私はどーなるのよ!」
が、結局、婚約は破棄された。
……こうして、村祭りの日、フレイアの婚約はいとも簡単に破棄されたのであった。




