新しい朝が来た
「よっと…」
慣れない女性物の制服を着るのは、とても苦労する。まず第一にブラをしなくてはいけない。これは本当になれていないとキツイ。見ないとホックが引っかからないのだ。
自分のものとはいえ女性の裸体を見るのは悲しくて、半泣きになって目を瞑りながらあてずっぽうで装着した。こんな形で見たくなかった…。
胸の締め付けがありえないくらい邪魔だ。女性はこんなものを付けて平気で運動していたのか…。改めて尊敬する。
ちなみにボクの胸は、形はそこそこであるものの大きさはそこまで無かった。ちょっと残念。
ボタンもかけ方が左右反対なので苦戦し、スカートと黒のカーディガン(ハンガーにかかっていたものを全て装着)を着て、狭すぎず広すぎずのボクの部屋を出た。
リュックサックの中身がとても重い。何が入ってるんだろう…?というか授業の道具とか入ってるよな…?いや、そもそも学校ってどこだろう。何もかも分からない。
ガチャンッ。
「うおお…豪華だ」
部屋を出る。廊下の壁には蝋燭の揺らめく蜀台と絵画が等間隔に設置され、床にはふかふかの絨毯がずっと先まで伸びている。まさしくお屋敷、金持ちの家だ。
ステンドグラスから差し込む朝日が眩しい。
「遅かったね、サッちゃん」
「着替えに戸惑いまして」
はてさて、まず彼は誰なのか。そして寧々さんヘルプミー!!
記憶を掘り起こすと、確かボクは逆ハー主人公の家の使用人って設定だったはずだ。じゃあ隣に立つ爽やか君もそうなのだろうか。全然そうは見えない。人に仕えるというよりは、人に尽くしてもらうタイプに見える。
「ぷっ…!サッちゃん、寝癖すっげーよ」
じっと彼を見上げながら思案していると、噴出した爽やか君がこちらに手を伸ばしてきた。
くしゃっ。爽やか君が自然な動作でボクの髪を撫でる。ごつごつとして、節くれだった手。その手は優しく、慈しむように柔らかにボクの細い髪をなぞった。
「…へ」
「うん、直った。じゃあ飯食おーぜー」
くるりと踵を返し、けらけらと笑いながら真っ直ぐ歩き出す。
…くっそイケメンだ。まごうことなきイケメンだ。前世のボクが哀れにすら思えるくらいにイケメンだ。なんで!こうすっとさりげなーく気持ち悪がられないで!頭をなでれるの貴方!ボクも可愛い女の子の頭を「寝癖…ついてるよ」って撫でたいわボケ!
ギリギリ、と歯軋りをしていると、爽やか君が口笛を吹きながら先に行ってしまったので慌てて追いかける。ふっかふかだなこの絨毯!!『歩くの早いな爽やかめ』、とか、果てには『脚が長いこと自慢してんのか!』とか全然関係ないことにまでも腹が立ってきた。あー駄目だ、世の中のすべてのイケメンが敵に見える。
「今日はー、お嬢様放課後に映画行くらしいからその護衛」
「護衛?!」
映画のワンシーンでしか聞いたことの無いそのセリフに思わず叫んでしまった。護衛ってアレ?!黒いスーツにサングラスをつけて、無線でもごもごするアレだよね?!
「ほ?あ、オレと寧々と一緒だから安心してって!前回みたいに取り巻きに絡まれはしないだろ」
バシン、とボクの肉付きの薄い背中を思いっきり叩く爽やか君。いや、別にそこの心配をしているわけではないのだが。というと取り巻きってなんだろう。謎が募るばかりだ。
そうしてじゃれ合っていると、気がつけば大きな二枚扉の前に立っていた。
爽やか君がゆっくりとそれを押し開けると、ギィィィと悲鳴じみた音をたてた。扉の向こうは朝日が差し込む、それこそ海外ドラマのような大きな食堂が広がっていた。真っ白なテーブルクロスが引かれた長机に繊細な装飾が掘られた椅子。かっちりと執事服を着込んだ人たちが、静かに端で待機しているそのさまに、「ああ本当に金持ちなんだ」と改めて実感がわいた。
いわゆるお誕生日席に座っていた少女がゆるりと顔を上げ、そして隣に立つ爽やか君の顔を見てぱっと笑顔になった。
「……げ」
「ふぇ!おはよ~、和樹くん!」
和樹、と呼ばれた爽やか君の顔が引きつり、反対に甘ったるい、鼻に掛かった声が飛んでくる。語尾にハートマークでもついてそうだ。…あーあー、イケメンか!世間は顔か!憎しみの意味もこめて和樹君の足を思いっきり踏んだ。
「いっ?!」
痛みに悶える和樹君を食堂へ押し込むとボクは豪奢なドアを閉めた。女性になったからか倍近く重く感じる。やはり男と女は根本的に違うのか。
ボクが前を向くと、和樹君の腰には美少女が引っ付いていた。いつの間に…。
「昨日は朝会えなかったから、心配してたんだよ?」
にっこり、と花が咲いたように笑う美少女。
ふわふわとした色素の薄い髪をサイドテールにし、ぱっちりとした二重の瞳は素敵な亜麻色。どこぞのお姫様のような風貌とすらりとした四肢も合わさって、見るものすべての心を癒してくれるようだ。前世のボクだと一生お目にかかれない人種。
可愛い、可憐、素敵、なんて言葉がしっくり来る、まさしく愛される主人公のようだ。
それにひっつかれる和樹君。くそううらやまけしからん。ふわふわした胸を押し付けられているじゃないかうらやまけしからん。
「オハヨウゴザイマス、お嬢様」
ハイスペックそうな和樹君の顔が引くつき、あからさまに少女に向かって嫌悪感をあらわしている。少女はそれに気づかずに、ぎゅうぎゅうと身体を押し付けて甘えた声を上げた。
嫌ならそこ変われや!!イケメン爆発しろ!と心の中の闇が叫ぶ。ああ醜い、モテない男のひがみだ…。そうと分かっていてこの憎しみは止まらない。
そんなことはさておき、和樹君の口ぶりから察するに、彼女がボクの仕えるお嬢様なのであろう。確かに『お嬢様』と呼ばれるにふさわしい少女だ。
「…おはようございます、お嬢様」
無視するのもはばかられるので、一応挨拶をしておいた。最敬礼とかあんまり覚えていないけど、会釈よりは深い礼を一つおまけでつけて。
「……はぁ?気安く話しかけないでよ」
…え?
ボクは思わず耳を疑った。おかしいな、体は若返ったはずなのにまだ難聴が…。
「何ボサッと突っ立ってんのよ、視界から消えて。何和樹君の隣に立ってんの?」
こ、ここここ声が!駒鳥のように(?)愛らしかったソプラノの声が!一気にアルトになった!!
なんてこったい美少女に嫌われてる!初期設定から好感度零点突破になってる!不良品だ!こんなのってないよおかしいよ神様!
「大丈夫、サッちゃん?この世の終わりみたいな顔してるけど」
べりっとお嬢様を引き剥がして、(お嬢様は可愛らしく講義していらっしゃるけど)ボクの顔色を心配してくれる和樹君。なんというハイスペック。優しすぎる。キミはバファ○ンと同じ手法で作られているのか?いや、それはそれで怖いんだけども…。
「だ、大丈夫です…。ちょっと美少女からの罵倒に心を痛めていただけです…」
「そう?っつかいつものことじゃん!」
え?!ボクはいつも彼女に罵倒されていた上にそれを甘んじて受け入れていたの?!今世のボクは変態か?!確かにかわいい声で罵倒されるのにはくるものがあるけれど、毎日はさすがにこのボクも心折れるかな!
今世の自分の体の性癖を疑っていると、隣でへらへらしていた和樹君がお嬢様に引きずられていく。
「ねぇ、ご飯食べよ?今日は和樹君の大好きなパンケーキだよ?」
きゃるる~んとハートでも飛ばしそうな勢いで甘い声を出し、和樹君の腕に自身の腕を絡めて席につくお嬢様。ボクも、(ドMか、ボク…。いや、偏見は無いけれど今のボクにはそんな性癖は無いわけで…あああ…)と、悩みながらにとぼとぼその後ろをついていった。席は分からないので和樹君の隣に座った。
ボクは終始お嬢様に存在を無視される上に、和樹君はお嬢様に話しかけられるため一人ぼっちの朝食を食べた。出された豪華なパンケーキ(ラズベリーとかそういう系と、生クリームとかアイスとか乗ってる美味しそうなもの)を仕方なく咀嚼したけれど、砂の味しかしない。今後の人生のような味だった。
結局、四回おかわりしたけど。生前のボクは大食漢だったのだ。
(これ…寧々さんにも食べさせてあげたいなぁ…)
女の子が喜びそうなパンケーキを見つめ、どこにいるのか分からない幼馴染に、心の中で静かにヘルプを送った。
次こそ寧々さん出てきます。