食堂事変(後)
「ガタタン!!」
寧々さんが唐突に立ち上がる。表情は見えない。手には、かわいそうにぐにゃりと曲げられたスプーンが握られている。ああ、もうきっと使えない。
彼女、いや、彼の栗色の瞳は完璧にボクをディスった奴らへとロックオンされていた。これは本格的にまずいかもしれない。絶対殺すマンの顔をしている。
「……朔君を虐めるヤツは、いらないよ」
それは果たして誰に向かって放った言葉なのだろうか。彼らに向けてか、過去に向けてか。まるで悔やむ様なその口ぶりに、柄にもなくボクは手を止めてしまった。
だん、と流れるような動きで幅の広いテーブルを飛び越えると、驚きで固まる集団へとつかつか歩いていく。シン…と水を打ったような食堂に、彼のやけにゆっくりとした革靴の音は嫌なくらいによく響く。
「…寧々?どしたん?」
「……っ」
ボクも慌てて立ち上がってその後を追う。
「ね、寧々様……?」
一番ボクに向かって叫んでいた、黒髪が綺麗な眼鏡の女子生徒。寧々さんはその子の前に立って、今日一番の爽やかスマイルを浮かべて。
「やめてくんない?俺たちを邪魔するの」
笑顔のまま胸倉を掴んで、右手に持ったスプーンを彼女の左目へと振り上げた。
「っひ………」
「寧々さん!」
驚きで動けない周囲と女生徒のかわりに、心の中で謝りながら寧々さんへ膝かっくんをかます。思わぬ攻撃にぐらりと傾いた彼の体を後ろから抱きしめて、振り上げていた腕を引きとめた。
「朔、くん…」
「寧々さん、女性に手をあげるのは絶対にいけませんよ」
ボクがそういうと、寧々さんはしばらくボクを見つめたあと、スプーンをその場に捨てた。良かった、本当によかった。この場が血の海にならなくて。
「……あ、ああっ…」
ぺたり、と恐怖で女子生徒がへたりこむ。口から零れる恐怖に引き攣った声に、本当に申し訳なく思った。
ああ、もう。寧々さん、今の貴方はかなりでかい図体なんですから。
「大丈夫ですか?」
一応彼女に手を差し出してみる。と言ってもボクは学園の嫌われ者だから、手を取ってはくれないだろうけど。それでも女性がその場に座り込んでいたら、手を差し出すのが男ってものだ。
「ああ、泣いてしまって…。どうか泣かないでください、綺麗な瞳なのですから涙は似合いませんよ。怪我はしていませんか?ボクの友人が申し訳ないことをしました」
跪いて彼女に謝罪をすると、たちまち驚愕の顔が赤色の染まる。わなわなと震える肩は細くて今にも折れてしまいそうだ。
そしてばっと素早く立ち上がると、「触らないで頂戴!」と真っ赤で声も震えたまま集団の中へ飛び込んでいった。
「んー?」
ボクが何かしてしまったのだろうか?怒っていたのかあんなに真っ赤だった。申し訳ないことをした。
ああ、でも彼女は黒髪が本当に綺麗だった……。ボク、どちらかと言うと可愛いより美人を選ぶタイプなのだ。ゆえにお嬢様より寧々さんのほうが引かれる。
彼女は白い肌に黒い髪と正統派な美人だった。絶対磨けば光りますよ。
「朔君!」
「サッちゃーん」
なにやら焦った風の寧々さんの声と、のんびりとした和樹君の声がボクを現実へと引き戻す。
「うどん、冷めちゃうぜ」
「絶対絶対、俺誰にも渡さないから!」
「?はあ、頑張ってくださいね」
オムライスでも死守するのだろうか。別にボク、そこまでオムライス好きでもないし、第一人のもの強引に取らないんだけど…。
…そんなもの欲しそうにオムライスを見てたのだろうか…。
なんとか喧騒の治まった食堂で、ボクたち三人は再び食事を口に運ぶ。うどんはすでに生ぬるくなっていた。麺が伸びていないだけ感謝しよう。
「なーなー、朝から思ってたんだけどさ」
茶碗についた白く艶やかなお米を、一粒ずつ器用に箸でとり口に運ぶ和樹君。ボクをちらっと上目遣いで見つめ、「それ」と言って唇を見つめた。
「なんで今日はいつもみたいに呼ばないの?」
「い、いつも?」
「ほら、いつもは『和樹』って呼ぶじゃん。なんで今日に限って君付け?」
…前朔さん、なんてハードルの高い真似を……!名前呼び捨てなんて寧々さんにも数回しかしたこと無いんだぞ!?
しかし、ここで和樹君に怪しまれるのもあれだし……彼にばらしても即効で他の人にばらしそうだし…。口緩そうだし…。
ここは、演じきるしかないと言うのか氷雨朔…。ここでボクの演技力が試されるというのね!?やってやろうじゃないの!
「いえ、ちょっとした遊びですよ、……か、か、和樹」
くん、と言う部分は無理やりのどの奥に押し込める。他人を呼び捨てにするのはどうにもくすぐったく思えた。
あーなんか青春の味がするー。中身六十越えの爺なのにー。
寧々さんが舌打ちをした気もするが、まあライトノベルによくある主人公のスキル「難聴」を使って聞こえないふりってことで。
ガラァン、ゴロォン、と鐘が鳴って、ランチタイムが終了した。




