番犬襲来
ガラァァン、ゴロォォン。
おそらく本当に鐘を鳴らしているのだろう。普通とは違うチャイム音が校舎に鳴り響き、一時間目終了がボクたちにも知らされた。
「お、終わってもうたな。俺も次の授業あるし、そろそろおいとまするわ」
「…と言うか、授業大丈夫だったんですか?」
「んー、自習にしたし大丈夫やろ」
「先生としてどうなの」
ボクの為にそこまでしてもらって、少し申し訳なくも思う。今日中にこの生活に慣れて、なるべく他人に迷惑をかけないようにしないと…。
どっこいしょ、とオッサンくさい声を漏らしながら、玖奈芽さんが立ち上がる。黒い髪がさらりと揺れて、窓から差し込んだ日光がきらきらと反射する。オッサン臭い声を漏らしていても、音声さえシャットダウンしてしまえば、どこかの屋敷に飾られている絵画のように整っていた。
いったいこの美しい生き物は、どうして氷雨朔なんぞに執着しているのだろうか。彼女の何に魅せられたというのだろう。彼ほどならば、ボク以上の――それこそお嬢様レベルの――美人を侍らすことだって可能なはずだ。
「あの、最後に質問……いいですか」
「なんや?」
肌蹴たシャツの胸ポケットから、タバコを一本取り出して銜える彼に声をかけた。
「何故、情報提供をしてくださったのですか。前朔が好きだった、なんて理由、認めませんよ。少なくともボクはニュー朔ですと前置きしましたし」
ボクがそういうと、玖奈芽さんはきょとんとした後、クスクス笑い始めた。
シュボ、と洒落たライターに火をつけると、ボクの頭をクシャリと撫でる。吐き出された紫煙がゆうらゆらとくゆり、天へ昇っていく。
「んー。俺はな、面白いことが大好きなんよ。その為なら、なんでもする。例え周りが崩壊しても、自分の首を絞めても、――愛する人を失っても、その先に愉快で、痛快で、見ていて飽きないモンがあんなら、俺はなんでもする」
そう呟く彼の瞳はどこか遠くを見ていた。遥か遠くの記憶をなぞる様な優しい声で、慈しむように。
「俺は、自分がこの学園を引っかき乱す未来を想像した。それで、途方もなく興奮した。こいつに付いてけば、きっと極上の喜びが待っとると。それに…」
「それに?」
「それに……」「朔君!!!」
玖奈芽さんの言葉をさえぎるように、ドアが乱暴に開かれ鬼の形相の寧々さんが飛び込んできた。なりふり構わずだったようで、ふわふわとした髪が乱れている。
そのままボクを見つけると、カッと開眼したままボクに飛びついた。今度はちゃんと加減して、ボクが押しつぶされないよう勢いを殺してから。
チャイムが鳴っておよそ一分。予想通り、…いや、少し遅いくらいか?慣れない土地だったからだろうか。それでも、こうして必ずやってきてくれるのだから嬉しい。寧々さんはボクを見つけてくれる。どんな時も、どんな場所でも。
「朔君大丈夫?何か変なことされてない?!嫌な思いは?怪我してない?朔君、ああ、もう本当…俺、心配で心配で吐きそうだったよ!!」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。ボクはこの通りぴんぴんしてますし、玖奈芽さんは味方です、……多分」
ボクを胸に抱きながら、寧々さんが玖奈芽さんを睨む。殺気を抑えられていない。
「驚いた…。朔の顔見たら、今にも噛み殺しそうだった柚月が、朔のこと抱きしめてるっちゅーのは…。いよいよ信じるしかなくなってきたわぁ」
くくく、と狐のような笑顔で、喉を鳴らす玖奈芽さん。なんだか悪人面が似合うなこの教師。公務員としていいのかそれって。
「お前、朔君に手でも出してみろ……。そのときは、躊躇無く潰してやる」
「おぉ、怖、怖。番犬がオプションでついてるとは、ニュー朔も難儀なことやなぁ。せやけど、安心せい。俺が想ってんのは、ニュー朔とちゃうからな。ま、精々頑張れやぁ」
ひらひら手を振り、煙草の煙をくゆらせながらぺったんぺったん歩き、ドアに手をかける玖奈芽さん。
そして、思い出したように「あ」と呟くと、寧々さんに向かって何かを投げた。とっさにキャッチする寧々さん。もう二人ともその動作がイケメンだもん。ボクがやったら多分新種の盆踊りみたいなことになって無様になるだけだ。
「それ、ここの鍵や。朔にも言うたけど、この部屋はお前らの好きに使ってええで」
寧々さんが握っているのは、銀色の小さめの鍵である。赤いリボンが巻いてある。
「今度こそじゃあなぁ~。また二人でお話しようや、ニュー朔ちゃん☆」
バチコン、と綺麗なウィンクを残して、彼は教室から出て行った。
………嵐のような人だ…。




