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新八戸領 領内見廻り その二

◆◆◆


山岳地帯開発


山岳地帯とはいえ、小川が無いわけでも、日当たりの悪い土地ばかりでも無い、水田はちょっといまの状況じゃあ不可能かな?というような土地でも麦や他の作物なら十分畑としてやっていけるはず、一応日照りに強い作物を選択して植えるように指示したんだがね。

まだまだ開発の余地はあると思うんだよね、時間はかかるやり方だが山菜をみつけたら、周りの雑草を抜いて群生地を誘発させるとか、キノコ類は木の種類を整えたり、できれば広葉樹がそれも実のなる奴がいいんだがな。ドングリ系の木とか胡桃類も推奨していくか……。

いくつかの新たな領地を見回ったんだが、里山指導はしなくても良いところと、全然やってない所の差がひどいね、これだけでも食料事情が変わってくるのにな。

まとまった高原は牧草地に開発して牧場を作りたいな、鉄条網をはって狼や野犬対策をして……鉄条網はワイヤー加工が必要か、ワイヤーを自動的に鉄条網に加工出来る装置か~作れるよな?設計図は知らんが複雑ではないし何とか成りそう、鉄条網の下を掘られてくぐられないように杭もかなり密にしないとなって、掘ってコンクリートの基礎を作れば掘り抜けされないじゃないか。


「殿!殿!」


「おお、泰造かどうした。」


「山をみて、ウンウン唸ってるから、おかしくなったんだと思ってさ。」


「誰のネジが飛んだんだ、誰の!、しかも断定するんじゃ無い。」


「ネジが飛んだ?……じゃあ何してたんだよ。」


「山岳地帯の開発についてな、傾斜の緩い所を牧草地に出来ないかと思ってさ。」


「味噌漬け美味かったな、アレを増やすのか。」


「すぐに食べる方に持っていくんじゃない、増やしたり牛乳を採ったりな、焼酎もあるから乳房消毒もできるだろ。」


…専門知識が無いからなんともいえんがな。


「牛乳って酒になるのか?」


「なるほど泰造のなかでは牛乳も馬乳も一緒か、酒って馬乳酒のことだろあれは乳酸発酵もするから酸っぱい酒になるんだったかな、まあ牛乳酒もできないこともないだろ、牛乳を入れるのに銅の容れ物も作らんとなーあれは綺麗に使えば殺菌効果があるからなリサイクルもできるし……ガラス瓶もリサイクルできるな……ギリギリ事業になるかな?馬車を手配して道を開いてか……しかし洗浄するための浄水はどうする井戸水で妥協しておくか?……」


「殿!殿!、ちっまたかよ暫くほっとこ。」


◆◆◆


新八戸領


馬淵川と新井田川、五戸川の三つの扇状地が組み合わさりできた広い八戸領の平野部、階上岳から東南側に広がる日当たりのよいなだらかな地形、旧田名部領は二年遅れだが十分なペースで開発がすすんでいる。ここに烏帽子岳から東側(現在の野辺地町)、八甲田山、十和田湖から東側の土地(ただし三戸本家が倉石、新郷、三戸、田子、南部を押さえている。)が新しい八戸領になったわけだが。

田名部領の大きさが無視されているのは相変わらずとしても、開発されてない八甲田山の東側をもらってもな、田名部領は湖沼地帯が多いから畑をガンガン開発してるんだがね、十和田湖から東側は十和田湖から唯一流れている相坂川(現奥入瀬川)の下流付近は開発が進んでいるって、ここは元々八戸領じゃー!

よーし、整理してみよう……旧七戸領以外ほぼ未開発地帯か……今までの領主はなにやっとったんじゃー。


まあ、何だかんだいいつつも、この地域の三男三女以下は八戸領に沢山出稼ぎ労働者として来てくれてるから、基本的にうちのやり方はある程度知っているだろう。

問題は親の世代か、隠し畑は後で摘発するとして、舐めてるところに飴をやっても逆効果だったかな。だからといって格差がひろがればろくな事にならないよな。

仕方ない開発は遅れるが各村にモデル農家を送り込んで現実を教えこむか、農業は自発的にやってくれないと効果が長続きしないんだよね。


よし、じゃあ道造りからいきますか。


◆◆◆


三本木原野開拓話


八甲田山の東側は現在の十和田市付近で慶応年間までは原野でした、三本木原野と言うらしいです。

日本人初の世界的ベストセラー作家の新渡戸稲造(農学者)のお爺さん(盛岡南部藩の新田開拓奉行、新田御用方)から新渡戸家が三代かけて、開拓した土地なのです。


偉大な功績にケチをつける気は全くありません。


新渡戸家三代のおかげでいまの十和田市はあると言っても過言ではありません。


ただ、明治初期まで開拓は終わらず、結局南部藩には利益がほとんど還らず明治政府とどこかの家だけが恩恵を受けたわけですな。


開拓の始まった安政~慶応年間は江戸大地震に始まり、明治維新で終わります。


その間に何故か、関東東北地方では飢饉が頻発して人口が激減してしまいます。


冷害、台風、そして飛蝗が原因といわれています。


もし、この飢饉による人口激減が無かったら?明治維新はどうなっていたでしょうか?長引いて諸外国の干渉を受けて植民地化したのかもしれません。


その意味では、飢饉良い仕事したね(最低)。


さて、飛蝗という災害は実は人災により起こることがほとんどなのです。


現在は飛蝗のプロセスが明らかになり、餌場に一定以上のバッタが集まり餓死する事により、種の危機から飛行変異種が生まれることが分かっています。


そう、原野を開拓する事と飛蝗という災害は密接な関係にあるのです。


飛蝗のことが知りたい方は、2013年に起きたマダガスカル島の飛蝗をググレばその恐ろしさが理解できます。


飛蝗ではただ食糧や建物など植物性の物が全て消え壊滅状態になるだけですが、農民が各地で流民化し、狂乱から絶望的な一揆を起こし始め、打ち壊しで次々と都市部は破壊されていき、飛蝗から藩内の状況はドンドン悪くなっていき、ついには南部藩は一揆を放置するという信じられない事を……時の将軍慶喜公からお叱りの手紙をいただくという功績を残す事に。


自業自得というか因果応報というか……。


そして歴史は、維新政府軍に東北同盟はすぐに瓦解して負けてしまいます。


政府軍に逆らったところは明治時代の県庁所在地が県名ではありません(愛知ー名古屋、岩手ー盛岡、宮城ー仙台)会津若松、八戸は県庁ですらありません。


更に後年まで東北地方は明治政府に冷遇され開発は後回し東北出身者の政治的差別は太平洋戦争終結まで続きます。


大戦後は大量の食糧を関東に送っていたのは関西ではなく東北なのです。配給と言う名の強制徴収によってね。


新渡戸家に責任?有るわけないです。彼らは一生懸命原野を開拓して十年で石高を十倍に、大正時代には優良な農地として名を馳せることになるのですから。


話を戻しますが何回飛蝗が発生したかを数えると北東北の多さは異常ですから、やはり開拓が原因なのでしょう。


以上、東北地方の暗黒時代、裏側でした。


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