表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/163

説明回 堺とお金

ついたー堺!



36人の会合衆により運営されている、自治都市、金の力は偉大だね。


田中与四郎


千利休だね、有名人だけどまだ田中さんね。


さて、堺の前に戦国時代の貨幣について、一応やりましょう。


まずは流通しているのはおもに、中国銭、永楽通宝などがほとんど、まあ使っているうちに擦り切れて、悪銭ビタセンなどとよばれるようになったり。

現代日本みたいに回収して新しい硬貨を流通させるなんてないからね、まあ、薩摩藩を始め数々の藩が贋金を造ってるけどね。

鑑定すると鉛の贋金だったり、今は本物の永楽通宝はすごい価値があったり……

話がそれました。

永楽通宝などは“文”“貫”“疋”という単位をつかい。


10文=1疋、1000文=1貫 というレートでした。


ちなみに 1石=180リットル 米1石=1貫(相場により変動あり)


あとは 大判=10両、小判=1両、1両=2貫600文~3貫150文


現代の価値に直すとだいたい、1文=100円、1貫=十万円


小判=27万円、大判=270万円 (諸説あり)だったそうです。


両替屋とかが手数料を取って交換していたとか。


田中与四郎が米相場で大きくなったとかは通説で事実はわかりませんが小説ではその説でいかせていただきます。


八戸領の石高計算は物の値段を一貫を米一石のレートで変換したものです。だいたいね丼勘定ですが、米=5麦の説だと6万石が1.2万石になるのよね。(泣)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ