説明回 堺とお金
ついたー堺!
堺
36人の会合衆により運営されている、自治都市、金の力は偉大だね。
田中与四郎
千利休だね、有名人だけどまだ田中さんね。
さて、堺の前に戦国時代の貨幣について、一応やりましょう。
まずは流通しているのはおもに、中国銭、永楽通宝などがほとんど、まあ使っているうちに擦り切れて、悪銭などとよばれるようになったり。
現代日本みたいに回収して新しい硬貨を流通させるなんてないからね、まあ、薩摩藩を始め数々の藩が贋金を造ってるけどね。
鑑定すると鉛の贋金だったり、今は本物の永楽通宝はすごい価値があったり……
話がそれました。
永楽通宝などは“文”“貫”“疋”という単位をつかい。
10文=1疋、1000文=1貫 というレートでした。
ちなみに 1石=180リットル 米1石=1貫(相場により変動あり)
あとは 大判=10両、小判=1両、1両=2貫600文~3貫150文
現代の価値に直すとだいたい、1文=100円、1貫=十万円
小判=27万円、大判=270万円 (諸説あり)だったそうです。
両替屋とかが手数料を取って交換していたとか。
田中与四郎が米相場で大きくなったとかは通説で事実はわかりませんが小説ではその説でいかせていただきます。
八戸領の石高計算は物の値段を一貫を米一石のレートで変換したものです。だいたいね丼勘定ですが、米=5麦の説だと6万石が1.2万石になるのよね。(泣)




