常陸国 乱 その二十
修正しました、ユックリですが続けますので駄作ですがよろしく
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谷田部城 牛久沼から現在の谷田川を北上した所にある城で当時は湖沼地帯の中にある城で非常に攻めにくく守り易い堅城であったと伝わる。
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谷田部城 大広間
小田氏治
「遂に来たかやつらの総兵力は四万を超えた様だが、この谷田部城は四方を天然の川と水堀で囲われた水城簡単には落ちはせんのだ!勝貞援軍は今どの辺だ。」
菅谷勝貞
「結城家を中核とした軍、約三万が鬼怒川沿いを南下中、総大将は水谷正村とのこと。」
「水谷殿か、正直にが……イヤイヤ味方なら頼もしいかぎりハハハ天羽翁の時間稼ぎのお陰でなんとか間に合ったのう。」
「天羽殿は霞ヶ浦を渡り下総方面にしばらく潜伏するとのこと大事無いそうです。」
「そうかそれは何よりだ、早く佐竹共を撃退し直接会って礼をしたいものじゃな。」
「今はそのお言葉だけで十分かと、小田城、土浦城では籠城の準備が完全とはいかずに敗れましたが谷田部城の準備は万全、後詰めの援軍も到着します、此度こそ佐竹共を撃退して御覧に入れましょう。」
「ウム、……それで勝貞我々は何をすれば良いのかな。」
「とりあえずじゃ…援軍の行動を掣肘しないように固く門を閉ざしているのが肝心かと、我々は敵の兵糧切れを待つことが第一、兵糧切れあるいは援軍に撃退され敵が戦場から退くに合わせて追撃を行い小田家領地を回復いたしましょう。」
「わかった、勝貞城内の指揮は任せる良きに計らえ。」
「ハハ!お任せくだされ佐竹共に目に物見せてやります。」
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伝令
「勝貞様、佐竹の軍が谷田部城南半里(約二キロ)の所に陣を敷きました。」
「報告ご苦労、動きがあったら直ぐに報告せよ。」
……鬼怒川と谷田川に挟まれた中洲の囲地に陣取るだと、何故その様な不便な場所に……北から大きく迂回されて後方を遮断されたら補給路が断たれると言うのに、敵の力量からして有り得んなにを考えているのだ。
まあよい敵が陣を張る場所を違えたなら好都合、とにかくいつでも追撃に移れるようにしておかねば、結城共に城を盗られてはかなわんからな。
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半日前
佐竹軍は鬼怒川の霞ヶ浦河口付近に馬止めを仕掛け、谷田部城へ向け北上しようとした所で結城軍の来襲の一報を受け取っていた。
八戸政栄
「予定通り(少し早かったが)、結城及び下野の連合軍の登場です。」
徳寿丸
「予定通りは良いのだが、このまま進むと広いとはいえ川に囲まれ谷田部城で蓋をされた囲地に入るのではないか。」
「はい、敵は我々の後方を遮断すべく後背に回ろうとするでしょう。」
小貫頼久
「……既に手は打ってあると?」
「鹿島殿の知己等に塚原殿を使わしております、貸し一つですから。」
徳寿丸
「して策とはどのようなモノか、南の河口の罠は承知しておるが谷田部城北から迂回してくるだろう部隊に仕掛けた策は初耳だぞ。」
「申し訳ない援軍来襲の報が予想より早かった為北回りに対する備えが甘かったのが報告が遅れた理由です。」
小貫頼久
「……して策とは。」
「一手目は真壁に結城軍が通過した後背を襲うよう依頼しました。」
徳寿丸
「真壁か、檄文で参戦してこなかった勢力だな依頼したとて動くとは限らないのではないか。」
「動かなければ動かないでかまいません真壁が敵に味方しなければ問題ありません、二手目は予想されます迂回して補給路に当たる騎馬は四千程、こちらはそれに最大八千程の騎馬をぶつけます。そこでなんですが……その迂回してくる別働隊には斯忠殿を当てたいと思ってるのですが。」
「斯忠は初陣で指揮経験は無いはずだが?」
「誰にでも初めてはあります部隊の先鋒として騎馬隊を率いて貰おうと考えています。」
徳寿丸
「……わかった、斯忠に任せよう。」
「後で、斯忠殿には待ち伏せする位置などの指示を与えておきます。」
徳寿丸
「となると、敵の本隊は鬼怒川沿い川向こうに押さえの兵を置き谷田部城の兵力と合流して囲地を利用しての追い落としを狙ってくるのか。」
小貫頼久
「……明らかに川に挟まれ霞ヶ浦を背にした我々が不利に見えるのですが。」
「兵は詭道故、敵を操り自軍の有利な戦場に誘きだす策ですのでね。」
「有利な戦場?ここがか?私にはよくわからないのだが、政栄がそう言うのなら信じよう。」
「とは言え誘きだした敵は我々とほぼ同数かそれ以上の兵力、それを正面から受け止めて跳ね返すのです。」
バカ正直に正面からは受け止めないけどね。
徳寿丸
「孫子では同数の敵なら全力を持って戦いに挑むべしだったか。」
「ええ同数だからこそ、人智の全てを尽くす必要があると説いていると曹操も魏武注孫子(三国志演義では猛徳新書)では訳してますね。」
同数の部分は後世の創作だろうから曹操も困っただろうねえ、同数なら戦えとかアホの考えそのものズバリだからね、孫子がそんな文を残すかっての。
小貫頼久
「……政栄殿の事、バカ正直に正面決戦する気はないのでしょう、敵を誘き出す事基本となる策はわかりましたその他には?」
「当初から結城戦は持久戦を行なうつもりでしたのであと三ヶ月程度の補給の目途はつけております、結城勢の食料などの補給線は結城領からの陸路でしょうから……」
「……なるほど街道で待ち伏せして補給物資を断てば秋まで行動不能ですからね、我々は一万近い兵を補給の護衛に回していますし水路ですから襲われる心配は少ないと。」
「少数の部隊を編成して結城領に潜入、補給物資を狙い火付けを行います。この作戦は無理する必要はありません敵の補給線や士気に圧力をかけるのが目的です、一度位成功したらバラバラに潜伏させる予定です。」
徳寿丸
「ふむ、では迂回してくる別働隊には斯忠を当て、正面からくる小田、結城下野連合をここで撃破、谷田部城を落とすと言う流れだな。」
「谷田部城には籠もられるかもしれませんが鬼怒川まで結城下野勢を押し返して置けば谷田部城より東は佐竹領で確定ですから、ここが最後の山場です。」
魏武注孫子は曹操が各地に残る孫子の一部を集めて編纂したもので、オリジナルが前漢の墳墓から発見されるまではそれが孫子であり武田信玄もナポレオンもそれ(魏武注孫子)を孫子としてあつかっていました。
オリジナル孫子には書いてない内容とか、読み比べると面白いですよ。
曹操は多才だね。




