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田名部領って?
どうも、南部せんべい保存会かな?です、また説明回です。
さてみなさんも江戸時代の地図で青森県八戸市のあたりをみると、ポコっと八戸領の上に出っ張りがあるのをみたこともあるのではないでしょうか、ここが田名部領です。
では、現代の地図でみますと、野辺地町から北、恐山のある下北半島の全域が田名部領なのです。
なにこれ、インチキでしょこんなの。
そう、八戸領の上には実は4倍以上ある大領が存在していたのです。
伊能忠敬が正確な日本地図をつくるまでなんかおかしいなーぐらいの感覚だったとか。(アホか)
当時の主な産業は、塩と馬と木材ですね、ここには日本最大の砂丘(現在は自衛隊の射爆場)がありまして、ここで塩の生産していたとのこと、更に日本最大級のおおきさの馬(じじいの黒駒も田名部産)の自生地がありました。
当時は蠣崎氏(信長の野望では松前にでてくる、蠣崎氏と同族)が領主だったようです。
ちなみに、大浦氏はのちの津軽藩のあたりを領土としてます。今は親南部領です。
貧乏とはいえ(ここもか)、4倍以上の領土をもつ田名部領との紛争に主人公はどう立ち向かうのでしょうか。




