腐人沼ノ、臭イ
「……ぱーい、せんぱーい、こんな所でよく寝れるっすねぇ。ものすごい涎垂れてるっすよー」
なんだって……? 寝てる? 俺がか?
「ゆ……め? カーラ……は?」
いつの間にか閉じていた瞳に驚き、辺りを見回すと、ややげっそりとしたフェイの顔が飛び込んできた。しかしそれでもニヤつく口元は健在だ。
「カーラさんだって!? せんぱいずるいっす! オレもカーラさんの夢みたいっすー!」
夢? 本当に夢だったのか? それにしては妙に現実めいていた気がするが……。
「あいつめ、せっかく俺がいいこと言ってやってるのにちゃんと最後まで聞いてたのか……?」
「いっ!? イイコト!? せんぱい、夢の中でカーラさんと一体ナニをっ! で、で、どうだったんすか? 夢の中のカーラさんはどうだったんすかあぁぁぁ!?」
「まったくあいつめ、いつになく素直になったかと思ったのにな……」
「すっ!? 素直で順従なカーラしゃん……! い、いい……」
たとえ夢だったとしても、いつも意地を張って覗くことができないカーラの心の中を垣間見れた気がして、俺は勝手に嬉しくなった。
それにしても不思議な女だ。いたずら好きの子供、説教垂れの年寄り、占術中の神がかった姿……どれが本当のあいつだろう。いや、どれもあいつなのかもな。
俺は麻布の上で転がされている小石みたいな気分になる。でも今はそれが心地良かった。
「ところでフェイ、お前いつもに増して臭くないか?」
腐敗が進む死体に埋め尽くされた荷台。絶え間ない吐き気を誘う悪臭の中で、目の前の男が過去最高の記録を打ち立てようとしている。否、最高ではなく最悪、か。
「違うっすよせんぱい! この臭いはオレじゃないっす。外に顔出してみてくださいよ!」
必死で否定するフェイに疑惑の目を向けつつ、荷台を覆う布から顔を覗かせた瞬間、無意識に鼻と口を手で覆ってしまった。
「うぐぅっ……! な、なんだこの臭いは!」
生物が死に、腐り、液体となる。腐敗の更に先にある姿は悪臭を放つただの物質でしかない。大気に蔓延する臭いは、カーラに見せられた壺の中身のそれと全く同じものだった。
「腐人沼が近いっふかね」
ローブの裏地を引きちぎり、それで顔の下半分を器用に覆ったフェイが言った。
腐人沼が近い。その通りだろう。他国に固く門戸を閉ざしたシュタイラだが、それは自分たちに都合のいい言い回しなだけかもしれない。戦ばかりで治安も悪い、おまけに巨大な腐った沼と蜘蛛が蠢く国などどこが相手にしてくれる?
国の人形でしかない現国王、ファル国王は国民の前に姿すら見せない。かつて数多の民や領を束ね、シュタイラを国たらしめたヤヌ王の偉業以降、シュタイラの発展は止まったまま。なのに人々はいつまでもその後ろ姿だけをひたすらに崇敬し続けている。今やシュタイラはその信仰心でのみなんとか形を保っているのだ。
手綱を握る小男の、癇に障るあの歌声が次第に大きくなってきた。血肉の腐った泥が混ざり始めた大地の上を、陽気な調が駆け抜ける様は心底不気味なものだった。
と、その時。突然荷馬車が大きく傾いた。




