せんぱい、怒らないで
フェイが吐くのは、この化物の据えた臭いだけが原因ではない。
中身。
これから目にするであろう蜘蛛の腹の中を想像して吐くのだ。さらに付け加えるならば、そこから次にしなければならない作業についても、だ。
俺もはじめの頃はそうだった。だが一年経った今ではもう慣れてしまった。慣れとは末恐ろしいもので、この国の領土間で繰り返される戦争の後始末をさせられている内に、惨殺された死体や飛び散った内臓、引き千切られ紫に変色した腕や足などを目にしても、心臓の鼓動が速まったりはしなくなっていた。
今日の仕事もその後始末の内の一つに過ぎないが、気乗りするものでないことは確かだ。そう言ってみたところで気乗りする仕事など一つもありはしないのだが。
フェイが青白い顔でふらふらと戻ってきた時には、一体のコガリオオグモの腹は俺の手によって完全に本体と切り離されていた。
「……げ」
くるりと回れ右をする、見た目と体力しか取り柄のない部下の首根っこをすばやく掴み、ずるずると引きずり戻してやる。
「フェイ、俺が中をやるからお前はあっちの腹を剥がせ。それくらいならできるだろう? こっちの中はもう手遅れだがあっちは万が一ってこともある。時間との勝負なんだ」
「うえぇぇぇー! せんぱーい、オレ無理っす。また出ちゃいそうっすもん。もう今日は兵舎に帰って湯浴みして寝るっすー」
うっ……。臭ぇな、おい。
フェイの口周りを浮遊する、もわもわとした黄土色の幻に思わず仰け反りつつも、俺は眉間の皺を深くした。
そんな俺を気にもしていないのか、目の前の奔放な男は黄土色のもわもわを撒き散らしながらくだを巻き続ける。
「せんぱいはよくそんな平気な顔でいられるっすね……。オレにはできないっす。こんなことして意味があるんすかぁ? オレたちのしてることは正しいんすかぁ? もうオレ分からないっすー。せんぱいはそういうことちゃんと――――」
「フェイ」
「せんぱぁい?」
「いいから……いいから俺の言う通りにしろぉ! こんの腰抜けがぁ!!」
「ひぃっ!」
普段あまり声を荒げない俺に、さすがのフェイも驚いたのか「わかりましたよぉー、やりますってばぁー」と転がっている巨大蜘蛛にわざとらしく駆け寄っていった。