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2.聖天童★貞王の朝 (後)



……ああ、やっぱり。

トレーラーの車内は……クーラーが、ビビビッと効いてる。

ふぅ……涼しい。

 クーラーを発明したやつには、ノーベル平和賞をやるべきだと思う。

 どこの国の誰だか知らねえけれど。

 とにかく、オレは……。

冷たい空気をズワッと大きく吸って……。


「――オハヨウゴザイマッスッ!」


 思い切り大きな声で……トレーラーの奥に向かって叫んだ。

 ……うん。

 ゲーノーカイは……朝でも昼でも夜でも、『お早うございます』が基本だ。

 『挨拶』が、何よりも大切だ。

 ベテランの役者になって来ると……『お早うっス』とか、『おふぁぁぁっす』とか、『うぉあ』とか、どんどん小声で不明瞭な挨拶をする人たちが増えていくけれど……。

 オレは年を食っただけで……全然、売れなかった俳優なんだから。

いつでもどこでも、一番の下っ端のつもりで……『現場』に到着したら、ハキハキと大きな声で挨拶しなくてはいけない。

 『挨拶』だけは、絶対に手を抜いてはいけない。

『師匠』に、そう厳しく躾けられた。

 おかげでオレの挨拶は、役者以外の仕事でも……例えば、引っ越し屋や派遣アルバイトの物流倉庫の仕分けなんかの『現場』でも、職長さんたちに評判が良い。

というか、『あいつは挨拶だけは良いんだよな』なんて……言われている。


「……お早うございます。ミスター」


 すぐに、トレーラの奥から……スーツ姿の長い黒髪の美少女が、ササッと出て来てくれた。

 理知的な黒い瞳と、スラッとした体躯。しなやかな身のこなし。

 『ザ・ヤマトナデシコ』と言う感じの……超絶・和風美少女。

 彼女は『世田谷童貞保存会』のエージェントで……。

名前は……九里霧六子グリム・リクコ

 まだ19歳なのに、ヨーロッパの名門大学を飛び級で卒業しているというトンデモねえ才媛だ。


「……本日もよろしくお願い致します」


 オレにスッと頭を下げる。良いとこのお嬢さんらしく、立ち振る舞いの姿勢が良い。

 古武術もやっているんだよな。だから、動きに無駄がない。

 とにかく、美人なのは間違いないんだけれど……。

 この子は……『愛想』というものが1ミクロンも無い。

 笑顔が無い。笑顔どころか感情表現が無い。

基本的に無表情で……ムスッとしてて。

常にオレのことも『虫ケラ』を見るような冷たい眼で見ている。

 ……いやいやいや。

 この子だって、嫌々、オレみたいなオトコの『世話係』をやっているんだろうから……文句を言ってはバチが当たる。

ま……この凛とした生真面目な雰囲気が、この子の美女度をさらに倍増させているとも言えなくはないわけだし……。

とにかく、普段のこの子は……言葉と態度が冷たいだけで、まだ良い方なんだよな。

……他の2人よりは。


「今日も頼むよ。リッちゃん」


 オレの方は高校中退だし……みっともない職務経歴しかないのだから……。

20歳以上も年下の才媛の美少女と、どう会話したら良いのか……ホントのとこは、よく判らない。

何1つ、共通の話題なんかあるはずがないんだから。

 だから彼女のことを、オレが『リッちゃん』と軽々しく呼ぶのも……本当はアリなのか、ナシなのか、それさえも良く判らないんだが……。

 でも、だからってオレがこの子を……『九里霧くん』とか『六子さん』とか、エラソーに呼ぶのも、何かヤラしいよな。エロオヤジっぽくなるよな。

 でも、『九里霧!』とか『六子!』とか名前で呼び捨てにするのも……。

 よく勘違いした中年の俳優が、スタジオで若い女の子のスタッフをそうして呼び捨てにしていて……。

それで、裏では女の子たちに、モノスゴク嫌われているのを……オレは、何度か見て来ている……。

だから、色々悩んだ結果……ちょっと親しげな感じで『リッちゃん』と呼ぶので通すことにした。

 ゲンちゃんもそうだけど……若い子との距離感は、ホント判らねえ。ことに、オレみたいないい年したオトコと若い女の子のスタッフとの『現場』での付き合いは……本当に難しい。

とにかく、こちらの立ち位置だけを決めておく。

 ……うん。

 叔父さんが姪っ子なんかに、軽く話し掛ける感じで……。

なるべく……イヤラシくならないように。エロくないように。

 どうせ、好かれちゃいないことは判っているんだけれど……。

 これ以上、嫌われるのも……悲しいから。

 はぁぁ……。


「あの……何か?」


 オレがあんまりにもジロジロ見ていたから……リッちゃんが、ギロッとオレを睨む。


「わたくしの顔に……何か付いておりますか?!」


 ムッとする美少女というのも……なかなか対処に困る。


「いや……あの、別に」

「思っていらっしゃることがあるのでしたら、何でもハッキリとおっしゃって下さい。そうやって、ニタニタ笑いながら、頭の中で色々と考えていらっしゃられる方が……気持ちが悪いですから……!」


 えっと……そうなのか?オレ、ニタニタしているのか?

 自分では、大人のオトコの余裕を漂わせているつもりだったんだけど……。

 そうか……ニタニタしているだけなのか。

 ……ショックだ。


「わたくしに……何かご不満でも?」


 ……えーと。

 いや、特に不満とかはないけれど……。


「あ、あの……り、リッちゃんはさ……」


 な、何か言わなきゃ。大人のオトコらしい、シブい言葉を一発……。


「……何でございますか?」


 ……あー。うー。


「ぽ、ポニーテールとかには……しないのかねっ?」


 な、何を言っているんだ……オレは。

 『しないのかね?』の『かね?』って何だよ!

 いや、確かに……リッちゃんは、髪型をポニーテールにした方が断然可愛いと思うけど。


「……ポニーテール?なぜ?!」


 リッちゃんが……苦々しい顔で、オレを睨む。


「いや、あの……ポニーテールとは、髪の毛を、こう後ろで……馬の尻尾みたいに縛ることを示す言葉ナリ」


 なぜかコロスケの様に答える……オレ。


「それは知っています。ですが、なぜ……なにゆえに、今、わたくしがそのような髪型にしなくてはならないのですか?」


 ……えーと。


「その方が……似合っているかなって思って」


 何か、もの凄くカッコ悪いぞ……オレ。


「つまり、今の髪型が……みっともないと?」


 ……いやいやいやいや。


「そんなことは思っていない。今のストンと下ろしているのも、知的でなかなか麗しいとは思っている。しかし、ポニーテールというのは……」

「どうだと言うのです?」

「ロマンだ!……アーンド可愛い。キュートにしてビューティフルだ!今の綺麗なリッちゃんが、さらにもっと可憐にバージョンアップすると思うナリィィ!!!」


 オレは、必死に……言う。

 我ながら、意味不明だけれど……。

 あー、また汗がダラダラ出て来た。


「……可愛い?現在のわたくしには、全く必要ではない要素だと思いますが?」


 ……うー。


「うん……ゴメン。ちょっと、何というか……セクハラ的な発言だったかもしれない。えー、撤回して陳謝致します。申し訳ありませんでしたッ!」


 オレは、リッちゃんに頭を下げる。

 すると、彼女は……。


「謝罪は結構です。徹頭徹尾……ミスターのお言葉は、理解不能でしたから」


 ああ、オレとリッちゃんの間には……深くて広い河がある。


「こちらで、お待ち下さい。今、冷たいコーヒーをお持ちします……」


 リッちゃんは、クルッと回れ右して……トレーラーの後方右奥のキッチンコーナーへ向かう。


「もう、そろそろ、『彼女』が覚醒するでしょうから……!」


 ……そろそろかぁ。

 はあぁぁぁ、気が重い。


「うん、頼むよ……リッちゃん。コーヒー、なるべく早くね」

「はい……かしこまりました、ミスター」


 ムスッとしたまま……リッちゃんは、綺麗な身のこなしでキッチンの中へと消える。

 ホント……ニコリともしない。

 ああ……こりゃ、マジで嫌われたなぁ……オレ。

 ……しかし。

 このリッちゃんは、まだいいんだ。

 こうやって『嫌われている』って、ハッキリ判っていた方が……こちらも対応のしようがあるし。

 でも……他の2人となると……。

 あいつらはもう、何がなんだか……。


「ところで、酒手さん。どうして、毎日……ここを待ち合わせ場所に指定なさっているんですか?」


 オレの気分を切り替えようと……。

 運転席に座ったゲンちゃんが、カーナビで今日の訪問先の所在地までのルートを確かめながら……オレに、そう話し掛けてくれた。


「ボクたち……何でしたら、毎朝、酒手さんのアパートの前までお迎えに伺ってもいいんですよ」


 オレの住む……木造アパートに、このキャンピング・トレーラーが?

 あすこ、一通だろ?大通りから入って来られるか?


「むしろ……その日の行き先によっては、こうやって渋谷で集合する方が遠回りになるんですよ。今日、これから行く学校も……ボクたちのマンションから、真っ直ぐに酒手さんのご自宅に寄った方が近いんです。酒手さんだって、毎朝、わざわざ渋谷まで来られるのは大変なんじゃないですか?」


 ……それは。

 オレのアパートから渋谷までは、自転車で15分と電車40分と……軽く1時間近くは掛かる。

 ……だけど。


「いや、ワリィんだけれど。これはオレの……『心』の問題なんだ。申し訳ないけれど、付き合ってくれよ」


……そう答えるしかない。


「まあ、酒手さんのお宅の前までボクたちが押し掛けるのは、ご迷惑かもしれませんが……でも、なぜ、いつも渋谷なんですか?」


 ゲンちゃんが、オレに尋ねる。

 オレは……。


「それはさ……昭和の頃から、決まってんだよ」

「……昭和?」


 ゲンちゃんには、多分、判ってもらえないだろうけど……。


「昭和の頃からさ、撮影現場へ行くロケバスの集合地点は、たいてい……渋谷・東急文化会館の脇の商工中金ビル前か、新宿のスバル・ビルの前って決まってんだわ」


 そして、20年前の『馬堀プロダクション』は……。

ここ渋谷が……毎朝の集合場所だった。


「あの、それって……昔の……『ゲンカイオウ』時代の話ですか?」

「ああ、あの頃オレは……毎朝、ここから……撮影現場へ向かうロケバスに乗ったんだ」


 感慨深く……オレは言う。


「……『ジロー』さんもですか?」


 ゲンちゃんの眼が、鋭くなる。

 『ジロー』……『火星猫人』の。


「いや、あいつは……毎朝、直接『現場』に来たよ。『火星猫人』側の連中は、全員そうだ。ここに集合していたのは、日本人のキャストとスタッフだけだよ」


 オレは、答える。

 懐かしいな……みんな、今はどうしているんだろう?

 ……と。


「――えええー、何で?!何で?!何でぇぇ?!!あーらら、おっかしいのっ!!!」


 カーテンで仕切られていた、キャンピング・トレーラーの右脇の個室から……。

可愛らしい少女の……スットンキョな声がする。

……うはぁぁぁぁ。

 き、来たか……目覚めたか。

やややや、ヤバいぞ。

 オレの『お早うございます!』から、約3分……。

 あああ……ついに、神酒が『目覚め《ウェイク・アップ》』しちまったか……!!!


「東急文化会館なんて、今はもう無いんだしーっ!あたしたちだって、撮影なんかに行かないしーっ!そもそも……この車はロケバスでもなんでもないっていうのにーっ!」


 ジャワッと……カーテンが開く。

 ニコッと微笑む……金髪に青い瞳の小柄な美少女!


「うっひっひー!!!おっはよう、パパ!パパ、パパ、おっはようッ!!!」


 いきなり……フリフリの白いレースのドレスを着た金髪の美少女が、オレにバカッと飛び掛かって来る。

 オレのキンタマを狙ってくることは判っていたから……股間だけは、全力でガードする!

 こいつは、いつでも……『火星発火イグニッション』させようとオレの股間を狙って来るから……!!!


「ああーんっ、もおおっ!!!」

「勝手には触らせねーぞ!神酒ミキ!」


 オレがそう言うと……。


「パパのケチッ!ケチケチケチーッ!でも、好きっ!好き好き大好きっ!」


 彼女はオレの背中に抱きついて来やがる。

容量のある胸をムニムニとオレの背中に押し付けて来たぁぁぁッッ。

こいつは、マジで……『14歳設定』にしては、発育の良すぎるプロポーションをしているから……。


「おい、離れろ!暑苦しいっ!つーか、痛い……痛いぞ、おいっ!!!」


 ギューッとフルパワーで、オレに抱きつく……金髪碧眼の美少女。


「おっはよう、パパ!好き好き、パパ!おはよう、だーい好きっ、パパ!パパ!パパ!ぬふふーっ!」


 まるで壊れた機械みたいに、ニコニコ笑いながら喚き続ける。

 あー、相変わらず朝一番は……テンションが高いぞ。

 これだから……朝は、嫌なんだ。


「好き好き好き好き好き好きっ!あ・い・し・て・るっ!」


 この子は『白銀家族計画協会』所属のエージェント。

その名は……酒手神酒サカテ・ミキ


「ねえねえ、パパは?パパは神酒のこと好き?神酒はパパが好きだけど、パパも神酒と同じくらい好き?好きだよねっ?!ぜーったい、好きだよね?愛してるよねっ?!神酒とパパは、ラブラブなんだよねっ!ラブラブ★火星ハリケーンッッ!!!そうでしょっ!!!」


 え……えーと。


「ノー・コメントだ!」


 オレは……答えた。

 神酒の…乳白色の淡い金髪。彫りの深い顔に、ブルーの瞳。

尋常じゃないレベルの……ハイパー★美少女だ。

 見た目は、北欧辺りの白人の美少女にしか見えない。

にもかかわらず……どういうことだか……彼女は、純粋の日本人という『設定』になっている。

 これは『火星猫人』の設定ミスだ。

火星のヤツラ、あいつら本当にバカなんじゃねぇのか。


「もう、パパったら!神酒は知っているよっ!ホントはパパも、神酒のこと好き好き好キスーなんでしょっ!好き好きだよねーっ!判っているんだからねぇ!お見通しなんだよっ!うひひひっ!」


 オレに、ベターッとくっついて……上目遣いで怪しく微笑む。

 ……うっとうしいっ!

 だが、可愛いっ!!!


「ねえ、パパ……今日は朝が早かったから、神酒まだちょっと眠いなぁっ!だ・か・らさぁぁ……あっちのベッドに行こうよおぁ」


 ほら……来た。

オレは警戒態勢をマックスにする。

絶対に、神酒にオレのキンタマは触らせないぞ!


「それでさぁぁ……うほほほ、神酒と寝ようよぉっ!うへへへへ、2人とも裸でさぁ。神酒のこと、パパの好きにしちゃっていいからそぁ。その代わり、神酒もパパのこと好き好きにしちゃうからぁぁ。ねぇ、いいでしょう?パパァァン!」


 ……何が『パパァン』だ。

 神酒は、オレの手を掴んで……全力で、グイグイとベッドに誘う。

 だから、オレも両脚を必死で踏ん張って……神酒の『引っ張り』に抵抗する。

 それでも、キンタマだけは片手で死守する。堅守する。

 リッちゃん、早くコーヒー持って来てくれ!

 すぐに持って来るって言ってたじゃないか!!!


「ねえ……パパぁ。今日こそさ、神酒とエッチしようよぉっ!神酒の処女あげるからっ!だから、パパの童貞ちょうだいっ!等価交換だよーん!それなら、いいでしょっ!さあさあ、すぐしよう!今しよう!朝からしよう!夜までしよう!もう、ずーっとずーっと明日も明後日も未来永劫に、ずーっとパパとセックスだけでいいからさぁぁ……早く早く!ねっ、ねっ、ねっ、ベッドでさぁっ!むひひひひひひっ!!!」


 ギュッとオレの肘を掴み、何としてもベッドの方へ引きずり込もうとする……神酒。

 クッ……なかなか力強い。

 だが、オレは負けない。負けるわけには行かない。

 オレの『童貞』には、地球の未来がかかっている。

 リッちゃん、コーヒーまだなのぉ?!!!


「お前とはしねえよっ!絶対にしねえぞっ!オレは神酒とは、絶対に絶対に絶対に、死でもしねぇんだからなっ!」


 オレは……全力で神酒から身体を離し、強く宣言する。


「ええーっ、何でぇぇ?!しようよっ!ヤろうよっ!ヤられてあげるから、ヤリなってばっ!だって、神酒はしたいんだよっ!こんなにも、情熱的にパパとセックスしたがってるんだよっ!パパに処女を捧げて……神酒の子宮にドクドク射精して欲しいんだよっ!パパのキンタマから、アッツイ精子を注いで欲しいのっ!!!ねぇ、パパァッ!」


 プーとムクれる……神酒。

 そんな表情も、飛びきり可愛いが……。

 いやいやいーや……惑わされるな!!!


「バカヤロ、コノヤロ、14歳の女の子がキンタマとか言うんじゃねぇぇっ!」


 オレは、強く叱責する!!!


「おいコラ、神酒!!!いいかっ……父親と娘は、ヤッちゃいけねぇ!そう、この国の法律では、昔っからキッチリカッチリ決まっているんだよっ!『倫理』ってもんがあるんだよっ!!!」


 今の神酒は……オレの養女ということになっている。戸籍上は。

 そうしなければ……神酒は、日本政府と『世田谷童貞保存会』によって『処分』されていたはずだ。


「そんなの関係ないよぉっ!神酒はパパとしたいのっ!だって、神酒はパパとエッチするために生まれたんだからっ!神酒にはさっ、『好き好きパパ!パパと毎日セックスしちゃうのっ!るるんるんっ!』ってプログラムが『遺伝子レベル』で刻みつけられているんだからねっ!パパとセックスするのが、神酒の使命なんだよっ!それがこの世の定理!ジョーシキなんだからねっ!!!」


 だから……許せねえんじゃないか。

 この可愛い過ぎる女の子に……そんなフザケた宿命を背負わせやがった『火星猫人』が。


「うるせぇっ!お前の遺伝子のことなんか、オレが知るかッ!ボケッ!!!」


 神酒が、オレを『好き』だと言うのは……そういう風に『設定』されているからだ。

 この子の『思い』は、ホンモノじゃない。

 そして、この『設定』を解除するためには……。

 アイツラと……『ジロー』と闘って、『ジロー』に勝って……。

神酒のプログラムを書き換えさせるしかない。

『宇宙美学』をベースにした『火星猫人』のテクノロジーは、現在の地球人類にはどうにも解析できない。


「そんなのどーでもいいよっ!ニンゲンの法律も、倫理も関係ないよっ!神酒はしたいのっ!パパと……パパとセックス!こういうのは、『禁断の愛』だからこそ燃えるんでしょっ?!パパはオトコでしょ!キンタマ付いているんでしょっ!だったら、とっとと神酒を押し倒しなさいよーっ!!!どぅへへへっ!」


 ……バッカヤロウ!


「おい、はしたなさ過ぎるぞ!ちょっとは、落ち着けよ……神酒!」

「だぁってぇ……どうして、パパは神酒に『童貞』をくれないのよっ!!パパの『童貞』は、神酒のなんだからねっ!ずっとずっとずーっと、神酒が生まれる前から、そう決まってたんだからっ!」

「そんなの決まってねーよっ!!!」


 プログラムが……神酒を狂わせている。

 『朝の禁断症状』が、暴走ギリギリにまで達している。


「どうでもいいからっ!!!ほら、エッチしよっ!今すぐしようっ!神酒、パパの赤ちゃんが欲しいんだよぉぉぉぉっ!むおおおおおおおおおっ!!!」


 違う……それはヤツラにインプットされた『欲望』だ。

 本当では無いんだ。

 神酒の本当の『気持ち』では。

 ……チクショウ。


「……神酒さん。わたくしの眼の黒いうちは、許しませんからね」


 オレたちの修羅場に……よえやく、リッちゃんがアイス・コーヒーを持ってスッと現れる。


「早く、リッちゃん!!!」


 オレは、神酒を牽制しながら、叫ぶ!!!


「むむむーっ!また神酒の邪魔をするのぉっ!グリムのくせにっ!」


 神酒が、ギロッとリッちゃんを睨む。


「仕方ありません。ミスターの『童貞』を守ることが、わたくしに与えられた『お役目』でございますから……」


 リッちゃんは、平然と答えた。

 それは……『(財)世田谷童貞保存会』の人間としては、正しい答えなんだろうけれど……。

 19歳の和風美少女に、そんなことを言われるのと……オレはツライ。ちょっとヘコむ。


「どうしても守り切れないと判断した場合は……わたくしは、あなたとミスターを道連れにして、爆死するように財団より命じられております」


 それは……嫌だな。かなり。

 オレが1人で死ぬのは、『仕方ない、運命だったんだ』って諦めが付くけれど……。

オレみたいなダメなオトコの『童貞』のために……こんな綺麗な女の子たちが、2人も死ぬのは、どうにも許せねえ。許せねぇったら、許せねぇ。


「何よ!じゃあ、神酒はどうすればいいのよっ?!神酒はパパとエッチするために生まれたんだよっ!パパの童貞がもらえなかったら、神酒は……神酒には、もう生きている価値なんてなくなっちゃうんだよおっ!!!」


 ……あ、ヤベッ!

 このまま泣かれたら、大変なことになる。

 こいつはハイ・テンションの時は、メチャクチャ明るいけれど……ダウナーな気分の時は、どん底まで落ちるからな。文字通り、生ける屍と化す。

 だから、オレは慌てて神酒に……。


「そんなことねーよ、神酒ぃぃ!!神酒にはな、生きる価値が充分にある。なぜなら、神酒は……とっても可愛いからだっ!!メチャクチャ可愛いからだ!うーん、可愛いぞっ!可愛いな、神酒ぃぃ!コンチクショーメ!可愛いぞ、このっ、金髪ムスメっ!」


 泣きそうだった顔が、オレの言葉にとろーんと緩む。


「えっ、パパ……本当?神酒、可愛い?寝てみたい?」


 どうしてもセックスから思考が離れないのか……。


「とにかく、神酒は……オレの可愛い『娘』なんだよ!」


「えーっ!『娘』はやだ。『エッチ奴隷』とかがいい!」


 どうして、そうなる!!!


「……どうぞ、ミスター」


 神酒の隙を付いて、リッちゃんがオレに冷たいコーヒーのグラスを手渡す。

 ああ……良い香り。

 このトレーラーにある食材は、全て『世田谷童貞保存会』が購入した高級品ばかりだ。

だから……このコーヒーも、普段のオレには飲めない高級品だ。


「ああ、ありがとう」


 このまま、グイッと一気飲みしたい気分だが……。

 残念ながら、このグラス一杯のコーヒーは……オレが飲むために持って来てくれたモノではない。


「げっ、コーヒー?!」


 神酒が、ビクッと震える。

オレは……。


「神酒……『リセット・スタンバイ』だ!」


 オレの『指令』に……神酒の動きが止まる。

 今だ!!!


「ほらっ、コーヒー飲め!神酒!」


 一気に距離を詰めて……。

 オレは神酒の口に、コーヒーのグラスを押し当てる。


「……んぐぐぐぐぐっ!!!」


 神酒の鼻をつまんで……無理矢理に、飲ます。

 コクコクと、神酒の喉が鳴る。

 よし……飲んでる。飲んでる。

 その姿も……妙にエロいが、断固として性的な魅力は無視する。

 ああ、こうやって間近で見ると……本当に美少女なんだよな……。

 でも、絶対に手を出してはいけない娘だ。

 神酒はオレの……養女……『娘』なんだ!

 欲情は……しないっ!

 してたまるかってんだぁぁぁ!!!


「とにかく……神酒は可愛い。神酒は可愛い。オレがそう感じている……それだけで、神酒が生きているのに充分な理由になるんだっ!そうなんだ!そういうものなんだぜぃ!」


 『再起動』中には、オレの声は聞こえていないことは判っているけれど……。

 それでも、神酒にそう告げた。

理屈じゃない。オレは、そう感じている。それは本当なんだ。


「……はふぅ……くぅぅ、げぷっ!」


 ようやく、グラス一杯分のアイス・コーヒーを……神酒は飲み干した。


「はぅぅぅぅぅ……!!!」


 廊下に突っ立ったまま……美智の眼は虚空を見ている。

 うん、『しばらくお待ち下さい』状態になったな。

 どうしてコーヒーが、ヒート・アップした神酒の『精神』を『再起動』されられるのか……オレには判らない。

 とにかく、ヤバそうになったらコーヒーを飲ませて『リセット』しろと……『白銀家族計画協会』の神酒の担当医からも言われている。

 神酒は、ポワワーッとしている。

 改めて……脳が『再起動』しているんだな。

 オレが神酒に強制的にアイス・コーヒーを飲ませるのは、毎日の『儀式』になっている。

 正直、一日の中で一番……気を遣う。メンド臭い。でも、やらなくちゃいけない。

 神酒を受け入れた……オレの『義務』として。

 『聖天童★貞王』であるオレでないと……神酒を『再起動』させることはできないから。


「本日は、昨夜より12時間30分ほど、ミスターと離れていましたから……『禁断症状』が、いつもより強めだったと思います」


 リッちゃんが、そう言う。

 昨日は……早めに『仕事』が終わったんだよな。

 それと……オレが、昔、世話になっていた芸能プロに顔を出さないといけなかったから。

 オレと神酒は、毎日、『仕事』で顔を合わせているが……それでも、夜の時間、離れているだけで……神酒の中の『プログラム』がおかしくなっていく。

 より強く……オレを求める衝動が湧き、次にオレに出会った時に爆発する。


「毎朝毎朝、こんな騒ぎを繰り返すのは……面倒だとは思いませんか?」


 ……リッちゃん?


「前々から、何度も申し上げておりますが。わたくしたちと一緒に生活するという件……ご再考いただけませんか?彼女のためにも、その方が良いと思いますが?」


 リッちゃんは、冷たい眼で『再起動』中の神酒を見ている。

 本当は神酒のことなんか考えていない。オレを自分たちと同居させるための口実に使おうとしている。


「現在、わたくしたちが住んでいる高層マンションは……一棟丸ごと『世田谷童貞保存会』が所有し、管理しています。神酒さんの暮らす『白銀家族計画協会』も、『南ペカペカ島王国亡命東京政府』も……それに日本政府の『文部科学省特殊問題環境教育基盤整備事業推進室』も、全部その建物の中に入って居ます。このキャンピング・トレーラの整備ガレージも、マンションの地下ですし」


 そんなことは……知っている。

 行ってみたことはないけれど。


「国としても……その方が、助かります。正直に申し上げると」


 ゲンちゃんも、運転席から顔を出して……オレに言う。



「ミスターのお部屋も、すでにご用意してこざいますから」



 『世田谷童貞保存会』を代表して……リッちゃんは、真顔でオレにそう言う。

 そりゃ、同居した方が……神酒の精神が安定するだろうってことは、オレだって判っている。

 ……だが。

 それでは……オレの精神の方が保たない。

 オレには……こいつらと離れて、1人になって『自分を取り戻す時間』が必要だ。

 心を穏やかに……精神のゲージを『ゼロ』に戻すための時間が。

 『聖天童★貞王』でなく、ただの『酒手祥二』として。


「もちろん、酒手さんのプライバシーは、国が責任を持って保証します。神酒さんたちが侵入しないように……厳重に監視しますから……!」


 ゲンちゃんのその言葉は……嘘だ。

 日本政府に……『聖天童★貞王』の責任は取れない。


「ワリィけどさ……オレは、今のアパートが気に入っているんだよ」


 オレは、ニカッと笑顔を作って……2人に言った。


「あの築50年の……木造ボロ・アパートがさ。オレの稼ぎじゃ、あんな部屋しか住めないしな。豪華な高層マンションなんて、オレみたいな人間には似合わねえのさ」


 東京へ出て来てから20年以上……オレはずっと、あそこに住んでいる。


「『世田谷童貞保存会』は、ミスターから住居費・光熱費・さらには食費も徴収することはございませんが……」


 リッちゃんが……冷たく言う。


「そんなの冗談じゃねえ。人の土地に住めば、家賃を払わなきゃいけねえ。生活するなら、食費も光熱費も掛かる。税金や国民健康保険、年金だって、きちんと払わないとな。

そうだろ、ゲンちゃん」


オレはわざと……お役人のゲンちゃんに言った。


「そういうのを自分で払わなきゃ、この国ではオトナとして認められないんだよっ!」


オレは、実験室のモルモットじゃね。

人間だ……大人の男なんだ。

『聖天童★貞王』は、そうじゃないとしても……。

酒手祥二は、普通の市民なんだ。


「しかし、ミスター」

「いや、今はもうこの話は止そうよ。九里霧さん。酒手さんが頑固だってことは、ボクたちもよく知ってるだろ」


 ゲンちゃんが、オレの気持ちを察してくれた。


「判りました。今すぐの回答は求めません……ですが、どうぞお考えになって下さい。部屋の方は、いつでも住めるようになっています」


 リッちゃんの方は、ツンとしたまま……そう言った。


「そんなことよりさ……リッちゃん、コーヒー遅かったぜ」


 オレは……話を変える。


「いつもなら、もっと早くササーッて持ってきてくれるじゃないか?何で今日は遅かったの?」


 オレの問いに……リッちゃんは、ギッとオレを睨む。


「酒手さん、酒手さん……!」


 え……ゲンちゃん?


「気付いていないんですか?九里霧さんの……髪型!」


 ……あ。

 ポニーテールになっている。

 え、まさか……オレが言った通りに髪型を直していて、遅くなった……?

 この『冷たい美少女』が、まさか鏡の前で何度も髪を縛って……ポニーの長さを調整していたとか……???


「うん、可愛い。似合っているよ」


 慌てて、オレは褒める。


「……もう結構です」


 ゲンちゃんに指摘されるまでオレが気付かなかったから、リッちゃんはムカッとしているらしい。


「いや、本当だ。そっちの方がリッちゃんらしくて良いよ。うん……良いね。バッチグーだ」


 人間焦ると、とんでもない言葉が『脳内ボキャブラリー』から流出する。

 『バッチグー』なんて言葉を使うのは……25年ぶりぐらいだと思う。

 何言ってんだよ……オレ。


「し、知りませんっ!」


 リッちゃんは、そのまま……奥のキッチンの方へ入ってしまった。

 結局また、嫌われたか。

 オレは本当にダメな男だ……とほほ。


「ところで……ゲンちゃん、今日の『現場』はどの辺りなんだっけ?」


 仕方ないので、そんなことを尋ねてみる。


「多摩地区です。紅玉学園という私立高校の……今日は、アーチェリー部ですね」


 ああ……西洋式の弓か。

 確かに多摩地区なら、渋谷に寄るより……オレのアパートの方が近いわな。


「あ、そうだ。それはいいけれど……今日、夜、オレは別の『仕事』が入っているってこと判ってるよね?」


 伝えてあるはずだけど……一応、確認する。


「判っています。『火星猫人』の方にも……ちゃんと『通告』してあります。今日の夜に酒手さんが行かれる場所では『戦闘行為はしない』という取り決めを『協定』に書き入れてありますから」

「ああ、ありがとう……ゲンちゃん」


 ……助かる。

 今夜は……久々に、『役者』としての仕事だから。

 いや、ちょっと違うか。

 『元・アクション俳優』としての……『営業』だな。

 しかも、『聖天童★貞王』も……深く関係している仕事だ。

 それでも、昔のオレのファンが来てくれるんだから……。

 行かないわけにはいかない。


「そう言えば……そろそろ『協定』で決められている『公務』の時間になりますから。酒手さん……着替えの方を」


 ……そうだな。

 朝の7時になる前に……『聖天童★貞王』に着替えないといけねぇな。

 あの『衣装』はなかなかクソ暑いんだけれどな……。

 でも『聖天童★貞王』のコスチュームを『協定』で定められているものだし。

 ……仕方ない。


「じゃあ、オレ、『更衣室』へ行くわ」


 『更衣室』と言っても……このキャンピング・トレーラーのトイレの脇の廊下と壁の間に、突っ張り棒にカーテンを引っ掛けて、畳半分くらいの着替えスペースをオレが無理矢理作っただけだ。

 この車内は、オレとゲンちゃん以外は、若い女ばかりだから……。

 オレが着替えとかを、その辺でしてたら……セクハラで訴えられちまう。

 いや、そんなことを訴えるのはリッちゃんぐらいだろうが。

神酒なら、オレの裸体をジロジロと眺めてくるだろうし……。

とにかく、若い娘たちの前で着替えるのは……嫌だ。

 オレが、トレーラーの中の廊下を『更衣室』の方へ向かおうとすると……。


「……あれ、パパだ?」


 ああ、また3分経ったか。神酒の『再起動』が完了した。


「ああ、お早う……神酒」

「うん、お早うパパ……!」


 オレ自身による『リセット』が行われたから……今はもう、『禁断症状』は消えている。

金髪碧眼の美少女が、ニコッと明るくオレに微笑む。

 肉体も精神も『最良』の状態に……『再調整』されている。


「どうだ?元気か?神酒?」


 一応、尋ねてみると……。


「うん、元気っ!ねっ、パパ!」

「何だ?」

「……神酒とエッチする?セックスしない?」


 『再起動』しても……この根本的なプログラムは、変わらない。

 ただ過剰な反応はしなくなったというだけのことだ。


「しねえよっ!」


 オレはキッパリとそう言った。


「じゃあ、神酒と……一緒にビデオとか観る?」


 普段の神酒は、オレにセックスを強要したりはしない。

 神酒は……『聖天童★貞王』のために造られた『人造人間』だから。

 基本的に……オレの『命令』には従順に従う。『提案』はしてくるが、『強制』はしてこない。

 アブナイのは、『禁断症状』の時だけだ。


「まあ、ビデオぐらいならな……」


 どうせ、また……あの映像なんだろうけど。


「うんっ!じゃあ、準備してくるっ!」


 シュパタタっと……ラウンジ・シートの方へ向かう、神酒。

 ホント、セックスさえ求めて来なかったら、『可愛い娘』なんだけれど。

 ……はぁ。

取りあえず……今日も何とか、朝の『暴走』は食い止めたんだ。それで、良しとしよう。

 オレは、『更衣室』のカーテンをシュバッと開け……中に足を踏み入れる。

 ……んんんん?


 ……むにゅ。


 何か……生温かいモノを踏んだ。


「……痛いネ、サダヲゥ」


 薄暗い『更衣室』の床面に……黒い肌の女が、折り畳まれている……。

 いや、人間の状態を表現するのに『折り畳まれている』というのがおかしいことは判っているが……。

 90センチ✕90センチくらいしかない床のスペースに……長身のはずの女が綺麗に畳まれて存在しているんだから、そうとしか表現のしようがない。


「おい、何している?」


 ヨガの行者か?インドの山奥か?『びっくり人間大集合』か?

 真四角な床に……整った顔が、ムスッとオレを見上げているのがシュールだ。シュール過ぎる。


「何をしてるんだって聞いているんだっ!」


 オレが、もう一度……床に張り付いている『恐怖の軟体女』に言うと……。


「……狭いトコロが好き」


 お前は……ウナギか?ドジョウなのか?


「出ろ。お前がそこに居たら、オレが着替えられない」

「……ウム、理屈ではソウだろうネ」

「理屈が判るのなら、即、対処しろ」

「……イエッサー・サダヲゥ」


 すると……。

 ヒョヒョヒョヒョッっと……彼女は、そのまま立ち上がる。

まるでトランス・フォーマーの変形みたいな、気持ちの悪い動きだ。

サルッと起き上がった背の高い黒い肌の美女は……スポーツブラにパンティだけしか付けていない。

 黒人の美女に見えないこともないが……。

 髪の毛は、濃い紫……眼の色も紫。

この段階で、普通の人間じゃないって誰にでも判る。


「おい、ノラ……お前、『下着のままで居るのは止めろ』って何度言えば判るんだ?」


 オレが、そう言うと……。


「まだ『公務』の時間じゃないネ。シカモ、今朝は暑い」


 いや、暑いからって……狭いところへ潜り込んでたら、もっと暑いだろ?

 ……ああ、でも、判んねえな。

 ノラに、日本人の常識は通用しないから。


「もう、そろそろ時間だ……オレも着替えるから、ノラも着替えろ」

「ふむふむ……イエッサー」


 何が『ふむふむ』だ。

この軟体黒色美女は『南ペカペカ島王国・東京亡命政府』のエージェントだ。

その名も……ノラ・ブラック少尉。

ノラが、軍人らしくオレに敬礼する。

この娘の年齢は……よく判らん。多分、10代後半から20代前半なんだろうけれど。

黒い肌の示す通り、日本人じゃない……アフリカ沖の南洋の孤島にあった『もはや国土の存在しない失われた王国』から来たということになっている。

この娘は、顔付きは幼いんだが……とにかく、デカイ。

オレよりもずっと背が高い、実に190センチ近い長身だ。

それでいて、スラッと流れるようなラインの肉体をしている。

手足が長くて、腰がキュッとくびれている。だけど、胸は大きくないという……いわゆる、ファッションモデル体型だ。

 何でこんなデカくて、プロポーションの良い異国の女が……90センチ四方の床に、あんなに綺麗に折り畳まれていたのか……。

 ノラの異常な身体の柔らかさは……毎日、驚かされる。


「ワタシ……サダヲゥの着替えとか、手伝った方がイイカ?」


 紫色の大きな瞳が、ニタニタ笑いながら……オレを見下ろしている。

 うーん、昔のカルピスのマークを思い出させる微笑だ。

 何を考えているのか、全然判らない。


「それとも……サダヲゥのキンタマ触るか?触った方がイイカ?あるいは、舐めるか?」


 ……えーと。


「オレのことはいいから、さっさと自分の支度をしろ。もう『公務』の時間だぞ。服装で『協定違反』とかになるのは、アホらしいからな」

「……イエッサー・サダヲゥ」


 ノラは、ウンウンとうなずくと……オレ専用の『更衣室』から出てくれた。

背の高い褐色の肉体を揺らしながら、自分のロッカーへと向かう。

 ……はぁ。

 物判りが良いのか、悪いのか……。

 しかし……何でアイツはオレのことをいつも『サダヲゥ』と呼ぶんだ?

それも、よく判らん。

 ノラは……とにかく、何考えているのか理解できない。謎ばかりだ。

ホントのとこ……オレが喋っている日本語だって、ちゃんと理解しているのかどうか怪しいし。

今、何となくでも……あいつと意思の疎通が、できていることがすでに奇跡だと思う。

 あいつは……『南ペカペカ島王国』の王族だ。母国語は、神聖ペカペカ語だって言うし。何だそりゃ。

 神聖ペカペカ文字とか、神聖ペカペカ数学とか、神聖ペカペカ哲学というのもあるらしいが……オレの理解できる世界の話じゃねえ。。


「まあいいや……オレも着替えを急がねえと」


 『協定』の時間を過ぎたら……いつ『敵』の襲撃があるか判らない。

 その時に……ちゃんと『聖天童★貞王』の格好をしていないと、『協定違反』になる。

 『火星猫人』が襲っていいのは『聖天童★貞王』であり、日本国民の酒手祥二ではないからだ。

 『午前7時から午後5時』までが、『火星猫人』と日本政府が取り決めた『聖天童★貞王』の『公務時間』だ。

 日本政府……何で、『9時~5時』にしてくれなかった?

 まあ、『火星猫人』には8時間労働の概念は無いから仕方ねえんだろうけれど。

 おかげで、オレの賃金は……午前7時~9時が、早朝早出で時給1300円。9時以降が時給1150円ということになっている。

 もちろん支払いは、日本政府でなく『世田谷童貞保存会』だ。

 正直、もうちょっと時給を上げて欲しいと思っている。

 今は、6ヶ月ごとの契約更新になっているから……次に契約する時には、時給の50円増額を申し入れてみようと思っている。

 却下される可能性の方が高いけれど。

 ……はてさて。

 オレは『更衣室』に入って……ズシャッとカーテンを閉ざす。

 汗ですっかり湿ったTシャツとGパンを脱ぎ……。

 それからまず……下半身に『コッドピース・ユニット』を付ける。

 これは外部から、オレのキンタマに触れられないようにするガード・システムで……。

 見た目は『成人用おむつ』そっくりだ。

 でも、これを付けてないと……不意にキンタマが『火星発火イグニッション』しちまうかもしれないし。

 一度『コッドピース・ユニット』を付けたら、オレ自身にしか『火星発火イグニッション』はさせられなくなる。

 うん……『コッドピース・ユニット』よし!

指さし確認してから、突っ張り棒で吊してある……いつものコスチュームを取る。

 『聖天童★貞王』の『衣装』は……軍服だ。

 それも金モールの付いた、派手な『正装』だ。国家による祝賀パーティとかにも出られるような……詰め襟の。

 この季節には暑くて仕方がないが、我慢するしかない。

 20年前は……真夏に、10月以降に放映する回を収録してたから……。

 どんなに暑い現場でも、長袖の冬服だったしな。

 あの頃のことを考えたら……こんなの。

 『馬堀プロ』の頃によく仕事をもらったデパートの屋上ショーの仕事も……。

 炎天下にヒーローや怪人の着ぐるみを着て、跳び廻ってたわけだし。

 あれに比べりゃ、詰め襟の軍服なんて……。

 しっかし、この軍服も……何でも、こんな色なんだろう?

 ……エッグダックグリーン。

 牛乳にメロン・シロップを落とし込んだみたいな……微妙に淡い緑。

 ていうか、アレだ……ザク。ザクの頭の色だ。

 子供の頃、ザクのプラモを塗るのに買った模型塗料の色だったから、よく覚えている。

この色の名は……エッグダックグリーン。

そして、その変な色の軍服に……肩と胴回りに革のベルトを付ける。

 昔、俳優の仕事を始めたばかりの頃に、よく警察官のエキストラをしたけど……。

あの頃の警察官の制服には、こんなベルトとか付いてよなあ。

 しかし、ホント……オレがこの軍服を着ると『コスプレ』にしか見えないな。

 何で『聖天童★貞王』が、こんな格好しないといけないかというと……。

 『火星猫人』との『協定』では、『聖天童★貞王』は、現在は『南ペカペカ島王国』の近衛軍の少佐という『設定』になっているからだ。

 オレも詳細は知らないんだけれど……『日本国』と『南ペカペカ島王国・亡命東京政府』と『世田谷童貞保存会』と『白銀家族計画協会』の4者協議の結果……『火星猫人』には、そういう『設定』にして『通告』するべきだということになったらしい。

 いや、別に大尉でも大佐でも良かったらしいんだけれど……。

 『どうせなら少佐にしてくれ』と、オレが頼んだ。

 『演技』でも、『少佐』と呼ばれてみたかったし……。

 ……さて。

 軍服に着替えたら……。

今度は、顔の半分を覆い隠す大きなサングラスと……。

 鳥の巣のようなモアモアのアフロ・ヘアーのカツラを被る。

 うん、ますますイロモノ芸人のようになった。

 この2つのアイテムは、オレの方からお願いして……着けさせてもらっている。

 オレは……『聖天童★貞王』として、顔が世間に知られるのは困るんだ。

 『売れなかったアクション俳優』のオレだが……まだ役者を辞めたわけではない。

 『酒手祥二』の本名で……『売れる俳優』になるという夢は、まだ捨ててない。

 ……だから、顔バレは困る。

 日本政府も他の3団体も、『火星猫人』も……サングラスとアフロ・カツラに関しては、全く気にしていない。『お好きにどうぞ』だそうだ。

 特に『火星猫人』は……オレでなく『聖天童★貞王のキンタマ』にしか興味が無いわけだし……。


「……うっし」


 エッグダックグリーンの金モール軍服に、デカいサングラスに、アフロのカツラ。

正式の軍人と同じように『制帽も被った方が良いんじゃないか』とも考えたが……その辺は、敢えて無視することにした。

 オレは俳優で……これは『演技』でやっているんだ。ホントに変な王国の軍人になったわけじゃない。

 『聖天童★貞王』のキャラクターに関しては……演技者である、オレに自由に決める。

 だから……制帽は被らねえ。

学生時代も、オレは学帽は被らなかったし。髪型が崩れるからな。

 オレが決めたんだ……誰にも文句は言わせねえ。

 ていうか……。

 ホントに誰も……文句を言わねえけれど。

ゲンちゃんも、リッちゃんも、神酒も……もちろんノラも。

 実際、あいつらは……オレのことなんて興味は無いんだよな。

 『協定』さえ守られていれば、後はどうでも。


「酒手さーん、『協定』の時間に入ります!」


 ゲンちゃんが、運転席からオレに告げる。


「ああ……着替えは終わっているよっ!」


 うん、ギリギリ間に合った。まあ、毎日こんなもんだけど。


「じゃあ、車……出します!」

「どうぞ!」


 ドゥルルルルルっと……キャンピング・トレーラーのエンジンが始動する。

 エンジンも特殊なモノを使っているらしい。いわゆるガソリンエンジンとは、音と振動が違う。


「さあ……『仕事』の開始だ」


今からは『酒手祥二』でなく……『聖天童★貞王』だ。


「パパ、こっちこっち!!!」


 神酒がラウンジ・シートから……オレを呼ぶ。


「ああ、今行く」


 ラウンジシートには、リッちゃんもノラも来ていた。

 ノラも……オレと同じ、『南ペカペカ島王国』のエッグダックグリーンの軍服をまとっていた。

ちゃんと……制帽まで。

 彼女は、ホンモノの……近衛軍少尉だからな。

 そして、彼女の真っ黒な肌には……エッグダックグリーンが、よく似合っている。

 そうだよな。この肌の色に合わせて……軍服の色が決められているんだよな。

 それをオレみたいな黄色い肌の東洋人が着るから……下手な『コスプレ』になっちゃうわけで……。

 長身にビシッと軍服をまとったノラは……凛々しい。


「はい、パパの席は……神酒の隣ぃっ!」


 神酒は、自分の隣の座席をパンパンと叩くが……。

 オレは、わざと神酒との間に……空のシートを1つ作る。


「うー、またパパ、警戒してるぅぅ!」


 するよ……そりゃ!

 一歩間違えば、大惨事になるからな……オレのキンタマは。

 ま、すでに『コッドピース・ユニット』を付けているから、さっきほど注意する必要はないんだけれど。

 ……さて。

 動き出したトレーラーのラウンジ・シート。

 シートの前に天井から吊り下げられた大きな液晶モニターには……。

 すでに……あの映像が流されていた。


「ああ、32話だろ。これ」


 20年前にオレが出演した……子ども向けの特撮番組。

 ……『火星獣神 アカイ・ゲンカイオウ』。

 その32話の……戦闘シーンだ。


「イツモながら、良く判るネ?」


 ノラが、ヘラヘラ笑いながら……言う。


「そりゃ判るよ。だって、パパだもんっ……うっしっし!」


 オレは……この番組の全部の戦闘シーンのカットを覚えている。

 少ないスタッフで……それでも良い番組にしようと思って、みんなで一生懸命取り組んだものな。

 まだ新人のオレの意見も……目黒監督は聞いてくれたし。


「しかし、お前ら……毎日、こればっかり観ていて飽きないのか?」


 20年も前の低予算番組の……しかも、戦闘アクションシーンだけだぞ?

 こいつらは、ドラマ・パートは一切観ない。


「飽きません。『敵』の研究ですから」


 リッちゃんは……言う。


「そうだよ。パパもいっぱい映っているし!くししっ!」


 神酒も……。


「観れば観るほど、闘志が湧くネ」


 ノラは、そう言う。

 オレも……画面を観る。

 ネコの頭を模したマスクを被っている黄色いタイツの戦闘員たちと闘っているのは……。

 20年前のオレだ。

 ジーパンに革のロングブーツ、革のベストにドライビンググローブをハメて。

 ホント……ダッセェなあ。

 劇中でのオレの名は……『セイテンドウ・サダオ』。

 『火星猫人』によって……火星猫人の秘宝『ゴールデン・ボール《キンタマ》』を体内に埋め込まれた日本人青年。

 『ゴールデン・ボール《キンタマ》』を『火星発火イグニッション』させることによって……『火星獣神2号・黒いゲンカイオウ』に転身する。

 『火星獣神1号・白いゲンカイオウ』は……『ジロー』だ。


「おっ、パパ……今のキック、上手いねっ!」


 いや、足は高く上がっているけれど……タイミングがちょっと良くない。

 ああ、オレが蹴っているのは……タカギだな。

 ナカジマ、コバヤシ、スズキ、ナカノ……みんな戦闘員のマスクは被っていても、オレには背格好と動きで判る。

 あの頃は、毎日、やつらと一緒だったんだから。


「……ネコたち、今日こそは許さないヨ」


 ネコ頭戦闘員たちを観て、ノラが呟く。

 ……そうだ。

 かつて、オレが一緒にアクションシーンを作ったタカギたちは……。

 今は、オレたちの『敵』だ。


「観てみて、パパが『転身』するよっ!」


 ああ……画面の中のオレが、ポーズをキメる。


『……『火星発火イグニッション』!!!』


 そして、この番組で唯一のビデオ合成で……ビカッとオレの身体が光り輝き……。

 崖の上まで、光の玉がジャンプする。


『……黒いゲンカイオウ、推参ッッ!!!』


 『名乗り』のシーンで時代劇っぽく『推参』て叫ぶのは、オレが監督にお願いしてやらしてもらったんだけれど……。

 流行らなかったなぁ……。

 当時は……オレの『黒いゲンカイオウ』より、『ジロー』の『白いゲンカイオウ』の方が人気があったし。

 ていっても……平均視聴率、4.7パーセントの番組なんだから……。

 大した人気じゃないんだけれど。


『ゲンカイ・ボンバー・キック!!!』


 『黒いゲンカイオウ』が、ネコ頭戦闘員を蹴飛ばしていく。

 『転身』後の……この『ゲンカイオウ』のスーツを着ているのも、オレだ。

 主役のアクションができる人間がオレしかいなかったから。

 ホント……頑張ってんなあ。若かったなあ。

 こんなB級特撮番組でも……初めての『主演』だったもんなあ。

 正確には、『ジロー』の次の『2号ヒーロー』だけど。

 登場も11話からだし。

 でも、『ゲンカイオウ』というタイトルの番組の……オレが『ゲンカイオウ』だったんだ。

 これで、オレの芸能人生は開けると……思っていた。

 まさか、これが最初で最後の……テレビ『主演』になるとは……。


『……ゲンカイオウを、火星猫次元に引きずり込め!』


 ああ……『敵』の神官役の大和田喜男さんが、カメラに向かって叫ぶ。

 顔は白塗り、身体はペルシャ・ネコをイメージした……妙な衣装で。


「はい、もういいよねっ!次の話を観よっ!」


 神酒が……動画を止めた。

 ここから先は……『黒いゲンカイオウ』と着ぐるみの怪人だけの戦闘シーンだ。

 どっちも、日本人スタッフだけで撮影している。

 『火星猫人』たちは、関与していない……。


「そんじゃあ33話……いっくよーんっ!」


 こうして目的地へ着くまで……。

 20年前のオレと『火星猫人』たちとの戦いが延々と再生される。

 ……はぁぁ。

 これも『苦行』だと思って、オレは毎日堪えている……。



 えー、色んな意味で……済みません。

 もう1本、毎日更新をしている作品があるので……。

 こちらは多分、週一更新ぐらいになると思います。


 どんなことになるか判りませんが……完結を目指して頑張ります。

 よろしくお願いいたします。

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