第七話 再会
本日最初の投稿です。
ちょっと短めになっております。
《ダンピール》という種族がある。
人間と吸血鬼との生殖行為によって誕生する、人間と吸血鬼双方の特徴を受け継いだハーフのことだ。正確には男のハーフを《ダンピール》、女のハーフを《ダンピエーラ》と呼ぶのが一般的だったりする。
吸血鬼は吸血鬼同士の間に子を成すことはない。彼らにも人間と同様、ちゃんとした生殖機能があるにも関わらずだ。吸血鬼は《コミュニティ》を束ねる《新始祖》の血から生まれるか、あるいは人間への吸血行為による『人間の吸血鬼化』というやり方でしか、子孫を末代まで繋げることができない。
だが、奇妙な事に吸血鬼は人間との生殖行為の果てに、稀にではあるが子供が出来る事がある。
それが《ダンピール》という訳だ。
ただでさえその数が少ない《ダンピール》達だが、この《共栄圏》に限っては例外だ。人間と吸血鬼の融和政策が進めば自然と、吸血鬼だろうが人間であろうが、一部の者達は男女の関係になり、動物の本能に従って事に及び、子を腹に宿し、家族形態を構築する。そういうケースが出てくるのは、自然の成り行きとして当然である。
今、神山剣一は自宅近くの野球場に来ていた。それほど大きくない、少年野球チーム専用のその球場では試合が行われていた。
人間と吸血鬼の混成チームと《ダンピール》のチームの試合だ。観客席には空席が目立ってはいるが、端の方に保護者らしき人達が腰を下ろし、我が子達へ向かってやいのやいのと声援を送っている。
平和な光景だった。試合内容はフェア・プレーそのものだった。保護者の声援にも、相手をなじるようなヤジの類は無く、皆、心の底からこの試合を楽しんでいるように、剣一の目には写った。
「おろ?あんた、こんなところで何やってんだ?」
「え……?あ、この間の……」
振り返ると、いつぞやの男がいた。長谷川愛にプロポーズをした時に、隣の席でマヨネーズ入りのビーフカレーを食べていた、顔に傷のついた赤髪童顔の男だ。
あの時と同じように、やはり今日もダークスーツで全身を固めている。
よほど気に入っている一張羅なのか、それともただ単にファッションセンスを気にしない性格なのだろうか。あるいはその両方か。
「奇遇だなぁ。あんた、野球好きなの?」
「あ、ああ。いや、そういうわけじゃないんです。ただ、当てもなくふらふら歩いて、気がついたらここにいて……貴方は?」
「俺も同じだよ。やることがなくてふらふら歩いていたらここにたどり着いた。本当は知り合いに会いに行く予定だったんだがなぁ。『仕事が忙しいから後にしてくれ』って、突っ返されちまったよ。全くさ、女ってのは身勝手な生き物だよなぁ~。俺が言えた義理じゃねーけど」
そう言って男は笑った。
剣一は愛想笑いを浮かべ、辺りをキョロキョロ伺うと、
「そういえば、この間一緒にいた女性は?」
「二天王の事か?あいつは今頃ホテルのベットでグータラしてるだろうさ」
「いいんですか?」
「何が?」
「だって、彼女さんでしょ?一人にしてきてこんなところほっつき歩いていたら後で怒られません?」
「彼女……ぷふっ!」
男は手を口に当てると暫く苦笑し、やがてそれは爆笑の渦へと変わった。体を『く』の字に曲げ、腹を抱える。
「あ、あんた、生真面目そうな顔して、結構きつい冗談言うんだな。ええ?おい、爆笑がと、止まらねぇよ……」
「違うんですか?彼女さんじゃないと?」
「あたりめーだろう。あんた、あの女は『はちきん』だぜ?あんな女を彼女にしようとする男がいたら、そいつはとんだ天然記念物だな。ユネスコ登録一直線だ」
「ハ、ハチキンですか……?」
聞きなれない単語を受け、剣一が首を傾げた。
「高知県の言葉でな。女の癖にやたらに男勝りで勝気な性格の女を、そう呼ぶんだそうだ」
「そうなんですか」
「ああ、そうなんだよ」
カキンと、鋭く甲高い音が球場に響き渡った。その音に反応し、二人はバッターホームに目をやった。どうやら《ダンピール》側の四番バッターがバックスクリーンに向かって特大のホームランを放ったようだった。
保護者達の歓声が最高潮に達し、バッターは天高くガッツポーズを決めている。
対してピッチャーはがっくりと肩を落とし、そこにキャッチャーが駆け寄ってきた。肩に手をかけ、耳元で何かを囁いている。恐らくは『気にするな』とか、『こっから巻き返そうぜ』とか、そういうポジティブな言葉を並べているのだろう。ピッチャーは時折、頷いたり何かを口にしたそうに口元をもごもご動かしている。
「でも、意外ですよ」
「何が?」
「お二人の関係性です。傍から見ていた限りだとすごく仲がよろしく見えたものですから、てっきり付き合ってるものだと勘違いしちゃいましたよ」
「へぇ、あんたにはそう見えたのか」
「気を置けない関係、とでも言うんでしょうか。そんな感じでしたよ」
「まぁ、何だかんだ言いつつ、仕事上のパートナーだからな。腐れ縁ってやつだよ」
「ああ、仕事仲間だったんですか。差し支えなければご職業を伺っても宜しいですか?」
「ん?ああ、只のサラリーマンだよ」
ほんの僅かの間があって、男が淡々(たんたん)とした口調でそう答えた。
「そうでしたかぁ。じゃあ私にしてみれば社会人の『先輩』になるわけですね」
「何?」
「いやぁ、実は私も、ついこの前就職しましてね。簡単な清掃業のはずなんですが、これが意外と大変で。間違って『お疲れ様です』っていう所を『ご苦労様です』なんて言っちゃったりして。あ、でも仕事は結構楽しいですよ?やりがいもあるし。まぁ給料は大して貰って無いですが……」
「まぁ、俺も会社勤めだから分かるよ。でも、きっとそのうち慣れるさ。俺もそうだったからなぁ」
「働くって、言葉にするのは簡単ですけど、実際やるとなると結構難しいもんですよ。いや、人間という生き物は本当に凄い」
「…………その口ぶりから察するに、あんた、吸血鬼なのか?」
「ええ」
「そうか。なら慣れるのに時間がかかるのも無理ないな」
あっさりと吸血鬼である事をカミングアウトする剣一に対して、カカッと、男は快活な笑い声を上げる。
ここは《共栄圏》。人間と吸血鬼の共存を目的とした都市。それ故に、吸血鬼自らが自身の出自を明らかにしたところで、狼狽する人間は一人もいない。《共栄圏》に住むという事、イコール、隣人が吸血鬼だなんて話はありすぎるほどよくある話なので、自然と吸血鬼という存在に慣れてしまう。
しかしこれが《圏外》――即ち日本列島本土で見た場合は、そうとは限らない。
《共栄圏》に住む人間はその大部分が吸血鬼達に対して友愛の意志を示す一方、《圏外》では未だに吸血鬼への恐怖、戦慄、憎悪を抱いている者が多かった。
だがそれも、致し方ない事なのかもしれない。現在に至っても人間に危害を加えることを止めない凶悪な《コミュニティ》が幾つも存在し、実際にそういう輩は人類へ直接的な被害を与えている。そうであるが故に、《圏外》の人間達が吸血鬼達に対して敵意を剥き出しにするのは当然の事だった。彼らの器量が狭い訳では決して無かった。
2020年現在、吸血鬼の生活形態は大きく三つに分けられている。
一つ目は当然、《コミュニティ》が獲得している自治領内での生活。
二つ目は《共栄圏》での生活。
そして三つ目が、一般的な人間社会での生活である。
この中で、今問題となっているのは三つ目の生活形態であった。
即ち、何らかの理由で《コミュニティ》を追い出され、《共栄圏》にも受け入れて貰えない吸血鬼が最後に取る手段。
この生活形態は人間と吸血鬼との間に深刻な摩擦を産むのに十分だった。
人間から迫害を受け、定住先を見つけられない者。人間のフリをして何とか社会に溶け込もうとする者。内なる殺意を止めることが出来ずに人間を襲う者。人間社会にいながら人間とは距離を取り、サンカのような独自の移動生活様式を確立した者。
人間社会での身の振り方を考える吸血鬼達は工夫を凝らし、如何にして自らを生き易い世界に落とすかを考え続けている。
吸血鬼達にとっては幸いな事に、彼等の平素の姿は人間となんら変わりがない。しかし、激しい興奮を覚えた時に瞳が赤光したり、犬歯が異様な程に太く鋭く変異する等、緊急時には幾らかの外見的特徴が見え隠れしてしまう。
《圏外》に生きる吸血鬼達がまず一番最初に学ばなければならない事は、己の感情の制御だった。
「でも、吸血鬼なら別に働く必要なんて無いだろ?《国際白十字機構》から運ばれてくる《ルージュ・ボトル》を飲んでりゃ生きられるんだし」
「その辺は、結構色々事情があるんですよ……」
「ふうん。しかし、吸血鬼が人間社会で仕事をするとなると、これは中々大変だろうよ」
男は、何処か同調するような口ぶりでそう言った。
「吸血鬼はその多くが世界各国に自治領を有し、日がな一日労働もせずに、のんびり毎日を過ごしている奴が大半だ。中には人間の真似事か何なのか知らんが、農耕や機械産業を独自に生み出している奴らもいる。最近じゃあ、《新始祖》をトップに据えた独裁体制が普通なのに、民主主義を取り入れている《コミュニティ》なんかもあるしな」
「そうみたいですね」
「まぁそれでも、吸血鬼と人間じゃあ、根本的な考え方が違うんだ。いくら人間の真似事をしても、根っ子の部分で人間と同じ価値観が身につくわけじゃない。人間社会に出てからだと、そこらへんの違いがはっきりしてくる。価値観の違いってのは中々辛いものだよ。あんたは茨の道を選んだという訳だ」
「茨……ですか」
「しかし吸血鬼ってのは逞しい生き物だよなぁ。あんな岩山だらけ、密林だらけの世界で、なんの不自由もなく生きられるんだから。あんな場所で何十年、何百年も時を過ごすなんて、俺には無理だな」
「はぁ……」
まるで、実際に自治領に赴いて見聞きしてきたかのような言い方だ。剣一にはそれが少々引っかかった。
何の資格も持たない、只の人間が簡単に立ち入り出来るほど、自治領はオープンな場所ではない。