第四話 疵面男とミニスカ女
主人公登場回です。
それではお楽しみ下さい。
頭を下げ、礼儀正しく、改まった静かな口調での突然のプロポーズ。
周りの客たちはそれぞれの会話と食事に夢中なためか、この二人のやり取りには気がついていないようだ。
剣一と愛の二人が座っている、窓際付近のテーブル席。そこだけが、まるで空間から切り離されたかのようだ。空気が、独立している。
暫くの間があって、愛が口を開いた。
「あー……」
剣一は愛の反応を見て訝しんだ。
おかしい。
なんで素直に喜んでくれないのだろうかと。
剣一はこう考えていた。つまり、自分と彼女は交際しているわけだから、そこから更に次のステップ、すなわち結婚を意識するのは当然の事であると。少なくとも
自分はその心構えでいたし、彼女もきっとそうなのだろうと思い込んでいた。
だから、自分が結婚を申し出れば、愛は喜んでそれを承諾してくれるはずだと確信していた。なんなら、今この場で熱い抱擁とキスを交わし、「自分達は今とても幸せですよ!」と、声を大にして叫んでも良い。
そんな気分だったのだ。
少なくとも、剣一は。
愛は、その小さな口をもごもごと動かし、何かを言いよどんでいるようだった。忙しなく視線をあちこちに動かしている。
「ごめん!あたし、ちょっとトイレ行ってくるね」
そういうと、愛は髪をかきあげてハンドバッグを手に取ると、小走りで店内の奥へ消えていった。
まるで、剣一から逃げるかの様に。
「……あれ?」
思ってたのと、違う。
どうしてだ?なんで?なんで喜んでくれなかったんだ?
自分は何かヘマをやらかしてしまったのか?シチュエーションがまずかったのだろうか。見栄を張ってでも良いから、もっと夜景の綺麗なレストランを選べば良かったのだろうか。分からない。
もしかしてあれか?プレゼントを渡せば良かったのだろうか?
でも何をプレゼントすればいいんだ?
結婚指輪か?
ああ、それだ。糞。俺としたことが、失敗した。
剣一は愛が見せた予想外の反応に困惑し、頭を抱えた。
「(どうしよう……フラレたらどうしよう……)」
剣一の脳内はそれで一杯だった。こんな事になるんならもっと事前準備をしっかりしておくべきだった。
いや、そもそもプロポーズする時期が早かったのだろうか。
就職先が決まり、これで愛を養っていけるぞと、妙にハイテンションな気分でいたことが、彼の判断能力を鈍らせていた。もっと冷静になるべきだったのだ。
剣一は、プロポーズした事を激しく後悔した。
愛の見せた微妙な反応は、彼を不安という名の沼に突き落とすには十分な程の威力を持っていた。
「だからさぁぁぁぁ~~~~。この前も言ったじゃねーか!なんでカレーライスに福神漬けなんだよぉぉぉぉ~~~!」
不意に、通路を挟んで隣のテーブル席から、男のイラついだ声が聞こえてきた。
その声がやたらと耳に響いたものだから、剣一は視線だけを動かして、思わず相手の様子を伺ってしまった。
男は若かった。黒いスーツ姿に覆われた細い体躯や顔つきからして、年の頃は十八歳くらいであろうか。
紅蓮の如き紅い髪が人目を引き付け、額と左頬に痛々しい刀創が刻まれている。
男は、何か気に食わない事でもあったのだろうか。眉根に皺を寄せて眼光鋭く、向かいの席に座っている少女に対してやたらと攻撃的な態度を取っている。
見ると、両者のテーブルには熱々のビーフカレーが用意されていた。
ビーフカレー。この喫茶店イチオシのランチ・メニューだ。
「この前も言ったけどよぉ、福神漬けのせいで白米が紅く汚染されるのが俺はいっちばん嫌いなんだよ。なんだってそんな食い方をするかねぇ」
「あぁ?何だよ、あたしの食い方にケチつけるってのかよ」
黒髪ロングストレートの少女はビーフカレーを食べながら、上目気味に男を睨みつけた。
男の服装に比べて、その少女の服装は一風変わっていた。
目鼻立ちの整った、その華奢な体つきの美少女が着こなしているのはセーラー服の改造特注品だった。胸元にあしらわれた淡いピンクのスカーフがアクセントになっており、赤と緑と白のチェック柄が入ったミニスカートから覗く白い太腿が、健康的な色気を放っている。
両手には青い指ぬきグローブ、足には黒革のエンジニア・ブーツを装着している。
現代社会では珍しい奇抜なファッションスタイルであるが、少女の顔立ちが整っているのも相まって、何とも言えない独特の雰囲気を醸し出している。
男の言い分に腹が立ったのだろう。少女はテーブルの下で組んだ両足を忙しない様子でプラプラさせながら、唇を尖らせて反論する。下手をしたらパンツが見えそうだった。
「だったら言わしてもらうけどさぁ、あたしからしてみればあんたのその食い方の方が汚いと思うけどね」
「なんでだよ」
「なんでだよって……あのねぇ、こんなに美味い極上のビーフカレーにわざわざマヨネーズかけて台無しにするバカがいるかってのっ!」
剣一は、少女の乱暴な言葉使いに若干ビビリながらも、気になって男の方に視線をやった。
少女の言葉の通り、確かに男の食べているビーフカレーの上には大量のマヨネーズがトッピングされていた。褐色のカレールーと白いマヨネーズが混じり合い、何とも言えない複雑怪奇な色に変色した料理がそこにあった。
「てめぇ、マヨネーズのコクとまろやかさを馬鹿にしてんの?かわいそーになぁ、かわいそーに。カレーとマヨネーズの黄金タッグを理解出来んとはなぁ。己のバカ舌をせいぜい呪うんだな」
「けっ!理解したくないねそんなの。大体ねぇ黄泉平、言わせてもらうけどあんたの味覚の方がよっぽどバカなんだよ」
「なぁにぃ?」
心外だと言わんばかりに、黄泉平と呼ばれた男がガンを飛ばす。
だが少女は怯むどころか、舌鋒鋭く噛みついてきた。
「だってそうじゃない。この前も、桜子の作った料理を旨い旨いって言いながら食ってたの、あんただけだったしな。課長や他のみんなは、箸でちょっとつついただけでトイレに駆け込む程だったのにさ」
「馬鹿、あれは絶品だったぞ。やはりあいつは料理の才能があるな」
「課長はあの飯を食って高熱にうなされ、三日間入院した」
「でも俺は平気だったんだ。俺が良ければ全て良し、だ。それにあれを食ってから、お肌がツヤツヤ、血液もサラサラになった」
そこで初めて、少女が驚きと期待の入り混じった顔で、身を乗り出してきた。
「そ、それ、ホントか!?病院行って調べたのか!?それだったらあたしも……」
「はぁ?んなわけねーだろ。そんな気がしたってだけだよ」
「チッ……なんだよ期待させといて」
頬杖を付いて、少女は舌打ちする。
「しかしあれは本当に美味だったな。また機会があったら食いてぇもんだ」
「グレープジュース1リットル、カブトムシの幼虫、ドブネズミの骨、ヤンバルクイナの嘴を隠し味に入れる奴の料理食って無事とか……全く信じられねぇ馬鹿胃袋だな」
「あの嘴、結構上手かったぞ。マヨネーズとの相性が抜群だった」
「死ぬほどどうでもいい情報をありがと。でもこれだけは言わせろ。カレーにマヨネーズぶっかけるのはやめろよな」
「あのなぁ。どういう食い方をしようが俺の勝手だろ?」
「少なくともあたしは嫌なんだよ!」
「……分かった」
何かを決心したかのように、黄泉平はスプーンを置いた。
「二天王、お前がそこまで俺の味覚を馬鹿にするならしょうがない。俺の正しさを証明するためにも、ここで多数決を取ろうと思う」
「は?」
「日本は民主主義の国だ。資本主義国家だ。故に多数決が尊重される。だから、この喫茶店の客たちにアンケートを取って俺の正しさを証明してやる」
「……あんた、突然何わけわかんないこと言ってんだ?ついに寄生虫に脳味噌齧り尽くされちゃった訳?」
「何とでも言え。だが止めるなよ二天王。俺は本気だ。ふふん、ついに俺の味覚の正しさが今日、この時、証明される訳だ」
「止めねーし。てか、他人の振りするからどうでもいい」
黄泉平の突然の提案に対し、呆れたと言わんばかりに肩を落とすと、二天王と呼ばれたスケバン少女は食事を再開した。そんな少女の仕草には一瞥もくれず、「さてまずは誰に聞こうかな」と、黄泉平は適当に辺りを見渡し――
「おい、ちょっと」
誰かに声をかけた。
「ちょっと!無視すんなってっ!」
誰に声をかけているのか。
「おい!あんただよ!そこでシケたツラしてるあんた!」
「………………え?あ、私……ですか?」
まさか、自分に声を掛けているとは思わなかったのか。剣一はビクッと肩を震わせると、恐る恐るといった具合に、黄泉平に視線を合わせる。黄泉平は既にソファの端まで移動して剣一に接近すると、馴れ馴れしく絡んできた。
「そうそうあんただよ。なぁ、さっきの会話聞いてただろ?」
「な、なんの事ですか?」
面倒事に巻き込まれたくないのか、剣一は苦笑いを浮かべつつも、素知らぬ振りをする。
が、黄泉平は『そんな見え見えの演技はよせ』と言わんばかりにケラケラ笑うと、
「とぼけないでくれよ。あんた、さっきからこっちをチラチラ伺ってたろ?」
「う……」
図星を突かれ、剣一は閉口する。
「どうなんだよ」
「……す、すいません。盗み聞きするつもりはなかったんですけど」
「おーし!だったら話しは早いな。な、あんたなら分かるだろ?カレーにマヨネーズかけて食うよな?な?な?なぁなぁなぁ!」
ここまできたらもはや脅しだ。『カレーにマヨネーズぶっかけるの、好きですって言え!』と、強要されているようなものだ。
しきりに顔を寄せ、質問攻めをやめない黄泉平。
だが突如として、彼のズボンから軽快な着信音が流れた所で会話は一時中断される。
「おっと、すまない電話だ」
黄泉平は剣一から離れると、携帯を片手に持って耳に近付ける。面倒な客に絡まれたものだと、己の運のなさを剣一は嘆いた。
「はい、もしもし……おおっ!先生!丁度良かった。実は今から先生の所に行こうと思ってたんだよ。え?いやぁ何、有給を取ったからついでにと思ってな――え?今日は無理?なんで?仕事?そんなに忙しいのか?」
黄泉平の口調に、困惑の色が見て取れる。
「いや、ちょっとそれは困るよ。あんたに一目でいいから会って話がしたいって奴がいるんだ……うん、うん、そうか。じゃあ明日は……?え、駄目なの?マジかよぉ。いや、それはちょっとまいったな。何のために《共栄圏》に来たのかわからねぇよこれじゃ……え、それホントかよぉ」
頭を掻きながら、黄泉平の視線がチラチラと、二天王と名乗る少女へと向けられる。
彼女はというと、連れの事などお構いなしに、黙々とビーフ・カレーを口に運び続けていた。
時折、はらりと落ちる前髪を耳にかける仕草が美しい。見た目からは想像できないが、彼女の食事作法は礼儀正しかった。
「なぁ頼むよ先生。こちとら七日も有給とったんだぞ。うん……そうだ。どうしても会いたいっていうから連れてきたんだ……うん、うん、分かった。何とか頼むよ。突然こんな頼み事して悪いんだけど……うん、うん、分かった。あいよ、それじゃあ」
電話を終えると黄泉平は携帯電話のフラップを閉じ、力無く肩を落とす。何か言いにくそうな微妙な表情で首の後ろを掻いていたが、恐る恐るといった具合に口をもぞもぞと動かした。
「あ、あのよぉ二天王」
「ん……何?どうしたのさ。唯でさえ人相悪いのに、青ざめちゃって余計酷いことになってるわよ」
口に含んだカレーを飲み込むと手元のナプキンで口下を拭いつつ、二天王が辛辣な台詞を口にする。
「俺の顔がヤクザ顔だとかそういうのはどうでもいい。先生の事だ」
「先生?」
「お前が会いたがってたメアリー・フランケンシュタインの事だよ。今電話がかかって来たんだが、仕事が忙しいとかで今日は会えないんだそうだ」
「はいっ!?」
「ちなみに明日も無理なんだそうだ」
「……」
「というか、明々後日も、その次の日も、その次の日もその次の日も駄目なんだとよ」
「……信じらんない」
「ホントだよ。折角わざわざ本土から鉄橋渡って遥々《共栄圏》に来たってのになぁ」
「そうじゃねーよっ!」
二天王はテーブルを勢い良く叩くと椅子から立ち上がり、黄泉平に詰め寄った。
「話が違うじゃねぇか!あんたが『先生はきっとヒマしてるからいつ行ってもすぐに会える』とか抜かすからホイホイついてきたんだぜ?それが何?今更になって『会えません』はねーだろ!大体あんたはいつもだなぁ……」
まるで機関銃の如く、身振り手振りを交えて二天王が文句をぶっぱなす。
いつもなら負けじと黄泉平もこれに言い返すのが通例だが、今回ばかりは向こうの事情を勝手に決めつけ、勝手に約束を取り付けた自分のミスなので言い逃れが出来無い。
平身低頭。今の黄泉平にはそれしか策がない。
「なぁにぃ?痴話喧嘩?」「迷惑だから外でやって欲しいよねぇ」「あの女の子、ちょっと可笑しな格好してるね」「でも中々の美少女だなぁ」「うわ、見ろよあの赤い髪の男」「こわーい。顔が傷だらけじゃない」「ヤクザだろあれ」「どこの組だよ」「ヤクザよヤクザ。きっとあの女の子にイチャモンつけたのよ」「こえー。ポケットに拳銃隠し持ってるんじゃねーの?」「ママー、なんであの人あんなに目がギラギラしてるのー?」「見ちゃいけません!取って喰われちゃうわよ!」
周囲の客やウェイター達が突如として始まった二人の言い合いに気を取られ、視線を此方に向けてやいのやいのと囃し立てる。
「(誰がヤクザだ!俺はれっきとしたサラリーマンだっての!)」
もう小っ恥ずかしさで、黄泉平は穴があったら入りたい気分になった。
このままではまずいと思い、取り敢えずこの場は謝ろうと、黄泉平は両手を顔の前で合わせて謝罪の言葉を口にした。
「わ、悪い。こればっかりは俺の確認ミスで……」
「ふぅん。ここに及んで言い訳ときたか」
「ただ!ただな?有給最終日の夕方なら、時間が空くかもしれないって言ってんだよ。その時になら会えるかもしれないんだよぉおおおお!」
「むぅ……かもしれない、のか?」
「うっ……」
「どうなんですかぁああ~~~~?」
「ふ、ふぎゅう……」
ジト目を向ける二天王に対し、言葉が詰まりしどろもどろの黄泉平。
暫くその状態が続いていたが、やがて、二天王がフイと顔を逸らして身支度を始めた。
「仕方ねぇな、分かったよ。今日は会えないってんなら、とりあえずホテルに帰還するほかないね」
「そ、そうだな」
「なら、あたしもう食い終わったから、さっさと会計済まして帰るぞ」
「あ、あの……俺、まだカレー食いかけ……」
「あ?何?何か言った?」
ギロリと、睨み一閃。
「いえ、何も」
「それでよろしい」
コートとカバンを手にとった二天王は、その足で会計を済まそうとレジへ向かう。
だが、途中で思い出したかのように歩みを止めると、黄泉平の手を掴んで剣一の所まで舞い戻って、彼女は頭を下げて連れの非を詫びたではないか。
「どうも、さっきはこの馬鹿がご迷惑をお掛けしました。ほら!頭下げろよ!」
「俺、馬鹿じゃねーし」
「いいから!」
「うう……」
まるで悪さをした子供をご近所の方々に謝らせる母親のようだ。
ギュムッと黄泉平の赤髪を小さな手で押さえつけると、無理やり腰を折らせてお辞儀をさせる。
その様子を見て、何だか黄泉平が可哀想な気持ちになった剣一は「別に気にしてないからいいですよ」と言うより他なかった。
当の黄泉平と言えば、レジで会計を済ませる時も「俺は馬鹿じゃないぞ。ただちょっと抜けてる所があるだけだ」と意見していたが、もはや相手にはされていなかった。
長谷川愛がトイレから戻ってきたのは、二人が喫茶店を出てから数分後の事だった。