第十三話 魔技、炸裂
本日の投稿です
やっとこさ、十二話にしてまともな戦闘が始まりました。
「誰?」
メアリーがはっとして振り返ったのとほぼ同時、何者かの手によって診察室のドアが乱暴に破壊された。
その瞬間、異常事態発生を知らせる警報が、院内にけたたましく鳴り響いた。
侵入者の正体は不明であった。姿は人の形をしているが、闇夜に輝く赤い瞳は、どう考えても人間のそれではない。
赤い目という身体的特徴。それはつまり、襲撃者の正体が吸血鬼であることを予感させる。
しかし、吸血鬼にしては余りにも、佇まいが異様であった。
侵入者は、己の口下から止めどなく溢れ出る粘り気ある唾液を拭う素振りも見せず、にたり、と、不気味に広角を上げるのみである。
続いて、暗黒の口腔から漂う吐息が、猛烈な臭気を伴って室内に充満する。鼻がひん曲がるほどの強烈な悪臭が、メアリーの鼻先を掠めた。
その瞬間、
「――!?」
ぐらりと、メアリーの肢体が右によろけた。
予期せぬ感覚に襲われた為だろうか。苦渋に満ちた表情を浮かべ、片膝をつく。
「(しまった――!)」
酩酊作用を促すパラライズ・ガスか――
気がついた時には、すでに元いた場所に侵入者の姿はなかった。
闇が歪む。
メアリーは、ハッとして天井付近を見上げた。侵入者はそこにいた。まるで、野山を駆ける猿の如き恐るべき跳躍力を以て、今まさに、メアリーに飛び掛らんとしているではないか。
月光に照らされた侵入者の右手に、光るモノがあった。
爪だ。鋼鉄製の巨爪である。
それが、メアリーの頭蓋を叩き割らんと、勢い良く振り下ろされる。喰らったら、三途の川を渡るのは確実だ。
「ちぃ!」
ここで安々と命を獲られる訳にはいかない。仮にもフランケンシュタイン家の血を引いているのだ。そのプライドに賭けても、一矢報いなければ気が済まない。
右手に持っていたマグカップを思い切り侵入者に向かって投げつける。
熱いコーヒーが飛び散った。
鋼鉄の爪がそれを弾いている隙に、メアリーは素早く白衣のポケットに左手を突っ込むと、そこから、銀メッキ製の手術用メスを手に取った。逆手に構え、襲い来る鋼爪を受け止める。
武具と武具、金属と金属、意地と殺意。
それら様々な概念が渾然一体と成って、激しい衝撃音が室内に散蒔かれる。
時折、火花が散り、灯りの落とされた部屋で、死の気配が踊り狂う。
「いつまでも……くっついてんじゃないよ!」
怒声を眼前の紅眼に浴びせたメアリーの右腕が振るわれ、鋭く空間を裂いた。
「ギャキャ!?」
そこで初めて、侵入者が声を発した。この世のものとは思えない、悲痛な、しかしおぞましい呻き声であった。
鮮血が、侵入者の眼球から飛沫を上げて飛び散り、天井に紫色の血化粧を施す。
堪らず、メアリーから距離を取る侵入者。
メアリーは立ち上がると、手早く窓を開け放った。途端に、充満していた神経麻痺を促すガスが徐々にその濃度を薄くしていく。
代わりに、肌を刺すような冷たい外気が、両者の空間を犯し始めた。
見ると、彼女の右手には何時の間にか、もう一本のメスが握られていた。
その切先が紫色に染まっている。吸血鬼の体液でない事は確かだ。
「銀メッキのメスが効いたってことは、あんた、吸血鬼?でも紫色の血を宿す吸血鬼なんて聞いたことないわ。答えなさい。貴方、一体何者?」
「ギギ……」
「ぎぎ、じゃ分かんないわ。ちゃあんと舌と口を動かして、何とか言ってみなさいな」
「……ギャッ!ギャッ!」
「全く……呆れたわね」
意志の疎通はままならなかった。
メアリーは険しい表情を崩さない。
腰を深く落とし、右足を前に擦り出した。白衣に包まれた細い両腕をクロスさせ、臨戦態勢に入る。
とても精神科医とは思えぬ気迫だ。彼女の体に流れるフランケンシュタインの一族としての矜持が、それを可能にしているのだろうか。
「まぁいいわ。あんたが誰だろうが知ったこっちゃない。あたしの仕事場を荒らしてくれた手前、生きては帰さないから」
言うなり、駆け出した。
侵入者も、メアリーが渾身の一撃を繰り出す気配を感じ取ったのだろう。身体を硬直させ、襲撃に備える。
しかし、夜眼が効かないこの状況で、窮地を脱するのは至難の業だ。
それを証明するかのように、侵入者は己の武器である両手から生えた巨爪を、どちらに向けて良いべきか判断がつかないでいる。
そうこうしているうちに、メアリーが地面を蹴った。
正面を突っ切ると見せて左に重心を偏らせ、跳躍を決める。
空中で姿勢を整え、白い壁をハイヒールを履いた左足で掴み、反動をつけてまた跳んだ。
勢いをつけ、侵入者への突進を敢行する。
彼女の狙いは一点。つまり、敵の右即頭部に絞られた。
空中で攻撃の姿勢をとる。
メアリーの左腕が旋回する。
空気が震える。
辺りに飛び散るは紫の血。
再び、闇が歪む。
「~~~~~~~~~ッ!!」
侵入者が声にならない悲鳴を上げた。メアリーの一撃が、彼女の手に握られたメスが、侵入者の右側頭部を抉りとったのだ。
生物殺しの解剖術――またの名を《バイオ・キャンセラー》――フランケンシュタイン家に脈々と伝わる、異形を《狩る》為の必殺の魔技。
それが今、この《共栄圏第一区》で炸裂したのである。
勝負は決したかに見えた。しかしメアリーは「ふん」と、不満げに鼻息を鳴らすと、手首を返した。血肉のひしゃげる音が小さく響く。
白衣の裾で、違和感の残る己の頬を拭った。
真っ暗で分からないが、返り血がべっとり付着しているのは間違いなかった。
「浅かったか……勘の良い奴ね。メスの先端が当たる寸前に上体を反らすなんて」
「ギ、ギギギ……」
不気味なうめき声が、メアリーの鼓膜を刺激する。
侵入者は右側頭部に5センチ強の穴を穿たれても、まだ意識を保っていた。
しかし、もはや闘う力を残してはいない。闇に紛れて表情は伺えないが、その顔は恐らく、必死の形相に満ち満ちているであろう。
「(致命傷じゃないとはいえ、随分と効いてるみたいね)」
ふっと、肩の力を抜くメアリー。
そこで僅かでも油断を見せたのが失敗だった。
緊張の緩みから来る筋肉の弛緩を、僅かな気配で感じ取ったのだろうか。侵入者は咄嗟に足腰に力を込め、飛び上がった。
メアリーの頭上を越え、開け放たれた窓へと全速力で向かう。
どうやら敵わないと悟ったのか、逃げる算段をつけたようだ。
「させないわよっ!」
追い込みをかけるメアリー。美しいフォームで両腕を軽やかに振り、メスをスローイング。
闇を切り裂く銀の刃が、侵入者の背肉に鋭くめり込む。体液が飛び散る。
しかし、それでも敵は逃走を止めない。間違いなく効いているはずなのにも関わらずだ。
侵入者は足をもつれさせ、死に物狂いで冊子に手を掛けると、転がり落ちるように地面へ落下していく。
「ちょっと!待ちなさいよ!」
メアリーは驚いた様子で慌てて窓に駆け寄ると、窓から階下を覗いた。侵入者の姿を捉えようと忙しなく目線を移動させるが、周囲の闇が濃すぎて判別がつかない。
しかし、両目を潰され、側頭部は抉られ、背中に深手を負っているのだ。
そう遠くまでは逃げられない筈だ。
「先生!何事ですか!?」
背後から、若い看護師の声が聞こえた。
異常事態発生のサイレンを聞いて駆けつけてきてくれたのだろう。運悪く室内に残る血痕や肉片を目の当たりにし、看護師の血の気が引いていく。
メアリーは振り返ると、呆然と立ち尽くす彼女に向かって声を張り上げた。
「急いで警察――いや、《鬼縛連隊》の《第一本庁舎》に連絡を!早く!侵入者よ!今、この窓を飛び越えて下に逃げたの。今ならまだ間に合うわ!」
「わ、分かりました!」
何が起こったのかイマイチ状況が掴めていない看護師であったが、メアリーの迫力に気圧されると、脱兎の如く階下へ駆け出していった。
――直後、耳をつんざくような轟音。
メアリーは嫌な予感を感じずにはいられなかった。
再び窓から首だけを出し、下を見る。
そこに広がっていたのは、
「ば、爆発!?」
まるで、静寂に閉ざされた闇に一石を投じるかの如く、煌々と紅蓮の火柱が、100メートル下のコンクリートから立ち昇っていた。
炎は建物の壁を這いずる様に広がっていき、耐火性十分な白く塗装された壁に複雑な黒色を刻んでいく。
爆音の大きさに比べるとそれほど規模の大きなモノではないが、それでも、闇夜を照らすには十分過ぎる程の熱量だ。
「自爆したっていうの……?」
メアリーが不意に発したその言葉は、誰に聞かれることも無く、夜風に乗って高層ビル群の谷間に吸い込まれていった。
5/12
文章を一部訂正しました。襲撃者の眼の色は全て赤色に統一しました。