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デッドアライズ・イリュージョン  作者: 浦切三語
Chapter.1 Knight of the Living Dead
12/62

第十話 本音と建前

本日最後の投稿です。


ちょろっと剣一君と蛮還が漫才地味たことをしております。

 河川沿いに道を歩き、やがて人混み入り混じる繁華街へ入る。

 人混みに溢れた雑踏の中を抜けてゴルフ場を通り過ぎ、歩道を暫く歩いた所で閑散(かんさん)とした住宅街が姿を現した。


《共栄圏第二地区》の中でも、中流から上流家庭の人間達が住む集合住宅街。


 通称、パステルハウスヒルと呼ばれるこの一画に、長谷川愛の自宅はあった。


「なんだ、目がチカチカしてらぁ。ちょっと色使いが派手すぎるんじゃないか?」


 神山剣一(かみやまけんいち)の後ろについて歩く黄泉平蛮還(よみひらばんかん)が、瞼をパチパチ動かしては、周囲の一軒家に目をやった。


 パステルハウス・ヒルは、名前に『パステル』というワードが入っているだけあって、どの住宅も外壁が鮮やかな彩色で彩られていた。

 仮に雨が降った後、ここら一帯に虹の橋が架かればさぞかし絵になるだろう。ふと、そんな感想が蛮還(ばんかん)の口から溢れる。


「フランスの印象派の画家達が見たら、こぞって戸外制作に打ち込みそうな場所だな」

「ここらは僕の住んでいる所よりちょっと離れてるんですが、景色がいいから良く散歩に来るんですよ。ほら、あそこに丘があるでしょう?」


 そう言って剣一の指差した前方に、小高い丘が見えた。低い草木が茂っている脇に、一本だけ大きな楓の樹木があった。


「ああ、ここからでもよく見える」

「あの丘に登って見る風景は圧巻ですよ。赤や青や緑に黄色。様々なカラーの住宅街が一望出来てね。晴れた日になんかは、東京湾も見えたりして、もう最高なんですよ」

「なるほど。そりゃあ一度見てみたいな。でも――」


 剣一の細い方に、ポンと手をかける。


「今は神山さん、あんたの彼女さんの家に行く方が先だ」

「あ、あのう」


 剣一は肩に置かれた手を振り払おうともせず、苦笑いを浮かべて蛮還の方へ首だけを動かした。


「やっぱり、どうしても行かなきゃ駄目ですか?」

「うん」

「どうしても?」

「うん」

「……ど~~~しても?」

「う~~~~~ん。どうしても」

「ま、まいったな」

「ここまで来て帰るのかい?神山さん」


 いや、そもそも行こうと提案したのはアンタじゃないか。

 そう胸中で文句を吐く。対する蛮還は、この状況を面白がっているのだろう。傷だらけの顔に満面の笑みを浮かべていた。童顔なのも相まって、まるで悪戯を楽しむ子供のように見える。


「……分かりましたよ」


 剣一は溜息を一つ付くと、決意の表情を見せる。


「私も男だ。ここまで来て引き下がれませんからね。さ、行きましょうか。彼女の自宅は、もう目と鼻の先だ」











 なるほど剣一の言葉通り、確かに長谷川愛の自宅は直ぐに見つかった。

 淡いグリーンのパステルカラーで塗装された壁。カーテンは締め切られ、塀の外からは中の様子が窺い知れない。


「留守なのかな?」


 剣一はそう思いつつ、とりあえず玄関脇に取り付けられたインターホンを鳴らした。暫くの間があって、インターホン越しに壮年の男性の声が聞こえる。


「はい。どちら様でしょうか」

「!?」


 剣一は思わず後ずさった。てっきり愛が出てくるものだと思っていたら、男性の声。

 しかも声の調子からして、恐らくは――


「(ま、まさかこれは……長谷川公彦!?お、お父さん!?え?な、なんでだ?)」


 剣一は困惑した。

 長谷川公彦。

 吸血鬼に理解ある学者の一人で、長谷川愛の実父だ。

 しかし何故《共栄圏》にいるんだ?彼は名古屋大学に勤める教授だ。だとしたら、愛知県にいなければおかしい。


 返事が無い事を怪しんだのだろうか。長谷川公彦のものと思われる声のボリュームが上がり、こちらを警戒する声色を滲ませる。


「あの、どちら様でしょうか?」

「あ……あの、私、神山剣一と言います。あの、長谷川愛さんの、その、ええと、ゆ、友人なんですが……」

「神山……神山……ああっ!あの神山さんですかぁ。あ、少々お待ちください」


 そこで会話は途切れ、やや間があってから静かに玄関のドアが開いた。


 中から姿を見せたのは、メガネをかけた、白髪の男性だった。

 水色のチョッキにネズミ色のカーキパンツを履いている。額は広く、知的な印象を漂わせていた。歳相応の皺が顔中に刻まれてはいるが、老人という程年老いた印象もない。

 言うなれば、紳士的であった。


 男性は玄関口に立つ二人の姿を確認すると柔和な笑みを浮かべ、石畳を駆け下り、柵の鍵を外して二人を(もてな)した。


「いやぁこれはどうも初めまして。愛の父親の長谷川公彦と申します。ええと、どちらが神山さんですかな?」

「あ、わ、私です」


 まるで壊れかけのブリキのおもちゃのように、ぎこちなく手を上げる剣一。

 恋人の父親に面会するというプレッシャーもあるだろうが、それよりも、長年尊敬の念を抱いている相手を前にした緊張の方が大きかった。


「ああ、貴方が神山さんですか。いや、娘から良く話は聞いていますよ。何時も愛がお世話になっております」

「あ、い、いえ、こちらこそ」


 緊張の余り顔が強ばりそうになるが、何とか顔筋を使い、ぎこちなくも笑みを浮かべる。


 そこで、長谷川公彦の視線は、剣一の傍らに佇む黒づくめの男に向けられた。


「ええと、こちらの方は?」

「初めまして長谷川先生。私、神山君の友人であります、黄泉平と申します。この度は権威ある先生に図らずもご対面出来たこと、誠に嬉しく思う次第です」


 完璧な挨拶だった。絶妙な角度でお辞儀を済ませると、黄泉平はその傷だらけの顔に笑顔を浮かべた。

 見た目や口調と異なる黄泉平の紳士的な礼儀作法に、剣一も目を丸くして驚くしかなかった。


「あ、いや、これはこれは。初めましてどうも。権威ある、だなんてそんな。照れますなぁ」

「またまたご謙遜を。先生の事はニュースや雑誌で拝見しておりますよ」

「ああ、そうですか。これは、有難うございます」


 深々とお辞儀をすると、長谷川公彦は「折角ですから、中に入ってください」と、二人を部屋に招いたのである。











「すいませんねぇ神山さん」

「え?」


 玄関で靴を脱いで廊下を歩く神山に対し、先頭を行く長谷川公彦は申し訳なさそうな声を出した。


「愛は今日、所用で出かけているんですよ」

「はぁ、所用……ですか?」

「ええ。何でも、大事な買い物があるとかで、一人で出かけていきましたよ」


 そう言うと、長谷川公彦は「どうぞ」と、二人をリビングに通した。


 剣一にとっては見慣れた光景だった。

 黒塗りのソファー、ガラス製のテーブル。中型の液晶テレビ。フローrングの床面には、色とりどりの花の刺繍が施されたマットが、床全面を覆っている。

 壁を隔てた向こう側には、愛のプライベート・ルームがあるはずだ。

 剣一はもう、数え切れない程、この部屋に遊びに来ている。一緒に映画鑑賞をしたり、テレビゲームをしたり、他愛ない雑談を交わしたり、愛手作りの夕飯までご馳走になった事がある。


「ちょっと待っててくださいね。今お茶を入れますので」


 二人をソファーに座らせると、長谷川公彦はそそくさとその場を後にし、キッチンへと姿を消した。


 彼の背中が見えなくなったと同時に、蛮還が剣一の耳元で、声を潜めつつも驚きの声を上げる。


「おいおいおいおい!スゲェなあんた!まさかあの長谷川公彦の娘さんと付き合ってるなんてよぉ。

 ええ?こいつは逆玉の輿って奴だぜ。なにしろ長谷川氏は政府の研究機関でリーダーやってた人だからなぁ。上手く結婚の承諾を貰えたら、こりゃあもう俺も両手をあげて万歳するしかないぜこりゃ」


 お主、なかなかやるのぅと言わんばかりに、蛮還が肘で剣一を小突いてくる。

 が、小突かれた側の本人と言えば、顔面蒼白。今にも泣き出しそうな顔をしているではないか。

 指針を失った難破船の如く身体が小刻みに震え、剣一は尻込みした様子で蛮還に助けを求めた。


「ど、どうしましょう……」

「おいおいおい、どうしたんだよ。将来義理の息子になるかもしれねぇのに、そんな情けない顔して」

「だ、だって!今日は愛がいないって言うじゃないですか!あの人と何を話したらいいんですか!?」

「何をって……そうさなぁ。もうこの際、『娘さんを僕にください』って言うほかないんじゃないか?」

「そんな!愛がこの場にいないのにそんな事言ったら失礼じゃ――」


 そこで、剣一の表情が固まった。何か、重大な事に気がついたようだ。


「お、おい、どうした」

「し、失礼……そうだ、黄泉平さん、どうしましょう」

「何が?」

「私、菓子折り持って来てないです……」

「…………あ」


 言葉の意味するところを理解したのか、蛮還は「やっちまったなぁ」と、天井を仰いだ。

 自らの重大なミスに気がついた剣一はと言えば、口下に手を当てて背中を曲げ、顔面蒼白を通り越して最早血が通っているのかさえ怪しく思えてくるほど、顔を白くしていた。


「大変だ……たしか人間の世界ではこういう時、菓子折りを差し上げないと失礼に値するんですよね……?」

「まぁ……一般的にはそうだな。でもほら、いいんじゃないかな?こういう稀なケースがあっても、それはそれで個性的でいいと思うぞ」


 礼儀作法に個性的もクソもない気がするが。


「個性的とかそんなこと言ってる場合じゃないでしょう……菓子折り……まさか持ってたりしませんよね?」

「ちょ、ちょっと待て!今探してみる!」


 蛮還はそう言って立ち上がると、スーツのポケットに手を突っ込み、ガサゴソと中を(あさ)り出す。


「お!あったぞ!」

「え!?」

「これだ!これを菓子折りの代わりにしよう!」


 そう言って蛮還がポケットから取り出したのは――


「……………………何です、これ」

「え?……………飴、だけど…………」

「…………………………一個だけ?」

「…………………………うん」

「…………………………」

「…………………………因みにゴーヤ味だ。おすすめだぞ」

「…………………………」

「…………………………」

「…………………………あの、ふざけてます?」

「え?」

「ふざけてますよね?」

「な、何言ってるんだよ。俺は糞真面目だぞ」

「ふざけてるでしょ!これの何処が菓子折りになるっていうんですか!ただの喰い忘れた飴玉でしょーがっ!」

「そ、そう声を荒げるなって」


 ソファーに座り直し「声のボリュームを下げろよ」と、困惑した表情で剣一を宥める蛮還。

 しかし、剣一の表情は怒りと困惑と悲しみで一杯一杯という感じだ。


「そもそも!そもそもですよ!貴方なんでこの場にいるんですか!?あなた完全に部外者じゃないですか!」


 声のトーンを抑えつつ、剣一は最もな意見を蛮還にぶつけた。

 だが蛮還ときたら、おいおい心外だなぁと言わんばかりに、頓狂な声を上げる。


「は、はいぃいい?そりゃ、あんたの為を思ってだなぁ」

「それ、本当ですか?面白半分で私をけしかけてるんじゃないですか?」

「いや、面白半分ではない。ただ」

「ただ?」

「………知り合いに、長谷川公彦の義理の息子がいるんだぞって、まぁ、ちょっとした自慢話になるかなぁって……思ってさ」

「…………はぁ」


 剣一は溜息を付き、頭を抱えた。にっちもさっちもいかない状況というのはこういう事を言うのだろう。

 先程まで野球場で会話を交わしていた時は、少なくとも剣一は蛮還の事を『頭の良い人間』だとばかり思っていた。が、どうやらその判断は間違っていたようだ。場当たり的な発言や行動が多すぎる。


 すっかり気迫を無くした剣一が不憫で仕方なくなったのだろう。蛮還は背中をポンポン叩くと、慰めの言葉をかける。


「ま、まぁ、何をそんなに落ち込んでいるのか分からねぇが、会話に困ったら俺が助け舟を出してやるからさ。安心しろって」


 剣一の耳には蛮還のフォローは聞こえていなかった。

 と、その時だ。三人分の湯呑茶碗をトレイに乗せてた長谷川公彦が、怪訝そうな表情でリビングに現れたのは。

 どうやら、二人の言い争いの一部を耳にしていたようだ。


「あの、どうかされましたか?」

「「はうっ!?」」


 その声に反応した二人は、びくりと身体を一瞬震わせた後、勤めて平静に振舞おうとする。


「なななななな、何でもないですよ何でも!」

「そそそ、そうそうそう。な、なぁ!?何でもないよなぁ我が友よ!」

「はぁ……そうですか」


 長谷川公彦は、ぎこちない笑みを浮かべる二人を不思議に思いながらも、静かに、テーブルの上に湯呑茶碗を置いたのであった。











 会話に困ったら助け舟を出してやるから。


 数十分前に蛮還が発したこの台詞を、正直に言って剣一は殆ど当てにしていなかった。

 どうせ口から出任せだろう。そう決めてかかっていた。

 しかし、長谷川公彦(はせがわきみひこ)との会話が始まってみれば、そんな自分の考えは完全に間違っていたと、剣一は己の認識の過ちを認めざるを得なくなった。

 長谷川との会話は驚く程スムーズに交わされていった。最初、あれだけ緊張して身体が強ばっていたにも関わらずだ。会話のキャッチボールが途切れることなく滑らかに続いているのは、蛮還が会話の節々で絶妙なアシストをしてくれているおかげだろう。それでいて、決して剣一よりも目立とうとはせず、あくまでも彼の友人という設定を忘れない。


 剣一は湯呑みを口に運ぶ際に、ちらりと目線を蛮還の方へ移した。対した会話力だと素直に感心する。まったくもって不思議な人間だと感じた。


「そういえば、長谷川先生は今日どうしてこちらに?先生は確か名古屋住まいだとお聞きしておりますが」


 蛮還がさりげなく、剣一も疑問に思っていた事を口にした。

 長谷川公彦といえば、名古屋大学生命研究センターの所長を務めている事で有名な人物だ。当然、名古屋市内の自宅から通勤している。

 その彼が何故、よりによって平日に、この《共栄圏》に足を運んでいるのだろうか。


「もしかして学会か何かにご出席するために、こちらに来ているとか?」

「ああ、いえいえ、違いますよ」


 剣一は当たり障りのない予想を口にするが、本人の言葉によってそれは却下された。

 長谷川は湯呑(ゆのみ)を口につけ、温くなりつつある緑茶で喉を潤すと、柔らかな笑みを浮かべてこう話し始めた。


「実は私、昨年の十一月頃から、こちらのとある研究施設に特別研究員として出入りしておりましてね。月に数回は《共栄圏》に出張という名目で通っていたんです。何、二足のわらじという奴ですよ」

「そうなんですか。いやぁ、お忙しそうですね」

「好きでやっている事ですからね。ですが、まぁ、あんまり歳のせいにはしたくないんですけれど、ここ最近は肉体的にも、その二足のわらじがかなりキツくなってきてしまいましてなぁ。それで思い切って、もうこの際、名古屋大学の職を降りて、これから先は《共栄圏》での研究生活一本に絞ろうと思いまして。それで今、新しい住居が見つかるまで娘の家に厄介になっているという訳です。いやはや、五十七歳にもなって娘の家に居候とは、全く恥ずかしい話ですよ」

「そうだったんですか。そういう理由が……」


 剣一は相手に悟られない程度に、長谷川の体つきを眺めた。

 手足は細く、頬は年相応に痩せこけている。ジムに通っている為もあって同年代の人間と比べれば背筋は伸びているが、それでも『老い』は確実に彼の身体を蝕んでいた。


 吸血鬼も人間と同じく年を取る生き物だが、その老化スピードはウサギとカメの徒競争に例えられる位、実にゆっくりとしたものだった。


 剣一は時折、人間達の脆弱さや儚さなが哀れに思えてくる事がある。

 しかしそれでも、限られた時間の中で己のやりたいことを見つけ出し、それに必死になって取り組もうとする人間の姿や精神性が、剣一にはとても眩しく思えた。潔いとさえ感じた。


「ところで……神山さん」

「はい?」

「今日はどういったご用件でいらしたのでしょうか?」


 長い前置きを経て、先に本題へ切込をかけたのは長谷川の方だった。予想外の言葉のジャブに、剣一は「ええと……」と、言葉に詰まる。

 蛮還からのアシストはない。自分でなんとかしろ、という彼なりの無言のメッセージだろう。


 剣一は暫く口ごもっていたが、やがて、意を決したのか。背筋をシャンと伸ばし、その黒い瞳で長谷川の顔を見据える。


「一つ、お聞きしたい事があります」

「何でしょう?」

「長谷川先生は、どうお考えですか?その、娘さんが私のような者と交友関係を持っている事について……」


 あえて、交際という言葉は使わなかった。


 長谷川は神妙な顔つきで右手の中指でメガネのブリッジをくいっと上げると、両膝の前で手を組んだ。


「神山さん。貴方のことは娘から聞いています。とても優しく頼もしい、吸血鬼であるとね」

「…………」

「こと《共栄圏》に限って言うなら、吸血鬼が人間の、あるいは人間が吸血鬼の友人を持つ事はごく当たり前の事です。

 ですが《圏外》ではそれは異端、非常識と取られてしまう。《圏外》の人々は未だにD細胞を宿す吸血鬼を恐れ、吸血鬼は銀と純水で武装する人間を警戒する。それを払拭させる意味でも、私は《D細胞》を人間の再生医療に用いる研究に打ち込んでいたんです。

 これが実用化されればきっと、人間と吸血鬼の関係は大きな転換点を迎える。そう思ってました」

「吸血鬼の力が人間の役に立てば、少なくとも《圏外》の人間が吸血鬼に抱くイメージは大きく変わる。貴方が《ラミア・プロジェクト》に参加したのは、そういう狙いがあった訳ですね?」


 そう口を挟む蛮還の意見を肯定するかのように、長谷川は黙って首を縦に振った。


 《ラミア・プロジェクト》

 数年前、長谷川公彦をプロジェクトリーダーに据え、国家予算五十億円余りを注ぎ込まれて発足したその一大プロジェクトは、しかしたった一年という短期間で終りを告げた。

 中止の理由は『これ以上の研究予算を注ぎ込んでも、国が期待する成果は得られない』という、至極ありきたりな理由からだった。

 研究中止が発表された当時、プロジェクトの管轄を担っていた文部科学省が世間の多大な批判を浴びたのは、言うまでもない。政府の決断は短絡的過ぎる。そういう意見が大勢を占めていた。


 長谷川は当時の事を思いだしたのか、己の無力さを嘆くかのように頭を降り、自嘲する。


「でも、研究は途中で頓挫してしまった。あのプロジェクトは私の希望だった。あれが臨床試験をクリアさえすれば、きっと未来は変わったはずなんです。私は悔しいんです。己の無力さが、人間と吸血鬼が理解し合えない事が、堪らなく悲しいんです」


 長谷川は下唇を噛み締め、心底悔しそうな表情を浮かべた。人間と吸血鬼の将来など、一介の研究者が気にする事ではないだろうに。少々責任感が強すぎる性格なのだなと、剣一は思った。


『大事なのは、自分の半径5メートルの世界なんだよ』


 ふと、剣一の脳裏に、愛の言葉が蘇る。


「神山さん、人間と吸血鬼の共通点は何か、ご存知ですか?」

「共通点?」

「それは、言葉ですよ」

「言葉……ですか」

「ライオンも、シマウマも、この家の庭に生えている楓の木も、今私の目の前に置かれている湯呑茶碗も、『言語を操る』という概念からは遠すぎるほど遠く離れた存在です。言葉というのは文字に起こせば只の記号でしかない。しかし口から発せられた言葉には力があります。魔力があります。口にした者の魂が、そこには宿っています。時に相手の凍りついた心を溶かし、時に癒し、時に奮い立たせる。素晴らしい力です。そして、人間と吸血鬼にのみ、この素晴らしい力が与えられた。世界には数え切れない程の生命体が存在するのにも関わらず、人間と吸血鬼だけにその特権は与えられた。神山さん、私は時々思うのです。これは、天啓なのではないだろうかと」

「天啓……」

「共に言語を操る力を持つもの同士、手を取り合い、共に歩くべきであるという、神の意志がそこにあるのではないかと思うのですよ。はは、科学者の吐く台詞にしては、少々オカルト過ぎましたかね」

「いえ、そんな事は……」

「分かっているのですよ。夢見がちなロマンチストだということは。それでも、夢を見ずにはいられないんです」


 長谷川は視線を上げると、遠くを眺めるように目を細めた。


「《血盟大戦(クリムゾン・ウォーズ)》が終結してから、今年で百年の月日が流れました。ですが百年の永い時が経っても、吸血鬼と人間同士は真の和解を迎えてません。

 神山さん……今から、私の本心を打ち明けます」


 そう口にした所で一旦話を区切り、背筋を正す長谷川。

 対面する剣一も、思わず緊張した面持ちになる。何か重大な事を口にしようとしているのだという事はすぐにわかった。


 空気が張り詰める。


 果たして彼の口をついて出た言葉は、剣一にとって晴天の霹靂(へきれき)であった。


「神山さん、私は貴方に、人間と吸血鬼の橋渡しを託したいと思っております。今日こうして話してみて確信しました。貴方は信頼出来る人だ。他人の心の痛みが分かる人だ。それこそ、人と吸血鬼が分かり合うのに、本当に必要な事なのです」

「長谷川先生……」


 剣一の身体が、感動で打ち震えた。

 自分は夢を見ているのではあるまいなとさえ思った。

 長年憧れ続けてきた研究者且つ、恋人である愛の父親から掛けられたその言葉は、彼に未来に向かって歩き出す勇気を与えてくれた。


 長谷川公彦は真剣な表情から一転し、優しい笑みを浮かべた。


「神山さん。これからもどうか、娘の事をよろしくお願い致します」

「……はいっ!」



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