第八話 黄泉平蛮還という男
本日最後の投稿
暫く日常シーンが続いておりますが、そろそろ最初の戦闘シーンが近づいてくる頃です。
どうかお付き合いよろしくお願いいたします。
吸血鬼が支配する自治領には《アクセス・ゾーン》と呼ばれる概念がある。
これは今から五十年ほど前に国際連合が設定したもので、自治領の地形や気候、周辺地域の社会情勢、そして、自治領に在住している吸血鬼達の人間への友好具合等を加味して設定される、その自治領の危険度を数値として明確化したものである。
《アクセス・ゾーン》はレベル1~レベル10まで細分化されており、当然レベルの低い自治領であればあるだけ危険性は低い。
それでも当然、一般人が簡単に出入り出来る程、自治領への入領審査は簡単じゃない。
自治領への入領を許されたのは特別な訓練を積んで資格を得た学者や政治家。加えて一部の民間軍事会社の社員や、各国の対吸血鬼専門の諜報部員に限られている。そしてこれらの人物の選定を行っているのは、国際連合が各国家へ送り込んでいる機関員である。つまり、彼らのお眼鏡に止まった者のみが自治領入領の為の特別訓練を受けることを許可されるのだ。
剣一は隣に座っている男の姿をまじまじと見た。童顔に刻まれた刀創は痛々しく、頭髪は燃えるように紅蓮。その外見は人間にしては少々異様で、そしてこの男は自身を只のサラリーマンだと名乗っている。とてもそうには見えないが、本人がそうだと言っているのだから、恐らく本当にサラリーマンなのだろう。
もしそうだとして、だ。
果たして、一介のサラリーマンが安々と自治領に入れるほど、国際連合の定めた入領審査は対した事ないのだろうか?
答えは否だ。
「(もしかして、この人も吸血鬼なのかな?)」
それだったら、彼がここまで吸血鬼の自治領について含蓄が多いのも頷ける。
剣一はふと、そう思ったが、直ぐにその考えを改めた。
彼からは吸血鬼特有の匂いがしなかったからだ。
判断材料はそれだけで十分だった。
「よくご存知ですね」
「ま、まぁ……知り合いにそういう奴がいるんだ。吸血鬼オタクっていうのか?そいつから聞いた話だよ」
なるほど、それでか。剣一は一人納得する。
そこで一端会話は途切れ、自然と二人の目線はグラウンドへ移った。
先程ホームランを打たれた人間と吸血鬼の混成チーム側のピッチャーは、肩で息をしつつもなんとか後続を抑えていた。気がつけば、試合は八回裏まで進んでいた。
「それにしても、不思議なもんだよなぁ」
感慨深そうに、男が呟いた。
「信じられるか?今はああやって人間と吸血鬼の混成チームなんか作って仲良く野球を楽しんでいるけど、一昔前は互いに憎み合って、血で血を洗う戦争をやってたんだぜ?」
「ええ、ホント……まるで、今こうして仲良く手を取り合っているのが夢みたいですよね」
「……だけどよ、こう言っちゃあれだが、腹の底じゃ互いに何を考えてるのか分かりゃしねぇよ」
一転して、男は低い声でそんな事を口にした。
「《共栄圏》なんて大層な名前をつけちゃあいるが、この街に住んでる奴らは互いに腹の底では何を考えているかわからないさ。
今は、ああやって一見楽しそうにしている子供達も、保護者達も、もしかしたら裏では吸血鬼の事を悪く言っていたり、あるいはその逆だってありえる」
「…………」
「ほら、今朝ニュースもやってたけど、《第四地区》で起こった人間と吸血鬼の武力衝突。あれの吸血鬼側の主導者が《鬼縛連隊》の手で拘束されたって報道されてただろ?」
男の問いかけに剣一は黙って頷いた。
覚えていない訳がない。
つい先日、自分は何を隠そう、その事件の主導者と目されている吸血鬼と接触しているのだから。
「あれもさ、おかしい話なんだよ。なんで吸血鬼側の主導者だけ逮捕したんだ?人間と吸血鬼の共存繁栄を謳っているなら、双方に罰を下すべきだ。
つまり早い話が、なんで人間側の主導者が逮捕されてねーんだって事よ。まさか人間側には主導者に相当する人物がいなかったとでもいうのか?それならそれで、暴動に参加したやつら『全員』をしょっぴけばいいだけの話じゃねぇか。まさかそれが出来ないってほど、《鬼縛連隊》はメンツが足りていねーのかって話だよ。そんな訳ねーのさ。毎年アホみたいに大量の新入隊員を募集して、国からもたっぷりと予算を頂いているんだからな。
まったく。ああいうおかしな逮捕劇をするから、溝が生まれちまうんだよ」
「溝ですか……」
「猜疑心と言ってもいい」
男は視線をスコアボードに向けたまま、熱く自論を語り続ける。
「あの報道を聞いて、この街に住む何人かの吸血鬼はこう思った筈だ。『もしかしたら、この街は《共栄圏》なんて言っておきながらその実、人間側の味方なんじゃないか』ってな」
剣一は思わず目を見開いた。
己の心中を言い当てられたような、そんな気分になる。
男はそんな剣一の様子に気づくことなく、淡々と話を続ける。
「吸血鬼がそういう疑念を抱けば、人間達だって少なからず複雑な心境に陥るものだ。両者の間に生じた猜疑心、疑心暗鬼の心は見えない刃となって、少しづつ互いの心を傷つけあう。
結果、待っているのは互いに憎しみ合う未来だけだ。どっちにとっても得する未来じゃない……って、悪いな」
「え?」
あっけに取られる剣一を尻目に、ふと我に返った男は、照れたようにポリポリと頬をかいて苦笑う
。
「何か、変な話になっちまって……いや、俺って結構、こういう話をすると止まらなくてさ。二天王の奴にも窘められているんだけど」
「いえ……私も、同じ事を考えていましたから」
今度は、剣一が喋る番だった。それまで腹の底に溜め込んでいたものを一気に吐き出すかのように、良く舌が回った。
初対面の他人を相手にここまで口が回るものかと、自分でも少々驚く。
「貴方の言う通りです。この街は本当に吸血鬼と人間、双方の幸せを願っているのか。いや、そもそも、吸血鬼と人間が手を取り合うことが、本当に双方の幸せに繋がる事なのか……以前はこんなこと考えなかったんですよ。考えようともしなかった。でも、ここ最近色んな事があって……何というか、『人間って一体何なんだろう』って、そんな事を考える始末で……」
剣一は苦笑した。彼の言う『色んな事』には、先程の会話に出た《第四地区》での暴動事件の事や、長谷川愛とのぎこちない関係性も含まれているのだろう。
神山剣一は見た目こそ二十代前半の若者だが、彼の吸血鬼年齢は今年で五十三歳になる。
すなわち、彼が《アルカロイド》に《化血》され、吸血鬼としてこの世界を生きて五十三年が経過しているという訳だ。
それだけの長い時間を費やしてもなお、剣一には分からなかった。
人間達の心が分からなかった。
彼らは本当に吸血鬼との融和を望んでいるのだろうか。
彼等の心を理解しようと、人間と同じ食事を摂ったり、人間と同じ生活リズムで暮らしたりしているが、所詮、そんな上っ面の行為では人間の心を理解できるはずがなかった。
だがしかし、と剣一は思う。
別に、この地球上に住む人類全てが吸血鬼に友好的でなくとも良いのではないか?
考えるべきは、自分にとって『大事な存在』と思える人間から好かれるかどうか。
そこなのだ重要なのは。
剣一は、絞り出すように声を出した。
「でも……結局そんな事を考えていても、キリがないんですよね。まずは、自分の周辺を大事にしなくちゃいけないんですよ。
自分に好意を寄せてくれている人を守らなきゃ、何も始まらないんです。半径5メートルの世界……それを大事にしないことには、何も変わりません」
「半径5メートルの世界……己の身近な世界……か。へぇ、、あんた中々良い事言うじゃねぇか」
『半径5メートル』というフレーズが気に入ったのだろうか、男は笑みを浮かべると、機嫌良さそうに剣一の肩をバシバシ叩いた。
剣一は照れたように頭を掻くと、
「いや、実はこれ、僕の考えた台詞じゃないんです。本当は僕の彼女が言っていた事で……それの受け売りなんですよ」
「そうなのか。彼女さん、案外良い事言うじゃねぇか。吸血鬼なのか?」
「いえ、人間です」
「ほぉ。ま、《共栄圏》じゃあ特に珍しくもないか」
「……あ、あのう、そういえばお名前」
「へ?」
「貴方のお名前、何て言うんですか?」
「え?あ、そっか、自己紹介がまだだったな」
「私、神山剣一って言います。剣に、数字の一で、剣一」
「初めまして。俺の名前は……」
男はコホン、と咳をすると、はっきりとした、良く通る声で名乗りを上げた。
「蛮還。黄泉平蛮還。野蛮の蛮に、帰還の還だ。よろしくな」
そう言って、黄泉平蛮還と名乗った赤髪疵面の男は、その無骨な右手を神山剣一に向かって差し出したのである。