1.入学式①「大きいですね……」
――大きい。それが、俺の第一の感想だった。
船内アナウンスに従って船を下りると、港には人の頭がいっぱいに集っていた。彼らの中に、俺達と同じ初等一年生がどれだけ居るのかは分からない。司ともはぐれてしまった。そんな事をぼうっと考えながら、ふと港の出口側を見て、俺は思わずあっ、と声を上げてしまった。
「どうしたんですか、兄さん? ……わっ」
小石も、俺の声に気付いてそちらに目をやり、同じように驚く。遠く、道の先――。そこに、中世ヨーロッパを想起させるような、壮大な建物が見えた。それなりに距離があるのに、それでも大きい――これまで見た事のある一番大きな建物の、数倍は大きい。高さも、幅も、規格外の大きさだ。あんなに大きい必要が、本当にあるのだろうか。そこで、さっき自分で言った、昔は生徒が多くて……という説を思い出した。仮に新入生が八千人居れば、あれだけの校舎があっても手狭だろう。
「大きいですね……」
「ああ、そうだな……」
しばし、田舎者らしく二人でぼうっと見上げる。これから、あの校舎で魔法を学ぶ。何だか、実感が湧いてこない。ああ、それだけじゃなかった――同時に、調査もしなければならないのだ。あの場所で調査をする。全ての場所を調査するだけで、どれだけの時間が掛かるのだろう。
「兄さん、行きましょう」
そんな無粋な事を考えている間に、一足先に平静を取り戻した小石が、そう言って俺の袖を引っ張った。
「行くか」
俺は、深く頷いた。
立ち止まる人の垣を掻き分け掻き分け、港を出て石造りの道に出ると、少しは人がばらけて景色が開けた。道の左右には、背の低い様々な建物が並んでいる。喫茶店に理髪店、ゲームセンターまである。この、港から校舎に向かう道は、商店街になっているようだ。道はまだまだ遠くまで続いていて、店の屋根もやはり途切れず向こうまであるから、この通りだけで相当の物が売られているのだろう。
「わぁ……兄さん兄さん、宝石店がありますよ!」
「見えない見えない」
「むむ……わ、あっちにはブティックです!」
買い物好きな小石は、目移りが止まらないようだった。父親が父親なので、俺の財布は他の生徒より少し裕福だが、小石のおねだりに毎度負けていては破産は免れない。上手くやり過ごさなければ。
おだててすかしてしながら歩いている内に、道の終端へと辿り着いた。堀状の川に架かる橋を越えると、ついに校舎が目の前になった。
「うわぁ……」
二人で、感嘆の溜め息を漏らす。大きい。無数に、窓がはるか上まで並んでいる。
「な、中に入りましょう、兄さん」
小石の声に、俺も頷く。俺達は、透明の押し扉を開いて校舎の中へと入った。
中は、少し暖かかった。多分、人が多く居るからだろう。案内の人が、新入生向けに道案内をしている。魔法で表示されている大きな掲示板にも、「新入生の皆さんへ。ここは南校舎です。この校舎を抜けるとパティオがあります。パディオを中央に東の、講堂へ向かって下さい。」と書かれている。親切設計だが、あまり役立ちそうにない。何故なら――。
「ここ、パーティ会場なんでしょうか?」
小石が真剣に間違えるほど、内装が豪華だからだ。シャンデリラに絨毯、オシャレな小さい机――校舎のエントランスのような場所らしい。多分、直進すればパティオに出られるのだろうけど、エントランスの新入生達の足は全く動いていない。皆、内装に見とれているのだ。うっかりそんな様子を先に見てしまったので、俺は内装に心奪われるとまではならなかった。しかし、こうなると、講堂の方はまだ空いているかも知れない。とりあえず、パティオに出たいところだ。
「ほわわー……」
その為にはまず、小石をどうにかしなければならない。やむを得ないか。俺は、伝家の宝刀を抜く事にした。
「小石、あれ見てくれ」
「何です、兄さん? 今、シャンデリラの灯りの数を数えているところなんです」
「ほら、あの掲示板なんだけどさ、パティオって何だっけ?」
小石の目が、シャンデリラから掲示板の文字へと移る。キラキラに輝いていた瞳は、いつもの小石の瞳に戻った。
「兄さん、そんな事も知らないんですか? パティオというのは中庭の事です。三方か四方を建物に囲まれていて、外部から見えない中庭の事を特に指してパティオと呼ぶんです。でも、これ、元々はスペインのものなんです。スペイン風の住宅というのは、白い壁を貴重とする気風高い建築様式で、中庭には白や灰のタイルが敷かれていたりするんですが、このスペイン風の中庭の事をパティオと呼んだんです。ちなみに似たような言葉でアトリウムというのがありますが……」
「お、おお、なるほど。じゃあ俺、そのパティオってのも、見てみたいな」
話が脱線する前に、無理やり割り込む。小石は少し不満げな表情になりながらも、
「そうですね。ここの内装からすると、最初に言った意味のパティオかも知れませんが……では、行きましょうか、兄さん」
「ああ」
俺の作戦は見事にはまった。俺と小石はずんずんと生徒の間を抜け、エントランスからやっと校舎らしい廊下――それでも絨毯は敷いてあったが――に出、更にすぐそこの扉を開くと、ぱあっと開けた外の空間に辿り着いた。
「わあ……」
人の姿はちらほらあるが、どれも西の方へ向かっているので、多分新入生ではない。それにしてもこの中庭は……。
「何だか、貴族の豪邸みたいですね。ここ」
小石が少し興奮気味に言う。俺も全くの同感だった。中庭は、小石が言っていたスペインのパティオと同様に、石灰色の道が十字に走っていた。真ん中には噴水があって、道のない所も芝だったり花だったりで綺麗に整っている。もう夕方なので、少し薄暗くなっているのが悔やまれる。多分この庭は、昼間の方が綺麗だろう。「明青学園に入るとは、三年間か七年間の休暇を手に入れるという事だ」という言葉を思い出す。まだ入学式も迎えていないけれど、あの流行言葉もあながち間違っていないかもしれない。
「……じゃあ、行くか」
抑えきれない興味を押し込めて、俺は小石に訊ねた。
「そうですね。どうせ、これから三年はここに暮らすんですし……ね」
小石も、俺と同じ様子で、こくこくと頷いた。
講堂は、パティオの東側の空間に、プールや体育館と併設されていた。少し前まで通っていた中学校のものと、ほとんど変わらない大きさだったので、俺達は拍子抜けしながら中へと入った。内装も、木目の入ったオーソドックスな床にコンクリートっぽい壁、敷き詰められた長椅子と、急に日本本島に連れ戻されたような感覚だ。
「あ、司くんですよ」
小石が、講堂の一番前、一番左端に座っている司を見つけて、そう声を上げた。二人で駆け寄っていって、声を掛ける。司は、特にそわそわしている様子でもなかった。
「早かったんだな」
「まあな。……って言うか、誰も来ないから、『僕もしかして掲示板見間違えたとかかぁ!?』って内心慌ててたけど」
「マスター、あの装飾に何の興味も示さないで、真っ直ぐここに来たんです。わたくしは、恥ずかしいやら誇らしいやらで……ふふふ」
エリンが俺の耳元で囁く。あの輝きに輝き、俺達をこれでもかと言うほどに誘惑してくる装飾を完全無視とは、無粋と言うか何と言うか……。そこまで考えて、俺は、俺と小石が二番目と三番目なのに気が付いた。俺達も同じか。
「何となく、こういうのって早く来た方がクレバーな感じがするよな。僕が一番で、二人が二番だ」
「あはは……私は、見とれてしまう気持ちも分かります」
小石が笑いながら、司の右隣に腰を下ろす。俺も小石の隣に腰掛けた。
講堂には、司の言う通り、俺達三人以外誰も居なかった。他の新入生の姿がないのはともかく、先生の一人も立っていないのはかなり不自然な気がする。そんな話を、三人で首を傾げ合いながら話していると、やっと講堂の舞台袖から先生が一人現れた。と言うかあの姿は――。
「あらあらー? さっきぶりねー」
船でアンケートを取っていた女性だ。さっきとは違って、フォーマルなスーツを着ている。女性は、指をくるくると回しながら壇を下りて、
「学内探検もなしで駆けつけるなんて、真面目なのねー。せっかく一番に来てくれたんだからー、これからの予定、特別に教えちゃおうかしらー?」
と、微笑んだ。
「これからの予定って、今日は入学式と、寮の部屋割りだけなんじゃ……」
「そうよー。今日、四月一日は入学式と部屋割りでー、明日は日曜日だから自由日でー、明後日にやっと授業が始まるわけよねー?」
「私達が貰ったプリントには、そうありましたが……」
小石がそう言って俺の顔を見たので、俺は頷いて同意した。
「でもー、クラス分けは知らないでしょー? 私、知ってるのよー、三人のクラス」
「もしかして、僕達の担任が……」
司が自分の懸念を素直に口に出す。この女性が俺達の担任なのだとすれば、あのアンケートの意味も少しは理解が及ぶ。
「残念だけど、はずれよー。私、新入生の担任ではないのー」
が、女性は首を横に振った。
「でも、三人のクラスなら分かるわよー。ね、知りたいでしょー?」
「どうする、清介、小石ちゃん……僕、誘惑に負けそうだぞ? 誰より早く自分のクラスを聞きたくて仕方ないぞ!?」
「まぁ、聞けば良いんじゃないか」
俺がそう言うと、司は驚きの表情をしてそのまま硬直した。
「そうですね。きっと、すぐに分かる事ですし……」
「ゆ、夢のない奴らめ。僕ぁロマンを捨てられないね! 二人だけで聞け!」
司はそう言って、耳を塞いだ。
「熱い男ねー。先生、そういう子、好きよー」
好き、という単語に反応して、司の体がびくんと揺れる。
「ではではー、司くんが盗み聞きしているのも分かったところでー」
女性はそう言うと、こほんと咳払いをした。俺と小石も、思わず唾を飲む。一年生の時配属されたクラスは、その後初等課程を終えるまでずっと変わらない。そういう事では――司ではないが――俺も、クラスに興味がない訳ではない。願わくば、小石と同じクラスになれますように……。
「ええと、小石ちゃん。あなたは二組よー」
「は……はい!」
小石が、思わず張った声で返事をする。確か、今年のクラスは全部で四つだと聞いたから、小石と同じクラスになる確率は四分の一だ。あまり分は良くない。
「それから清介くんも二組ねー」
「は、はい」
ほっ、と胸を撫で下ろす。これで、兄妹で一つのクラスだ。小石も、そして実は俺自身も、あまり人付き合いの上手い人種ではない。同じクラスに気心の知れた相手、それも親類が居れば、これほど心強い事はない。
「以上よー」
「ままま待ったぁー! 僕、僕の分は!?」
「さっき聞かないって言ったじゃなーいー?」
女性は、司を弄ぶようにふふ、と笑う。
「言ってたな」
「言ってましたね」
「冗談だって! いや、僕だけ聞かないでってのは辛すぎる!」
うおおお、と司は謎の雄叫びを上げた。
「仕方ないわねー。くす、司くんも二組よー」
「うおおお!」
司の表情が明るく輝いた。
「二人とも、よろしくな!」
「ああ、よろしく」
「よろしくお願いします、司くん」
俺達はお互いに握手をして、同じクラスになったのを祝福しあった。小石はもちろん、司も、学園生活に華を添えてくれる大切な存在になるような、そんな予感がしていた。