3.船の上で③
とんとん、というノックの音がして、俺達は読んでいた教科書を一度床に置いた。
「どうぞ」
俺がそう応じると、部屋の扉はゆっくりと開き、その向こうにバインダーを右わきに挟んでこちらにニコニコと笑顔を振り撒く女性の姿が現れた。
「長い船旅、お疲れさまー。到着まで残すところ百分になったのでー、毎年恒例のアンケートのお時間ですよー!」
女性は、銀色の長い髪を左右に括ってツインテールにしている……が、顔立ちと雰囲気は少し大人びて見える。流暢な日本語と銀髪のギャップより、髪型と年齢のギャップの方が凄そうだ。女性は、唖然としている俺達の様子を全く気にせず、体を揺らしながら、
「では、質問その一、行っちゃうわねぇ」
と、ひどく間延びした声で言った。
「一つ目の質問は、『この船旅は長かったですか?』よー」
「長かったっていうか……」
俺がそう言うと、小石と司はうんうんと頷いた。
「長すぎ」
「私もそう思います」
魔法を使えば、こんな十時間の行程を辿らなくても、もっと楽に学校に辿り着けたのではないかと思う。
「あらあらー、毎年そんな答えなのよー。でも、仕方ないのー。島に変な船が入らないようにー、瞬間移動とか、そういう魔法は使えないようにしてあるのよー」
なるほど、それは道理だ。もし、明青学園への瞬間移動魔法での出入りが自由だったら、学園はセキュリティに凄まじい気を配る事になる。生徒の安全を守る事は不可能になるだろう。
「ではでは、二つ目の質問ですよー? 『あなたが明青学園に望む事は、何ですか?』」
そう言って、女性は細い目を少し開いて、たった二畳の部屋の中を見回した。
「じゃあ、山下司くんー。……司くんは、確かこの部屋じゃないわよねー?」
「あ、はい。暇だったんで、お邪魔してました」
「新入生同士で親交をはかるのー、先生は良いと思うわよー」
女性は自分を、先生、と呼んだ。という事は、この人は、明青学園の教師なのだろう。それも多分、一年生の担任だ。……あまり、この人のクラスにはなりたくないが。
「それでー、司くんの回答はー?」
女性はバインダーに挟んだ紙に何かを書いてから、再びそう訊ねた。
「僕は明青学園に、可愛いガールフレンドを望みまーす! なんちゃって」
「なるほどねー」
「スルーされた!?」
女性は表情を変えないまま、細い目を小石の方に向けた。ほとんど瞳が見えないのに、それでも小石を見たと思ったのは、多分その目線が鋭かったからだろう。明青学園のような大きな学校で教師をやっているぐらいだから、その魔力が低いはずはない。
「はい、秋野小石さんですねー。小石さんはどうですかー?」
「私は、友達を作りたいです」
答えを用意していたらしく、小石は迷う様子なくそう答える。
「なるほどねー」
しかし、女性の反応は司の時と変わらなかった。あまり興味がないのかも知れない。少しの間の後、今度は目を俺の方に向ける。初めて合った目線には、想像していたような威圧感はなかった。
「そしてあなたがー、あの大原啓太郎の息子の、清介くんねー」
大原啓太郎、とは父の名前である。父の名前が出てくるとは思わなかったので少し驚いたが、俺ははい、と答えた。
「話題になってるわよー? 『警察の犬が来た』とかー、『調査に送り込まれたスパイだ』とかー」
「おい、それはないだろ」
女性の言葉を司が遮る。その表情が厳しいのを見ると、女性の無遠慮なのに本気で怒ってくれているようだった。
「あらあらー、ごめんなさい。あくまでそういう意見があるっていうだけよー」
「良いですよ、スパイじゃないですし」
「あら、そうなのー?」
司が怒ろうが俺が否定しようが、女性の表情はさっきから少しも変化しない。意識してやっているのだろうけど、それにしても凄い技術だ。
「はい」
「じゃあ、その清介くんは、明青学園に何を望むのかしらー?」
別段俺が調査に来たのかそうでないのかを確かめるつもりはないらしく、女性はあっさり元の質問を繰り返した。
「俺も小石と同じで、友情を育みたいです。……司、ありがとな」
小恥ずかしいのを我慢して、司に感謝を告げた。
「お、おう」
司がちょっと照れた様子で応える。それを見た小石と女性は、ほとんど同時にくすくすと笑い出した。
「良かったじゃないですか、兄さん。友情、育めてますよ」
「ほんと、先生妬いちゃうわー」
二人の言葉に、俺と司は同じ様な格好で頭をぽりぽりと掻いた。照れ臭いと言うか、こんなありがちなシチュエーションに自分が加わる事になるとは思いもしなかったので、驚いていると言うか、喜んでいると言うか……やっぱり照れ臭い。
「次はー、そう、そこの妖精さん。あなたはどうかしらー?」
女性は続いて、何もない空間を指差してそう訊ねた。
「え、エリンが見えてる……」
司が、照れるのをやめて驚く。
「見えないわよー? でも、魔力がふわふわ浮いてるとなるとー、妖精さんしかないわよねー」
「魔力が見えるんですか?」
「少し感じるぐらいよー。じゃあー、このままだと皆に聞こえないから……よっと」
女性は掛け声と共に、さっき指した場所に向けて軽く指を振った。
「拡声魔法、私の得意技なのー。じゃあどうぞー」
「わたくしは……わっ」
エリンは、自分の声がいつもの何倍もに拡大されているのに気付いて、一旦驚きの声を上げた。
「わたくしは、マスターのご無事をお祈りするだけです。それから、皆様のご無事も」
拡大されたエリンの声は、細くて高かったけれどどこか力強くて、何だか芯が通っているようだった。
「良い妖精さんね。……ああ、声、そのままの方が良いかしらー?」
「いえ、わたくしはマスターのお供ですから、元の大きさぐらいがちょうど良いのです。お心遣い、感謝致します」
「そう、分かったわー」
女性がまた、指を振る。一見すると何も変わってはいなかったが、今のでエリンの声が元の大きさに戻ったらしい。
「さてと。アンケートは以上で終わりよー」
女性は、部屋に来た時と同じ様にバインダーを右わきに挟んで、そう言った。
「やけに短いんだな」
「昔は十あったのよー? だけど、着くまでに終わらないから、って削られてー……よよよ。私の趣味がー……!」
初めて、女性が表情を変える。と言っても、おどけているだけなのだろうけど。
「しゅ、趣味なんですか?」
「そうよー。だから、回答結果は学校側には公表されません。ご安心ー」
小石の質問に、女性は表情を元のにこにことしたものに戻して、そう答えた。――趣味かよ。
「僕達、別に公表されても困る事言ってないよな」
「『可愛いガールフレンドを望みまーす!』だったかしらー?」
「……ごめんなさい」
司が慌てて頭を垂れる。
「という事で、残り一時間の船旅、楽しんでねー」
そんな司の様子に、心成しか上機嫌になって女性は部屋を出ていった。
――結局、あのアンケートは何だったのだろう。質問はたった二つしかなかったし、最初の一つは大した意味もなかった気がする。となると目的は、二つ目の質問、明青学園に何を望むか、だろうか。しかし、あの質問の主だった収入は、司の小さな弱みを握った事だけだ。
「にしても、あの拡声魔法って奴? あれ凄かったなぁ!」
しかも本人はあまり気にしていないようだし。単純に生徒との交流が目的だったのかも知れない。
「司くんも、早く使えるようにならないとですね」
「うむ。だけど僕としては、先に覚えたい魔法がいっぱいあるんだよな……」
司が、指を顎に当てて悩む。
「たとえば、何ですか?」
「風を起こす魔法でしょ、透視する魔法でしょ……ああ、あと、こういう時に目を保護する為のゴーグル魔法も……ふぐぅ!」
エリンが司の目を突いたらしい。
「突かれるの分かっててやってるだろ」
「なんか、言わないといけない気がして……」
悲しいサガらしい。まあ、失明しなければ良いけど。
それからしばらくして、大きな警笛と共に、船がじわりと減速し始めた。司が慌てて、自分の部屋へと戻っていく。
「慌ただしいですけど、良い人ですね」
「そうだな」
俺と小石はそう頷きあって、荷物をまとめ始めた。