2.船の上で②
「司くんは、血筋素養の人ですか?」
世に住むすべての人間が、魔法を扱える訳ではない。素質があるかないかで、魔法使いとそうでない人間は、明確に区別される。素養を持つ家系の者も居れば、突然変異的に素養を手にしたものも居る。だがその割合はと言えば、血筋的に能力を持つ者が九割九分で、変異的に手に入れた者はかなり珍しかった。俺は血筋側の人間だが、小石は――小石の両親は魔法を扱えなかった。
「その質問を待っていたぁ! 何を隠そう、僕は変異素養の出なんだよ!」
司はそう、気を露に声を張り上げた。
「お父さんも変異素養なんだけどさぁ。おかんの方が素養無しだから、僕も変異素養なんだ。どうだ? 驚いただろ?」
「あ、あはは……」
小石は曖昧に笑った。自慢げな司へ自分も変異素養だと告げるのに、多少の憐れみを覚えているらしい。
「司。実は、小石も変異素養なんだ」
なので、代わりに俺が告げてやった。
「そうだろそうだろ、驚いただろ……ん? 今、なんて言った?」
「小石も変異素養なんだ」
司は、色素をなくして凍りついた。ざぱーん、と波の音が外から聞こえる。かなりのショックだったらしい。
「ごめんなさい。マスター、いつもそれを誇りにして生きてきたので……」
エリンが俺の耳元で、そう囁いた。エリンは次に、小石の耳元でも同じ言葉を言ったらしく、小石は俺を責めるようにじとっと湿った目で見つめた。
「仕方ないだろ、ずっと隠すような事でもないんだし」
「それはそうかも知れませんけど……兄さんのデリカシーのなさに、改めてがっかりしました」
「改めてって何だよ、改めてって」
小石は小声で俺と言い争って、はぁぁ、と溜め息を吐いた。
「せっかく、初めて変異素養の人と友達になれそうなのに……」
う、と俺は少し呻く。それを言われると弱い。変異素養だから虐められる、という事はなかったものの、小石は常々血筋素養の集団で疎外感を感じていたようだった。これから三年間通う事になる魔法学校――明青学園という――には、百人足らずだった中学校に比べると途方もないほど多くの魔法使いが集まる。だから、小石は自分と同じ変異素養の人とようやく知り合える、と密かに喜んでいたのである。それを応援しようと思っていた立場からすると、今の小石の言葉には胸を抉られる。
「すまん、ちょっとからかい過ぎたな」
「分かればよろしい。……って、私がよろしいって言っても仕方ないんです。司くんを立ち直らせてあげないと」
小石はそう言って、どう立ち直らせたものかと思案を始めた。司は部屋の床と見つめあったまま動かない。まあ、単純そうだから、復活させるのも難しくなさそうだが――。
「わたくしが目を突きましょうか?」
エリンが俺に囁いた。
「いや、さすがにそれは」
司が可哀想と言うより、小石を納得させられない。
「そうですか。わたくしに何かできる事がありましたら、いつでもお申し付け下さいね」
そう言って、エリンは俺から離れていった……と思う。姿が見えないので、位置が掴めない。その内慣れるだろうか。
それから三十秒ほど沈黙が続いたが、小石はううう、と呻るばかりで良案に辿り着いていない様子だったので、俺は口を開いた。
「よし、じゃあ、こんなのはどうだ?」
「どんなのです?」
「うむ。ちょっと、こっちに来てくれ」
小石を手で呼ぶと、小石は俺が期待したより更に近くに寄ってきた。あと少し近付けば、互いに息がかかるほどだ。兄妹だから、という強い後ろ盾のお陰もあるものの、これだけ信用されているのは素直に嬉しい。直視すると照れて何も言えなさそうだったので、俺は小石の顔からできる限り目を逸らして、
「まず、そんな感じで、上目遣いで近付く」
と、説明を始めた。小石は、ふむふむ、と頷く。
「次に、胸のボタンを外す」
小石は頷いて、自分の着ている服のボタンを外し始めた。明青学園には制服があるが、小石はまだ、自前のシャツを着て薄いジャンパーを羽織っている。十時間もの船旅で、制服が入学式の前からくたびれるのを嫌がったからだ。かくいう俺も、あるいはうつむき加減の司も制服でなく私服を着ているから、その判断は多分正しい。そんな事を考えている内に、小石はジャンパーのボタンをあらかた外して、無地で薄桃色のシャツを露出させていた。
「よし。じゃあ、次はシャツを脱いでみようか」
「分かりました、兄さん。……って、何させようとしているんですかっ!」
シャツの裾を両手で掴んだぐらいで、小石はハッとして表情を怒りに変えた。
「軽い冗談だったんだけど、小石があんまりノリノリだったからつい……」
「ほんとにもう、兄さんは……。エリンさんも見てるんですから、やめて下さい」
小石はそう言って、ジャンパーのボタンを掛けた。いくら蒸し暑いとは言え、ジャンパーなしでは寒いらしい。
「ほら、そろそろ帰ってこいよ。さもないと、エリンに目潰しされるぞ」
「ひぃぃ!」
司が復活した。
「な、簡単だっただろ」
「兄さん……。はぁぁ……」
小石が溜め息を吐く。励ます言葉を思い浮かばなかった事もあって、俺を責める目にはあまり力がない。
「司。小石の友達になってやってくれよ」
「小石ちゃんの友達? 僕、もうフラれたんだっけ……ふぎゃあ!?」
司が右目を押さえて悲鳴を上げる。エリンに突かれたのだろう。その様子に、不機嫌そうだった小石も、やや控えめにだが笑った。
到着まで、あと二時間半。司と小石が、『魔法倫理』の教科書を読んで盛り上がっている隣で、俺は少し考え事をしていた。
明青学園は、創立二百年以上を誇る、日本の大魔法学校である。生徒数は、全部で二千人程度――初等過程と高等過程があって、それぞれ三年間と四年間を過ごす事になるため、生徒数とは七学年の合計人数である――で、学校のある島はひとつの街のようなものを形成しているらしい。日々の暮らしには事欠かない、という訳だ。「明青学園に入るとは、三年間か七年間の休暇を手に入れるという事だ」なんていう流行り言葉もあった。その環境の良さは、俺も今から楽しみにしている。
ただ、悪い噂がない訳ではなかった。毎年、数人の生徒が、神隠しに遭ったように姿を消す――そんな事件が、ここ五年間続いているらしい。だが、日本本島からは、日本の領海外に位置する明青学園の調査ができない――無論、明青学園側が拒否するからだ――。俺の父親は、日本本島の警察の幹部だった。俺が明青学園に通う事になったとき、父は俺に、学園の調査を命じた。そう、命じたのだ。あれはお願いなどではなく、命令だった。そして同時に、俺に二つのアイテムを手渡した。
「…………」
左腕の腕時計を見る。この腕時計は、与えられたアイテムの一つだ。出っ張っている五つのボタン全てを同時に押すと、その場全体に魔法能力を一時無力化する光が照射される。自分にも照射されるので、もちろん自分も魔法は使えなくなるが、窮地からの脱出には便利だ。いざという時に使いなさい、と父は言っていた。一度使うと、充電するのに大量のエネルギーを必要とするのが難だが。便利なアイテムには違いない。実際、この腕時計は、俺の三年間の授業料と変わらない値段がするらしい。ありがたい――そう思う反面、父の調査の為に、自分が危険な立場になりかねないのだ、という自覚も湧いてくる。
もう一つのアイテムは、ボールペンだ。これは、書いた文字を特定の相手以外に見えなくする道具である。特定の相手とはこの場合、父だ。父への報告の手紙は、報告をこのボールペンで書いて、上から普通のボールペンで何気ない挨拶を書いてから送る事になっていた。
――明青学園の連続失踪事件。一体、学園の中で、何が起こっているのだろうか。これが、俺の長らくの考え事だった。
「……ねぇ、兄さん。聞いてますか、兄さん?」
「ん、ああ。何だ? ごめん、聞いてなかった」
小石の声で、意識が引き戻される。俺は素直に、話を聞いていなかったと白状した。
「『魔法倫理』の十七ページ! 『誰かの話を、無下に扱っていませんか?』だ!」
「ちょっと考え事してたんだよ。……って、よくそんな眠たそうな教科書、読んでられるな」
小石はともかく、司は正直、こういう教科書を一番嫌がりそうなタイプなのだが。
「本は好きなんだ。小説も、けっこう読んでる」
「へぇ……」
「兄さんとは大違いですね」
からかうような声で、小石が言う。実際、俺は本を読むのがかなり苦手だった。夏目漱石の「吾輩は猫である」などは、読み始めて一分で俺を夢の世界に旅立たせてくれる。
「大体、初等一年なんて殆どが本を読む授業だろ。今の内に慣れとかないと、頭がもたないぞ?」
「私もそう思いますよ、兄さん。ほら、教科書、読みましょう?」
「げげ……」
逃げようにも、二畳では逃げ場がない。俺は二人に確保されて、しぶしぶ教科書に目を移した。
――到着まで、あと二時間。