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扉を開けて

虹ちゃんへ


僕はまず、虹ちゃんに謝らなければいけません。

病気のことを黙っていたこと。

そして、それを知りながら、治療もせず、手術も受けず、みすみす死んだこと。

きっと、虹ちゃんは怒っていますね。本当にごめんなさい。

でも、わかってください。僕は、死ぬことなんてこれっぽっちも怖くなかった。それよりも、虹ちゃんを失うこと、虹ちゃんに見離されること、虹ちゃんを悲しませてしまうことが怖かった。

僕の病気は、喉をおかしていました。生きるためには、声帯を取り除くしかないと言われました。

昔の僕なら、きっと、そうしていたと思います。でも、今の僕には出来なかった。唯一の誇りで、唯一の生きている意味のこの声を犠牲にしてまで、生きることに執着しようと思わなかった。この声は、虹ちゃんがほめてくれたものだから。

覚えていますか?初めて虹ちゃんと話した日、僕はこんなようなことを言ったと思います。

死んでまで恥を晒すぐらいなら、ぶざまで、カッコ悪くて、誰かに「死ね」と言われても、僕は生きる。

今となれば、あれは、自分の存在に誇りも意味も感じてなかったあの頃の僕の強がりでした。あの頃僕は、本当は死ぬことが怖かったんだと思います。

今の僕にとって、この声を捨ててまで生きつづけることは、汚らわしい死に姿を晒すより屈辱で、体を潰すことより苦痛です。

虹ちゃんは、言うでしょう。

天は天。歌えなくてもいい。

ごめんなさい。あいにく、僕が耐えられないんです。虹ちゃんが、僕を声だけの存在だと思っているのではないとわかっているからこそ、僕は声を失いたくなかった。矛盾してますよね。

手術を拒否した僕に残された時間は限られていました。だから、せめて最期まで、虹ちゃんのために歌いたかった。そのためには、入院や治療なんて、時間の無駄だと思いました。

病気のことを黙っていたのは、虹ちゃんに泣かれてしまったら決心がゆらぎそうだったから。虹ちゃんと出会わなければ、僕はみっともなく生き続けていたのにな。だけど僕は、この末路にとても満足しているんです。

だから泣かないで。見かけのわりに涙もろくて気の優しい虹ちゃんだけど、時には、涙をこらえてくれるのも優しさです。

たった一人、僕の声にひかれて、追い求めて、いつも一番近くで笑ってくれていた虹ちゃんが、僕は本当に大好きやった。本当に虹のような人だと思ってました。

もう二度と、一色の虹だなんて言わないで。誇りをもって、虹色のあなたは気高く優しく生きてください。

さようなら、虹ちゃん。そばにいられてよかった。

本当に 本当に ありがとう。

      七海 天音



 虹は、やっとドアを開いた。眩しいほどの太陽の光、青過ぎる空の色、果てなく広い見晴らし。痛々しいほど何も変わらないその場所に、天音だけがいない。あの歌声も、もう聞こえない。

「なんで…いないんだ…」

ずっと流せずにいた涙が、一気に溢れ出す。

「聞こえないよ、何も…何も…」

『泣かないで』

 涙をせき止めていたのは、天音がいないと認めたくなくて体中で泣いていた自分自身だった。やっと泣く事が出来た虹は、立っている事さえできずに、その場へ崩れ落ちた。次々こぼれ落ちる大粒の涙が、渇いたコンクリートの地面へ沢山の跡を残す。

 何度も「会いたい」と叫んだ。

 何度も「声が聴きたい」と訴えた。

 何度も名前を呼んだ。

 何度も、何度も、何度も…

 それは声にもならなかったけれど、虹は、ひたすら空に向かって泣き、そして叫んだ。

 期末テストの出来をからかってやりたかった。

 クリスマスには、自分も一緒にクリスマスソングを歌いたかった。

 新しい年へ、君と笑いながらカウントダウンを数えたかった。

 やりたい事が、まだたくさんあった。

 伝えたい事が、まだたくさんあった。

『コウちゃんの悲しむ顔を見ずに済んだ。“その瞬間”に会わずに済んだ。それだけでも救いでした』

「ずるいよ…お前は」

 天音を奪ったあの朝に見た夢。あれは、天音から虹への最後の言葉だったのかもしれない。

「俺は…俺はお前になんにも言えてないのに…!」

 無垢過ぎる天音の姿が、走馬灯のように巡る。

『コウちゃんやったら越えられますよ。雲だって虹だって、絶対』

『コウちゃんは、僕からしたらヒーローや』

「俺はヒーローじゃない」

 だけど、ヒーローになれる気がした。天音がいたからだ。

『僕が歌わなくなるのは、僕が死ぬ時ですよ』

 天音は、一体いつから覚悟を決めていたのだろう。どれだけの間、死を見つめていたのだろう。何も知らない虹を前に、心の中で何を思っていたのだろう。

 悲しくて、寂しくて、つらくて、苦しくて、痛くて。泣いても泣いても涙が止まらない。けれど、虹は、やっと歩き出せる気がした。そうしなければ、天音に申し訳が無いから。

「テン!」

 虹は、天を仰いで声の限り叫んだ。

「強くなるよ!俺!」

 自分のために、精一杯生きてくれた天音に恥じないように、自分も力いっぱい生きてみせる。

「だから見てろよ!そこから、いつもみたいに上から俺を見てろ!」

 誓いを立てた虹は、これが最後だ、と、声が枯れるほど叫び、涙が涸れ果てるほど泣いた。そして、声には出さずに天音へ告げた。


さよなら、テン。

ありがとう。



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