賑やかな夜
物は試し。という感じで何となく提案したのだったが、まさかここまで食い付きが良いとは思わなかった。しかも割りと乗り気で楽しそうというか、何となく嬉しそうというか。きっとお金を使わずに済むのが素直に嬉しいんだろう。
「ん?どうかしました?上倉さん」
嬉しそうに俺の横を歩く彼女を見ていたら、その視線に気付いたのか首を傾げながら問いかけてくる。
「いや、何か楽しそうだなって思ってさ」
「そりゃ楽しいですよ。お友達のお家にお泊りに行くんですから」
嬉しさを表すかのように弾む声で言う。ん?
「友達?まさか俺のことか?」
ここには俺しかいないからきっとそうなんだろうけど。
「え・・・?ええ!?違うんですか!?ううっ・・・そうですよね・・・やっぱ上倉さんからしたら私なんてまだまだ子供ですよね・・・背もちっちゃいし・・・おっぱいもちっちゃいし・・・しょぼーん」
いやいや、しょぼーんって。口に出てるし。しかも俺は何も言ってねえし。
「別に嫌とも何とも言ってないだろ。ただ、会って2日しか経ってないのに友達だなんて言ってくれて・・・気を許してくれたみたいで嬉しくて・・・」
って、何照れてんだ俺は。人と関るのが少ないからってあからさまに照れすぎじゃねえか。
口ごもりながら弁解する俺に彼女は「はは~ん」っといやらしい笑みを浮かべる。
「もしかして上倉さん。歌が上手くてしかもこんなに可愛い沙織ちゃんとお近づきになれて嬉しくなっちゃったんですかぁ?ふふっ全く、上倉さんは可愛いですねぇ」
目一杯背伸びをして俺の頭を撫でようとしてくる。届いてはいないが。
「ばーか。自惚れんなよ。俺がお前の友達に『なって』やるんだ。勘違いするなよ」
手の届いていない彼女の手を下ろさせると、こうやるんだと言わんばかりにわしゃわしゃと彼女の頭を撫で回す。
「んもう!やめてくださいよ!そうやって子供扱いして!」
「別にいいじゃねえか。可愛いと思うよ。そういう感情豊かなところ」
泣いたり、笑ったり、怒ったり。忙しい奴だけど、そういう点は好感が持てる。俺には持ち合わせていない点だからな。
「ふぇ・・・も・・・もう・・・。不意打ちなんてずるいですよぉ・・・」
顔を真赤にしながら何かぶつぶつと呟いている。
「ん?どうかしたか?顔真っ赤だぞ?」
覗きこむようにして彼女の顔色を窺うと、お互いの顔が近づいたことに驚いたのか仰け反るようにして離れる。
「うわぁ!びっくりさせないでください!もう、遊んでないで早く買い物を済ませてお家に案内してください!ぷんすか!」
だからぷんすかって。声に出すもんじゃないぞ。そういうのは。
頬を膨らませながら拗ねるようにして俺の前を早足で歩く。
「待て待て!スーパーの場所わかんねえだろ!勝手に歩きまわるな!」
彼女の姿を見失わないように足を速めて追いかける。
スーパーで買い物を済ませると家へと向かう。寒いから早く家で温りたい。
家までさほど距離は無いので少し歩けばうちの門が見えてくる。
「ふぇぇ・・・上倉さんのお家って随分おっきいんですねぇ」
感心されてしまった。まあ確かに、俺くらいの年齢でここまでの家に住んでる人間なんて世界広しと言えどそう何人もいないだろう。・・・ましてやそこに一人で・・・だなんて。
自慢ではないがうちは結構広い。百人に聞いたら恐らく百人全員が広いと答えてくれるだろう。家の前には木製の無駄に大袈裟な門が構えており、家を囲うように門から壁が繋がっている。中に入れば自然石で舗装された路面がドアの前まで続き、招き入れてくれる。周りを見渡せば綺麗な緑色の芝が生い茂り、春には庭に生えている桜の木で花見何かも楽しめるくらいの広さはある。まあ全体的に和で固めた家だ。さっきも言ったがとにかく広いので一人で住むには持て余しすぎているのだ。
「さっき話した育ての親・・・俺はばあちゃんって呼んでたんだけど、そのばあちゃんがお金持ちな人でな。旦那さんを若くして亡くして子供がいなくて独りで住んでいたみたいなんだ。そこに俺が加わって二人で暮らしてきた。この家はばあちゃんが俺に残してくれた最後のプレゼントなんだ。」
やっべ・・・思い出したら泣きそうになってきた。零れそうになる涙をぐっと堪えると、彼女に向き直る。
「さぁ、風邪引かないうちに家に入ろう。自分の家だと思ってくつろいでくれ」
悟られないように努めて明るい声を出して彼女を招き入れる。
「あっ。はい。すいません」
申し訳なさそうに謝ると、ぴたっと後ろを着いて来る。
鞄をまさぐり、鍵を探り当てると、ドアに差し込んで回す。
「ただいまー」
静寂。まあ返事が返ってくるわけはないんだが・・・
「おかえりー」
・・・ん?返事が返ってきた?そんな馬鹿な。
「おかえりー大輔ー。お仕事お疲れ様」
・・・・・。後ろから彼女が出せる一番のお母さんボイスで俺の労を労ってくれる。
「馬鹿なことやってないでとっとと上がれ」
「あっはい。お邪魔します」
靴を脱ぎ捨て食材を持って台所へと向かう。
「じゃあ上倉さん。すぐにご飯の支度しますから適当にくつろいでてください。台所の物お借りしますね」
「帰ってきて早々悪いな。じゃあよろしく頼むよ。何かあったら呼んでくれ」
よし、ここは彼女の好意に甘えるとしよう。買い物袋を置くと、台所からリビングへと続く引き戸を開けてテーブルの上を軽く片付けソファーに腰掛ける。
特に見たい番組があるわけでも無いが、することも無いのでぼーっと眺める。しばらくそんなことをしていると、台所からトントントンとリズムの良い音が聞こえてきた。その音の方へ顔を向けると、どこから引っ張り出したのだろう。うちのと思われるエプロンを付け、心地の良い音を響かせながら包丁捌きをしていた。久しぶりだな・・・こうやって誰かに晩飯作ってもらうなんて・・・。
彼女の姿を何かと重ね合わせるようにして眺めていると、視線に気付いた彼女がこちらを向いて微笑んできた。
「ふふっそんな可愛い顔して待ってもすぐにはご飯は出来ませんよ」
不意に微笑みかけられて思わず俺の心臓が跳ね上がる。
「べ・・・別にそんなんじゃねえよ」
顔を真っ赤にして言っても説得力のカケラもない。とてつもなく恥ずかしい。
そんな顔見せられたらこっちが照れるじゃねえか。
「ちょ・・・ちょっと風呂沸かしてくるな」
「あっはーい。お願いしますね」
照れていることを悟られないようにそそくさとリビングを出て風呂場へと向かう。
「全く。何か調子狂うぜ」
口では文句言いつつ、何となく心地良さを感じていた。悪い気はしない。やっぱり誰かいるっていうのは良いもんだな。ばあちゃんが死んじゃってからずっと一人だったし。柄じゃねえけど、やっぱ一人は寂しいしな。
色々思考を巡らしつつ風呂釜の電源を入れ風呂を沸かす手はずを取る。
途中で用を足しに行き、リビングへ戻ると何とも良い香りがしてきた。
「いい匂いだなぁ。待ち遠しいよ」
「もう少しで出来ますから、待っててくださいね。あ・な・た」
唇に指をあてがい、艶っぽい声を出してくる。
「誰があなただ」
「んもう。照れなくたっていいんですよ。こんなに可愛い愛妻が健気にご飯の支度をしているんですから。しかもこんなに可愛いエプロン姿何ですよ?普通は後ろからがばっと抱き着いて唇の一つでも奪いたくなるものでしょう?少なくとも私が男だったらそうします」
何を言ってやがるんだこいつは。
「生憎俺は普通とは違うみたいだ。それに、男の俺より男らしい願望を持っているお前に恐れ入るよ」
「そうでしょう?いいんですよ?素直になればちょっとくらい抱きついたって。お家に上げてもらってるお礼です」
「分かった分かった。可愛い妻よ。俺は着替えてくるからさっさと飯にしてくれ」
「むぅ。ノリが悪いですね全く」
「その手のノリに着いていくのは苦手なんだ」
捨て台詞のように言うと、リビングを出て自室へと向かう。
スーツをハンガーに掛け、ネクタイを弛める。はぁ・・・。この感じが1日の終わりを感じるよな。働く人間の中で分かってくれる同志はいないだろうか。部屋着に着替えると脱ぎ捨てたシャツと靴下を抱えて脱衣所へ向かう。そこに洗濯物を置きリビングへと再び戻ると、そこにはテーブルに晩御飯が並んでおり、あとはテーブルに付けばいつでも食べれる状態だった。
「うん。美味そうだ。」
肉じゃがにサラダ、おひたしにご飯と味噌汁。あと卵焼きまである。
「どうぞ上倉さん。お待たせしました」
茶碗にご飯を盛り付けて手渡してくれる。この感じも久しぶりだ。
「ん。ありがとう。沙織」
「え・・・?」
「あっ・・・」
しまった。思わず下の名前で呼んじまった。慌てて言い訳を言おうにも、上手い言い訳が見当たらない。
「わ・・・悪い!いきなりこんな・・・」
「いえ・・・別に構いませんよ。友達にだってそう呼ばれてましたし、その方が私もしっくりきますから。それに上倉さん・・・私のことまだ苗字でさえ呼んでくれてませんでしたから・・・ちょっと不安だったんです・・・」
顔を真っ赤にしてモジモジしながら言う。可愛いなぁもう。
「そ・・・そうか?なら、そう呼ばせてもらおうかな?」
「は・・・はい!お願いします!」
恐らくこちらも負けてないくらい絶賛赤面中だ。これは12回の裏までもつれ込みそうだ。
「では・・・さ、冷めないうちにどうぞ!」
「ああ、いただきます」
まずはリクエストした肉じゃが。
大きめにカットされたじゃがいもを一つつまんでみる。
「ど・・・どうですか?お味は?」
「うん!美味いな!」
「ホントですか!うわぁ。嬉しいです」
いやホントにお世辞抜きで美味い。こんなに料理が上手いとは思わなかった。
「この味噌汁も中々だよ。ちょうど俺の好みの味だ」
「なら良かったです!いっぱい作りましたから、どんどんおかわりしてください!」
料理の腕を褒めてもらえて沙織はとても上機嫌だ。いやー。久しぶりにちゃんとした飯食ってる気がする。俺も料理は人並みにしてきたがここまで美味い物は作れないな。
「えへへ、美味しそうに食べてもらえて嬉しいです。作った甲斐がありました」
「いくらでも食べられそうだ。ありがとうな。こんな美味いもん作ってくれて。沙織をもらう旦那は幸せ者だろうな」
「えぇ!?そ・・・そんな・・・旦那様だなんて・・・は・・・恥ずかしいです・・・でも・・・上倉さんが良ければ私はいつでも嫁げるように準備をしておきます!」
「ぶふっ!」
思わず味噌汁を噴き出してしまった。
「な・・・何言ってんだよ!俺じゃねえよ!沙織がいつかもらうであろう旦那のことだ!」
「えぇー?そういうことですかー?紛らわしいこと言わないでくださいよ」
「いや・・・紛らわしいって・・・」
ぷくーっと頬を膨らませる沙織。俺が悪いのか?悪いんだろうな。女の子に失礼なことしたらとりあえず謝れってばあちゃんも言ってたし。
「なんか・・・悪い・・・」
「別にいいですよー」
あからさまにへそを曲げられてしまった。うーん。
「ほ・・・ほら、機嫌直せよ。俺の卵焼きやるから」
「あーんしてくれなきゃ嫌です」
「は?」
「だから、あーんしてくれなきゃ嫌です」
「何でそんなことしなきゃいけねえんだ?」
「乙女心を踏みにじったんですから、その罰です」
「いや、意味わかんねえぞそれ」
第一、お前そういうこと言うキャラだったのか?昨日の感動的な出会いからは想像もつかねえんですけど。
「ほら、するんですか?しないんですか?」
「あー・・・。はいはい。分かったよ。ほら、あーん」
「あーん・・・もぐもぐ・・・ふふっ」
うおっ。食いながら笑ってるぞこいつ。
「美味しいです。ぐへへ。」
しかもぐへへって。
「とにかくこれで恨みっこなしだからな。全く」
こんだけ美味い飯作れるんだから黙ってりゃ可愛げがあるのによ。
何だかんだ言いつつ、自分以外の誰かと食卓を囲むことの暖かさを久々に感じることが出来て満更でもないのが本音ではあるが。それに、俺の事を友達って言ってくれたことも素直に嬉しかったし。
わいわいと喋りながら食事を済ませる。
「ご馳走様でした。いやー美味かった」
「ふふっお粗末さまでした」
数枚の食器を重ねて流し台へと運ぼうとする。
「あっ後片付けは俺がやるからお前は風呂入って来いよ。寒い中歌って身体冷えただろ?」
「え?いいんですか?わぁ・・・ありがとうございます!じゃあお言葉に甘えちゃいます!」
そういうと持参したスーツケースから着替えを取り出し入浴の準備をする。
「それじゃあお言葉に甘えてお先にお風呂いただきますね」
「ああっゆっくり入ってきていいからな。」
「いえ、上倉さんを待たせられないですからすぐ済ませますよ。何でしたら一緒に入ります?」
「入らねえし、気を遣わなくていいからゆっくり入ってこい」
「そうですか・・・残念です」
そんな本気で落ち込まないでくれ。俺が悪いみたいじゃないか。
「じゃあ失礼しますね!」
彼女を見送ると、テーブルの上の食器を運び、洗い物を始める。何かいいもんだな。こういうのも。
鼻歌なんぞ歌いながら洗い物を済ませて食後のコーヒーを注ぐ。味なんて別段こだわりがあるわけでもないがそれっぽくかっこつけて飲んでみる。そんなことをしていたときに、バスタオルを渡し忘れたことを思い出した。
「いっけね。バスタオル渡してねえや」
真っ白のバスタオルを手に脱衣所へと向かう。
「悪い沙織。バスタオルを渡し忘れて・・・た」
ノックし忘れた俺の責任だろう。しかし、今更手遅れだ。ドアを開けて洗濯機の上にバスタオルを置いてやろうと思ったらそこにはちょうど風呂から上がった淡い桜色に染まった沙織がフェイスタオルで頭を拭いている最中だった。本来は隠れているはずの部分が風呂上りということで包み隠さず露わになっている。
「あー・・・えー・・・お・・・お邪魔しまし・・・」
「きゃあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」
叫び声と同時にキレのある平手打ちが俺の左頬に打ち込まれる。
もう。ダメだぞ。ボクったら女の子のお風呂上りを覗いちゃって。ドジッ子なんだから☆
そんな冗談を言い続ける余裕もないようだ。段々と視界が暗くなってきた。ああ・・・ごめんよばあちゃん・・・俺も今からそっちへ行くよ・・・
一人の時とは違う。賑やかな夜はまだ続きそうだった。