憧れの先輩
「上倉か。何のようだ?」
社長室に入った途端に、俺の周りを重苦しい雰囲気が包み込み、思わずたじろぎ気味になるが何とか踏みとどまる。伝えないと。自分の意志を。
「これを・・・・・・」
デスクの上に持参した退職届を提出する。それを見た社長が「ふん・・・・・・」と鼻で笑った。ような気がした。
「どういうつもりだ?確かに私は解雇を言い渡したが、自分から退職届を出すとはどういう風の吹き回しだ。」
「はい。必要が無いと言われた以上、この会社にいつまでもご迷惑をかけることは出来ません。でも、入社して以来お世話になってきたのは事実です。ですから会社からの『解雇』という形で無く、退職という形でこの会社を去りたいと思いました。その方がこの会社から追い出されたという感覚を味わうこともないだろうと」
「なるほど。そういうことか。ならばこの退職届、拒む理由は見当たらない。君の気持ちを汲み取ることにさせてもらうが・・・・・・いいな?」
「はい。ありがとうございます。それと、重ねてお願いがあるのですが」
「なんだね?言ってみたまえ」
「退職届を出しましたが今月中までは一応は社員ですので働く義務があるかもしれません。ですが、私が今まで残していた有給休暇を今月の残りの日数使わせていただけませんか?」
「ほう。そいつは贅沢だね。いいよ。最後の望みくらい聞いてやろう」
人を小馬鹿にするように笑いながら承諾した。何とも腹立たしいがここは堪えねばなるまい。それが社会だ。
「ただ、いきなりは困る。せめた明日までは来たまえ。他の社員にもこのことを伝えねばならないからな」
「はい。分かりました。それでは私はこれで」
「待ちたまえ」
踵を返し、社長室を出ようとしたところを引き止められた。
「はい。何でしょう?」
「・・・・・・。解雇を言い渡した私がこんなこと言うのも変な話だが。これ以上の反論は無いのか?『この件』に関して。普通に考えたらこんなのは不当な扱いだと主張をするであろう。だが君はその逆の行動に出ている。」
「・・・・・・。何も無いと言えば嘘になります。ですが、私の無実を証明することが出来ないのが現実です。それに、今回のことで会社にダメージがあるのは間違いありません。その責任。誰かが取らなくてはならないと思います。それに・・・・・・。もう残れませんから」
溢れ出しそうになる涙をぐっと堪える。
「そうか・・・・・・。分かった。引き止めてすまなかったな」
「いえ・・・・・・。ですが社長。これだけは覚えておいてください」
「なんだ?」
次の言葉を待ち構えるように社長が喉を鳴らす。俺もこんな言葉が口から出るとは思わなかった。自然と出てしまった。
「今回の件。もう一度良くお調べになったほうが良いと思います。このままにしておいたら必ずまた同じようなことが起こるかもしれません。一番怪しいと疑われている私が会社を去ることでこの件は終わったと周りは思うでしょう。私が犯人ではないとしたら辞める必要は無いかもしれませんが、一度信用を失ってしまった今、この会社で十分に仕事を全うすることは出来ないでしょう。でも、まだ何も解決していない。そのことだけは覚えておいてください」
まるでサスペンスドラマの次回予告か。自分で言っておいて何だが、含みを込め過ぎていると思う。でも、本当のことだ。
「・・・・・・忠告感謝する。行きたまえ」
「はい。失礼します」
社長室を出て胸を撫で下ろす。
・・・・・・。どうしてこんなことになってしまったのか。俺はずっとこの会社の為にやってきたのに。
事の発端は1ヶ月程遡る。
この会社で新しいプロジェクトが立ち上がろうとしていた。これが成功したらこの会社は一回りも二回りも成長できるかもしれないと社長が豪語していたとても重要なプロジェクト。それを任されていたのが五十嵐さんを中心としたこの会社の主力のメンバー。俺はその補佐としてプロジェクトに携わっていた。今までにも小さなことには手を出して来たが、ここまで大きいプロジェクトは初めてだった。
最初は断ったが俺の経験を積ませる為だと五十嵐さんに推薦された。五十嵐さんには入社してから一番世話になった人だ。五十嵐さんはとても優秀な人で、俺に仕事のやり方などの真面目な話から、休日の過ごし方などのプライベートな話。色々なことを五十嵐さんに教わり、とても可愛がってもらった。俺もいつかは五十嵐さんのような立派な社員になりたい。そう思えるようになってきた。俺には五十嵐さんは憧れの存在と思えるようになった。その五十嵐さんの推薦とあれば断る理由などない。とても光栄に思えた。
最初は悪戦苦闘の毎日だった。色々と案は浮かぶものの、既に今までやってきたことの二番煎じになりかねないと却下されたこともあったし、他のライバル会社の上を行くにはインパクトにかけるとも言われた。俺達は何度も挫けそうになりながらもお互い支えあってやってきた。どんな仕事でも堅実にこなしてきた五十嵐さんですら今回に関しては顔を曇らせていた。
思うように事が進まず誰もが苦戦を強いられていた。そんな時、俺にふっと一つアイディアが浮かんだ。まだ誰も提案していないアイディア。もしかしたらいけるかもしれない。そう思うと何とも心が躍った。でもそれに自信が無かった。どうせ俺みたいな半人前のアイディア何て高が知れてるだろうし、何よりそのアイディアが通るわけがないと思った。それでも、物は試し。まずは五十嵐さんにそのアイディアを提案してみた。すると五十嵐さんは食い入るように俺の話を聞き、何度も首を縦に振って面白いと言ってくれた。そして、それを他のメンバーに話すと、皆が俺のアイディアを評価し、それで行こうと方針が決定した。俺はとても嬉しかった。今まで何も出来なかったが、初めてこの会社に貢献できる。俺を認めてもらえる。そう思った。何より、憧れだった五十嵐さんに認めてもらえたことが何よりも嬉しかった。
方針が決定してからと言うものの、五十嵐さんを中心にプロジェクトを進め、俺はその補佐を努めた。ここまで仕事にやりがいを感じたことは今まで無かった。ここまで楽しいと思ったことは無かったのだ。
そして、プロジェクトも最終段階へと来た。誰もがこのプロジェクトを成功させようと一段となっていた。そんな時に事件は起こった。
『情報漏洩』
俺達が寝る間も惜しんで進めてきたプロジェクト。それを保存していた媒体を紛失してしまったのだ。管理を怠っていたわけではない。厳重に保管し、バックアップも取っていた。それにも関らず媒体を紛失、しかも悪いことは立て続けに起こった。紛失した情報はよりにもよってライバル会社の元へと流れていたのだ。お互いを競い合っていたにも関らず情報を漏洩してしまった為に、俺達が大事に育ててきたプロジェクトはあっという間に横取りをされ、あたかも自分達の考えたプロジェクトだと言わんばかりにライバル会社に発表されてしまった。
俺達は絶望した。どれだけの苦労をしてきたか。どれだけの時間を費やしてきたか。それを考えるとより一層絶望感が俺達を苛んだ。そして絶望の淵に立たされていたと同時に、情報漏洩の原因を作ったのは誰なのか、犯人探しが始まったのだ。もちろん名乗り出る者などいるわけもなく、犯人は現れない。それはそうだ。でも俺は知っていた。誰が犯人なのか。
それは五十嵐さんだった。
媒体を紛失したと発覚する前日。五十嵐さんと俺は二人会社に残って作業をしていた。何時になったかは覚えていないが結構な時間になっていたと思う。電車通勤の五十嵐さんは終電が無くなる前には帰るとのことだったので、中途半端な所で俺達は会社を出ることになった。この時にいつも通り帰れば良かったのだ。いつも通りデータの保存をし、漏れは無いか入念にチェックする。だが、今回は違った
「なあ上倉。やっぱもうちょっとだけ進めたいんだよなぁ」
「でも五十嵐さん。そろそろ引き上げないと電車無くなっちゃいますよ?この辺で終わりにしないと」
「うーん・・・・・・。ちょっとデータ持ち帰ってもいいかな?」
「え?このデータですか?いや、まずいでしょう。万が一失くしたらやばいからデータの持ち帰りはやめようって一番最初にみんなで決めたじゃないですか」
「大丈夫だって。用は失くさなきゃいいんだよ。そんなつまらないミスしてお前等の苦労を水の泡に出来るわけ無いだろ」
「でも・・・・・・」
「早くこのプロジェクト完成させて、社長を立ててやりたいんだ。そして、立派な部下を持ったって思ってもらいたいんだ」
「五十嵐さん・・・・・・」
五十嵐さんの目は真剣だった。俺の目を見据えて離さない。やっぱり五十嵐さんはすごい人だと思った。
「分かりました。じゃあこれは俺達だけの秘密ってことにしましょう。でも、今回だけですよ?」
「ああ!ありがとう!よーし、今夜は徹夜だー!」
「あんま無理しないでくださいよ」
俺は意気揚々とする五十嵐さんを見て思わず笑みが零れた。この人に付いて行こう。この人に付いて俺もこの会社の力になりたい。そう思った。
仲間想いで普段は温厚な五十嵐さんからとは思えないとても冷たい表情で信じられないことを言った。
「犯人は上倉で間違いない。こいつは俺達で決めたルールを破ってデータを家に持ち帰り、その際に紛失した。俺はその時に止めろと言ったが聞かなかった。全責任は上倉にある」
頭の中が真っ白になった。
―え?・・・・・・俺・・・・・・?―
俺じゃない。犯人は五十嵐さんだ。これじゃあまるで立場が逆じゃないか。
俺は何度も説明した。包み隠さず真実を話した。にも関らず誰も俺の言うことに耳を傾けてくれなかった。それもそうだ。入社して未だに実績の無い俺と、今までずっと会社に貢献してきた五十嵐さんと、周りはどちらの言うこと信じるかは火を見るよりも明らかだった。
俺はまたしても絶望の淵に立たされた。一度味わった絶望を再度味わうとは思わなかった。しかも、憧れの五十嵐さん本人の手によって。
俺はもう誰も信用出来なかった。一番信頼していた五十嵐さんに犯人扱いをされ、全ての責任を押し付けられた。俺はもう何も言い返す気にもなれなかった。圭介と巴はずっと俺を庇い続けてくれた。そんなことするはずがない。もう一度良く調べてくれと何度も周りに懇願してくれていた。とても嬉しかったが、もうやめて欲しかった。どうせ無駄だ。どうせ誰も俺等の言うことを信じてはくれない。そう思っていた。
それからと言うものの、俺の説明は誰にも信用してもらえずに、会社に来て朝一番に解雇を言い渡された。
社長室を出てから俺は受け持ってきた仕事を次の人間―まあ圭介のことだが、こいつに全部押し付ける作業をする。何度説明してもこいつは「お前の説明が下手くそなんだよ!分かりやすく説明しろ!」等と文句を言ってくる。これ以上分かりやすくなどと無茶を言いやがって。
一通り説明や、引継ぎを終えたところで昼食を取りに圭介と巴と三人で食堂へと来ていた。俺はラーメンを頼み、圭介はカレー。巴は手作りのお弁当を持参してきた。
「巴の弁当っていつ見ても綺麗だよなー。お前らしくない」
「何よ私らしくないって」
「いや、見た目女でも中身はおっさんじゃん。女たらしだし」
「失礼なこと言わないでくれるかしら?別に女たらしでは無いわ。全ての子を可愛がって、愛しているもの」
「それを女たらしって言うんじゃないのか?」
圭介と巴がまたくだらないことをあーでもないこーでもないと言い出したので俺はスルスルとラーメンを啜る。ここの食堂のご飯も食べれなくなるのか。辞める前に食堂のおばちゃんに挨拶しておこう。
「あっ。上倉君。私沙織ちゃんのことも愛してるから安心してちょうだい」
「全く安心出来ないよ。むしろ寝取られるんじゃないか心配だ」
「寝取り・・・・・・ハァ・・・ハァ・・・いいわぁそれ・・・・・・ちょっと興奮しちゃうかも」
顔を赤くしながら息を荒げる。うっわこいつマジだ。沙織に釘打っておかないと本気で寝取られる。
巴から放たれる危険な香り(?)を察知した俺は帰宅したら真っ先に沙織の安全を確保しようと決めたのだった。
仕事を終え帰宅している途中、今朝沙織と話していたことを思い出した。
「あっそうだ。お前等週末空いてるか?」
「週末?悪いが俺は男と二人でクリスマスを過ごす趣味は無いぞ」
圭介が引き気味に言う。いや、俺もねえよ。
「私は空いてるわよ。生憎どの女の子も都合が合わなくてね」
「そうか。いや実はな。土曜日にお前等を呼んでうちでクリスマスパーティでもどうだって話を沙織としてたんだよ」
「へぇ。面白そうじゃない。私はいいわよ。沙織ちゃんに素敵なクリスマスを過ごさせてあげると伝えて頂戴」
「お前が言うとどうも健全じゃない気がしてならないんだけど。んで、圭介はどうするんだ?」
「もちろん行くに決まってんだろ。任せろ」
「じゃあ二人とも決まりな。あと、もしかしたら俺の知り合いが一人増えるかもしれないがいいか?」
「別に構わないけど、ちなみに、その子は女の子かしら?」
「え・・・・・・?ああ。そうだけど?」
「可愛い?」
「まぁ、可愛いんじゃないかな」
「ふふふっ・・・・・・。また可愛い女の子が増えるのね・・・・・・。楽しみだわぁ・・・・・・」
「俺は何だか心配になってきたよ・・・・・・」
帆乃夏に声を掛けるとき気をつけるよう言わないとな。
週末の予定は決まったところで、俺達は別れた。