19話‐4 拡散の式
「人間だって、ちゃんと修業をすれば魔物とだってやり合えるよ。オレ、あの有名な巨人族唯一の英雄、カイラの弟子なんだぞ」
魔物の世界でいくら有名だって、そんなことを俺が知るわけもないのだが。
「巨人族ってほとんどエメラードの集落から出てこないんだけど、カイラは戦前からアクアマリンにいて、いくつもの戦で名前を残したんだ。あのハイリアも、カイラの教えを受けてるんだぞ」
「え、じゃあ梓、ハイリアとは兄弟弟子なんじゃん」
「まーねぇ」
えへへ、と照れ笑いなんかしているが、そのハイリアに散々な思いをさせられた俺としてはその事実に複雑な心境になってるんだけど。
「で、そのカイラは今どうしてるんだ。やっぱり闘技場で活躍して?」
「死んじゃったよ。三年前。いくら強くたって、もう寿命も迫ってたからさ……オレもハイリアも、最後はカイラを倒さなきゃって思ってたんだ。でも無理だった。そうこうしている間に、別の奴に倒されちゃって。ハイリアの弟子の……オレと同じ歳くらいの、人間の。そいつはその頃にはすでに 闘技場でも優勝しててさ。あいつに置いてかれたくなくて、オレも闘技場に出ることにしたんだ……でもオレ、そいつと当たってもいっぺんも勝ててないんだ……」
「いやぁ、そんなちっこい体で闘技場なんか出て頑張ってるってだけで、凄すぎて俺には何にも言えねぇ……」
梓は闘技場の賞金で、養父である春日居先生を助けられる収入を得て生活しているというのだから、十分すぎるくらいに立派なものだと思う。
素直な賛辞を送ったつもりだが、梓は納得した様子はない。
「せっかく楓がオレに付き合ってくれてるのに。楓の、魔術技師としての腕は本物なんだぞ。でも、オレが勝てないままでいたら、楓の実力まで認められないままだ。オレは、そんなのはいやなんだ」
「彼女がおまえのこと、そんな風に見てるとは思えないけどな。ただ梓のことが好きで協力してるんじゃないのか?」
好き、という言葉に深い意味があったわけじゃない。異性としてとまで言い切るのは、まだ短い付き合いなので早計だろうが、仮に友達だとしてもカリンが梓に好意を持っているのは事実だろう。
だが、梓の反応は、思いの外暗かった。こいつは嘘をつくとか感情を隠すっていうのが、とことんまで苦手なんだと思う。明らかに悲しげな笑みを浮かべ、右へ左へゆるやかに首を振り、何事か言おうと口を開いた……その時。
奥の小部屋にいてもはっきりと耳につく、がたり、玄関がきしむ音がした。梓は面もちを一瞬にして緊張させ、動いた。居間にいて立ち上がった春日居先生を呼び止めて、自らが玄関を開ける。
不格好にその動きを追って、俺も玄関へ向かう。ちょうど、梓が扉を開けて、その向こうから倒れ込んだ誰かの両肩を支えたところだった。
「学!」
「や、やぁ梓、ひさし、ぶり」
額から髪まで冷や汗でびっしょり濡らし、無理矢理に作った笑顔で梓を見上げたのは、マージャだった。ゆったりしたジーンズのつなぎを着ているのはエメラードにいた時と同じだが、震えているのはアクアマリンの寒さだけではないらしい。震える両腕でしっかと抱え込んだ腹の、その辺りの布は赤黒く染まっていた。……それは、さっと嫌な想像を走らせる。
「マージャ、……何をしたんだっ!」
「敦、ダメだ。今は話していられる時じゃない」
俺だって、そんな場合じゃないってことはわかっていた。それでもつい荒らげた声に、梓は驚くほど冷静に俺を制す。
「メディのとこに行くぞ。まだ歩けるよな」
「う……」
何か言おうとしたのだろうが、言葉が続かず、マージャは地面を見たまま頷く。つなぎの下でどうにかなっている腹のまま背負って運ぶよりは、辛抱して歩いた方がマシだ、というのは梓の判断なのだろう。
「俺もっ……」
「敦はここに残ってろ。こんなんで、守りきれるかわからない」
先程までの人懐こさが嘘のように、有無を言わせぬ厳しさだった。
梓がいなくなると、話し相手のいない俺は手持ちぶさただった。春日居先生と話すなり、せっかくこれだけの蔵書があるのだから読ませてもらうなりすればいいのだろうが、とてもそんな気にはなれない。
先程まで梓と話していた奥の小部屋……つまりは寝室なのだろうが、とにかく。俺はそのベッドの上に腰を下ろして、考えを巡らせていた。
マージャは自らの腹を抱きしめて、その周囲を血に染めていた――俺が、ブロッブに捕らわれ溶かされ、損傷したと思ったけど何故か傷ひとつなかったのも、同じ腹部。何があったか知らないが、これを偶然と思うほど俺も馬鹿じゃない。
エメラードに残ったあいつが、船もないのにどうやってここまで来たのかだって理解不能だ。一瞬だけ外へ出て確認してみたら、アクアマリンの居住地とは正反対に伸びる道へ、点々と続く血の痕を見つけた。
ひと月ほど前、タイタンのキリーとの戦いの中で、マージャは言った。忌み蔑まれるゴブリン族である自分を助けてくれた友人がいると。あの様子じゃあ、その友人とは梓のことだったのかもしれない。出会ったのは今夜、そしてわずかに話しただけだって、梓の愚直なまでの素直さはよくわかる。
マージャは梓のことを、夢のような友人だと言っていた。呪われた自分を心から思いやってくれる出来すぎた友人だから、まるで現実には存在しないかのようだ。推測だが、こんな意味を込めていたのだと思う。その梓と俺もまた、似ていると表現した。言われた方としては別に実感はないのだが、問題はそこではなくて。
いくら何でも、偶然が過ぎやしないか。ティアーとカリンが友人で、マージャと梓もそう。俺とティアーは子供の頃に出会った縁があり、そのためにティアーは俺を気にかけ守ってくれた。ティアーとマージャも、秘密を共有した友人だった。そして俺は不可抗力で連れられてきたアクアマリンで、カリンと梓に出会っ て……そういえば、俺達はエメラードのフェニックスであるシュゼットと親交があるが、梓達もアクアマリンのフェニックスであるツヴァイクと仲が良 さそうだ。
自分で挙げて考えただけでも混乱させられる、偶然の出会いの羅列。そりゃあ、魔物の中で暮らす人間ってだけで限られるわけだし、いつかはお互いを頼って訪ねることもあったかもしれない。ソースである俺が、魔物の社会で特別に知られた存在であるフェニックスと出会うのだって。しかしながら、それらを除いてなお、巡り合わせというべき偶然はいくつも数えられる。
偶然も複数重ねたら不自然、とはよく言ったものだ。まるで何者かに仕組まれたかのような、人間関係の密集。ひとつだけ、心当たりと思える奴がいる。
謀略でもって、俺をアクアマリンまで連れてきたムシュフシュ――フェニックスと行動を共にしてきたキメラ。あいつは何らかの意思で動いていて、こうも言った。運命の時が訪れた、と。
運命を司る神竜、月光竜ムーン=セレネーの定義付けた「運命」とは、全ての物事の起こりはあらかじめ決まっていて、魔物や人間といった意思ある生き物がいくら努力したって変えられないということ。
だったら、「運命の時が訪れた」という言葉は一体何を意味しているのか……。
「高泉君」
考えすぎて頭の動きが鈍ったところで、春日居先生から呼びかけられた。
「とても疲れているようだね。君だけでも先に休んだらどうだい」
「――こんなことになって、俺だけ呑気に寝ていられません」
マージャの奴はどう見ても重傷だったし、梓はそれを助けるために奔走しているはずだ……それら の元凶であるかもしれない俺が、疲れたからって彼らを差し置いてぬくぬくのベッドの中、なんて、それを容認出来るほど自分は図太くはないと思う。
「そうか。それなら少しばかり、私事に付き合ってもらえないか。君に、見て欲しいものがあるんだ」
少しだけ神妙な顔をして、春日居先生は呟いた。違和感を覚えながらも、断る理由もないのでとりあえず頷いておく。
寝室に入ってきた春日居先生が、サイドテーブルの上、伏せられた写真立てを手に取る。先程、梓もそれを眺めていて、そういう置き方をしたのも梓の行動だった。
「君は、今いくつだったかな」
「十一月のはじめに誕生日がきて、十七歳になりました」
「そうか。梓はね、十月なんだよ。ほんの少しお兄さんだね。あの子はあの通り幼いところがあるから、あまりそうは見えないかもしれないけれど」
「幼い、ってこともないと思いますよ。人間の島だったら、同い年で自活出来るほどの稼ぎがあるってだけで大したものですし」
「そうかもしれない。けれど、彼らと比較することにあまり意味はないだろうね。生まれ育った環境が違いすぎるし、何より……梓の生きていく強さは、アクアマリンの中でしか通用しないものだ」
わずかに眉を寄せ、静かに首を振りながら話を続ける。それは否定ではなく、憐憫のしぐさだと思う。
「私や小笠原君や、ツヴァイク。カイラ殿や、マージャをはじめ限られた友人。そしてこれからは、君も梓にとって特別な存在になるだろう。そんなごく狭い 人間関係が、あの子の世界の全てだ。だから梓は、それらが失われるのを恐れている。マージャの時もそうだった。石化のまじないを理由に隔離されよ うとしていた彼を梓はかばって、そして……
友達を見殺しにするくらいなら死んだ方がましだ、と、泣き喚いていたよ」
マージャは、俺と梓は似ていると言った。そのマージャをかばった梓の言葉を、俺はついこの間、そっくりそのまま宣言していたのだ。あまりに奇妙な符号に、俺はむしろ空恐ろしさを感じていた。
「その結果が、マージャのあのゴーグルだよ。石化のまじないこそ封じられるが、彼の命を削り激痛も与える欠陥品さ。あれを着用し、アクアマリンに従うことを条件にマージャは生き延びている」
「マージャが梓達と一緒にいないのは、アクアマリン同盟の命令ですか」
ただでさえ、不安と苦痛まみれの境遇なんだ。それを心から理解し、助け合える友人が側にいてくれたら、どんなに心強いだろう。
「それもひとつの理由だが、それだけではないと私は思うけどね。梓のことを心から信頼出来る友人と感じてくれているからこそ、彼はここを出ていったのだろう。思いやりに甘えてべったりと梓に寄り添い、依存してしまえば、それはもう友人関係とは呼べないだろう。いくら梓が気にしないとは言っても、負担になるのは言い逃れようのない事実だから」
いつだったか……ああ、そうだ。あれはエメラードから人間の島へ帰って、マージャと対峙した時だった。あいつ、言ってたっけ。友達だからって甘えるのは男として駄目だとか何とか。
「失うのをおそれるとは言ったけれど、気を許した人間を常に側へ置かないと耐えられないというわけではないんだ。マージャには目的があって、人間の島へ旅だった。そういう意思をあの子は尊重出来る。梓がおそれるのは、心が離れていくことだから」
「ああ……だから、梓は人間の島では生きられない。そういうことなんですね」
今度は否定せず、春日居先生は、たっぷりと同意を含ませて頷いた。
幼い頃から、フェナサイトの各地を移動してきた俺には、痛いほどよくわかった。友達がいないわけじゃない、だけど、それは一緒にいられる間だけ。転校し たり、卒業したりで居場所を共有することがなくなれば、適当につるんでいた程度の友達とのつながりは自然消滅してしまう。その頃にはお互いに新しい友達も出来ていて、だからこそ、過去の知人と疎遠になることを執拗に責める人間はいない――いや、いるかもしれないが、一応は少数派と言っていいだろう。
それは寂しいことなのかもしれない。けれど致し方ないことだ。それが人間社会の営みだった。魔物の中の限られた人間同士で助け合い、深く関わっていくのに慣れてきた。梓がそう生きてきたのなら、確かに今更人間の島に放り込むのは酷なことかもしれない。
こつんこつん、よく響く軽やかなノック音がこちらまで届いた。家主である春日居先生の返事を待つことなく、来訪者はやって来る。
「お邪魔します、春日居先生」
「小笠原君。いつもすまないね」
「いいえ。梓の頼みですから」
春日居先生とやり取りするカリンは妙に嬉しそうで――いや、これはどちらかというと、誇らしそうなんだ――女の子らしい大きな瞳をわずかに細めている。
しゃがみ込んでベッドの下から取り出したのは、薄汚れた小型トランクだった。ハードカバーの冊子とよく似た大きさのそれに、カリンは左のポケットから出した紐をくくりつけ、吊した腕のギプスと接触しないよう肩にかける。一連の動作は慣れたものだった。
失礼します、と断って退出しようとしたカリンを、俺はどこへ行くのかと呼び止めた。どうやら彼女と春日居先生の間には、報告せずとも了解があるらしい。
「マナ君の治療費を取りに来たの。代金は梓の有り金全部、だって」
「なっ、それ、梓が出すって?」
ぼったくりじゃないのか、と疑いそうになったが、よくよく考えたら命の危機が救われる代価に安いも高いもないのかもしれない。魔物の世界には医療費の控除なんてないだろうし。
だとしても、その代金を梓が払うのはどういう経緯があったのだろう。
「こういうお金も、取りやすいところから取るものなのよ、あの医者は。梓は梓で、『お金ってこういう時に助かるように、貯めるものなんだろ?』なんて言っちゃうし」
やれやれ、と首を振りながらもカリンに呆れた様子はない。……まぁ、俺にだって理解出来る。本当に大切な友達が、金さえ積めば助かるのなら、可能な限りそうするだろう。
「俺も行くよ」
「危ないし、やめた方がいいよ。梓もそう言ってたわ」
「マージャの容態が心配なんだ。……あいつ、俺のためにあんなことになったんじゃないのか?」
隠したってわかる。カリンの方も図星を突かれたのを隠せず、表情に出してしまっている。
そして俺は、卑怯なことに、こういう言い方をすればカリンは断れないとわかっていた。




