19話‐3 拡散の式
「ここは、ずいぶん寂しい感じだな……」
ツヴァイクの案内でたどり着いたのは、アクアマリンの市街地からはやや外れている場所。盟主の塔に向かってまっすぐ、扇状に延びるよう整然と並んでいた市街地と違って、ここには十軒程度の小屋がばらばらに置かれるように建っている。その小屋の中にも、魔物の息を潜める、あるいは寝息めいた気配は 伝わってこない。要するに無人だと直感的に伝わる、寂れた空気が漂う場所だった――俺達の前にある、ひときわ大きな建造物を除いては。
アクアマリンの住居にしてはやや大きすぎる、ドーム状の家だった。ドーム、といってもきれいに半球になっているのではなく、丸みのある頭頂部を切り落としたようになっている。白い粘土質の壁から、素材自体はアクアマリンの家々と同一だとわかる。
このドーム型の家にだけは、室内からほのかに明かりが覗いている――贅沢なことに、この家にはガラスの開き窓がある。アクアマリンで見た家々の窓は壁をそれらしい大きさで四角に切り抜き、必要に応じて合板を取り外すような、いたって貧相な有様だった――そして、幻想めいた形状にはいっそそぐわない、 何の変哲もない木戸の横に「春日居」と印字された白い表札がぶら下がっている。文字という文化の伝わっていない魔物達に、人間名の表札なんて意味を為すのだろうか。
こんなに寂れた場所だというのに、アクアマリンの最果てはここではないようで、この家の脇にはひと筋の道がいずこかへ続いている。
「ここは人間の集落だ。今は春日居の家にしか住民はいない。アクアマリンに渡ってくるような人間は、そちらの社会で借金やら他の何やらに追われて逃げ出してきた者が大半だ。そういった連中がアクアマリンの暮らしに耐えるわけもない。のたれ死んで、結局この集落はいつだって空き家ばかりになるのだ」
この島に上陸して、わずかな時間の中で見聞きした情景から、その過酷さは察しが付いた。アクアマリンには、エメラードはおろかフェナサイトにも劣る、圧倒的に資源が枯渇している。自給自足しようにも植物は育たず、食料となる野生生物らしき姿も見えない。結果として生活に必要なものは人間の島から搾取し、それをアクアマリンの社会で平等に配分するために通貨による売買を取り入れざるを得なかった。
アクアマリンにいたって、金を稼がなければ喰っていけない。人間の島でさえあぶれるような人間が、アクアマリンで何をして金銭を得られるというのだろう。
「カリンは、こっちには住まないんだな」
「あれは通りに自分の店を構えている。両親と共にアクアマリンへ渡った当初は当然、こちらに住んでいたが」
「ふぅん……で、この春日居さんちっていうのは、カリンの相棒の」
先程、ツヴァイクとカリンの会話の中に出てきた名前はふたつ。カリンのパートナーといわれた、梓という人物。その養父である、春日居要。彼らが一緒に暮らしているのなら、春日居さんの家は梓の家でもあるはず。
「春日居要の邸宅だ。血の繋がりはないが、梓は要に育てられた。春日居家はアクアマリンとフェナサイトが条約を結んだ三百年前よりこの島に居着き、その研究成果でもってアクアマリンに貢献してきた学識者だ。相手が人間といえど魔物は、魔物に貢献した者に対して恩を仇で返すような真似はしない。春日居の家にいれば、そなたの身の安全は高確率で保証される」
「そっか。でも、見ず知らずの人に厄介になっていいのかな」
そう言うと、ツヴァイクはわずかに顔をしかめたが、すぐに取り澄ました風になる。
「案ずることはない。そなたにとっては記憶にないとしても、要や梓にとってはそうではない。そなたをかくまうこともやぶさかではないだろう」
「ん、どういう……」
さらに訊ねようとした俺を無視して、ツヴァイクは扉を叩き、呼びかけた。
「アース」
「おかえりツヴァイク。楓は……」
扉を全開にすることはなく、隙間から顔だけを出すようにこちらをうかがった少年は、どうやら俺を見て動きを止めた。俺と目が合った瞬間に、黒々とした目から感情が消え失せ、かと思えば思いっきり動揺して音を立てて扉を閉めた。ツヴァイクは何事もなかったように、今度は自ら戸を開けて俺を先に中へ押しこむ。
奇妙な外観に似つかわしい、視界に飛び込んできた内装も予想の上をいくスケールだった。
個人宅だというのに、まあるい壁の一面には書物が隙間なく詰められている。エメラードにも壁の両側面が本棚に占拠された家はあったが、あれは所詮、小屋程度の規模だった。図書館のようだ、といえば非現実とはいえないのかもしれないが、それにしたって天井まで届く本棚っていうのはどうなんだ。最上段の本が取れなくないか?
天井は、どうやら全面ガラス張りになっているらしい。分厚い雲によって星ひとつない暗澹とした空が、ガラスを補強するのに巡らせたのであろう格子状に区切られている。
「はるばるアクアマリンまで、お疲れ様だったね。ソース君」
中に入るとすぐに、ダイニングテーブルらしい広めの机について食事をとっていた壮年の男性に声をかけられる。口ひげも後ろに流した髪も白より灰色が濃い、それなりの年齢を感じさせられる人だ。とろりと下がり気味の目尻に落ち着きを湛えた黒い瞳からして、どこまでも穏やかな風情を漂わせている。その顔を見ただけで心がほっと一息つけそうな気がした。この気候で、暖房機器もないアクアマリンで薄手の白衣は寒いのだろう。年季の入ったくたくたの赤いジャンパーを羽織っている。
お疲れ様、なんて次元は通り越している気もするが、俺も挨拶を返す。どういう事情だか知らないが、これから多大にお世話になってしまいそうだし。それから改めて、確認をする。
「あ、あの。俺、本当にこちらにいさせてもらっていいんですか」
「もちろん、かまわないよ」
「でも……」
もちろん、っていうのは何をもってそう言えるのか。初対面のはずなのにそんな配慮をもらえるのが心底わからなくて、なおも言い募ろうとした。その時、遠近感あって春日居さんの肩越しに見える、奥の小部屋の入り口から先程の少年が一瞬だけ顔を見せた。俺が気付いたのを察知してか、すぐに小部屋の奥へ身を隠す。
春日居さんは、優しくあたたかなため息を吐きつつ、こう言った。
「ご覧の通りさ。あの子の良い話し相手にでもなってもらえたら、こんなにも助かることはないからね」
「おーい、もしもし?」
小部屋は完全な暗闇ではなく、三つ並んだベッドに挟まるよう置かれた縦長の引き出しの上にあるカンテラで照らされていた。
中央のベッドに、背中を向けてぺたんと座っていた少年は、声をかけると大げさに肩を跳ねて驚く。おずおずとこちらを振り返りつつ、手に持っていた何かを、カンテラのない右手側の引き出しの上に伏せて置く。
先程は顔しか見えなかったのでわからなかったが少年の髪は線が細く、しっぽのような長髪が背中の中程まであった。薄い金色は麦穂のようで、どこか懐かしさと親近感を与える。
下は腰と足首にしっかりとゴムの入ったふわふわのズボンをはいているが、上半身は包帯で隠れていた。
「俺は高泉敦。魔物名はソース=アーチ」
名乗ると、いささか逡巡した動きを見せながら、彼も立ち上がる。俺は小柄な体格だとよく言われるが、背丈だけでいえば彼は俺と大差ない。ただし、包帯越しに見受けられる筋肉の凹凸は、俺よりもずっとたくましい。アクアマリンの魔物達の社会で暮らしてきたなら、自然とこうなるのだろう。
「お、オレ、あずさ。春日居梓っていうんだ」
「しばらく迷惑をかけるかもしれないけど、よろしく」
「う、うん」
受け答えをしながら、ちらちら、俺をうかがう。
「ずっと、要さんと暮らしてるんだ?」
「うん。お父さんが帰ってくるまでは、春日居先生が代わりにお父さんをやってくれるって」
「そっか。うん、やさしそうな人だよな」
ぱぁ、っと、梓の顔が晴れる。養父と養子の関係とはいえ、ふたりの仲が良好だというのは雰囲気からわかっていた。
「うん! 本当のお父さんにだって会いたいけど、オレ、春日居先生がお父さんで良かった! 敦のお父さんはどんな人なんだ?」
一気に警戒心のゆるい笑顔を向けてくる梓の返してくる問いは、答えに詰まった。自分の親のことをどう思ってるかなんて、改めて言葉にするのは難しい。
「えーと、普通の父親だよ。普通に働いて、俺を育ててくれて。普通に尊敬できる父さん、かな」
「そっかぁ」
ごまかしの常套句を並べてみたが、彼と同じく俺も父親を父親として尊敬しているのは伝わったのか、梓は嬉しそうだった。
「なぁ敦、そのかっこ、寒くないか? オレの上着貸そうか」
俺の身につけているシャツはエメラードの気候に合わせた薄着で、しかも牢の中でその服の一部が溶かされて――結局、あれは一体なんだったんだろう――腹が丸出しになっている。そんなことを気にしている余裕はなかったけど、正直、腹から寒さを吸収して主に上半身は震えそうに冷やされていた。
ちょうど俺と梓は似たような体格なんだし、お言葉に甘えることにした。梓がベッドの下から取り出した服を着る。一見すると白い布だが、目を凝らしてみると本当にうっすらとエメラルドに染められている。袂の両側にボタンを通すような穴が四つずつ、しかしボタンはない。続けて梓が差 し出したのは、濃い緑色のリボンだった。それを八つの穴に交差するように通して、襟元で結んでくれるのだが、その結び目は今にもほどけそうで頼りない。
「ありゃ、オレだとうまくいかないや。いつも楓が結んでくれてるからかな」
恥入る様子もなく、当たり前のように言う。俺が自分で結び目を直していると、
「これでも普段用の戦闘着だから、便利なんだぞ。紐をほどいたらすぐに腹の式がさらせるし、腕だって、こうやってまくってもずり落ちてこないんだ。けど、敦はどこにも魔術式入れてないみたいだから、あんま関係ないか」
「梓は、その包帯の下に式を刻んでるのか」
「うん。いつもは隠してるんじゃないぞ。包帯は、昨日の試合でぼろ負けして、ちょっぴりひどく火傷しちゃっただけだし」
その包帯が隠す部分が広範囲であること、ちょっぴりひどくという言葉の不自然さ。ひどい火傷なんじゃないかと想像するのは簡単だった。
「梓は人間だろう? 魔物達に混じって試合なんかして、よく無事でいるな」
アクアマリンの闘技場については、牢の中で暇を持て余している最中、カリンが詳細を話してくれた。そもそも闘技場というものが作られたのは人間との争いが一旦の決着を迎えた、不可侵条約締結後のこと。
大元を辿れば闘うために生まれたといって過言ではない魔物達にとって、戦場が失われたことは必ずしも歓迎出来るだけではなかった。人間と魔物、異種族が争い血を流すことがないのは喜ぶべきではある。しかし、それでも魔物にとっては存在意義を脅かされる事態にほかならなかった。
また、魔物達は日に日に科学力を発展させていく人間を見ると、神話時代に過ちを犯した人間達を否応なしに思い起こす。いつか、あの戦争は繰り返される。それがアクアマリンの魔物達の見解だった。
人間が科学によって戦力を増大させるなら、アクアマリンとてただ平和に身を委ねるわけにはいかなかった。魔物としての能力を磨き続け、有事には一致団結して、そしていつ事が起こっても人間と戦える土台を築いておかなければならない。
魔物がアクアマリンとエメラードへ勢力を二分させるに至ったのも、理由はここに帰結する。アクアマリンの魔物達は、あくまで魔物として生まれた使命を遵守する。人間を信用せず、この海域を支配するのは人間でなく魔物であるべしという信念を掲げている。
エメラードの魔物達は、使命に縛られず自由に、生まれた森の島で穏やかに暮らしていきたい。ある意味では楽観的ともいえるが、いつか人間と全面戦争になることがあったとしても、人間が魔物に勝利するということ自体をあまり想定していないのだった。




