19話‐1 拡散の式
アクアマリンの牢に幽閉される羽目になったものの、その隣室に七日だけ収容されるという人間の女の子、カリンのおかげで、確かにこの暮らしに退屈を覚えることはなかった。アクアマリンでの生活が長いという彼女は、こちらから投げる戯れの疑問を詳しく解説してくれた。
「アクアマリンの建造物はね、ほっとんどが、孤島ユークレースの土壌からとれる粘土で出来てるんだよ。水に濡れると固まって、雨が降る度に密度を増して頑強になってくの。古くは神話時代、アクアマリンにいた人間が初めてゴーレムを作った土なんだ。ただ、大きな弱点もあってね。熱に弱くって、火に当てると あっという間にぼろっぼろになっちゃうんだ。人間が大規模な、火炎放射器みたいな兵器でも作ったら大変なことになるかもね」
とはいえ、いくらその手のものが完成したところで、人間の島が魔物の島にそれを向けるとは考えにくい。アクアマリンの魔物はいざとなったら建造物に住居 を構える、なんて生活スタイルでなくたって生きていける。魔物からのその後の報復を考えたら、とても人間側から仕掛けるなど出来ないだろう。カリンはそう 付け足した。
「アクアマリンの空気ってどっちかっていうと乾燥してるよな。ちょっとぼやでも出した日には大変なことになるんじゃ」
「あー、まぁね~。かくいう、あたしがこういう目に遭ってるのもそのせいだったりするんだよね」
ぽりぽり、無事な右手で頭をかいてみせる。彼女は何か罪を犯し、アクアマリン式の処刑によって左腕を折られ、この地下牢に七日間、投獄されているのだ。
「一体、何をしでかしてこんなことになったんだよ……」
「言っておくけど、過失罪であって、事故であって! 別にわざとやったわけじゃないんだよ? だからこそこの程度で済んだわけだし……」
見た目だけならか弱い、ごく普通の人間の女の子が、腕をへし折られるような何かをやらかした。その事実を念頭に、呆れ混じりの問い方をしたところ、カリンはあせあせと弁明する。
「あたし、魔術道具を作って生計を立ててるんだけどね。そのお得意先で作業していて、良くないミスをしちゃって。幸い大したけが人はいなかったんだけど、家は爆発してなくなっちゃったし、お客さんの左腕もこんがり火傷しちゃったし」
確かに、火傷で済んだのはまさしく幸いだったんだろうけど、結構な大惨事であることに変わりない。
「アクアマリンではね、刑罰は、被害者に全ての決定権があるの。被害者が死亡している場合は別だけどね、問答無用で死刑だから。今回は、先方にとってもあたしが使えなくなるのは困る事情もあったから、家の弁償と火傷した左腕に似たようなダメージと、一応、形式上の投獄と。これっぽっちで見逃してもらえたんだ」
比較対象がないのでよく分からないが、彼女の中では、この処遇は温情の類になるらしい。
牢に入って四日目になって、俺はついに、何より気になっていてしかし口を開けなかった問いを投げかけた。
「あのさ……ティアーとカリンは、どんな関係だったんだ?」
カリンと、今は亡き仲間のティアーに接点があったことは、初対面から知らされていた。だけど、ただでさえこの状況に打ちのめされていた俺は、彼女とのささやかな日々、幸せな思い出に触れるのが痛くてたまらなかった。
「ちょっと捜し物があってね、あたしがエメラードへ渡ったんだ。次の船で帰ったからたった三十日の間だけだったけど、友達だった。その時に敦君のことを話してたんだよ。ティアーは、いつかフェナサイトへ渡って、守りたい人がいるんだって。この一生を捧げて、そうしたい人がいるって」
カリンなら、当然のように、ティアー達ワー・ウルフの寿命について知っていただろう。一生を捧げてという言葉の真意だって、確かめるまでもなかったんだろうな……俺と、違って。
「その人の名前が敦君っていって、十五歳になったらソースとして覚醒して、危険な立場になる。そこまで聞かせてくれていたから、ここであなたと会った瞬間には、あなたがティアーの言ってた敦君だってすぐにわかった。ソースの魔力なんて、あんまりにもけた違いなんだから。ちなみに、あたしの魔力がどれくらいか、敦君わかる?」
右手の人差し指が、彼女自身を指さす。俺はまだ、日常的な感覚の中で魔力を察知することは出来ない。魔物のように、あるいはカリンだってそうなのだろうが、呼吸をするように当たり前に周囲の魔力を探るなんて無理だ。
だから、俺は目を閉じて、意識を集中させる。目から入る情報は人間にはあまりに絶対的で、他の感覚を研ぎ澄ませるにはこうするのが一番だ。産毛が逆立ち肌が粟立つような感触が、俺が相手の魔力量を知る何よりの手がかりだった。
「もしかして、人間にしては結構な魔力量なんじゃないか? エメラードにいた魔物と比べたって、ひけを取らない感じなんだけど」
「正解っ。これのおかげであたし、人間の島で生まれたのに、人並みの生活を送れなくなっちゃったんだけどね。こっちでの仲間もいるし、アクアマリンでの生活も楽しんでるから結果オーライだけど」
にこにこ、偽りのない笑顔が彼女自身の言葉を肯定する。
「あたしの両親も結構ろくでもない性格でさ。いっつもギャンブルで作った借金に追われてて、あたしに魔物並みの魔力があるって知ったら、きっとアクアマリ ンで楽に暮らせるって思い込んで。あったま悪いよねぇ。魔力だけあったって、魔物の世界について何にも知らない、ふっつ~に人間の生活してた、中学生になる直前の女の子に何が出来るっていうんだか。おかげであたし、六年間机を並べたみんなと一緒に小学校の卒業式にも出られなかったし」
しかし、端から聞いていて、その半生はとても笑い話になるような内容ではない。なんというか、単純に、不憫だ。
「親のこと、恨んでないのか?」
「それが自分でも不思議なんだけどね、あんな親でも見捨てることは出来ないものなんだよ。うちはあたしの収入だけで暮らしてるから、あのふたりは遊んでても生きていける。もちろん、派手に遊び歩けるようなお金は渡してあげないけどね?」
そんなことをバツが悪そうに話すカリンだが、いや、そこは厳しくしていいところだと俺も思う。というか、まともな親と、それに育てられた人間なら当たり前に賛同することだろう。
「それに、想像以上に、アクアマリンでの生活はあたしの肌に合ったみたいだし。こっちの仲間と一緒に魔術道具作ったり、魔物のこと勉強したり、自分の研究成果でお金が入るのが楽しくって仕方がないんだ。人間の島の子供より、ほんの少し自立が早かっただけなんだよ」
こんな生活してるんだもの、さすがに、自立してるって思っていいよね? おどけた風に彼女は言う。俺も、それを否定する気は毛頭なかった。
彼女が晴れて刑期を終える夜、何とはなしにお互い黙りこくって、牢番によって運ばれてきた夕食を口に入れていた。この牢屋での食事は全て、人間の島から 輸入されてくる缶詰めだ。野生生物もごく少なく、まして作物さえ育てられないアクアマリンの環境。食糧自給率ゼロパーセントで、人間の島からの強制搾取に 近い輸入で、アクアマリンは食の全てをまかなっている。缶詰めはその中で最安値であり、魔物達には粗末な食事とみなされているという。
俺は両手首を不可視の枷に縛られ、カリンは左腕をギプスで固められている。ふたり揃ってものを食べるには苦労を強いられる状況で、食事の時間も長引く。俺がようやく食べ終えて、その時を待っていたらしいカリンがつぶやくように呼びかけてきた。
「ねぇ、悲しい気持ちにさせちゃうかもしれないけど、訊いてもいい? ティアーはもう……」
「……ああ」
お互い、最後まで口にする必要はなかった。ティアーが死んだことは、カリンが最初に彼女の名前をだした時、俺の態度から察したのだろう。
「敦君と一緒の間、ティアーはどうだった? 幸せそうにしてたのかな」
うかがうように俺を見る眼差しはしかし、俺に向けられているわけではなさそうだ。今はどこにもいない、かつて俺と共にいたティアー――親友だった彼女のことを案じているのだろう。
「……ごめん。たぶん、俺はティアーのことは、君に話せそうなことは何ひとつ知らない。俺は、散々彼女に守られてきたっていうのに、俺からは何にも返してやれなかった」
下手したら、たったひと月しか一緒にいなかったというカリンの方が、よほどティアーのことを理解していたのではないだろうか。
「そっか……うん、わかった」
ちっとも回答になっていない俺の返事に、どうしてかカリンは表情を引き締めていた。
「敦君。あなたがこんなところに閉じこめられたまま一生を終えるようなこと、あたし達がさせないわ。今回ばっかりは、ティアーの代わりにあたしがあなたを助けてみせる。きっとここから出してあげる。だから希望を捨てないでね?」
ささやかに微笑みながら、力強く元気付けてくれる。そんな笑顔に、何故だかとても懐かしさを覚えた……いや、本当は、少し前から気が付いていた。
カリンは、海月 涙だった彼女に似ていた。ティアーが涙さんを演じていたと知った後よりも……俺が、ごく普通に人間として接していた頃の涙さんと過ごしていた時間が、カリンといるとどうしようもなく思い出された。懐かしさと同時に、一体何に対してだかわからない罪悪感が、背筋をぞわぞわとせりあがってくるような気がした。
今夜めでたく投獄期間を終えるカリンには、身元引受人がこの牢まで迎えに来る。その存在を待たずして、俺はうとうととまどろんでいた。その眠気に耐えかねて、冷たい石造りの床に横たわり、毛布を引き寄せて眠りの態勢に入る。
日の出と共に目覚め暗くなれば床につく。もうすっかりそんな生活に順応していたから、夜更かしはすっかり不得手になってしまった。閉ざしたまぶたの代わりに聡くなった聴覚が、カリンの大きなあくびを聞き取ったのを最後に、俺は意識を落とす。
どれくらい経ったのだろう? 当然わかるはずもないが、不快な違和感に身じろごうとして、俺は異変に気が付いた。寝相でも悪かったのか、牢の壁に背中が張り付いたような冷たさがあった。その壁に、ただ寄りかかっているのとはわけが違う――体が、動かない?
事態に動転して動いた部位は、よじろうとした肩と、立ち上がろうとした足。肩を軸に寝返りを打とうとしたのが、ただ左肘がむなしく空振りし、足は地面を蹴ることはない。
漠然とした恐怖に目を見開くと、この牢獄生活を共にしてきた古ぼけた毛布が、繊維をちらして溶けていくのが見えた。その毛布と共に、自分の腹部が、まるごとゼリー状の何かにくるまれていた。
すでに裂け、複数に分かたれている毛布の隙間から、自分の身につけるシャツの溶けだしているのと……音もなく、自分の皮膚がはがれ、ゼリーの中に溶けて消えたのが……。
「はっ……ぁ、ああああああああぁぁぁぁぁ!!」
声の限りに、叫んだ。ここがどこか、自分は何か、ありとあらゆる情報が、感情が弾け散るように消えていく。ただひとつの事実と、恐怖だけを残して。
ブロッブという魔物がいる。スライム状の体をしたそれは、生物の肉を溶かして喰らう。あるいは生物の体内に入り込み、脳を溶かして自らが一体化することで、相手の体を乗っ取る。これは、この状況は、その前者であると。
「敦君っ!!」
甲高い声で、誰かが雄叫びをあげた。それが誰なのか思い出せない、そう自覚するより先に、高波のように絶え間なく襲い来るパニックに、脳みそがぐるりぐるりと回転しているような気がした。動けないはずなのに視界も回る。
めちゃくちゃに暴れる足は放っておいて、ゼリーをひきはがそうととっさに触れた手が、とぷり、音を立てて吸い込まれる。そうしてその手の自由も失い、爪が溶けるより先にはがれ、指の先が減っていくのを呆然と眺めた。
何より恐ろしいのは、こんなことになっていて、痛みが一切ないことだった。この現象に沿った痛みになど襲われていたら、それこそ正気など跡形もなく粉砕されるのだろうが、ともかく。痛みもなく、こんな風に溶かされて消えて、俺は死ぬのだろうか? 死ぬ、死んでしまう、このままでは、死ぬ、死 ……!
「あっ……か、くぁ、ぁぁ、ぁ……」
すぐにも涸れてしまった喉に、悲鳴がかすれ、消えていく。自分の声が失われたような錯覚に、今度は、ぼろぼろと涙がこぼれだした。しゃくりあげ、せき込んでも声ひとつ出ない。
滲み、ぼやけてきた視界に、ゼリーの中がどうなっているのか判然としなくなってきた。そのことにひどく安心して、俺は動きを止めた。その途端、全身の力が抜けて、今度こそ体の自由が失われた。甲高い声が、どこか遠くで泣き叫んでいる。




