18話‐1 都市の島アクアマリン
「で、やっぱやっちゃうんだ?」
「もっちろん! 男に二言はないってやつ?」
それは夢現という言葉がまさにふさわしく、夢なんだか現実なんだか判別出来ない、おぼろな意識下で耳に入ってきた会話だった。
「アーチがそれを望むとは、とても思えないのだけれど」
「そりゃあそうだ。これはアーチのためなんかじゃなくて、俺自身の目的のためにやるんだから」
人が寝ている――まあ、推測だけど――横で、好き勝手にぎやかにしてくれるものだと思う。自分のことを言われているというのにまったく自覚出来ないのが、寝ぼけた頭の恐ろしいところである。
「俺はもう、こいつを失うわけにはいかないんだ……夢を叶えられるかもしれない、たったひとつの希望なんだから……」
ああ、またこいつは、そんな辛そうな声を出して。自分を追いつめて。それに付き合ってるこっちの身にもなれと言いたい。
こうして、全ての謎をさらけ出したはずのあいつに、今度は新たな秘密が生み出されたことを俺はしっかり聞いておきながら……決して引き出されることのない記憶の引き出しの奥深くに封じ込められたのだった。
その朝の目覚めは、とても爽快とは言えなかった。夢現で耳にしたような気のするやりとりは、所詮夢現であるがために記憶に残らず、しかし忘れてしまったことはしっかり覚えているというのがこの上なく気持ち悪い。
そんな俺よりさらに、寝覚めの良くないと思われる奴がひとり。
「どうした? マージャ」
小屋の壁に背を預けて、前に足を投げ出し座り込んでいる。目を覆ういかついゴーグルのすぐ下の頬が、ほんのり赤く染まっている。声をかけても返事はなく、口元にふやけた笑みを浮かべつつこちらに目を向ける。普段のやかましげなこいつと乖離の激しすぎる反応は、薄気味悪いばかりだった。
「アンタが初めてここに来た頃と、同じような感じじゃないのぉ?」
珍しく、こんな日の出の時間に起きているベルが、あくびを噛みつつ適当に答える。投げやりな言いようではあるが、回答自体は納得のいくものだった。ああ、そういうことか、と。
俺がエメラードで暮らし始めた当初も、確か十日かそこらで体調を崩したっけ。俺はもう慣れたが、並みの人間の体力、免疫力では、どうしても体を壊さないでいられないんだろう。
「そんなことより、今日はお骨ちゃんのところに行くんでしょ? ぐずぐずしてて日が暮れても知らないわよ」
「流石に、アーチの足でもそれはないわ」
「わかってるわよぅ。エリスちゃんのいけず」
横やりを入れるエリスに、口をとがらせるベル。仲睦まじいふたりにちょっぴり和むも、目の前の病人を放って出かけるわけにもいかないだろう。
「いーからいーから、いーってこいよー。おれのことならきにすんなー?」
「こりゃだめだ」
ろれつの回っていない、酒でも飲んだんじゃないかと疑いたくなるこの有様、どう見てもまともじゃない。
「いいのよ、アーチ。今日のところはエリスに任せてくれて。何だったら、水源へ行って水だけ汲んできてもらえる? それからボーンのところへ向かっても、日暮れまでにはこちらへ戻れるでしょう」
「ちょっとエリスちゃん、アタシはぁ?」
「心にもないことを言わないで頂戴。時間の無駄よ」
ベルがこういうことで他人の面倒をみようなんて、逆立ちしたってあり得ない。付き合いの短い俺だってそう思うが、付き合いの長いエリスも同じ考えのようだった。
「あ……アーチ」
おそらくそこは、来客がない時の彼女の定位置なのだろう。空まで続く神秘的な湖の中央にいたセレナートは、俺が水源の岸に立ったのが目に入った瞬間には、もうこちらの目前まで姿を移していた。その姿は一瞬で水と消え、かと思った次の瞬間には目の前に彼女が形作られていたのだ。
「ああ。久しぶり、セレナート。マージャの奴が倒れて、その代わりに。今まで挨拶にも来れないでごめんな」
エメラードに帰ってきてからこっち、俺はその目的を果たすために忙しく動いていた。ゴブリン族にかけられたまじないを解くヒントを得るため、エメラードで名の知れた魔術使いを片っ端から訪問していた。もちろん、魔物が無償で要望を聞いてくれるはずもなく、血を与えたり魔術を披露させられたりと散々だっ た。……よく考えたら、倒れてもおかしくないのは俺の方じゃないのか?
そうこうしている間に、今日はアクアマリンからエメラードに船の着く、月に一度の夜となった。俺としては様々な魔術使いの技術に触れられたこの一ヵ月は良い勉強になったとも思うが、目的に関わる成果は今のところないも同然だ。その船に乗って場所を移すには厳しい状況である。
久しぶりに顔を合わせたセレナートは、どこか気落ちしたような、残念そうな表情だ。基本的に、誰にでもよく懐く彼女は、いつだって和やかな笑みを見せてくれるのに。
「どうした? 浮かない顔して」
「セレナートはね、本当は……もう、あなたの顔は見たくないと思ってたの。ティアーもそれを、望んでたから」
前半の台詞だけだったらマイナスな想像をしてしまい、俺の方が激しく落ち込むところだった。
「ティアーはね、あなたには人間の島で、いつまでも人間らしく穏やかで幸せに暮らして欲しかったんだよ……こっちの世界では、ソースの命を狙う魔物は少なくない。安全で平穏な生活なんて望めないもの」
はぁ、とため息を吐いて、上目遣いにこちらを見る。
「でも、アーチが自分で選んだことなんだから、仕方がないよね。そういうお話はマージャがしてくれたから、セレナートも、もうわかってるよ……ところで、マージャは大丈夫なの?」
「さぁ。俺に詳しいところはわからないけど、エリスが自分に任せろって言うからさ」
「エリスが……それだけ?」
「ああ」
腕を組み、眉を寄せて、珍しく何やら疑問があるらしい。寄せた眉にも関わらず、皺ひとつ出来ない顔は単純にかわいらしい。
「エリスだったらそういう言い方じゃなくて……もっと具体的に言ってくれると思うけどな」
「つまり、裏がある?」
「さぁ……ね」
話しながら、思案顔だったセレナートは、最後にはいたずらっぽく舌を出して見せた。どこかうらやましくなるくらいに、楽しげだった。
エリスに頼まれた通りに、水源から汲んだ水をツリーハウスに持ち帰ってから、改めて予定していた目的地へ向かうことにした。
道中、ふと思いついて、俺は彼女に呼びかける。
「なあ、サクルド」
その途端、目の高さに浮かび上がる、鮮やかなエメラルドの光。とはいえ、むせるような濃い緑に覆われたこの島にあってはさして目立たない、小さすぎる光でしかない。
その光がやがて人の形を作って、その下に右手を上向かせて差し出すと、音もなく着地する小さな女の子。
「お久しぶりです、アーチさま」
「うっ、その……ごめん」
彼女は、俺に必要とされている時にしか姿を現せないと言っていた。ならば、「ごぶさた」になってしまうのは、おそらく俺の白状さに原因があるのだと想像できる。
「そういえば、サクルド、最近出てこないよなぁって思ってさ」
ひと月前、強敵、タイタン族のキリーと戦った時。ああいう危機的状況になれば、サクルドは自然と出現していたような気がするのだけど。
「それはですね。アーチさまが、真にはわたしを必要としなくなったからなのですよ」
「え? ……そんなこと、ないと思うけどなぁ」
サクルドは、苦楽を共にしてきた仲間だと思う。必要ないなんてことはないはずだ。
「いいえ。わたしは、この世界の通常の営みの中にはいられない存在です。アーチさま……ソースが、与えられた源泉竜さまの魔力の使い方を自覚し、自分の実力で生きていけると判断した暁には、こうして姿を現すことも出来なくなるのです」
「こうして呼びかけても出て来れないってことなのか」
「ええ。あなたさまが、わたしを必要としなくなった、その時には」
「必要ないってことはないんだけどな……たぶん、そういう意味じゃないんだよな?」
「はい。アーチさまのご想像されている通りですよ」
友達としてなら、必要じゃない知人なんていない――いつかは卒業しないといけない学校とか、巣立っていかないといけない生家とか。そんな、自立の証みたいなものだろうか。
「もちろん、こうして言葉を交わせなくなるのは、寂しいことではありますけれど。ソースがその大きすぎる魔力を背負ってなお、自分の力で生きてゆける立派な姿を見られることは嬉しいです。たとえわたし自身はそこにいられなくても、わたしはいつだって、ソースを見守っていますから。ずっとずっと、それだけがわたしのしあわせなんですよ……」
満足そうにしているくせに、ちっとも悲しみを隠せていない顔をしているものだから、反論してやりたかった。だけど、言葉が間に合わない内に、彼女の姿は儚く薄れ、消えていった。
もしかしたらこれが最後になるかもしれないっていうのに、俺は、サクルドに何も言ってやれなかった。




