17話‐6 慈悲の鉄槌
俺とマージャが石の小屋に泊まって、その翌日。朝食を終えた直後、俺だけを手招きするトールによって外へ連れ出される。
「キリーがこっちに向かってるよ」
魔物同士であれば、それぞれの発する魔力によってお互いの位置がわかる。特に、キリーは数ある魔物の種族の中でも最強、竜族に匹敵する唯一の生物とうたわれるタイタン族だ。魔力は相応のものだろう。
「昨日の今日で、また行動の早い人だな」
「そういうとこ、ライトにそっくりだよね」
親子らしい共通点に、微笑ましい心地になっていられるような事態ではなく、憂鬱のあまりため息が出てしまう。そんな俺に苦笑しつつ、トールも緊張を隠せないようだった。
「マージャは、手はず通り眠ってるよな」
「うん。誰かに揺すって起こされるか、僕が機能停止しない限り、目覚めることはないはず。アッキーには起こさないように頼んでおいたから」
昨晩、俺とトールで、キリーがここを訪ねた場合の戦略を立てておいた。トールの推測が正しいなら、キリーは地脈の精霊であるローナに手を出さない。彼女に狙われているマージャは、ローナの側にいるのが最も安全だろう。
第一、マージャの能力ではキリーを一瞬にして石化してしまう。ある意味、一撃必殺としては必要な能力ではあるが、俺達はキリーを殺したいわけじゃないから戦力としては微妙なところだ。
もちろん、殺さないつもりで対峙するなんて無謀だとわかっている。展開によっては、なりふり構わず全力で戦わなければ、俺達が殺されることになるだろう。
ほどなくして、石平原の地平線から点のような影が見えた。今日はうっすらと雲に覆われて、見渡せる限り白く染まった空と灰色の石の地面が、どこか陰気で気を滅入らせてくれる。
大岩の転がる地面の悪さをものともせず、落ち着いた足取りで歩いてくるそれは徐々に人の形を取り始める。必要以上に長く感じる待ち時間は、じれったくさえ思えてきた。
小屋と、その前にいる俺達と一定の距離を保ち、彼女は立ち止まった。背の高い人間の男並みの体格をして、その身の半分ほどはあろうかという常識はずれの大きさをした鉈を持っている。
黒く長い髪と瞳、小麦色に焼けた肌、そして何よりも面立ちが、ライトにうり二つだった。女性らしいというより筋肉質な胸にさらしを巻き、腰にゆったりとした布を巻いているスタイルもライトと同じだ。
ただ、冴え冴えとした表情はライトと正反対だ。厳しそう、とも、悲しそう、とも違う。ただ、表情に動きがなく、芝居に使われるお面のようだ。これが、目まぐるしく感情を表に出すライトの、実の娘なのか。
「何の用だ、ソース」
女性にしては低くざらついた声で、どこか間の抜けたことを言う。
「それはこっちが言いたいよ。マージャは俺の仲間だ。キリー、あなたに何の権利があって、殺そうなんて思うんだ?」
「他者を殺めるのに権利など、何者も――神でさえ、持ち合わせてはいない」
「わかってるなら、どうして」
「マナはこのまま生きていてはいけない。それが本人のためだ。このまま死んで、次の転生を迎えるのだ」
「それは知ってるよ。俺が知りたいのは、あなたがそう言い切る根拠だよ」
そう訊ねると、キリーは、小さく小さく息を吐いた。
「それは、私が前の生で味わったものだから」
本気でこちらに説く気があるのか疑いたくなる、囁くような声だった。
「前世の私はゴブリン族で、今のマナと同じく、ある日その苦痛から解放された。しかし、見たものを石にしてしまう目のせいで他の生物と共に生きることは叶わない。それだけならまだしも、私は悪夢に襲われた。眠る時には、元の、呪われたゴブリン族に戻る夢。そして、目覚めている間は、かつて殺戮の衝動をたのしんだ、ゴブリンという種に戻る夢だ」
眠りにつこうとすると、ゴブリン族の一員として呪われ、孤島ユークレースに閉じこめられる夢を見る。それは聞いたが、ゴブリン族の本性を取り戻し殺戮衝動の芽生える不安に襲われてる、なんて、まだ聞かされてはいない。……あいつ、つくづくふざけた野郎だな。
「ゴブリン族のまじないから解放された私には、かつてのような殺人衝動はなかった。だからこそ、ゴブリン族の過去の所行を憎み、その本能が再び目覚めるか もしれない未来を怖れた。なれば、その本能が眠っている今の内に、この命を絶てばいい。死は終わりではなく、次なる生において真の解放を迎えるための通過点に過ぎないのだから。
そして、生まれ変わったのが今の私だ。タイタンに生まれた私には、醜悪なゴブリン族に戻るのではという怖れはない。転生によって、忌まわしい種から解放されたのだ。ソース、仲間と言うのなら、マナの苦しみを知っているだろう?」
ああ、知っているさ。だけど、キリーが当たり前に知っている、マージャの本名さえ、俺は本人から教えてもらっていない――トールが口を滑らせたから知っているだけで――だけど、それをやっかむことはない。奴がそうした理由を、俺は朧気に察していた。これまでの付き合いで感じたマージャの性格と、そんなあいつを仲間だと思う根拠と共に。
「はっきりわかったよ、キリー。あなたは馬鹿だ。馬鹿の言うことなんていちいち真に受けていられない」
「何の真似だ」
内心はどうだか知らないが、表向きはさしたる動揺もなく、キリーは静かに訊ねる。
「馬鹿だよ。自分の気持ちにきちんと向き合わず、真実から目を背けて、あげくに人殺しをしようとしている。解放されたと思ってる前世に、今もガチガチに縛られてるじゃないか」
それはある意味、マージャを殺したところで、やっぱりゴブリン族を蝕む苦痛からは解放されない定めなのか。そんな仮説を自ら証明している、皮肉極まりない有様だった。
「あなたがマナを殺そうとするのは、彼を解放してあげるためなんかじゃない。苦しみから逃げて自殺した自分の行動を、あれは正しかったんだって、自分を納得させたいからだよ」
俺ならまだしも、ゴーレムであるトールに断言されてしまっては言い逃れは出来ない。表情の乏しいキリーの顔ではあるが、かすかに、呆然とした絶望感をにじませている。
「それがなくたって、マージャのことをよく知りもしないで殺して楽にしてやろうって考えだけで十分に馬鹿げてるけどな。自分がそうしたからって、みんながみんな生きる苦しみから逃げ出して死のうなんて考えるわけじゃないのに」
「私はマナを知っている。かつてのゴブリン族の記憶の中で」
「それは今のあいつとは違う。さっき、自分で言ったじゃないか。まじないから解放された自分は、かつてのゴブリン族とは違ってたって」
自分の発言との矛盾を指摘されると、ごく普通に論理的な人間だったらぐうの音も出ない。それでも反論はあきらめていないのだろう、とりあえずといった感じで、キリーは口をつぐむ。
「キリーが言うように、マージャは今も、いくつもの苦しみを抱えているだろうよ。そうだとしても、あいつに死ぬ気なんかないよ。散々手を尽くして俺を仲間に引き入れたのは、望みを叶えるためだ。あいつは死ぬことじゃなく、苦しみの中で生きながら、ゴブリン族をまじないから解放する方法を探す道を選んだんだ」
それは、苦しみに耐えられなかったキリーには痛い言葉だったはずだ。俺には彼女の味わった苦痛はわからないし、死んで逃げたこと自体を非難する資格はない。だけど、そんな自分を正当化するためにマージャを手にかけようとしたことを許さない権利だったらあるはずだ。
「だから、あなたがマージャを殺してくれようなんて、大きなお世話――」
「その名前を呼ぶな」
その言葉に、怒りはなかった。相変わらずの無表情で、しかし確かな焦燥感は感じさせる、キリーの姿。
「それは、あの者の名前ではない。忌まわしきゴブリン族の、穢らわしい族長の名だ」
「へえ、苦しかったあの頃を思い出すから不愉快なのかい?」
俺の横から進み出て、小馬鹿にしたようなことをトールが言う。ただでさえ一触即発の空気を感じた先からそう喧嘩を売られると、必ずしも戦いたいわけじゃない俺の心臓に悪い。
キリーは、その手に持っていた大鉈を構えようとした。戦闘態勢に入ろうとするのをみすみす許すわけもなく、トールが彼女の懐に飛び込み、肘で当て身をくらわせにかかる。
ああ、それにしても……ライトがキリーを殺してやろうと思った気持ち、こうして話してなんとなくわかった気がする。
転生してゴブリン族から解放されたと信じたい自分と、向き合いたくない真実と目を背けながらそれに徹することさえ出来ず、自己弁護に戦い続ける。そうやって、キリーは生きてきたのだろう。そんな姿はただひたすらに、哀れだった。
通常、タイタンの巨体に体当たりしたところでびくともしない。ライトから体術の指導を受けてきた俺には、並みの人間が体術ではタイタンに手も足も出ないことを知っていた。まるで地面に吸い尽くように足の踏ん張りが強いのだ。
しかし、元よりタイタンに対抗するため開発された魔術道具であったゴーレムにとっては、また別の話だった。トールが両肩を順繰りにねじ込むよう、キリーの腹に叩き込むむと、彼女は一歩、二歩と後退する。
だが、いかんせんキリーとトールには体格差がある。キリー自身、全盛期のタイタンと比べれば十分すぎるほどに人間らしいサイズに縮んでいるとはいえ、 トールはそれ以上に人間的な身長だから、まともに取り組んで攻撃出来るのは首から下が精一杯だ。頭を攻撃しようと腕を伸ばせば、トールの腹部はがら空きになる。その隙を見逃してもらえるはずもない。
しかしながら、タイタンを本気で無効化しようと思ったら、首をへし折るか切り落とすくらいしないと不可能なのだから救いがない。分厚くひきしまった筋肉 は頑強で、多少のダメージでは蚊に刺された程にしか感じないらしい。しかも魔物の回復力、それもタイタンとなればそのダメージもまばたきの後にはなかったことになる。
要するに、こうしたトールの攻撃も、キリーにはややうっとおしいお子様のお遊びに付き合っているようなものだ。思いっきりしかめられた表情がそれをありありと裏付けている。
当然、こちらとしてもこのまま遊んでいるつもりはない。ある程度の距離、キリーを動かしたところでトールはひと跳び、退却する。単身になったキリーに、俺は密かに編んでいた火の魔術を放った。
直撃までに火の接近に気付いたキリーは、肩を軸に左半身を回すように、肘を突き出す。彼女に向かった火の中心が肘に触れると、火はあっけなく八方に散らばって消えた。全力とは言わないが、そこそこのダメージを与えるつもりで放ったそれがあっけなくかわされてしまった。意気消沈している場合じゃない。こうなることも想定して立てていた策に、トールはすでに動いているんだ。
俺に対応したキリーは、トールに右半身をさらしている。さすがにタイタン族らしく無防備とはいえず、再び接近したトールの突撃をからくもかわす。立て続けに、先程のやりあい以上の渾身の力を込めたトールの第二撃はキリーに命中し、キリーは大きくバランスを崩した。
そのタイミングを狙ったつもりで、俺は先程と同じ火の魔術を、威力を上げて放出した。しかし、所詮俺には実戦が足りなかった。狙ったつもりで微妙にタイ ミングを外したのだろう、キリーが両手の平で岩の地面に着地して、体勢を立て直す暇を与えてしまった。猛然とした勢いで前に起きあがったキリーに、俺の火は虚しく岩の上で散った。
「ぅぐっ……」
キリーの姿を追う余裕もなく、前方に飛び出した勢いのままに、キリーの手がトールの首を捕まえていた。
タイタンでさえそうであるように、多くの生き物にとって首は急所だ。そこをやられればひとたまりもない。しかし、ゴーレムの構造上、首をつかまえられて もトールはまだ大丈夫だ。問題は、女性らしく細い、しかし筋肉はしっかりとついているキリーの右腕が、彼女より小柄なトールの体を軽々と持ち上げて地面から足を離されてしまったことだ。宙で足をばたつかせながら、首にからみついたキリーの指をはずそうとトールが躍起になっている。だが、絶望的にびくともしない のが傍目にもわかった。
基本的に、トールが接近してキリーに隙を作り、俺が魔術でダメージを与える作戦だった。こうなってしまえば、俺も前に出るしかない。
俺は、ズボンのポケットに常時忍ばせている石ナイフを取り出した。初めてエメラードに来た時、船の着く浜に住むドワーフのオルンに与えられたものだ。本来、攻撃に使えるような代物ではないが、せっかく火の魔術式を刻んであるのだからと俺は攻撃に応用することにした。オルンからは、「そんなつまらんも のをいつまでも使って、物持ちのいい奴だ」と呆れられたけどな。
岩の敷き詰められた地面なんかになじんでいるはずもない俺だが、履いている木靴にあらかじめ魔術式を仕込んでおいたおかげで、まともに歩くことは出来る。
全力で前に駆け出しながら、俺は頭の中で魔術式を描く。どこでもいい、この石ナイフをキリーの体に突き刺せば、彼女の肉の内で火が広がる。
「だっ、めだあ!」
苦しげに、しかし精一杯吐き出したらしいトールの叫びに、キリーの前で思わず足が止まる。片腕でトールを拘束しながら、彼女に隙はなかったのだ。空いている左手が俺に向かって突き出されていた。あのまま進んでいたら、俺も捕まっていただろう。
なさけなく後退しながら、俺は組み立てていた魔術式の一部を変化させつつ、石ナイフを横に凪いだ。軌道が描いた曲線を形作るように炎が具現化し、キリーを襲う。こればかりは予想していなかったのか、受け流されることなくキリーの左の手を炎が切り裂く。細い切り傷は血を流すと同時に赤黒く火傷になった。
だが……それまでだった。ここから、状況の変化はない。トールは拘束され、俺はキリーの目前で動けない。
「所詮付け焼き刃が、巨人に敵うと思ったか」
悔しいが、キリーの言う通りだった。ゴーレムのトールと、ソースである俺ならば、単純な戦力としてはタイタンとやり合えるだろう。ただ、積み重ねてきた経験が、キリーと俺達では及びもつかなかった。それだけ。
当たり前といえば当たり前過ぎる結論に、ちくしょう、と呟く声にさえならなかった。しかしうつむいてみすみすキリーから目を離すわけにもいかず、三人共に膠着状態に陥った、その時。
「待て、キリー!」
だいぶ距離の開いた、背後。石の小屋から出てきたのはマージャだった。その声にはいつになく真剣な色が感じられた。




