17話‐3 慈悲の鉄槌
ツリーハウスに帰って最初の朝は、どす黒くさえ見える深紅の朝焼けに迎えられた。赤い朝焼けは雨の前兆だ。まったく降らないのも困るのだが、狩りをするには面倒な天候になりそうだ、とうんざりしてしまう。
「はよーん」
「おはよ。ってマージャ、早いな」
朝焼けを観察したところで大きく伸びをしていると、縄ばしごを上って顔を出したマージャから脳天気な朝の挨拶をよこされた。俺だって夜明けと共に目覚めているのだから、決して俺が遅く起きたわけではないのに。ここでの暮らしに慣れていないこいつが先に起きるとは。
「ユイノが夜のお出かけから帰ってきた時にさ。ついでに、先に火を作っといたから、これから水源へ行ってくる」
豊が朝食分の狩りに出て、帰ってくる時か。あいつの行動時間に俺はいつも眠っているので、それがいつ頃なのかがよくわからない。
水源の場所は知ってるのか、と確認しようとして、その前に察した。ツリーハウスから水源まではわかりやすい獣道があり、分岐もない。素人だって間違えようがないくらいに単純だった。
やたらテンション高いマージャが水源目指して駆けだしていったのを見計らい、俺はツリーハウスを下りる。
「豊、お疲れ」
「うーす……」
もう陽が出ているというのにマージャに付き合わされていた豊は、やはり疲労の色が濃い。
「おはようさん、ユイノ! お勤めご苦労さん。後は任せてさっさか休みな~」
後から起きてきたライトはいつもと違う事情があるとは知らず、いつもと同じねぎらいの言葉を豊に贈る。しかし、豊の反応は事情を知る俺にも予想外のものだった。
「何か起こるかもしれない」
至極、まじめな顔をしてそう呟いた。他ならぬ豊にそう言われると、俺もライトも真剣になるしかない。
豊の予言めいた発言は、いわゆる「虫の知らせ」でしかないのだが、彼を含めヴァンパイアという種族のそれはほぼ確実に的中するからだ。
「何かっていうと、やっぱ襲撃か?」
「さあね。何かあるかも、ってことはわかっても、それが何かはわからない。そういう役立たずの力だし」
どうやら豊に不本意な解釈をされてしまったようだが、構っている場合ではない。
戦闘になればこちらの戦力の要になるだろうライトに、意見を求めようと彼を仰ぎ見る。
ライトは、あらぬ方向を見ていた――いや、目がその方向に向いているというだけで、何も見ていないかもしれない。顔面の筋肉を硬直させ、限界いっぱいまで見開いた目。その眼球さえ、何らかの感情に動かされるように震えて。
これまでの付き合いで見たこともないような、感情を剥きだした表情だった。
「キリー?」
確信と懐疑を伴う、呆然としたつぶやき。
「ライト、何かわかったのか」
その答えを待たず、ライトは長くたくましい足を踏み出してたき火を超えると、その勢いのまま走っていった。あっと言う間に木々の向こうに姿を消す彼をただ見送るしかない。こうなってしまえば、巨人族の疾走に追いつくことなど不可能だ。
「魔力が近付いてる。この距離でもにおってくる……この感じ、タイタンだ。だけど、ライト以外のタイタンが縄張りを出るなんて」
ライトの急変にさしたる関心を示さなかった豊は、どうやら異変の原因を探っていたらしい。
「そんなに珍しいことなのか」
「『ユイノ』の知ってる限りでも、ライトの他にはひとりしか」
実りがあるような、しかしこの非常事態にあってはどうでもいいような会話は遮られた――ともすれば、空の青に溶け込んでしまいそうな儚く澄んだ空色をした鳥が、俺と豊のちょうど間に割り込むように舞い降りたことで。
「これ、セレナートが手懐けてる鳥だ」
呟いてから、事の重大さに思い至った。この島の水源であるセレナート……彼女を喪えば、エメラードから水は消え去り、ただ滅びを待つのみとなる。その彼女が可愛がっている鳥が、わざわざ俺達の前に現れたのだ。
「まさか、セレナートに何かあったのか!?」
「いや、そんな気配はしない。そもそも水源に危機が迫るようなことがあったら島中おお騒ぎになってるよ」
落ち着き払った豊の指摘に、それもそうか、と思わず納得しそうになる。そうだとしても、異常であることは変わりないのに。
現に、羽ばたく音こそないものの――これは、セレナートの寵愛を受けた証だ――鳥の動きは慌ただしく、こちらを急かしているように見える。
「豊はどうする?」
俺は言うまでもなく、この鳥の導きに任せるつもりだった。
「俺は……」
長い逡巡があった。ぴりぴりと、唐突な緊張感が肌をつついているような気がした。
「……やめとく。気をつけろよ、敦」
「やっほー。久しぶりだねぇ、アーチ」
決死の覚悟のつもりでたどり着いた先には、和やかで懐かしい友達が、どうしようもなく呑気に手など振っていた。脱力感を隠す気にもなれず、俺は勢いのままに膝を地面へ預ける。
「何やってんだよ、トール」
トール……透は俺の昔の友達で、病死した後に魔術によってゴーレムとして甦った。以来こうしてエメラードで暮らしているのだが、環境の変化が良い方に影響を与えてくれたのか、彼は明らかに生前よりも快活で気安くなった。
「君達が帰ってきたっていうから、挨拶しようと思ってこっちへ向かってたんだけど。途中で何だかいやな音がしたものだからさ」
俺が跪いているのに加えて、トールは筒のように細く盛り上がった土の固まりに腰を下ろしている。ここは水源へ続く獣道からやや外れた、特に木の密集した場所だ。不自然極まりない状況であることは否めない。
「あ~あ、かわいそうに。消えちゃったよ」
俺をここまで連れてきた、セレナートの鳥は、トールの目の高さで周回しつつ尾羽から少しずつ消えていった。消えかかりの頭をそっと撫でるようにして、トールは心底から惜しむような顔をした。
「トール、何が起こったか知ってるか」
「心配しなくても、彼は僕が保護したからね」
微妙にわかりにくい説明をしてしまうのは、トールの悪い癖である。言いながら、盛り上がった土の上から飛び降りる。
「ほら」
筒のような土、というのはまさしくその通りだったらしい。トールのかけ声に合わせて――いや、トールがゴーレムの能力で土を動かしているのだから、この表現は正しくないか――細長く積まれた土が縦に割れて、中が空洞であったことを示す。
土に膝を着いた姿勢は、状況に都合良く一致していた。立ったままでは一目で視界には入らなかっただろう……土に背中を預け、膝を抱え丸くなって、見知った顔が眠っている。
「マージャを助けてくれたのか」
「だって、アーチの友達なんでしょ?」
そういう音がしたからね、と、得意げに付け足す。ゴーレムになってからというもの透はこればっかりだ。いわく、俺と関わりのある人間からは、俺の音の名残が聞こえるのだという。人の感情の動きさえ音として聞こえるというその力は、あまり愉快なものではないはずなのだが、透の態度に少しの嫌みもないから誰も気にしないのだった。
土にくるまれるように眠りこけているマージャの顔はこの上なく健やかだ。
「起きろよマージャ、帰るぞ」
「あっ、そっとしておいた方がいいかも……」
マージャを揺すり起こそうと伸ばした俺の手を、その進行先に自らの手を差し入れることでトールが制する。
「なんで?」
「だって、彼、ほとんど眠ってないみたいだから」
憐れんだようなトールの顔に、冗談ではないことを悟る。
その指摘を受けて、振り返ってみる。あいつの寝ている場面を俺が目にしたのは、エメラードまでの航海と、昨日のツリーハウスでの就寝のみ。あいつはこれといって不審なこともなく、静かに横になっていた。しかし、寝る時も外せないゴーグルのおかげで、本当に瞼を下ろしているかなど傍目にはわからない。何より、床につく相手が「本当に眠っているか」など疑ったことがないから、マージャが眠る時どんな様子だったかなんて注目していなかった。
「この土の作用で――というより、僕の能力かな? 今は深く深く眠ってる。でも、彼の音を聞いた感じ、もう長い間ぐっすり寝たことないんじゃないかな」
ひとつだけ、思い出した。あいつ、船室の布団で休んでいる時、うなされて跳ね起きたんだっけ。あの時の切羽詰まった様子を思い出すと、余計なことまで頭に浮かんでくる。昨日の、妙に気弱だった態度。満月の翌日、制御出来ない魔力に苦しめられている姿。ある日の教室、使命を果たすためと俺に近付い たくせに、俺の将来を本気で心配していた……。
思い出すほどにわけのわからない奴だなと、いっそ苛立ちさえ湧いてくるがそれはさておき。これまで、あいつは俺に隠し事をして、時機を見計らってそれを明かしてきた。その秘密はまだ、全てが開かれてはいないんだろう。
「とにかく、このまま放ってはおけないだろ。何にしろツリーハウスまで連れ帰らないと」
「う~ん、それもちょっと……」
むむむ、と呻きながら何事か考え入るトール。正直、彼はこういう表情になってから結論を出すまでが鈍い。たっぷりと待たされた末に、
「それじゃあ、とりあえず僕らの家においでよ。わけは後で話すから」
「ああ……」
とはいえ、トール達の暮らす石平原は俺の足には遠すぎる。提案を受け入れながらも内心は快くない。
「おう。ご苦労だったな、トール」
「やあライト。キリーはどうだった?」
「あんにゃろ、父を出し抜くとはいい根性していやがる」
俺が頭を抱えていると、その上から降ってくる苦い声。横から聞こえてくる脳天気なトールの声とは対照的で、聞き慣れた声のはずなのにそこに込められた険悪な感情があまりに彼らしくなくて別人のように思えた。
「おまえさんも出てきたんか、アーチ。せっかく来たとこ残念だろうが今日はお開きだ」
「ううん。アーチと彼と、今日はうちにお招きすることにしたから」
言いながら、マージャを守っていた土が動き、形を変える。細く、腕のような形をとってマージャを担ぎ上げる。それをトールの背中に運び、おんぶ紐のようにふたりの体にからみつく。
「そうかい。そんならいっちょ、前みたく、この巨人がアーチの足になろう!」
胸を張って、大きな拳で剥き出しの上半身を強く打ち鳴らす。いつもの彼らしい、懐の広い、頼りになる巨人の姿。
……だけど、それがこの場においては、取り繕った態度であることはどうしても隠せなかった。




