17話‐2 慈悲の鉄槌
これまでのやり取りを、それこそ興味なさげに傍観していたエリス。その横で口を引き結んでいたマージャは、いつものごとくゴーグルで目を隠しているため真意のほどはさっぱり読めない。
目は口ほどにものを言う、とはその通りだが……その目が隠されていると、むしろ身体そのものの状態は大いに参考になる。マージャは、両方の拳を握りしめ、頭のてっぺんからつま先まで凍り付いたように固まっていた。
「エリスも、ベルがこんな感じでよく協力する気になったな」
こんなにも素早くベルが寝入るわけがないと思うのだが、それとも豊にとっては彼女の耳に入れるのが何でもないことなのか。
「別に、エリスもライトも、ベルに従属しているわけではないもの。所長というのは便宜上の呼び方であってね。だからベルがどう思おうと、エリスには関わりのないことだわ」
「じゃあ、エリスはゴブリンの力になること、賛成してくれるのか」
深く考えずに訊ねたことを、俺は後悔する羽目になる。
「かの時代と違って、今はアクアマリンに魔物の政府を置いている。もし、解放されたゴブリン族がかつてのままに殺戮を行おうとしたならば、迎え撃って今度こそ一族根絶やしにしてしまえばいいのよ。それはベルもわかっているでしょうけど、ゴブリンに振り回された時代の人間だもの。わりきれないのでしょうね……」
ぽかん、と口を開けて、ただただ間抜け面をさらしている俺にエリスが目を留める。
「どうしたの、アーチ?」
普段、察しの良い彼女らしくなく。エリスは心底、俺の態度が理解できないようだった。
「ほれみろ。何もベルばっかりがああいう心臓に悪いことを言うわけじゃないんだぞ」
「そだな」
いや、むしろベルってやっぱり元は人間だったんだな。そんな風に、彼女に人間味を感じたのはこれが初めてだったかもしれない。
「では、さっそく始めましょうか」
何を? と、俺と豊とマージャの疑問の声が重なった。
「例のまじないから解放されたゴブリン族の肉体には、特徴があると伝え聞いたことがあるの。それを確かめるための視診よ。そういうわけだからマージャ、服を脱いで頂戴」
疑問符さえつかない、きっぱりとしたエリスの口調。
「……てことは、必要なのはこっちだよな?」
マージャの今日の出で立ちは、ゆったりサイズのデニムのつなぎ――サロペットジーンズとかいうんだっけ、こういうの――だが、その胸元のボタンをふたつ 外し、すとんとジーンズが下に落ちる。トランクスをはいた素足が、実にあっけなく現れる。つなぎの下には長袖のワイシャツを着ているため、さながら登校前に制服を着替えている最中のような、実にエメラードになじまない有様である。
「何やってんだよ、マージャ」
「理解が早くて助かるわね。どういうわけか、まじないの解けたゴブリンの肉体は本来の姿には戻らない。基本は人間で、竜族とは別の意味での無性別とされているわ」
人間とも魔物とも違って、竜にはオスもメスもない。あるいは、オスでもありメスでもある。
エリスの言った視診という響きと、マージャのいち早い行動から嫌な予感を感じ取った俺は、ここは本人達にまかせておくことにして豊と一緒に小屋を出た。
暮れかかりの太陽が、大森林を赤く染め始めた頃合いだった。
「ぅおおーい、アーチぃ~!」
どかどかと、盛大に音と砂埃をまき散らして駆けてくる巨大な影。どこか既視感を覚えるが、のんびり懐かしんでいる場合ではない。
案の定、でっかい熊の死体を担いだライトが、空いている方の肩でタックルを仕掛けてきた。相手にダメージを与えない程度に加減した、拡散の魔術壁でライトを受け止める。ばちっと音を立てて散った小さな火種を、ライトは満足げに握りしめた。
「おう、やるようになったじゃないの!」
「その図体にぶつかられちゃたまらないからさ。つーか、来客を迎える時は熊料理って決めてるのか?」
俺が初めてエメラードに来て、ベル、ライト、エリスと対面した夜も、彼が振る舞ったのは熊の肉だった。
「おうよ。なんたってこいつぁ巨人族のとっておきだからなぁ!」
得意げに解説が続く。なんでもこの熊はタイタンの集落に暮らしている熊で、名をハンドベアーというらしい。遙か昔、巨人族が人間五人分ほどの背丈を誇った当時は、この熊を手のひらの上で飼い慣らしていたという。
それにしても、夕食の狩りにしては帰ってくるのが遅いとは思っていたけど。タイタンの集落まで出かけていたとなれば納得だ。
「んで、あちらさんが噂のマージャかね?」
「ん? ああ……」
ライトが突きつけた太い人差し指をたどった先には、ツリーハウスの足場に腰を下ろし、所在なく宙に足を投げ出したマージャがいる。
「ふうん……今日はそっとしといた方がいいのかね、疲れてるようだから」
遠目に見ただけでマージャの様子に気がついて、さらに気遣う方向に考えられるあたり、ライトも魔物にしては人が良いというべきか。
「明日から、俺の時と同じで水源と火起こし担当になったし、ゆっくりさせといてやれるのも今日だけだからね。ライトがそれでいいっていうならそうしてやってくれよ」
今日の様子を見た限りでは、マージャはあの頃の俺以上に体力面に不足がみられる。しかも、無制限に魔術を放てる俺は火起こしもマッチ以上の気安さだったけど、マージャはそうもいかない。先人の築いた文明の利器に頼らないと、火起こしっていうのはしんどくて厄介なものだ。
「もう聞いてるか? おまえさん、明日から昼夜分の狩りに出てもらうってこと」
「ああ。慣れるまでは俺とマージャの分だけでいいっていう」
自分の身は自分で守れる。一応、俺もそういう風に仲間内で認められるようになった。ということは、みんなと同じ仕事をひとりで任されるということでもある。そうは言っても一人前にはまだまだほど遠く、経験の足りない俺だ。狩りひとつとっても数えたくないほどの難題を抱えている。
俺は食材にふさわしい獲物がこの島のどの辺りにいるのかまでは知らない。それを完全に見定められるようになるまでは、俺と常に行動を共にすることが出来る、小さなサクルドに指示をしてもらうしかない。
さらに言えば、現状の俺には魔物ほどの腕力はない。人数分の肉を確保しても、それを仲間の待つツリーハウスまで運ぶのは骨と思われた。
狩りに使う道具として弓矢の指導を受けてはいるが、実践に使用出来るかといえばそれはまだまだと言える。こんな有様でどう狩りをするかというと、それは全て、魔術を使って何とかしろ、というのがエリスからの助言だった。俺の場合、狩りは貴重な実戦の場でもある。訓練以外で魔術を使い、魔力の加減を身につけるのに、日常生活に必要な狩りは手頃な機会ではある。
以上、様々な不足を鑑みて、俺に全員分の食糧確保を任せるのは荷が重い。ついでに、ベルの心情としてマージャを彼らの暮らしの中で養うのは気分の良いものではない。元より俺が引き受けた厄介だ、責任を持って面倒を見るように、ということで妥協点を見出したのだった。
ライトは川で熊肉の仕込みに、エリスは入り用だとかで山に薬草を摘みに出てしまった。
今や、俺の護衛にいちいち誰か側に置いておく必要はない。そればかりか、一時的にここを空けるライトとエリスから、ベルに万が一のことがないよう彼女の眠るツリーハウスを見守る役を期待されているのが明らかに感じられる。
明日からはマージャの担当だが、今日のところは俺が魔術で起こした火を見張って退屈な時を過ごす。何とはなしに目線を上げると、起床した豊がツリーハ ウスの小屋から出てくるのが目に入る。その豊が、足場に腰を落ち着かせ時間の浪費をしているマージャにひと声かけた――あいつの性格からして、その行為を咎めたんだろうな――この距離では彼らの声が届くはずもないが、俺は視力は良い方なので見えるだけの情報でもそれなりの判断材料になる。
そうして気楽な傍観者でいたのも束の間、あまりにも予想通りに、ふたりは口論を始めたようだ。口論というより、マージャがいつもの調子で軽はずみなことを言って、豊の機嫌を損ねたんだろう。彼らは元から相性が良くないが――マージャの方は思うところなどなさそうだが、豊の方はマージャのような悪ノリした奴は苦手そうだし。さらに悪いことに再会したあの日、不覚をとって片腕を落とされたことを「はいそうですか」と許容してやるわけにもいかないのだろう――これから行動を共にするというのに、ちょっと油断するとすぐに険悪な空気になるのは何とかしてもらいたいところだ。
やがて、剣呑な表情でマージャを睨み据える豊が口をつぐんだのを見た時、思いついた。マージャに訊いておきたいことがあるんだけど、せっかくつけた火の番をしている以上、ここを離れるわけにはいかない。誰かに代わってもらわないと。
お~い、豊~、と。ごく小さな、届ける気がないような声でそっと呼びかける。しかし俺の思惑通りに声は届き、豊だけがこちらに顔を向ける。魔物の耳にはこの距離に囁きのような声でも届いてしまうのだ。
もくろみが成立したせいで、事が済んだわけでもないのに心なしか満足しながら、豊に向けて手招きをした。
「おまえの目ってさぁ、この空は何色に見えてるんだ?」
火の番を豊に頼み、縄ばしごを上ってツリーハウスの足場に立ち。その義眼でどこまで見えているのかわからない、しかし目線はまっすぐ空に向けているマージャの背中にそう問いかけた。
「普通に見えてる奴には説明しにくいんだけどな……俺に見えるのは、死んだ色だけだよ。う~ん……」
俺を見ないまま、俺に理解させるための例えをマージャは探っているようだ。
「例えば、炭と、それを燃やした後の灰みたいな色かな。特別濃い色は真っ黒に、それ以外はほとんど灰色って感じかなぁ」
「義眼になる前は、普通に見えてたんだよな」
「そ。さっきエリスが言ってたろ? 性別がないのと見たものを石化させる目ぇ以外は、俺は普通の人間と一緒なの。それがどうかしたか?」
「いや……悪いけど、ただ知りたかっただけだよ」
五体満足に生まれた人間には、障害を負う者の不自由など想像するしかない。余計なお世話だ、と思われるとしても、俺は理解したかった。こいつの、抉り取られた目の代わりの義眼も、ゴブリン族と共に背負う呪いも。それらが与える苦痛と困難を。
俺の言葉に、マージャは小さく笑った。本心からおかしくて笑うのとは違う、空元気をちっともごまかせない乾いた笑いだ。
「おまえ見てるとさぁ、おまえによく似た友達を思い出すんだよな、しょっちゅうさ。今のも、ほとんど同じ意味のことそいつに言われたよ」
「俺に似てる? さぞかし良い奴なんだろうなぁ、そいつ」
「ああ、まったく。こんな人間が世の中にふたりいて、そのどっちとも出会うなんて恵まれすぎてるよなぁ」
ボケたつもりだったのにあっさり肯定されてしまう。褒められているんだから喜ぶべきなんだろうけど、どうしてかちょっと面白くない。
「……ほんと、まるで現実じゃないみたいだ。人間の体になったのも、あいつらと会ったのも、人間の学校に通ったのも、おまえとこうしてエメラードにいることも。実は全部が夢で、目が覚めたら……今もユークレースの泥の仲間の中にいる……なんてこと、ないよな?」
いつもと違う、茶化したところのまるでない痛切な響き。普段はこらえている不安がおさえきれなくて、うっかり口をついて出て、それがしのびなくて今もこちらに顔を向けられないでいる。そんな風に、俺には感じられた。
「俺は今、間違いなく起きてるよ。少なくとも、こうしておまえと話してる今が夢なんてことはありえないから」
「……そうかな」
安心しろ、とはあえて言わず、俺はわざわざ呆れている風を装った。平常時のこいつならそんな演出など当たり前に見抜かれるのだが……こんなつまらない言葉にさえ、マージャはすがらずにいられないようだった。




