17話‐1 慈悲の鉄槌
エメラードへの二度目の航海は、今年の春先、かの島への初めての航海と比べれば大いに気楽になった。俺がソースとして力を使うようになって数ヶ月は経過しているし、おまけに今回はレッド・フェニックスが護衛についている。ここを襲撃しようなどという命知らずな魔物は稀少なはず。
かといって、見張りも立てずにみんなで仲良く就寝、などと出来るはずもない。最大に警戒するべきである、アクアマリンに船が着いている時は全員で起きていて、それ以外はおよそ六時間交代、ふたり一組に別れて一組は眠り、もう一組は起きていて警戒にあたる。
戦力を分散させるため、俺と豊、シュゼットとマージャがペアになると決めた。見張りのうちひとりは廊下に出て扉の前で、もうひとりは個室内の窓から外の警戒にあたる。シュゼット達はどうしたか知らないが、俺と豊の間では、俺が室内、豊が廊下の担当という取り決めになった。これは豊が主張したのだが、結局狙われているのはソースである俺だけなので、眠っているとはいえ他にふたり、常に一緒にいられる室内の方が安全だろうからって。
およそ二日の航海で、話し相手もいないのは正直言って退屈だ。……まあ、自分だけの時間が過ごせるのも今後は限られてくるかもしれないし、ある意味ではゆっくり出来る絶好の機会かもしれない。なんて考えていた、その時だった。
がば、と、衣擦れと布団を押し退ける音が、やけに大げさに耳に障った。その方向を見ると、マージャが身を起こしただけだとわかってひとまずは落ち着く。しかし、安心、というわけにはいかなかった。マージャの様子がおかしかったから。
「どうした?」
走り終えたばかりのようにはあはあと息を荒げ、汗ばんだ額に前髪が貼り付いている。就寝中もゴーグルを外せない彼の表情はうかがえない。
「いや……何でもない」
満月の魔力にあてられた翌日、俺には及びもつかない苦痛にさいなまれていた時にさえ、軽い調子で話そうとつとめていたマージャ。今はその片鱗さえうかがえない、余裕のなさを隠せない様子で、布団をかぶった。
……こいつ、まだ何か隠していやがるな。そんな気配がひしひしと感じられる。
まぁ、いいや。俺に対してはともかく、ベルやエリスに隠し事が通じるとは思えないし。
四百年前のソースによってかけられたまじないから――泥のような肉体に拷問のような苦痛を受け続け、死んでも解放されることなく同じ体に転生する―― マージャと、ゴブリン族を解放する。そうすると決めて、俺達はエメラードへ帰ることにした。とりあえず、博識かつ冷静なエリスの意見が欲しいし、時期的に当時のソースについて知っていそうなライトからも話を聞きたいところだ。だけど……。
フェナサイトの各地にライトが建てた館には、エメラードのベル達が拠点にしているツリーハウスに伝言を送ることが出来る、魔術式が刻まれている。それを使って、マージャのこと、エメラードへ帰ることなどこちらの事情を伝えた。後日、返ってきたメッセージは。
「エメラードへ戻るのは構わない。マージャとやらに関して協力する保証はしない」
などと、存外冷たさの感じられるものだった。
「シュゼット、これどう思う?」
燦々と、明けたばかりの朝日の降り注ぐ時間で、その場に居合わせたのはシュゼットだけだった。
「考える余地もない。いくらそなたの友人といえど、マージャとゴブリン族の救済などベル達、ひいては魔物全体にとって百害あって一利なしだからな」
実はこの前夜、魔術式を使おうとした際に、豊からもこんな忠告を受けた。
「ゴブリン族がソースのまじないで滅んだことで、人間にとっては最悪の殺戮の時代に一応の区切りがついた。魔物にとっても、同胞とも思えない外道がいなくなったって喜ばれるようなことだったんだ。もしもゴブリン族のまじないが解けたとしたって、復活したゴブリン族が善良な性格に変わってておまえに感謝するとは限らないぞ。むしろあの頃の性格のまま復活して、四百年以上前に連中が当たり前に行ってきた殺戮を今の世に持ち込むかもしれない。おまえのやろうとしてるのは、知られたら全ての人間と魔物を敵に回しかねないことなんだ」
言外に、そういう覚悟は出来てるのか、と問いかけていた。
「おかえりなさい。遅かったわね」
ツリーハウスに到着すると、出迎えてくれたのはエリスだけだった。ベルはまだ寝ている時間だし、おそらくライトは食料調達の当番なのだろう。
「こいつがすぐへばるんだよ。敦でさえ、最初でも昼過ぎには着いたっていうのに」
「いやぁ、面目ないねぇ」
豊の言うこいつ、とは。最終的には歩くのもままならない状態になって今はシュゼットに背負われている、マージャのことだ。そのマージャはひらひらと手を振り申し訳程度の謝罪を述べる。
「ふむ。これが例の『マージャ』なのね。こちらはエリス。その名のままに呼んで頂戴」
「はいよー」
「それで、あなたの本当の名前は何というのかしら」
「……本当の?」
くやしい話だが、この場でこういった反応をしたのは俺だけだった。「市野学」という人間名だけでなく、「マージャ」という魔物名さえ偽名だということ、気付いてなかったのは俺だけなのだろう。
「本名のはずがないわ。マージャというのは、ゴブリン族の最後の族長、女王マージャの名前だもの。彼女は四百年前、ソースが施したゴブリン族へのまじな いの生き柱とされた。まじないの効果自体からは逃れられたものの、死ぬことも眠ることも叶わず、孤島ユークレースの洞窟に張り付けにされて今も生き続けている。あなたがマージャを名乗るのは、自分がゴブリン族であることを名乗るだけでわからせるためね。その名を聞いて、ゴブリン族を思い出さない魔物はいない、と、そう思ったのでしょう。残念ながら、五百年以上エメラードにあって他の魔物との交流もない魔物には、ゴブリン族が滅んだことを知らない者もあるでしょうけど」
「そだねぇ。昨日お世話になったオルンも何も言わなかったし」
「いえ、あれはそうした情勢には何の関心もないだけよ」
ベル達との関わりの長いオルンが、アクアマリンやフェナサイトのことを何も知らないとは考えにくい。それに、今にして思えばオルンは、豊が魔物の中で特別な意味を持つユイノの名を告げた時も取り立てて反応はしなかった。他人の事情ってものをいちいち気にしない性格なんだろうな。
「あなたの本来の名前など、エリスにはどうでもいいことだけれど。ただ、身の程をわきまえるべきではあるでしょうね。こんな見え見えの嘘をついては、ベルの不興を買うのもまた目に見えているわ」
エリスの口調、態度には、例の魔術式からのメッセージから予感していた冷たさは今のところ感じない。
マージャは、エリスの言葉に思うところでもあったのか、シュゼットの背中で珍しく真剣に考え込むような顔を見せていた。
「とりあえず、ユイノ。この陽気の中、ご苦労だったわね。これからマージャの身体について、直接確かめたいことがあるの。アーチ、あなたにも話があるから、同行してもらえるわね。そういうことで、皆で小屋へ上がりましょう」
「いいけど、ベルが寝てるんだろ?」
「ベルから、あなた達が着いたら起こすように言われているの」
てきぱきと指示を飛ばすエリスの姿に、ああ、エメラードに帰ってきたんだなぁと感慨深い心境になる。そして、俺もつっこみたいところを豊が先に指摘してくれた――俺も豊も、ベルの安眠を妨害するなんて寿命を縮めかねない行動に、なすがまま同意するわけにはいかないからな。
「シュゼットはどうする?」
訊くと、彼女は背負っていたマージャの足を地面に着ける。
「私の用はすでに済んだ。後はアーチ、そなたの思うままにするがよい。私はここで失礼する」
言い終えると、何故か渋い顔でため息をつき、シュゼットは俺達に背中を向ける。
「あ……世話に、なったな。ありがとう、フェニックス!」
とっさに礼を述べたマージャに、シュゼットは振り返るどころか何の反応もなく、地面を蹴っていずこかへ飛び立った。
ツリーハウスの小屋の中は、日中、太陽光に弱いヴァンパイアのベルのために完全に閉め切られている。エリスが先頭に立って戸を開けると、光の筋がくっきりと床に刻まれて、徐々にドアの形に切り抜かれていく。
「あら、起きているじゃない、ベル」
エリスの言葉に、反射的に身体が強張った。
「お久しぶりね。おチビちゃんにお弟子ちゃん」
意外なことに、ベルはおなじみの不機嫌顔ではなかった。感情の見えない、上から何か塗り固めたようにのっぺりした無表情。
「これはこれは。また、おもしろくなさそうな顔してるな、所長」
豊から見ると、ベルの印象は俺と異なるらしい。言われてみれば、俺が夜眠っている間、少なからずベルと交流する時間のある豊の方が彼女との付き合いは深いんだよな。
「おもしろくないっつーか……正直、つまらない話よね。せっかくのソースの力を、ゴブリンを救うために使おうなんて。物知らずってのはほんと、罪深いものだわ」
はあ~あ。何だかんだ言って、ベルがこう深刻にため息を吐いているのはあまり見慣れない。
「アタシもそろそろ、身の振り方ってものを決めないといけないかしら? アタシだけじゃない。ゴブリンの味方なんかして、全ての人間、多くの魔物を敵に回す覚悟がアンタにある?」
「それ、俺がもう言っておいたけど」
「ふん。お弟子ちゃんはツメが甘いわね。訊くだけ訊いて返事はまだもらってない。そうでしょ? おチビのお顔に書いてあるわ」
まあね、とそっけなく呟いて、豊はあさっての方を見やる。確かに豊から同じ主旨の言葉を受け取ってはいたけれど、彼は答えを求めたのではなく、友人とし て俺に忠告してくれただけだと解釈していた。しかし、それが許されるのはあくまで友人のよしみであって。他の誰かにでも同じ疑問を投げられたなら、俺は誠実な受け答えをしなければならない。俺がしようとしているのは、そういうことだ。
「これが覚悟って言えるのかわからないけど……俺は、自分自身で決めた道は、たとえどんなことになっても自分で責任を取らなきゃいけないと思ってる。誰を敵にしても、望んだ結果にならなかったとしても、誰のせいにもしない。こいつやゴブリン族や、敵になった誰を恨んだりしないよ」
「あら、そう……それなら」
よっこいせ、とまぬけな言葉を吐き出しつつ、ベルが重たく腰を上げ立ち上がる。しかし、立ち上がってからの動きはすばやかった。
「ここでアタシがアンタの首かっさばいても、文句はないってわけね」
いつのまにか、彼女の指先、爪が鋭利に長く伸びている。その爪先が喉仏に狙いを定め、つんつん、おしとやかにつついてみせる。
「アタシの生まれた時代はね、ゴブリン族が現役まっさかりの外道だった頃でね。アイツらに救いの手を差し伸べるなんて、冗談でも吐き気がするわ」
目を細め、口の端をつり上げるようなその笑みは、悪ふざけのように美しかった。
「本気で俺が許せないなら、ベルは俺の覚悟なんか聞かずにとっくに斬り殺してるだろ」
彼女の真意は読めなくても、これだけは確信を持っていた。ベルは、少なくとも今は、俺に危害を加えるつもりはないのだろうと。
「……言うようになったじゃない」
そう吐き捨てるベルは、今度こそ俺にもわかるあからさまさで、つまらないものを見たとでも言いたそうな目を向けた。
「興味が失せたわ。後は好きにして」
閉ざされた窓際、彼女の定位置で横になり、ベルは俺達に背を向けた。




