15話‐9 青春は川の流れ
レムレスという存在を呪い殺すことが可能かなんて、俺にはわからない。いや、この世界で最大級の魔力を持つソースであっても叶わないことがあると俺は知っているし、レムレスに対抗するのもまたしかり。でも、それはハッタリでも何でもない、俺の心からの意思だった。
「ぁはははっ……それはいいね。望むところ、だよ。とっくに死んでるわたしを殺してくれるっていうのなら。だけどあなたこそ、そんなことで一生を棒に振っていいの?」
「今まで豊が俺のためにしてくれたことを思えば、これくらいなんだってないんだよ! だからっ……」
俺だって、いくら何でもキネ先輩を呪い殺すなんて本意であるはずがない。その可能性は低いと知りつつも、なけなしの希望を込めて俺はこうして食い下がるしかなかったんだ。
「……ごめんなさい。あなたがわたしや豊を思ってくれる気持ちは、嬉しくないわけじゃないの。だけど、もう手遅れだね……」
ふいに体をひねり、西の空を仰ぐようにするキネ先輩……その瞳には、誰かを慈しむような、そして自身を憂いているような、寂しい光を宿している。
どうしようもない焦燥感を抱きながら、俺もその方向を見やる。
夕暮れは地平、町並みの向こうへ消えかけた時間帯だ。薄紫の鮮やかな闇が、なりかかりの夜空を染めている。――その中にあっては、決して小柄ではない豊の体もいやにちっぽけに見える。
フェンスの向こう側、わずかばかりの風の影響さえ見受けられず、音もなく宙空に佇むのは俺の知らない豊だった。体つきも、濃い緑色の眼も、黒い髪も、ほとんどの要素が彼であることをしめしているが。それらを打ち消す決定的な違和感がある。かけらほどの光さえ映さない瞳と、それに付随する無感情すぎる表情……。
ヴァンパイアである豊がいつもまとっている保護着はなく、むき出しになっている左右の腕には、無数の赤い線が走っている。首筋に続き頬まで伸びるそれはまがまがしい赤で。まるで浮かび上がった血の流れに、全身を締め付けられているように見えた。
穏やかな妖艶をたたえた笑みを浮かべ、キネ先輩が豊の元へ歩み寄る。緩慢な動きで、器用に宙を漂った豊が降り立つ頃には、彼の目と鼻の先の位置を陣取っている。
「ようこそ、わたしのお城へ。あなたは、豊? それともユイノかしら?」
今の豊の様子からは、俺は、とてもあの中にいるのがいつもの豊であるようには思えないが……無表情だった顔に、皺が刻まれた。痛みに耐えるしかめ面ではあるが、それは確かに豊の感情だった。
「紫……本当に俺なんかでいいのか?」
苦しい息でそう呟いた豊に、心配が取り越し苦労に終わったことを俺は悟った。
もしかしたら、キネ先輩も同じような心境だったのだろうか。いくらか気を張っていたかのようにも見えた彼女が、何故だかやたらと懐かしく見える、いつも通りの穏やかな笑顔で答えを返す。
「もし、ユイノであるのが豊でなかったら、わたしだってこんな性急なこと考えなかったわ。あなたとだったら、『約束の日』までの長い時間を共にするのもいいな、って……そんな、自分勝手な夢を見たの。ずっと側にいたい、いて欲しいって……豊のこと、好きだから、ね」
これまで一点の弱みさえ見せなかったキネ先輩の、声が、腕が震え、ついに両の手のひらで顔を覆う。すすり泣きを交えて、続けた。
「この気持ちを豊に伝えたかった。わたしはどっかの誰かさんみたいに、潔くはなれなかったの。こんなにもあなたを傷つけて、それでも豊とひとつになりたかった……」
顔を隠したままのキネ先輩をわずかに見下ろす豊は、苦しそうで、つらそうで、やるせなさそうで……両手の自由が利くならば、俺だって目を覆ってしまいたかった。そう思いつつ、自由である首で目をそむけることはしなかった。
豊の、深緑の瞳はうつろだった。次の瞬間にも別の何かに取って代わられてしまいそうな、脆く危うい状態が見て取れる。それでも顔全体に表しているのは苦悶だけでなく、目の前の少女に対する慈しみだった。
やがて、吹っ切れたように動いて、キネ先輩を抱きしめた。自らの手のひらに顔を埋めていたキネ先輩の身体が、大きくのけぞる……豊の左腕が腰を抱き、右手の拳が彼女の背中に突き立てられたから。
「ごめんな、紫……今の俺には、こんなことしか出来ないんだ」
心底辛そうな表情の豊は、しかし涙を流すことも、キネ先輩から目をそらすこともしなかった。体に刻まれた赤い線が、淡くまがまがしい光を放っている。
「紫も、俺自身も、ユイノに渡さない。いつか必ず、俺が紫を解放してみせる。その時まで……待っていてくれ」
俺の位置から、キネ先輩の表情はうかがいしれない。だが、彼女が震える腕をようやくといった感じに持ち上げて、手のひらで豊の両頬を包んだのが見えた。
「こんなことさせちゃって、ごめんね……ありがとう、豊」
かすれた声で、精一杯、少しでも多く最後の言葉を残していこう。そんな彼女の気持ちが傍目にも伝わってくる。
「大好き、よ……いつまでも、待ってるから……」
最後に、くすり……小さな笑い声を残したような気がした。そうして彼女は豊の腕の中で消えてなくなった。
彼女の力による俺の拘束はその瞬間に消滅したが、前のめりに倒れ込んだ豊を支えるのには到底間に合わなかった。
駆け寄って確認した豊の様子は苦しげで、そんな姿はいつかどこかで見たような覚えがあった。
ヴァンパイアになってからというもの元から顔色は良くないが、顔面蒼白といった有様で。息は荒くはなく、しかし寒気に耐えるかのように小さく体を震わせていた。
「敦……悪ぃ、血を少し……貰っていいか?」
「え? あっ、ああ。それくらいなら、遠慮すんなよ」
そうだ、これは豊が最初に血を吸った夜。ヴァンパイアの本能と人間でありたい思いとで葛藤していたあの時の。
顔以外は伏せる形で倒れた豊は、肩肘を地面に着いて身を起こす。ようやく安定した体勢になると、豊は、まだ夜に覆われていない、中途半端な空の色を眺めた。
「俺さ、おまえが知らないところで、もう何人か殺してるんだ。一応、夜の間におまえのこと狙ってきた奴らだけど……これに魔力を集めたくてやったことでもあるから……結局、自分の都合で他人を殺したってことだな……」
豊は、右手に握り拳を作ったままキネ先輩を貫いていた。その手を開くと、中には十字架に象られた薄紫色の石があった。四方の先端が鋭利に尖っているそれは、握りしめた豊の手を刺していたようで、あふれた血に汚れている。
手のひらの中にあったのは、それだけではない。刻んでから、少なからず日数が経過しているだろうとわかる、魔術式。
「もしかしてこれ、キネ先輩なのか? ラルヴァやレムレスは封印出来ないんじゃなかったのか」
「正式な封印じゃない。この中に閉じこめただけだ……特殊な力、少しだけ使ってな」
明らかに、濁した言い方。それで察しがついた。
「それが、『ユイノ』か?」
「知ってたのか」
「知らなかったけど、ついさっき、キネ先輩から。豊こそ、いつから知ってたんだ。自分がユイノだって」
「船の中で、初めて人の血を口にして、眠った夜。真夜中、一度目が覚めてその時には……魔物としての自分の名前を思い出すっていうのはそういうことなんだよ」
「……」
自分から訊いておいて、返す言葉に迷っている俺を見かねてか、豊は続ける。
「正直、目が覚めた時は愕然としたけどな。何で、よりによって俺なんだ、って……ヴァニッシュやティアーは、俺がおまえに力を使うような事態ありっこないって考えてし……俺だって、おまえを信じてるよ。でも、これからも……ふたりが死んだ後も、時間は過ぎていく。時代は変わっていく。その中でもし、戦いが起こったりそれに巻き込まれたりしたら、どっちに転ぶかなんてわからない。ユイノの記憶が見せるこれまでに起こった戦いは、どっちが良いも悪いもなかった。 誰もが、少しでも望む未来に近付くために必死だった。そしておまえは、未来のために平気で自分を犠牲に出来る人間だったよ」
「前世の俺に会ったことがあるのか、ユイノが?」
「休戦条約を結ぶ目前で死んだ、軍師の神楽 歩とか、な。歴史の授業でも習うだろ」
「マジか……」
いくらなんでも、そんな雲の上のような途方もない人物が出てくるとは思いもしなかった。それが前世の自分なんて言われてすぐさま受け入れろというのは無理な話だろう。
しかし、ソースが過ちを犯した時に強制封印するのがユイノの役目だというなら。あの戦いは、織江心という名のソースであった女性が関わっていたのだから、少なくともユイノと彼の面識くらいは信じるべきなんだろうが。
豊の口が塞がっている状態だから当たり前だが、お互いに黙りこくったまま、俺は血を吸わせた。
豊が俺の腕を放したのを見計らって――別に今更気にしやしないのに、どこかバツの悪そうな顔をしている――俺は、今日、豊に伝えると決心した事実を話し始めた。
「あのさ……俺も、豊に言ってなかったことがあるんだ」
「何だよ……つったって、何か隠してるなってのはわかってたけどさ」
深々とため息を吐く豊に構わず、俺は続ける。
「休校になった日、豊の墓を見てきた。そこで東さん一家に会ったんだ」
東さんというのが誰か、なんて詳細に語る必要はない。こんなこと、豊が忘れているはずがないんだから。
案の定、豊の顔色が変わる。訝しむような、しかし感情の乱れを隠しきれないような。
「……そんで?」
「話したのはお兄さんだけなんだけど。豊と喧嘩別れしたってこと、ずっと後悔してたんだと」
「……だから?」
そう一言こぼして、豊は俺から目線を外す。その横顔を見ながら俺は告げた。
「だからどうしたかっていうと、彼、高校に進学しないで魔物の討伐事務所に入ったんだってさ」
かくん、といかにもわかりやすく、豊が首を右肩へ倒す。とはいえ当てつけではなく、単に首を傾げたのだろう。そりゃあ、突然こんなことを言われたら理解不能に陥るわな。
数秒の間の後、合点がいったというような顔をしたと思ったら、その表情は見る間に憤りへと変わる。
「はぁ!? ぁに考えてんだよあのアホはっ!」
討伐事務所というのはすなわち、フェナサイトにおいて人間に危害を及ぼす魔物を討伐する民間業者の総称である。名目上は非営利であらねばならない公務員に命がけの仕事はさせられないし、魔物との不可侵条約もあって政府が大っぴらに動けない。そこで政府から、危険手当という名の報奨金を与える ことを約束した民間業者に丸投げしているのだ。
討伐事務所には、自治体役所の一室を与えられ地元での魔物とのトラブルに出動する地域密着型と、純粋に利益を上げることを目的として自ら魔物を追う営利型がある。前者は役人と大差ない働きをしているが、後者は血気盛んに魔物を討って出るため、常に命の危険にさらされることになる。
東さんの属している討伐事務所はまごうことなき営利型で、知り合いがそんなところに勤めるなんて知ったら全力で説き引き留めるのが人情というものだろう。
「それが……討伐事務所でヴァンパイアを追ってたらいつか豊に会えるかもしれないし、って」
それで、もし、豊が現状を嘆いて死にたがっているのだとしたら……自分が叶えてあげよう。それが東さんの進路選択の決め手になった。あまりにも重すぎるので、これを豊に伝えていいのか俺は躊躇ったわけで。
だから最後まで、肝心要な部分はこの場で口にせず。必要なら東さんに直接聞いてくれ、と投げたら、豊はわかってるよ! と苛立たしげに髪に手を突っ込んでかき混ぜていた。
よほど動転しているのか、後先考えずに立ち上がり、ふと思い出したように俺を見下ろす。
「忘れてた。敦、血、助かったぜ。ちゃっちゃと片付けて戻ってくるから」
「別に慌てて戻らなくたって、せっかくの帰郷なんだからゆっくりしてきたらいいんじゃないか?」
「馬鹿言え。俺には俺でもう、やらなきゃならないことがあるんだ。どこでだろうとグズグズしてる暇なんかねぇよ」
「そっか。そうだな。それじゃ、またしばらく」
「ああ。じゃあな」
こんなにも晴れやかな豊の顔を見るのは、久しぶりかもしれない。もしかしたら、俺も同じような顔をしているのかもしれないが。
別れを告げると、豊は背丈の倍以上はあるフェンスをひと跳びで乗り越え、薄闇の空を飛翔して姿を消した。
ようやく静かになった屋上に取り残された俺は、とりあえず大きく背伸びをした。気が抜けたせいか、とびきり大きなあくびも出た。
どうしてだろう……特に何か成し遂げたのでも、前進したわけでもないのに、こんなに爽快な気持ちでいるのは。何ひとつ解決していない、しかし、 お互い抱えていたものを吐き出すことが出来た。豊には、亡き仲間との約束だけでなく、自分自身の生きる目的というものが見つかった。素直に考えれば、この解放感のわけはそんなところだろう。
さて、ぼちぼち俺も帰ろうかな。家族はいないけれど、エメラードからの馴染みの待つ、森の奥の館へ。
15話終了。16話に続きます。




