15話‐7 青春は川の流れ
サクルド、どう思う?
要求を突きつけている本人の前で、おおっぴらに会話するわけにはいかない。つくづく便利な話だが、俺は頭の中でそう思うだけで、サクルドの意見をうかがうことにした。
確かに、いかなソースといえど、この学校内で彼女の意に反することはほぼ不可能です。けれど……。
わたしはアーチさまにのみ、お仕えする身。他の誰に害があろうと、このような条件を呑むわけには参りません。
俺の肩の上で立ち上がり、ゆらりと浮遊して進み出るサクルド。こちらに背を向けて、しかもちょうど目の高さに立たれると、その表情はこれっぽっちも知る ことが出来ない。……思えば、こんな印象を何度となく受けた覚えがあるから、ひょっとして意図的にこのような立ち位置を選んでいたりするのだろうか。
「あら、こわい。小さくても立派な盾になってるのね。それで、アーチ君はどうするの?」
そう、小さな体で俺を精一杯守ろうとしているサクルドには、心から申し訳ないと思っている。それでも、俺は。
「わかったよ……」
サクルドにしても、こうして俺が妥協するのは目に見えていたのだろう。振り返ると、諦めに近い失望がありありと浮かんでいる。
俺が望まないと姿を現せないという彼女は、こうして俺が意思をあらわにしたことで、音もなく消え去るしかないのだった。
にわかに、学校全体が騒然とし始めた。キネ先輩の眠りから生徒達、教師達が目覚めると、さすがにこの怪奇に口をつぐんでなどいられないだろう。この類の不条理はたいてい、魔物のせいととらえられるから、せっかく開けた学校がまた休みになってしまうかもしれない。
やがて、屋上のフェンス越しに見下ろす校庭、ほのかに動揺しながら群となって下校する生徒達が見えると、キネ先輩はその光景に背を向ける。
「さて、と。夜になるまでちょっと無駄話に付き合ってよ。
わたしがこの学校に戻ってきたのは、十年くらい前、だったかな。もう時間の感覚なんてないようなものだから自信はないけど――それより前は、学校の前の公園にいた。そこに、わたしをこの世界に縛り付ける石碑があったから」
俺にフェンスの前に腰掛けているよう促したキネ先輩は、自分は俺の前を所在なくうろうろと歩きながら話し始めた。
「わたしが何をしたってわけでもないのに、他人の勝手で殺されちゃったなんて、当然だけど悔しかったよ。生きていればまだまだ出来ることはたくさんあった。無念、って言った方がいいのかな。だけどわたしは、わたしのために泣いてくれる人がこんなにもたくさんいるんだっていう、それだけで満足することが出来たんだ」
言いながら、ふっと自嘲を思わせるかすかな笑みを彼女は浮かべる。
「だけど、日が経つにつれて気がついたの。事件から、わたしが死んでから時間が経つと、あんなに泣いてくれた人だってわたしのことなんて綺麗さっぱり忘れてしまう。それはそうだよね。この島のみんなが知ってるわたしは、事件の被害者として伝えられるだけのわたし。その時点で、わたしはもう、こうして死んでいるんだから。他人の推測の中のわたしが、正しいわたしを伝えているかなんて誰にもわからない。虚構でしかなかったのよ」
黒いセーラー服が夕日を受ける。残暑の強い太陽光の下では暑苦しいまでの黒だが、キネ先輩の白い肌はその影響をかけらほども感じさせない。
「そんなむなしさととひとりぼっちで向き合ってた日々、突然、レムレスとしてのわたしはこの学校に移された。石碑が公園から学校に移されただけなんだけど、 わたしは、やったね、って思った。何だかんだで、何の思い入れもない公園より、たくさんの思い出がある学校の方がいいって思ったの……だけど、それはまったく、見当違いだった。
十年の時が経つと、生徒も先生も、わたしの知ってる人なんてひとりもいなかった。学校の風景はなにひとつ変わっていないのに、そこはわたしの知ってる場所じゃなかった。わたしはここにいるのに、この学校にわたしの居場所なんて、どこにもなかった」
うちの学校は市立だが、市立の学校というのは教員の移り変わりが激しい。キネ先輩に限らず、卒業してから十年もすれば、お世話になった先生が母校に誰も残っていないというのはよく聞く話だ。
「けれどね、丁度良く、っていうとみんなに悪いと思うけど……この学校でまた、事件が起こった。わたしを殺したあの人が、この学校に潜んで、また女生徒に乱暴しようとしたの。幸い、その子は間一髪で逃げ出したんだけど。体育倉庫に残された彼は、そのまま首を吊って死んでしまった」
「それが、この学校にいたラルヴァなんだな」
そうだね、と一言、柔らかく微笑みながらキネ先輩は肯いた。この学校の誰よりも、果ては島中の人間から憎まれた人間。
「この学校で死んだからなのかな。わたし、彼がいまわの際に見た走馬燈や、その生涯を呪う言葉を聞いた……それは、最後に殺された以外は何不自由ない、何ひとつ欠けていない幸せの中にいたわたしには想像もつかないような、ひとりぼっちの悲しみだった。わたしにとっては人生を終わらせるたったひと つの災厄でしかなかったけれど、彼にもひとりの人間としての人生があったんだな、って、思ったの」
「だからって、許せるっていうのか? 自分を殺した相手なのに」
「許す必要なんてないのよ。レムレスは魂だけの存在。今のわたしは綺音紫という人間だった頃の感情、心なんて持ってない。わたしはただ、人間の時の記憶、思い出を頼りに紫を真似ているだけの無意味な存在。彼に対する憎しみなんて、元からわたしの中にはなかったの」
キネ先輩に心がないなんて、そんな風にはとても思えない……そう言うべきだと思いながら、俺の喉からはいくら絞りだそうとしてもうめき声ひとつ出てこない。
「彼の死は、これもまたセンセーショナルに報道に取り上げられてね。島中の人達に憎悪された彼はやっぱりラルヴァとなってしまった。そうしてこの学校の中で、時折現れる、ものすごく気落ちした生徒にちょっかいをかけ始めたの。そしてわたしは、狙われた生徒達をどうにか元気付けて、ラルヴァの悪意から守って あげる……わかった? ラルヴァの彼が現れたことで、わたしは、この学校での存在意義を初めて見つけることが出来たの」
だけど、そのラルヴァはマージャの力で石になってしまった。
「その彼も消えてしまったんだから、これでわたしはまた、何の意味もない存在に成り下がってしまったわ」
そんなことはない、と言ってあげたかった。しかし、そんな意思とは裏腹に言葉は続かない。
今でもキネ先輩の死を悲しんでいる人達は、きっといる。それだけ理不尽な最期だった。けれど、大半の人間にとって、キネ先輩の事件は数ある悲劇のなかのひとつでしかないということ、記憶の彼方の忘却された情報にすぎないということ。否定したところで、キネ先輩の知る真実の前ではどうしようもなく陳腐な言葉でしかないのだ。
「わたしのことはちょっと置いてといて、さ。わたしが言うのもなんだけど、アーチ君。必死にあなたを守ろうとする仲間がたくさんいるのに、こんな風に自分の身を省みないのはちょっと失礼かもよ?」
ふと立ち止まり、キネ先輩は真正面から俺を見下ろしてくる。
「俺だってそう思うけど、他にどうしたらいいかわからないんだ」
「自分が犠牲になったって、本当に守りたいものを守れるとは限らないよ。……今だって、あなたのために豊を犠牲にするかもしれないわ」
「……どういう、」
ことか、と問いつめる前に、彼女の手のひらが俺の手首をすくい上げ、屋上のフェンスに縫い止めていた。俺の頭より高くに固定された腕が、静かにしびれを訴え始める。
「豊に会いたいだけなんだろう? だったら、俺からあいつに言って、どうにかこの学校に」
「会いたいだけ? そうじゃないわ」
額どうしが触れ合いそうに寄せられた、キネ先輩の顔。くすり、小さな含み笑いの吐息さえ感じられた。
「あなたに危害が及ぶようなら、豊は、わたしを封印してくれるかもしれない」
「封印?」
「……あれ、アーチ君もしかして知らないの? ユイノのこと」
魔物の名前にはそれぞれ由来がある。さらに、何度生まれ変わっても同じ名前を使う魔物は、有名になれば名前を告げるだけでその正体や由来が伝わってしまう。そういうことは知識としてあったが、まさか豊の魔物名に疑いを持ったことなど俺にはない。
「ユイノはね、神話の時代から『封滅の式』と呼ばれる、竜族の一員。それも源泉竜ソース=アイラに仕え、直に使命を与えられた。その役目から魔物の中に知らない者はいない、ってくらい有名なの」
そう語るキネ先輩の口調は恍惚としたものだったが、その瞳は暗く、淡々としていた。
「その使命っていうのはね、アイラの死後、彼の無尽蔵の魔力を与えられた人間が悪さをしないように監視すること。そして万が一、ソースが道を誤った時には、これを封印する。どれだけ魔力量に差があっても、発動させれば必ず対象を封印することが出来るのが『封滅の式』。その代償に自分の肉体を捧げることになるから、転生するのは魂だけになっちゃうけどね」
驚愕と共に、どこかで聞いたような話だな、などとどこか他人事のように思う。
……そうだ、あれは伝承だった。「巨悪を野に結び封じる」という名前を持った少女、ゆうのさまの話。
「要するに、ソース対する、唯一にして絶対の切り札。それがユイノの役目なの」
ソース……それはすなわち、俺のことだ。
ユイノという名を持ち、俺の、ソースの力に対する切り札。その事実を前に、様々な言葉が、場面が符号しながら、俺の脳裏を駆け抜けた。




