15話‐3 青春は川の流れ
「よぉ……」
おかえり、と疲れたようなか細い声。昨日、シュゼットと共に森の奥の館へ帰ると、夕食の準備で火起こしをしている豊が出迎えた。九月の夕方頃なんてまだ日が高く、明るい。太陽光を苦手とするヴァンパイアである彼が疲れるのも無理はない。
この手の家事は、今はこの館を守る主であるシヴァ・ジャクリーヌの仕事だ。豊から事情を聞くと、そろそろ食事の支度を始めるべき時間だというのに姿が見えないという。自我というものを失ってしまったシヴァ・ジャクリーヌは、たまにこうして意味不明の徘徊をすることがある。 その捜索はシュゼットが自ら申し出て、白いセーラー服を着替えないまま森の奥へ消えていった。
「なあ、豊」
「何だよ。……なんかあらたまってるな」
「豊さ、人間の島で会いたい人っていないのか?」
「いるわけねーだろ、そんなの」
別段、自嘲気味ということもなく。至極、真面目な顔で豊は呟いた。
「第一、今さら俺の顔が見たい奴なんかいないだろうな。……俺は、ろくなことしてこなかったし」
その、「ろくなこと」の内容を、俺は知っていた。それを教えてくれたのは豊の旧友で、豊の正体と生存を知りながら、合わせる顔がないと嘆いていた東さんだ。
そう言った瞬間の豊の態度は、その話をしてくれた時の東さんと、少しばかりの違いさえなかった。そうして俺は、自分の過ちと愚かさを思い知らされたのだった。
「キネ先輩は、じゅうぶん会いたそうにしてたけどな」
俺達が人間の島を出るために学校を去り、今、人間の島に戻るため学校にも戻った。そのどちらの場面においても、キネ先輩は豊を求めていた。
「――会ったってどうしようもないんだよ。俺は、あいつのために何もしてやれないんだから」
はーあ、と重苦しいため息を吐いて。豊は、後は任せた、と言い残して館に入った。
「……だぁってさー」
そんな、いかにもふて腐れた一言にはっと正気に返る。無意識に遮断していた視界を戻すと、真正面にはマージャが、椅子の背もたれに顎を当てては離し、とやっている。こいつがこんな風に、うなだれた様子を見せるのは珍しい。
「おまえだって、高校くらい卒業しておきたいだろ?」
「……は?」
意外すぎる言い分に、一瞬、理解が追いつかなかった。間抜けな一息が勝手に喉から絞り出される。
「ほら、今後おまえがさ、もし人間の島での普通の暮らしに戻りたいなーなんて思った時、高校中退じゃ色々とまずいんだろ?」
「それはそうだけど、おまえの言ってた使命とやらは、俺の都合を考慮していられるほど悠長なものなのか」
「いやいや、もちろんそんなこたぁないけどさー……」
後は、小声でぐちぐちやっているだけで、マージャの主張は俺に伝わってこない。そんな態度を見て、俺は思った。
もしかして、こいつ、意外と優柔不断なんじゃないだろうか。自分の使命を果たすためにソースの力が必要だ、と訴えてはみたものの……それはおそらく、俺に人間の島での人生を捨てさせるほどのものなのだろう。だから、いざ決断が出来ずに、「まだその時じゃない」なんてごまかしてみたりして。
いちクラスメイト、市野学としてのこいつのイメージは優等生だが話しやすい、隙のない奴だと感じていた。マージャとして本性を表しつつあるこいつの意外な一面に、不本意ながら俺は少しだけ微笑ましい思いがした。まだ、マージャの奴に心を許すつもりはないから、表面には出さないでおくが。
下校間際のホームルームが終わると、俺は早速帰ろうと席を立った。いつもならこんなに帰宅を急いたりしないのだが、今日は特別だ。
帰ったら豊に、東さんのことを伝えよう。そう決めた。それから豊がどう思い行動するかなんて、俺が判断するべきじゃなかったんだから。
それに、今日はシュゼットがいない。どういうわけか五時限目終了後の休み時間で早退してしまった。言わずもがな、早退理由は訊いても答えてくれなかった。もうどうにでもなれ。
「おーい、アーチ!」
せっかくの決意が水の泡、校門前でお気楽な調子で声をかけてきたのはマージャだった。さっきのしおらしさはどこへ行ったのやら。
「学校内でその名前は出すなよ……」
「もしつっこまれたら、あーちゃんて言ったんだよー、とでも言っときゃいいんだよ! そんなことよりさ」
だったら最初からしなければいいというつっこみが追いつかず、マージャが本題に入る。
「おまえさ、まさか自分の姉さんを見捨てるつもりはないよな」
「当たり前だろ」
アネキは悪霊に取り憑かれているが、今はまだ手も足も出ない。キネ先輩からそう宣告されてから、もう数日が経ってしまった。
「俺の見たところ、今夜あたりが潮時だろう。動くなら今しかない。その前に、とっておきの秘密を教えとくよ」
「とっておき、ねえ……どれだけのもんだか怪しいね、おまえが言うとさ」
「信用ねーなぁ。ま、とっておきはとっておきだぜ。全校生徒あーんど教師を含めて、知っているのはひと握り……要するに俺とシュゼットと、ここにいた時はティアーとユイノもそうか」
「そーいう前振りはいいからさっさと言えって……」
校門前で男子生徒がふたり、帰るでもなく延々話し込んでいるのは、誰が気にするでもないだろうが居心地が悪い。
「つれないなぁ。わーかったよ、ほれ」
ぼやきながら、マージャが投げてよこしたのは、手のひらサイズの小石だった。とても自然物とは思えない、きれいに楕円で、表面は滑らかで。そして、魔術式が刻まれている。
「そいつをしっかり握って、これから俺の指す方をじっくり見てみー」
いつの間にやら、下校する生徒達の波は一旦途切れているようで、校舎内に人は大勢いるだろうが校庭にいるのは俺とマージャだけになっていた。その中にあっては気兼ねすることもないだろう、マージャは「とっておきの秘密」に、人差し指を向けた。
マージャの示す先にあったのは、巨大な石碑だった。……石碑?
校門脇には、この学校の名前とならわしを簡潔に記した石碑がある。それは知っていた。だが、こじんまりとしたそれの三倍弱ほどの大きさはあろうかという、隣の、巨大な石碑。こんなものがここにあったっけ?
おかしい。小さい方の石碑の存在を知っているのに、それより遙かに大きくて目立つ石碑に気がつかないなんて。いぶかしむ、なんてレベルでなく薄気味悪さを感じながら、俺はその巨大な石碑の前に立ち、そこに刻まれた文章に目を通す。
気味が悪い、という感想は、驚愕によって塗り替えられた。
(2024年3月注記 石碑の内容は以前から思うところがあったので、非公開になりました)




