15話‐2 青春は川の流れ
キネ先輩は俺達の一学年上の三年生で、アネキやティアーのクラスメイトだ。彼女の言葉を疑わないなら、豊の正体を知った上で彼に好意があった女性ということになる。
それだけでもうただ者ではないと思っていたのだけど。数ヶ月ぶりに再会した彼女の行動は、予想を上回る突拍子のなさだった。
「はい、ご到着~」
「ここ、キネ先輩のクラスですよね」
「そう。つまり、ティアーと、あなたのお姉さんのクラスでもあるわけだ」
何が楽しいのか、キネ先輩は妙に機嫌が良い。
何故かと言われるとどうしてなのか自分でもわからないが、学校で身内の姿を見たり、見られたりするのはなんとなく気まずい。だから、廊下ですれ違ったりしてもつい無視してしまうことが多く、そんな自分がわざわざ姉のクラスの前にいるというのは、正直めんどうな心境である。
「彼女の家族であり、ソースでもあるところのあなたに、見てもらいたいものがあるのよ」
ソースである、なんて言われるともはや悪い予感しか浮かんでこない。特に、アネキは俺がソースだったばっかりに、とんでもない巻き添えをくらってしまっ たのだから。親友だと思っていた者も、恋人だった者も、ソース目当てに近寄ってきた魔物だったという事実は彼女の心を深く傷つけた。
キネ先輩は軽く跳ねるようにして進み出て、自分の教室前、廊下に大きく設けられた窓の前に立ち止まると俺を手招きする。しぶしぶ、彼女に従うことにする。
教室内は、気の合う者同士グループになって食事を囲む、何てことはない昼休みの風景が広がっていた。ただひとり、アネキを除いては。
アネキは身を起こし、一点を見つめていた。それだけならまだしも、その視線の先が徹底的に不自然だった。首を七十度ほどに上向かせ、眺める先はどう考え ても虚空でしかない。そんな彼女自身の表情もひたすらに虚ろで、平和な教室においてアネキのいる一角だけが異様な不気味さを漂わせていた。
「高泉さんの見てるものがわかる?」
「見てる、って、何も見えませんけど」
「そうだろうね。あれはそういうものだから」
「どういうものなんですか」
「かいつまんでいうと、彼女、亡霊に取り憑かれているのよ。このまま放っておけば、死んじゃうかもしれないね」
何の感慨もなく、極めて気楽な調子で彼女は言った。その後に、おまけのように「ラルヴァって知ってる?」と付け足した。その名前には特別、印象深いやり取りがあったので――いっそ忘れてしまいたいと思ってもそれは叶わなかった。
生者が故人を惜しむ気持ちが強すぎると、生き物の魂は現世に縛られ転生出来ず、魔物となってしまう。その種族名がラルヴァであり、俗に亡霊と呼ばれる存在である。魔物達からしてもラルヴァは忌むべき存在で、死した同胞がラルヴァとなってしまうことを避けるため、死は自然の摂理、そして何の咎もなければ転生もするのだからと、死にゆく者に執着するべきではないという掟があるのだった。
このラルヴァのことがあったから、俺はティアーとヴァニッシュというかけがえのない仲間を喪っても、思うままに悼み悲しむことさえできなかった。
知っている、という回答の意思に頷いてみせる。
「長話になっちゃうから、場所を変えようか」
長話以前に、こんな会話を学校の人間に聞かれるなんてとんでもない。しかし、全く人気のない場所というのも俺には思い浮かばなかったが。
キネ先輩の先導でたどり着いたのは、何のことはない、空き教室だった。空いているというのは語弊があるが、二年生の教室がある階の東の果てに、十年以上閉鎖されているという噂の教室がある。普段、そこは固く鍵で閉ざされているはずなのだが、キネ先輩が手をかけるとあっさり開放された。今日はたまたま開いていたのだろうか。
しずしずと、普段のはしゃぎようはなりを潜めた動作でキネ先輩が歩み寄る。そこは教室のちょうど中央の席で、ほこりをかぶった机にそっと指先を触れた。
「昔むかし、この学校始まって以来いっちばん、誰よりも嫌われた男子生徒がおりました。彼は卒業からちょうど十年、わざわざこの学校で自殺してしまいました。ラルヴァは別名、憎悪の化身。たっくさんの人々の憎しみを受けた彼の魂が安らかに眠ることは許されず、ラルヴァとなり、この学校で今も八つ当たりに生徒達に取り憑いているのでした。おっしまい!」
早口に説明し、シメにだけ不自然な気合いを入れてキネ先輩は笑った。どこか空元気にも見えたが、俺はそんなことを気にしている余裕はなかった。
「そのラルヴァがアネキに?」
「そう。ラルヴァっていうのは落ち込んでるとか、心の弱い人とかに付け入って生気を奪うの。そんなことをしなくたって、自ら死ねないラルヴァには関係ないはずなんだけどね」
やれやれ、と肩をすくめるキネ先輩は、つかの間見せた疲れの表情を隠すように話を変えた。「ねえ、せっかくだからエメラードの話を聞かせてよ。わたしには縁のない場所なんだし」って。
「そっかぁ。やっぱり、ティアーは死んじゃったのね」
「キネ先輩も知ってたんだ。……海月さんが人間じゃないってこと」
「それはもちろん。この学校でわたしに隠し事なんて不可能なんだから」
先のアネキとラルヴァの件といい、俺は人間離れした存在感をキネ先輩に感じ始めていた。しかし、彼女からひとかけらほどの魔力も、魔物の気配も感じられない。
「でも、最後まで大好きなあなたと一緒にいられたんだもの。あの子だってきっと幸せだったわよ」
「最後まで……一緒にいられたわけじゃないんだ。ティアーは、何も言わず姿を消して、それきりだった」
「そういう意味じゃなくってね。あの子が望んだ最後まで、ってこと。だって、自分が醜く腐って死んでく姿なんて、誰よりも好きな人に見せられるわけないじゃない」
そう、突き詰めて考えればそういうことなんだ。エリスやライトに確かめたが、ヴァニッシュが死の間際にツリーハウスを離れたのも、力尽き死んでいく、情けない自分の姿を親しい者達の目に晒さないためという、魔物の習慣にのっとったものだった。極めて魔物の、ワー・ウルフという種に忠実だった彼らしいと納得できるのと同時に、ヴァニッシュは別れの言葉を残してくれた。きっと、それがティアーにはなかったことが、俺には何よりショックだったのではないかと思う。
キネ先輩の言ったように、積もる話のあったせいでもうかなり時間が経ったような気がする。昼休みの残り時間が気になりだした俺に気付かず、彼女は話を続ける。
「ねえ、あなたも豊も、魔物名ってつけてもらったの?」
「はい。俺の魔物名はアーチっていって、豊はユイノっていうらしいです。俺は今でも豊って呼んでますけど」
話を振っておきながら、キネ先輩の反応がない。不信に思い彼女を見やると、ぽかんと口を開けて呆けている表情が目に付いた。その瞳に宿る驚愕に、俺は思わずたじろいでしまう。
「そうなんだ……これから、わたしもアーチって呼んでいい?」
「いいですけど、できれば学校の人前でとかは」
「わかってるよぉ、そんなの~。……そう、ユイノなんだ」
自分で評するのもなんだが、俺は自分が気性の荒い方だとは思わない。絵に描いたような不機嫌を常時、周囲に振りまくどっかの所長さんはもとより、多少腹立たしい出来事に遭遇したくらいでは平静を失ったりしないし、取り繕うことが出来る。まして、不快感をアピールしたり八つ当たりするようなこともない。
しかしながら、今日ばかりはとうに限界を超え、俺はイライラしていた。それを手近な、それもイライラの原因の一角でもあるそいつへ向けて、あからさまに匂わせる。
「いーかげん、機嫌直せよ。なーなー」
機嫌を直させる気があるとはとても思えない、いかにもおかしげな口調がいっそう腹立たしい。授業合間の十分休み、俺の前の席の持ち主を適当に追い払ったマージャは、背もたれに胸を預け正面から笑い掛けてくる。
「なーんで機嫌が悪いのか、わかってんだろうな?」
「わかってなかったら、こうしてご機嫌取りなんてしないさ」
こいつの場合、そのご機嫌取りさえ詭弁なわけだが……要するに、みんながみんな、揃いも揃って俺に隠し事をするのが気に入らないのだ。そのくせ、自分の訴えたい何か、その存在だけちらつかせて、まるで試されているみたいで不愉快だった。
もっとも、これに当てはまるのはマージャと、厳しめにみてシュゼットくらいであって。何も当てつけで隠し事をしているわけではない人達がいるということもわかっていた。
ひとり目は、キネ先輩だ。
「とりあえず、あなたのお姉さんはまだ大丈夫。というか、まだわたし達に手出しが出来る状態じゃないのよね」
そう言い残して、お互いの教室に帰ったあの日以来、俺は彼女の姿を毎日のように目撃した。ただし、会話はない。キネ先輩は、俺達のクラスの前を通り過ぎ、廊下の窓からちらり、豊の席を一瞥していく。それも何か迷うような表情で。
彼女は、きっと俺に何か隠している。それは俺自身とは関わりのない、キネ先輩自身の問題なのだろう。その痛切な面持ちを見ればうかがい知ることが出来た。
そして、隠し事をしていそうなもうひとりといえば……。




