14話‐5 土の骸
「これで最後にするつもりだから、なんとかの土産に教えてやるよ。俺の魔物名は、『アーチ』だ」
「へぇ……アーチ、ねえ。おまえにピッタリの名前じゃん。そっちの名付けの師匠はいいセンスしてるね」
エリスから授かったアーチという名前には、俺自身の魔術式の相性と同時に言葉としての意味も込められていたのか。
それじゃ、始めるか。
奇遇、とでも言うべきか、マージャと俺の、ささやき程度の宣言は見事に一致した。
マージャは、かけているゴーグルのゴム紐を左手で掴む。逡巡したようなひとときの間の後、ゴーグルを外す。そんな動作を目で確認しながら、俺は最大級の防御壁を展開した。大きさにして、俺と、少し離れた位置に立つ豊の全身を覆う程度。規模は小さいが、だからこそ効力は集中して、より効果を発揮するはずだ。
ゴーグルの下の素顔は、何てことはないものだった。それは、マージャが目を開けていなかったから。彼が、そっと、もったいぶるようにして持ち上げたまぶたに隠されていた瞳は。
透明だった。天然の水晶のように透き通って、うっすらと、ごくささやかに紫の色が着いているようだ。不思議なことに、それでいてその向こう側に見えるはずの器官が見えない。深く深く、どこまでも続いて吸い込まれそうな、言いようのない不気味な目だった。
なんて認識をしている間にも、マージャの能力はすでに発動していた。強いんだか儚いんだか、どちらにもとれる眼光そのものが奴の力なのだろうか。驚異は、奴の視線に乗ってまっすぐにやってくるようだった。
しかし、何の芸もなく直進してくるマージャの力は、俺の展開している魔術壁――相手の魔術そのままを跳ね返せるこの状態には、この上なく都合の良いものだ。
まばたきひとつほどの一瞬、その攻防の中に、想像だにしない乱入者があった。
実際には上空から降りたったのだろうが、あまりに唐突だったもので、まるで瞬間移動してきたかのように錯覚した。それは、人間の学生服に身を包み、いつ もおおざっぱに結わえていた黒髪を下ろした彼女――その姿は今朝からずっと見てきたのに、人間の装いをしていることこそが新鮮で、やっぱり見慣れない……。
「シュゼット!」
声を上げたのは、俺だけだった。マージャと俺との、ちょうど中間に位置する場所に立ったシュゼットに、俺の魔術壁が反射したマージャの攻撃が直撃した。
「愚か者め。投げやりになって人間を傷つけるなど……今のそなたの姿を見ることがあればティアーもヴァニッシュも悲しんだろうな」
シュゼットの足の先から腰まで、手の先から肘までが、石化している。その石はわずかながら浸食して、徐々に、確実に浸食している。見過ごしてしまいそうなひとときだけシュゼットは苦悶の表情を浮かべ、すぐさま平静な顔を取り繕った。
「マージャ。そなた、死ぬつもりか。使命を果たすのではなかったのか」
「……はは、俺もさ。自分の運命ってやつを試してみたくなったのさ。その使命が、果たして俺に定められたものなのか」
まるで旧知の仲、あるいは不仲にも聞こえるようなやり取りが、シュゼットとマージャの間で交わされた。
「試したかったのって、それだけですか」
俺の頭の上で身を乗り出して、サクルドが問いかける。
「アーチ……いや、ソースの意思を試したのだろう」
「そーそ。俺の目的を達成するには、ソースの……おまえの力が必要なんでね……」
「勝手なこと言いやがって、おまえな」
豊が、伝えようとした苦言を取りやめた。その言葉の途中に、着地音と土埃を立ててマージャが倒れ込んだからだ。
「アーチ。今度は間違えるでないぞ。物事は、そなたの信念によってのみ判断すればいい。さすれば、いかな苦難であっても、そなたは超えられるだろう」
せり上がってきた石化が、彼女の唇を覆った瞬間。突如、速度を上げた石が頭のてっぺんに達して、見知った少女の石像が完成した……。
「あ、あ」
「アーチさま! 防御壁を、早く!」
取り返しのつかないことをしてしまった、絶望感に身を委ねる暇さえなかった。
「ユイノ、こちらへ」
サクルドの呼びかけに、豊は一歩踏みだし、しかしそれきりだった。俺達と、倒れているマージャとに幾度か視線をさまよわせる。
そうして歩きだした豊の歩調は気楽な感じで、たどり着いたのはマージャの傍らだった。
「敦、来いよ。こいつを見捨てておけないんだろ」
「……まだ、何も聞き出してないからな。何でこんな……はた迷惑なことをしでかしてくれたのか」
「だよな」
アーチさま、よろしいのですか? ここでマージャを助けることは、これからのあなたの道しるべになってしまいますよ。
いいんだよ。だって、俺ってたぶんこういう人間だろ?
俺のせいで石になってしまったシュゼットが目の前にいるというのに、俺は何だか晴れやかな心境だった。ここで終わってしまうような気がしない。
大切なものを失った、あの夜に見上げた月のような喪失の予感は、今はなかった。
気持ちよく晴れた、雲ひとつない空を見上げ、その視界にかぶせるように両手を掲げた。それに合わせるように豊が身を屈めるのを見届けて、俺は魔術壁を作り上げた。
そんな下準備と、そして心構えを決めた時、シュゼットに目を向けると、まさにその瞬間だった。
彼女を象っていた石が、あっけなく粉砕し、その光景はすぐさま緋色に染められた。夕暮れ時、太陽が町並みを染める赤を、凝縮して爆発させたような。魔術壁を通してなお感じられる、瞬間的な熱と轟音。そのおそろしさに圧倒されそうになって、しかし俺は持ちこたえてみせた。膝をつかず、魔術壁を支え続けた。 ただ、強烈な閃光にはさすがに目が耐えきれず、きつくきつく、俺の意思に反してまぶたが閉ざされていた。
事が済んだらしいと、感覚的に悟って、目を開けた時。学校裏に放置されていた、雑多な……粗大ゴミたちは、燃え尽きていた。その痕跡さえ残さず、地面には小さな火が点々とくすぶっていた。
何の遮蔽物もなく拝めていた青空が隠されて、まるで目を閉じた一瞬に夕焼け空に早変わりしてしまったかのような赤がこの一帯を満たしている。
見上げると、途方もなく大きな鳥――実際には校舎よりやや大きいくらいだろうと思うが、言葉のあやというやつだ――それもただの鳥ではなく、深紅の炎が鳥の形をしているのだ。空高く、羽を動かし漂っていると、羽音はないが火の粉というには大きすぎる熱の固まりを地上に降らせていた。慌てて、油断して消えかかっていた魔術壁を復活させる。
これが死の瞬間に燃え上がり、復活するというフェニックスの炎なのか。あまりにも巨大で、計り知れない熱の威力を思い知らされる。人知を超えた、と言いたいところだが、恐るべきことにこれを作り出したのは神話時代の人間なのだ。
「あ~あ……」
思わず、ため息が出た。別に、さして憂鬱な気分でいるわけでもないっていうのに。
一息ついたところで、周囲の状況を確認する。倒れているマージャの顔色は青ざめていて、座り込んだ豊にも疲れが見受けられる。何にせよ、ふたりは無事なようだった。
広場は、炎によって完全に掃き清められ、すっきりしたものだった。対して、ここに隣接する学校と、小規模な森の木々がこれっぽっちも炎のダメージを受けていないのはむしろ不自然すぎるくらいだった。
こうして新学期の一日目は、とても人間の島に帰ってきたとは思えないような幕開けとなったのだった。
14話終了。15話に続きます。




