14話‐2 土の骸
その朝は妙な気配につられて目が覚めた。そんな俺と目が合うと、彼は張り付けた笑顔でこう言った。
「おはよーございます、あさですよー」
元から、外見には心ある生き物らしい感情など見えない存在だったが、今は中身にさえひとかけらの感情さえ存在しない。それは、かつて俺の命を狙った、柴木隆だった。俺達の学校に校医として入り込んでいたホムンクルスなのだが……。
いつだったか――ティアーとヴァニッシュがいなくなって以降だったとは思う――珍しく夕食の場に居合わせたベルがこんなことを言い出した。
「あ、そーいや言い忘れてたんだけど。フェナサイトで例のホムンクルスを拾ってさ、ジャックの後がまに入れたから」
「例のって、まさか柴木先生のことか?」
「そんな名前だっけ? まあ今のあいつはただの抜け殻だから、名前なんかどーでもいいっしょ」
かなり衝撃的な報告だったはずだが、この頃の俺は何を聞いてもすぐに反応を返せなくなっていたので、この時も同じように呆けていたら豊が先に訊き返していた。
「あれはシヴァ=ジャクリーヌだ」
何故だかその頃よくツリーハウスを訪ねてきたシュゼットは、その時も同席していて、独り言とも取れそうなくらい控えめにそう呟いた。
「へえぇ、そうだったんかい」
ライトをはじめ、みんなが得心したような表情で頷きあっている中、俺ひとり何のことだかわからない。
「シヴァ……何とかって有名な奴なのか。ていうか長い名前だな……」
魔物には家族名というものはないはずだが、シュゼットの言い方からして「シヴァ」と「ジャクリーヌ」には区切りが感じられるのだけど。
「シヴァ=ジャクリーヌはデュラハンという魔物でね。どういうものかというと、首と胴体が分離していて、その首を小脇に抱え馬車でアクアマリンの町を駆け回るのよ。その首がシヴァ、肉体の方にも名があって、ジャクリーヌといった。もう大分昔のことなんだけれど、ある研究者がデュラハンの首と肉体をつなげたらどうなるか、という実験をしたの」
「それで、どうなった?」
「さあ。事情は知らないけれど、シヴァ=ジャクリーヌはアクアマリンの社会に敵愾心を向けるはぐれ者になった。ひたすらに使い魔の研究に没頭し、頭数を増やしてアクアマリンと戦う下準備を進めていたそうよ」
「その中の奇跡の一体、フラスコの外を自由に出歩けるホムンクルスが、柴木隆を名乗った者の正体だ。しかしそのホムンクルスに魂は宿らず、だからこそシヴァはその空の器に憑き、自らはアクアマリンにいながらにして安全にソースを討とうともくろんだのだ。そのシヴァ=ジャクリーヌもついに反乱分子として討伐された。結果、中身を失ったホムンクルスが人間の島に取り残されたのだ」
シュゼットの説明はいやに詳しすぎるような気がした。だって、エメラードを見張るフェニックスの片割れであるところの彼女は、基本的にこの島を出ないはずで。アクアマリンをその目で見たわけでもないのに、まるで見てきたかのような話しぶりだった。
そんなわけでもう無害というか、中身をなくして何が何やらわからないまま人間の島をさまよっていた彼は、たまたま来訪していたベルに発見された。そして、亡くなったジャックさんの代わりに、この森の奥の館の管理人を任されることになったのだ。
「えーと……なんつーか、ごくろうさん。もういいよ」
とりあえずここにいられても居心地が悪いので、追い払うことにする。特に気にした風もなく、感情のないへらへらとした笑顔のまま、彼は去っていった。
今日は九月一日、学校の新学期。休学した時期も思いの外短く、また日頃の行いのたまものというか……例の清掃ボランティアの部活動が評価されたのもあって、欠席日数を問われることなく復学が認められた。
それで昨日、一応、俺が寝過ごしているようだったら起こしてくれと頼んでいた。夜明けと共に目覚め日没をきっかけに眠るという、エメラードの森暮らしに慣れていたから勝手に目覚める自信はあったけど、念のため。中の人を失ったホムンクルスだが、教えたことはそつなくこなす使い魔の役目を果たし、館の管理だけでなく食料の調達など家事いっさいをまかなってくれている。
未だにエメラードの体内時計で固定されてしまっている俺の生活に、学校の始まる時間は遅すぎる。それを利用して、俺は制服やら教科書やらを実家に置いて、朝、 そちらへ顔を出す。そして朝風呂で悠々と汗を流し、いわゆるおふくろの味を朝食で堪能してからいざ登校する、というある意味優雅で有意義な朝を過ごそうとしていた。
「おそいぞ。いつまで待たせるつもりだ」
館の玄関先には、白いセーラー服を着て、いつも大ざっぱに束ねていた髪を下ろしたシュゼットが待っていた。
「別に先に行ってくれていいのに」
「建前とはいえそなたの護衛を名乗る私が、そばを離れるわけにはいかないだろう」
ベル、エリス、ライトは、人間の島に戻る俺を守る義理はない。豊だけは俺についてきてくれるけど、日中の行動を制限されがちなヴァンパイアだけでは心許ない。そこで何故か、名乗りを上げたのがシュゼットだった。
レッド・フェニックスである彼女は人工的に作られし存在ながら魔物の中でも至上の火力を誇り、その脅威でもってエメラードとアクアマリン双方の魔物同士による争いを押さえつけてきたのだ。
エメラードには彼女が、アクアマリンにはもう一人の不死鳥、ブルー・フェニックスが滞在し、それぞれの島に住む魔物達を見張ってきた。
そんな役目にあるシュゼットが、いくらソースのためとはいえエメラードを離れるというのだ。
当然ながら、何だってそんなことを? と訊いてみた。すると、
「別にそなたのためだけではない。ただ、個人的に気になることがあって、そのついでだ」
そうしてシュゼットは、かつてティアーが着ていた、彼女の体型にはやや大きめな制服を着回して俺の通う学校に通うと言い出した。
当然ながら、何だってそんなことを? と訊いてみた。返ってきた答えは、先の回答と一言一句違わないものだった。
「……いってき、まーす」
はっきりと沈み込んだ、声。アネキは押し開けるのもやっとといった大げさな動作でもって、家を出た。制服を着ているのだから学校へ行くのだろうが、しかしそれにしたってまだ時間が早すぎやしないだろうか。俺としてはまだ、ゆっくりと朝食を噛みしめて味わうだけの余裕はある時間帯だと思うのだが。
沈んでいるといえば、どうせ俺についてくるのだからと家に上げ、朝食をふるまったシュゼットの様子もいつの間にかおかしくなっていた。俺や、食卓を共にしている両親が話しかけても、その反応がどこか暗い。彼女は口数が多いわけではないが、決して口下手ではないはずなのに。
道中はいつもと変わらぬ彼女だったし、要は俺の実家に入ってから。そういえば戸の前に立った瞬間、何故だかシュゼットが身を堅くしていたように見えたのは気のせいじゃなかったってことだろうか。
かつて、幾度とティアー……涙さんと歩いたこの道を、今はシュゼットと共にしていた。
「もしかして、学校に行くの、緊張してるとか?」
「何の話だ?」
「なんか、今朝、森にいた時と違って元気がないように見えたから」
「別に……何もない。ただ、ふいに昔のことを思い出してな。少し気落ちしたというのは事実だろう」
「昔のこと、ね」
魔物の頂点に立てるほどの力を秘める不死鳥を落ち込ませるような過去って、どんなもんだろう。興味がないとは言わないが、おそらく内容としては良い方ではないんだろうなと表情から察することは出来るから、俺はわざわざ触れないでおこうかな。




