13話‐5 銀のかけら
「ねー、敦……起きてる?」
同じ小屋の中、すでに眠っているエリスとライトに気を使ってのことだろう。本当にかすかな、ともすれば俺の左手側で寝ているライトの、巨体に似合った騒々しいいびきにかきけされそうな、ティアーの囁き。
仰向けで横になったまま、頭だけを彼女の方へ向ける。ティアーは左の手のひらを頬に敷く形で、体ごとこちらに向けていた。力なく放置された右腕、その手のひらが胸の前にある。
「起きてるよ」
「眠れないんだね」
「そりゃあ、ね……」
かけがえのない仲間を、何もしてやれないまま、ただ見送るしかなかった。そんな夜なんだ。とても安らかに眠りにつけるような心境じゃない。
「あのね、お願いがあるの。こんな時になんだけど」
「何?」
「前に言ってた、ね、ティネスの歌に詞をつけるってやつ。あれってどうなってる?」
「まだ途中だけど、半分以上は終わったと思う」
「そっか。それならさ、途中まででいいからあたしに聞かせてくれないかな」
いやならいいんだけど、とおまけのように呟く彼女はどこか寂しげで、第一断る理由もないようなことだ。
いいよ、と答えると、彼女は嬉しそうに笑ってくれて、横たわったまま全身を使ってこちらにすり寄ってくる。……これは、伝える内容もさることながら、体勢までいかにも気恥ずかしい。
幸い、この小屋は外の光を可能な限り遮蔽する作りになっている――元はといえば、ここはライトがヴァンパイアとなったベルのために用意した住 処なのだから、当然のことだ――闇に慣れた目ではおぼろながらに相手の表情も見えるが、頬の赤らみくらいなら暗闇がごまかしてくれるはずだ。
俺は、何だかみっともない類の勇気を振り絞って、ティアーに目いっぱい近付いた。そりゃあ、エリス達を起こせないっていうこの状況で、取るべき形は内緒話くらいしかないってもんだ。
つたないながらも懸命に集め、並べた言葉達だった。自信なんてあるはずがないけど、それを聞いたティアーは、この上なく満足そうに笑ってくれて、俺はそれだけで十分に報われた心持ちだった。
「……あたし、ちょっとお散歩して来る」
ふいに立ち上がりティアーは言った。
「本当はね、あたし、月を見るのは嫌いなんだ。日が沈んで月が出ると、そろそろ眠らなきゃ――ああ、今日も大切な一日が終わってしまうんだな、って気持ちになるから。それと……あたしにはただの狼だった時の気持ち、覚えてないっていうか、残ってないんだけど……敦が会いに来てくれて、日が暮れてお家に帰って。月を見上げる時はいつもひとりで、そんな時間はなんだか寂しかったような気がする」
ふぅ、と、胸につかえた何かを吐き出すような、吐息が聞こえた。
「でもね、どうしてか今日は、ゆっくり月を見るのもいいかなって気持ちなんだ」
ティアーがそっと、音を立てないよう配慮して小屋の戸を開ける。すぅっと一斉に入り込む月明かりが彼女の横顔を照らす。出て行く直前にこちらに顔を向けて、
「おやすみなさい。いい夢を見てね、敦」
それは夏の日の太陽のように、輝きの強い笑みだった。そんな彼女に俺は何か言った、はずなんだけど、どういうわけかそれは無意識の言葉だったらしく、その内容が頭に残っていないのだった。
――木々の天井のすき間から こもれ日がやさしい光で
包んでくれるから空の恵みに ありがとうって言わなくちゃ
移ろわぬ森の 恵みに抱かれ
よりそい 生きる 獣達のように
君と 共に 生きてゆきたいから
木々の天井のすき間から 肌を刺す雨のしずくは
冷たいけれど海の恵みに ありがとうって言わなくちゃ
移ろわぬ森の 恵みに抱かれ
たたかい 生きる 獣達のように
君の想いと 共に 生きてゆきたいから
今までも これからも
たった今、俺の伝えた歌詞で、ティアーが歌っていた。薄い木の壁一枚隔てただけの、向こう側で。それは薄っぺらなはずなのに、いやに遠くに感じられた。まるで彼女のいるのが、もう手の届かないところであるかのように。
自分が作ったとはいえ、こう、実際に歌われるのを耳にすると照れくさくもなる。……そう思うんだけど、ティアーの歌声はどこか、はしゃいでいるような明るさと、気落ちしているような暗さといった、相反した音色をしていて。
――生のおわりは寂しいけれど 今日まで絶えずそそいでくれた
命の 恵みに ありがとうって言わなくちゃ
……俺の伝えた覚えのない、それどころか聞き覚えさえない歌詞を、彼女は歌に乗せた。それきりティアーの歌声は止んでしまう。
「ティアー?」
この程度のことでも文句をつけてきそうなベルは今、この小屋にいない。だからかまわないだろうと思って、俺は小屋の窓を押し上げ、全開にした。
そこに、ティアーの姿はなかった。使い古し、くたびれた包帯。そして、彼女の傷跡を隠していたはずのその包帯の中身が、その形のまま、ツリーハウスの足場にぽつんと置かれている。その下に敷かれているのは、森の中での暮らし相応には薄汚れた、白いワンピースだった。
「……ティアー」
どこか遠く、……森の奥深くだか空の彼方だか、とにかく見当もつかないような遠い場所から、獣の遠吠えが聞こえてきた。
13話終了。続きます。




