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狼少女が好きすぎた魔力最強高校生が、魔物の世界で認められるまで頑張ります。【GREENTEAR】  作者: ほしのそうこ
本編一章 狼少女の嘘 【Forest dragon Source=Aira】
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2話-2 涙の森

 どうしてここに、涙さんがいるんだろう。そもそも、誰かが歩いてくる気配さえ、これっぽっちも感じなかったのに。

 もちろん別れが惜しくなかったわけじゃないが、この状況下にあって誰の顔を最も見たくなかったかといえば、それは彼女だったっていうのに……。


「その味気ない腐肉の匂いは……ワ―・ウルフか。獣に戻る余裕もなかったのか?」

「人間だからって、あなたのような外道に遅れはとらないわ」

 怖れのない声で、涙さんは毅然と、見るからにやばそうなヴァンパイアを相手に言い放つ。いつものように軽く跳ねるみたいに歩くことはなく、力強い足取りで進み出て、背中に俺をかばうような位置を選ぶ。

 いつもの彼女と、あまりにも違う。まるで別の何かであるかのよう――危うくそんな風に思いかけたが、その華奢な背中はどこか頼りなげで、普段の涙さんと変わりない。


「よくも豊を殺したわね」

 涙さんがヴァンパイアにぶつける声は、怒りとも憎しみとも哀れみともつかない、とらえどころのない響きだった。


「ヴァンパイアが人間を糧にするのは肉体を存続させるため。それを理解していない同胞がいるとはな」

「糧になんかしてないじゃない。食べるためじゃないんなら、人間に手をかけるのはただの人殺しよ」

「随分と潔癖なものだ。と、いうことは……おまえはエメラード側なのか」

「答えるつもりはないから、好きなように考えなよ。どちらにしても、ここであなたを始末しなきゃならないのは変わりないし」


「涙さん……戦う、のか?」

 涙さんとヴァンパイア、揃って臨戦態勢になってから問いかけるには間抜けすぎる質問かもしれない。

 涙さんは戦えるのか? 何者なんだ? ヴァンパイアがワ―・ウルフだ魔物だと言っているのは、涙さんのことなのか?


 涙さんは道を挟む左右の森をざっと見回す。それでも前方の相手に注意をはらうことを忘れず、ヴァンパイアも黙ってその行動をうかがっている。

「敦君、左手にひときわ幹の太い木があるの、わかる? あそこに体を隠して、ことが済むまで絶対に出てきちゃダメだよ」

 確かに、高さこそ他より抜きんでているということはないが、やたらとがっしりとした幹の木が一本。俺はあまり大柄ではないから、両肩よりさらに余裕のありそうな、たくましい木だ。

 背中を向けたまま、彼女は相手に聞かせない声色で呟いた。

「……敦のことお願いね、サクルド」


 俺は木の幹に背をつけて数秒、心を無にして沈黙していた。――何やってるんだろう、涙さんが、人間を一息で殺せる魔物を相手にしようとしているっていうのに。たとえ涙さんが何者だとしても、こんな風にひとりで戦わせるなんて最低だ……そんな想いで、俺はぐちゃぐちゃに潰れてしまいそうだった。

 しかし、場の動き出す様子がなかったので、ついにほんの少し身を乗り出して、涙さんの無事な姿を確認した。

 宣戦布告を交わしたものの、両者は揃って、動こうとしない。


 先にしびれを切らしたのは、ヴァンパイアだった。ゆっくりと両手を腰の高さに上げて、何もない手のひらを広げたまま、何かを投げるような動作をする。何かあるのか何もないのか、俺にはさっぱりわからないが、ともかく涙さんは何かをよけるような動作で、左に二度、跳躍した。あまり広い道ではないため、森に体を突っ込む形になる。


 その時、俺の頭上の木の葉が不可視の衝撃を受けてはじけ、ぱらぱらと俺に降り注ぐ。

 二つ目の衝撃は、涙さんの近くの木の幹に当たり、その肌をえぐれさせていた。その様子を見届けたところで、涙さんは特攻をしかけた。


 森を通って一気に距離を詰めた涙さんは、左手をヴァンパイアへ袈裟がけに振りおろす。ヴァンパイアはわずかに後退し、涙さんの手は届かなかった。ヴァンパイアのまとうマントの首元の結び目だけを切断して、黒い布が宙に遊ぶ――今も思い出す、彼女の手の爪はいたって普通の女の子のそれだったはずなのに――倒れている豊の身体の上に、ふわりと舞い降りた。


 よけることができた割には、何が不服なのか、ヴァンパイアは忌まわしげに舌打ちをする。涙さんはといえば、豊の身体を踏まないように気をつかったのか、一瞬バランスを崩した。それでも、ヴァンパイアが動く前に再び、奴に飛びかかっていく。


 涙さんは両手で交互に切りかかる。ヴァンパイアはそのスピードについていくだけでやっとのようだが、確実に涙さんの腕をはじく。相手は涙さんと比べてもなお小柄なので、涙さんも懐に入ることができず、お互いに一進一退という感じだ。

 ようやく涙さんの一撃が奴に届き、右頬に三本の赤い線が斜めに刻まれた。お返しとばかりに、ヴァンパイアの腕がひときわ強く命中し、涙さんはかなりの距離をはじき飛ばされた。


「涙さん!」

 こらえきず、叫ぶ。涙さんは無事だった。ヴァンパイアとの距離を開けられはしたが、しっかりと両足で着地する。ふりだしに戻り、両者は黙して対峙する。


 この時、俺ははじめてヴァンパイアの背中を見た。俺の前で奴に立ちはだかった涙さんと同じように、その背後は無防備だった。当然だ、俺が立ち向かうなんて夢にも思わないだろうから。

 ……ひょっとして、この立ち位置は、一度限りのチャンスなんじゃないか?

 第一――涙さんが俺よりよっぽど強いってことはわかっているけど、だからって――好きな女の子を強大な魔物と戦わせて、指をくわえて見ているだけなんて。


「分不相応なことを考えないでくださいね」


 光のない世界が、前触れなく、発生源もわからず控えめな光に包まれる。晴れやかな日のこもれびの中にいるような、淡く緑をはらんだ不思議な光だ――こんな事態でなければ、それなりに感動できたのかもしれないが。

 よく見たら、光の源は俺の上着の下からだった。そこにあるものといえば、涙さんのくれた小瓶のお守り――

 紐を引いて服の下から出すと、出てきたのは小瓶だけではなく。光を放っているのも小瓶の中の水だけではなかった。


 そいつは不格好に小瓶に抱きついているので、小瓶ごと手のひらの上に乗せてやる。

 自分の目の高さまで持ち上げてじっと見つめると、手のひらの上の小さな小さな女の子は、どこか照れくさそうに見える笑顔で。

 髪の毛は足首に届きそうな長さで、持て余しているのかところどころ紐のようなもので結わえている。髪も瞳も衣服も、夜の中でも色あせない鮮やかすぎる新緑の色だ。


「君は……」

「わたしはサクルドです、敦さま。今後ともよろしくお願いします」

 小さな頭を下げると、大げさな動きで長い髪が揺れる。どうでもいいけど、いきなり敦さまなんて呼ばれるのはちょっとくすぐったい。

「それはそうと、敦さま? あちらのヴァンパイアはそう強大な相手ではありませんけど、今のあなたでは足手まといにしかなりませんよ?」

「だけど……彼女だけを戦わせるなんて」

「大丈夫。あなたなら、これからすぐにあの子を追い抜きます。だから、今はわたし達を信じてください。いつか必ず強くなって――そうしたら、きっとティアーをお守りください」

 そう言って、サクルドは涙さんの方を指さした。


「あなた、ヴァンパイアのくせに夜目が利かないのね。その目はただの飾りなんだ。ハンターにでもえぐられちゃった? おまけにとんだ方向オンチ。あれっきり術を使わないのも、どうせ燃料切れなんでしょう」

 その声だけで、涙さんの勝ち誇った表情が浮かぶような、あからさまな声色だった。

 そういえば、俺を一撃で仕留めるつもりだったはずなのに、例の衝撃波は膝より少し上といった高さだった。そりゃあ、人間ならあんな風に足を切り落とされたら出血で長くはもたないだろうけど、確実に仕留めるっていうのとはちょっと違う。


「――目を失ったのは生前のことさ。お嬢さんこそ、先走った油断はプラスにならないのではないかねぇ」

 涙さんが色々と突っ込んだ中で、回答があったのは義眼のことだけだった。まぁ、自分の弱みをべらべら話す義理はないし、ハンターに目をやられたって部分をどうしても否定しておきたいという意地を感じた。


「さぁて、油断してるのはどっちかなぁ?」

 意地の悪い挑発に舌うちすると、ヴァンパイアはなぜかすり足で後退していく。涙さんから目を離さないまま、その背中が俺達に近づいてくる。

 地面のこすれる音の止まったのは、豊の傍らだった。警戒を崩さないまま、慎重に腰をおろし、先ほど落としたマントに手を伸ばす。


 その刹那、強い風もないのにまたもマントが宙を舞った。

 ヴァンパイアが事態を察するより、豊の手が奴の顎をしっかりとつかみ、高く掲げる方が早かった。

「まったく……よくも殺してくれやがったな!」

 豊の両の足は何事もなかったかのように、しっかりと地面を踏みしめている。右の膝から下は素足になっているが。俺は喜びよりも驚きが先立ってしまい、慌てて後ろを確認する。落とされた豊の右足は、そこにあった。偽物ということもなさそうだ。


「貴様……ダムピールだったのかっ」

 小柄なヴァンパイアは地上から遠く離されて、地面を求めて無駄に両足を振って暴れる。

「そうとも、残念だったな」

「思ったより再生が早かったね。たったあれっぽっちの時間稼ぎでなんとかなっちゃった」

 表情の険しさは相変わらずだが、声はほんの少しだけくつろいで、涙さんが豊の側へ寄る。


「ティアー、今回ばかりは止めるなよ」

「止めるわけないよ、殺されたのは豊自身なんだもの」

「よしっ。いるんだろー、ヴァニッシュ! 矢を一本分けてくれー」

「……必要ない」

 もがくヴァンパイアの頭が一度だけ大きくのけぞり、と思ったら途端にうなだれる。数秒後、その姿は爪先から順を追って塵となり、夜闇に溶け込んでいった。 最後に、ヴァンパイアの頭に突き立ったと思われる銀色の矢が音もなく地面に落ちて、俺は奴との戦いが完全に決着したことを知った。


「ヴァニッシュ、って……」

 矢を拾いに進み出てきたのは、銀色の髪と瞳の背が高い男だ。線の細い割には柔らかそうな肌の輪郭で、銀の瞳には高貴さより幼い表情が強く見える、何だかアンバランスな青年。


 まさか、とは思ったが、俺は闇から姿を現したのが先日会ったヴァニッシュとは別の存在だったことに密かに安心した。ただでさえ非日常的な事態を立て続けに見せられているんだから、そろそろ奇怪な話はごめんだ。


「……ロージーを手にかけなかった豊が、今さらこんなところで手を汚すことはない」

「そっか……悪かったな」

 謎の復活を遂げて元気に振る舞っていた豊が、ふいに深刻な顔をして黙りこんだ。俺の動き出すチャンスは、この時だけだった。何せ俺だけが把握していない事情で、物事がさくさく進んでしまったのだから。


「豊、その……大丈夫なのか?」

 どうしたらよいのかわからないので手のひらの上のサクルドと小瓶をそのままに、豊に歩み寄る。と、目前で豊が尻餅をついた。

「う~ん、さすがにまだ全快ってわけにゃあいかないみたいだ」

「ごめんね豊……あたしがもっと早く気づいてたら、殺されずに済んだかもしれないのに」

「いや……相手がヴァンパイアなら、落ち度は俺にあるだろ。あーあ、何のためのダムピールなんだか」


「ダムピールとかワー・ウルフとかって……何なんだよ」

「あ……やっぱり人間てヴァンパイアくらいしか知らないんだねー」

 苦笑する涙さんの表情に、ようやくいつもの彼女っぽさが窺えそうな、淡い希望を垣間見る。しかしその言葉、それ自体には日常を否定するキーワードが含まれていて、俺の混乱した意識をますます苛む。


「……とりあえず、話は後だ。豊の容体をジャックにみせないと……こいつも使わせてもらうか」

 かがんで豊の容態を確認しながら、ヴァニッシュは地面に落ちたままだった、今は亡きヴァンパイアのまとっていたマントを手に取り、豊に羽織らせる。

「あいつの形見と思うとヤな気分だなー」

「贅沢言わないのー。そんなことより、歩ける?」

「あ? ……歩けるさ、もちろん」

「……嘘だろう。そんな風に見えない」

 心底嫌そうな顔をしてぼやく豊、それをたしなめる涙さん。じっくりと観察した上で、豊は強がっているだけだと断言するヴァニッシュ。その空気は何だかとてもなじんでいるというか、あうんの呼吸を感じる。


「嘘なもんか、ほら――」

 豊は勢いこんで立ち上がるものの、次の瞬間にはもう力を失ってくずおれる。とっさに、涙さんがその体を支える。

「しょうがない、あたしがこのままおぶっていくよ」

「いいって。第一、体格差がありすぎるだろ」

「でもできないことないし。この中じゃあ、あたしがやるのが一番楽なはずだもの」

 涙さんがそう主張する根拠はいまひとつわからない。ヴァニッシュは細めに見えるが体力がないということはなさそうだし、それに――


「俺がやるよ。豊だって、別にそれでいいだろ?」

 今となっては、体力面で彼女に勝ってる自信はかけらもないんだけど、俺も男だ。好きな女の子に体を張らせるのは見ていて心苦しさがある。

「無理しなくっていいんだよ、敦君? あたし、これくらいならなんてことないんだから」

「いいえ、ティアー。ここは敦さまにおまかせしましょう」

 俺の手のひらから音もなく舞い上がり、サクルドは小さな手で涙さんの額を撫でる。

「男の人には、少しくらい無理をさせた方がいい場面もあるんですよ。ねぇ、敦さま?」


「おい、豊?」

 なんて、当人を差し置いて話を進めていたわけだが、豊はいつの間にか意識を失って地面に倒れていた。返事がないことにさっさと気付くべきだった。

「……急いだ方がいいかもしれないな」

 険しい顔で呟くヴァニッシュだが、彼はどうにも口ばかりで自ら動く様子がない。口には出さなかったが、それが何だか気に触った。


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