13話‐2 銀のかけら
ツリーハウスの大樹の幹に背を預させたフェイドが、緩慢とまぶたを持ち上げた。ぱちぱちと、これまた見ていて気の長くなりそうな動きで目をしばたたかせると、ようやく四人揃って彼を眺めていた俺達に気がつく。
「おー……」
寝起きだからといってこうも鈍くなるものか、しっかとその目に姿をとらえても、どう反応を返したものか浮かんでこないらしい。
フェイドの瞳は、茶色と金色が混在したような濁った色彩で、焦点も合っていない。涙がたまりやすいのか潤んでいて、今もあくびをひとつしただけで一筋の涙がこぼれ落ちた。
「おはよう。えっと、誰だっけ……」
「ベルだっつの。相変わらずとぼけた男ねぇ」
しばらく行動を共にしていたらしい、そして目的地まで体を張って連れてきた恩人であるベルのことを、どうやら本気で失念しているようだ。
「そうか、ベルか。そんで……」
ふらふらと、中途半端に腕を持ち上げると俺達の方を順に指さしてくる。
「こちらはエリス」
「あたし、ティアー。よろしくね」
「俺は敦。君は?」
俺達は彼の名を知っているが、あえて振ってみる。
「オレは、フェイド……」
そう名乗り、会話の糸口もつかめないようでそのまま沈黙する。そして、
「ヴァニッシュ……」
頭を幹に着けたまま、こてんと右側に体を傾げると、傍らで自分と全く同じ姿勢で大樹に体を預けていたヴァニッシュの存在を目に留めた。
「眠っているのか……」
「残念だけどもう起きないかもね。アンタが今背中つけてるとこ、見てごらん」
ベルの指摘に、フェイドはのろのろと身を起こし、膝立ちで体の向きを変える。幹には、エリスの指導を受けながらヴァニッシュの刻んだ魔術式があった。
本来、魔術の譲渡はお互いの体のどこかに式を刻み、その式を重ね合せるのが条件となるそうだ。しかし、ヴァニッシュは魔物に触れることは出来ないので、 魔力をたっぷり含んだ大樹に媒介となってもらうことにした。ヴァニッシュの背中の裏にも、フェイドが今眺めているのと同じ魔術式が刻まれている。
「そうか……」
むむむ、と小さくうめきながら、フェイドは何やら思案しているらしい。
「ヴァニッシュが起きるのを待ってる。せっかく来たんだし、オレにはもう他の未練はないし……」
そう言うや、ヴァニッシュの真正面に陣取り、体育座りになって身体を固めた。
「ちょっとちょっと……ただじっと待っていても仕方がないわ。せっかくエメラードに来たのだから、少しは堪能してもいいんじゃない?」
エリスは必死に、冷静さを取り繕うようにして、フェイドをなだめる。彼女だって、もう目覚めないかもしれないヴァニッシュの容体には心を痛めている。ヴァニッシュの自己犠牲によって目覚めたフェイドにまで無駄死にをされてはたまらないだろう。
「堪能、か……」
呟き、フェイドは幹に両手の爪を立ててしがみつくと、やっとといった感じで立ち上がる。危なっかしくよろめきながら、広場の中央、さんさんと太陽光の射し込んでいる場所に立ち、空を見上げた。
「ふわ……もう付き合ってらんないわ。いーかげん上で休ませてもらうから」
「お疲れさま」
投げやりな風を装ってはいるが、ベルはエメラードに戻るまで手厚くフェイドの面倒を見てきたのだ。ねぎらって差し支えはないだろう。
空を眺めたっきり長いこと微動だにしないフェイドが気になって、俺とティアーは彼の側へ向かった。エリスは、フェイドにはただヴァニッシュを見ていたって何にもならないと言ったくせに、自分自身は彼の側を離れ難いようだった。
「ねえフェイド、何を見てるの?」
ティアーはつとめて明るく、フェイドに声をかけた。
「エメラードって暑いな。それと、空が遠くて、静かだ……」
そう言われて、俺もティアーもつられて空を見上げた。
エメラードの木々は高い。空は、その木々の葉のすき間から覗けるものが主だ。対して、人間の島は入り組むように並ぶ建物と建物のすき間から空を眺めるが、その建物の屋上から見る空は広かった。
「オレは案外、フェナサイトの方が好きだな。狭くてごちゃごちゃしてて、でも賑やかで、なんとなく空が近くに感じられた……」
にへら、と、フェイドの表情がゆるんだ。思い出し笑いをしているような、そんな感じ。
「だけど、ここはここでいいところだ。特に、とても静かに眠れそうな感じが……」
フェイドいわく、人間の島で見るそれよりも見ごたえがないという空を見飽きたのか、彼は視線を戻した。再び――距離はあるものの、ぴたりとヴァニッシュを見据える。そしてそのまま、何をするでもなく立ち尽くした。
「ねえ、フェイド。ちょっとだけどこか出かけてみない? エメラードにだって、空が広く広く見えるような場所はたくさんあるよ」
見かねたティアーがそう誘いかけると、フェイドはふるふると大きく首を振る。まったく手入れのされていない、薄汚れた髪が音を立てる。
「オレが出かけている間に、ヴァニッシュが目覚めたら、時間がもったいない。いいんだ、オレはヴァニッシュに会うためだけに、ここまで来たんだから……」
フェイドの表情は、この上なくわかりやすい。自分自身の想いに対して迷いというものが一切感じられない。
「じゃあさ、これからみんなで朝飯食べようかってところなんだ。ライトなら少しくらい多めに獲ってくるだろうから、ご馳走出来ると思うよ。どっかその辺にでも座って待っててくれよ」
熱帯気候のエメラードの朝、今はすでに蒸し暑く、先程俺の起こした火はさらにじりじりと肌を圧迫してくれる。俺自身、脱ぎ捨てたくなるまでに服を汗によって浸食されているが、それでもフェイドの方が気がかりだった。ただでさえ一歩進めば病人かと言わんばかりに肉付きの薄い彼が、この暑さでさらにひからびてしまうんじゃないか。馬鹿げたようだけど、可能性としてそんな絵面が浮かんできてしまうから。
「気持ちはありがたいが、オレはもう何も口にしない。たぶん、腹に入れても消化しないような気がする。それに、一度でも腰を下ろしたら、もう立ち上がれないかもしれないから……」
何でもないことのように平然と口に出すフェイドに、俺は閉口するしかなかった。
「でもね、フェイド。体って、動かさないでいるとそれが癖になって、余計におかしくなってしまうよ。立ちっ放しでいるのなら、ゆっくりでも、歩いていた方がいいと思う。ヴァニッシュのことが目に入る距離でいいからさ、そうしない?」
フェイドは、口では「おー……」とわかったんだかわからないんだか判断のつけ難いような音を漏らしつつ、表情ではしっかり納得して彼女の注意に従った。
ツリーハウスの前の広場を、ぎこちない足取りでフェイドが歩く。口ずさんでいたのは、俺にとっては懐かしい歌だった。一発屋のミュージシャンが三番目に売り出した歌で、哀れなほどに流行らなかった。
猪の肉ばかり四頭分ほど担いで帰ってきたライトは、何の変哲もない広場を意味もなく周回している見慣れない男を前に、
「よー、見かけない顔じゃないか! まぁたベルの奴が拾ってきたのかぁ?」
「オレはフェイド。ヴァニッシュに用があって来たんだけど、ベルにはずいぶん世話になった……」
と、思う、などと誠意があるんだかないんだかわからない、余計な一言を付け足す。ここでいつもライトがそうしているように容赦なく背中なり頭なりをはたきだすのかと思ったら、流石にどう見ても健康体には見えないフェイドに配慮してか、
「そうかい、おいらはライト。はて、おまえさん、珍しいにおいさせてるじゃないか」
魔物のいうにおいには、人間の知らないもうひとつの意味がある。それは、魔力の質を敏感に感じ取る感覚。これで、お互いに自己紹介などいちいちしなくたって、相対する魔物がどの種族に生まれたのかが隠しようがないのだという。
「オレにもわからない。自分が魔物なのかそうでないのかさえ。オレは金のかけらに生かされてるだけだから……」
「金のかけら?」
確か、ヴァニッシュの持つ力は「銀のかけら」と呼ばれていた。本来、銀の持つ力の根源は、神竜族の中でも太陽竜に次ぎ敬われた――大地を司る、白銀竜スノウ=サーラの加護にあるという。その存在意義が絶大なものであるから、与えられた銀がほんのかけらに過ぎなくても、一介の魔物にとって致命的な威力を発揮するのだ。
「金といやぁ、夢幻竜の加護でも受けてるってことか?」
「金のかけらは、夢幻竜の捨てた、幸せな夢の残骸。あらゆる生き物の悪夢を背負い、それを浄化する役目にある夢幻竜にとって、ほんのかすかに迷い込んでくる幸せな夢は毒でしかない。どんなに不幸な者だって、幸せを知らなければ自分が不幸だなんて気が付かないから。ゆえに夢幻竜は、自ら幸せな夢を捨てるしかない……」
どうやら、金のかけらというのは夢幻竜の力の加護を受けているという解釈は間違いではないらしい。
「夢幻竜の力は、夢の中でならどんな願いも叶えられる。しかし、それはやっぱり幻であって現実じゃない。オレの体も同じで……」
フェイドは、自身の鼻先へおもむろに人差し指をかざす。その指で、自分の首を掻き切って見せるようなしぐさをした。あまり趣味がいいとは言えないジェスチャーだが……。
「オレの体は、首から下が金のかけらに与えられた幻だ。まるで頭と体がつながっていないように、手足を自分の思うままに動かすことさえ精一杯だった……」
フェイドは空を仰いだ――その時間が思いのほか長かったもので、ライトは肩をすくめて去っていく――俺はというと、フェイドにならって視線を上へ向ける。彼が言っていたように、いくら見上げたって、エメラードの大森林……木々の天井に阻まれてそこに広大な空など拝めない。その木々のすき間から点々と見える青が、エメラードの地上から見る空の姿だ。
自分自身の視線の先に、フェイドは左手のひらをかざした。たったそれだけの動作が、全身に不自由を背負っているという彼にはひどくぎこちない。
「手足は鉛で出来ているように重くて、呼吸はいつも水面を浮き沈みしているように息苦しい。そして、オレの見る世界は、思考は――いつもにじみ、かすみ、 ぼやけていた。これが、金のかけらの与えてくれた、かりそめの肉体の限界だ。こんな体で生きていくのは、正直、簡単なことじゃなかった……」
「もしかして……それがヴァニッシュを苦しめている罪なのか?」
もしや、と思って訊ねてみると、フェイドは黙ってうなずいた。
ヴァニッシュがフェイドを生き返らせようとしたことに、悪意があったとは思わない。それは今の、罪悪感に縛られて生きてきた彼の性格にそぐわないから。 そして――悪意なき行いだとしても、結果的にフェイドは重大な障害を負う羽目になった。決して逃れられない、ひと時たりとも安らぐことのない苦痛――
空に向けていた、濁ったような金の瞳はまたしてもヴァニッシュに向けられた。




