12話‐4 始まりの記憶
「あの頃のフェナサイトは今の見る影もない。魔物の襲撃をおそれ、貧相な畑を耕して、何とか食いつないでるような生活だった。ただひとつ、魔物の島にはないものがあった。何だと思う?」
「うーん、どうかなぁ」
「ヒントは、今のフェナサイトとアクアマリンには当たり前にあって、エメラードじゃあそうでもないもの」
「じゃあ、建物とか?」
船の中からアクアマリンを見て、とりあえず驚かされたのは、港の風景が人間の島のそれと全く変わりなかったところだ。船着き場はコンクリートで固められ、建ち並んだ大きな倉庫。対してエメラードは、ちっぽけなほったて小屋がひとつあっただけ、ひたすらに重苦しい大森林の影に迎えられた。
「そう、家さ。どんな貧しい人間だって、何かしら住処を持って暮らしてた。穴を掘ったり木の上だったり元からある洞窟を占拠したり、魔物の寝床は適当なもんだ。人間は木を組んだり石を並べたり、少しでも頑丈になるようきちんと設計した家を建てた。元の肉体が貧弱な人間だから、雨風から体を守るために家が必要だったんだろう。今みたいに立派な機械のある時代じゃない、ひとりの家を建てるのに集落の仲間は協力し合うんだ。資材を組み立てるのに、おいらの腕力は異様にありがたがれたんで、いい気分になってフェナサイト中を回り、各地の建築現場の手助けをしたんだ」
ライトは俺から受け取った実を簡単に割り、すぐに返してくれた。するとひとまず脇に置いたままにしていた自分用の実を取り、乾杯のようなポーズを取った。俺は実の半分を取り同じポーズをすると、やはりライトは自分の実を軽くこちらに触れさせた。
「思えばあの頃が、これまでの生涯で最も充実していた。何せ、他の魔物が見向きもしない建築という技術を、ひとり占めにしているような心地でいられたんだ。 それに建築自体がおいらには楽しいものだった。おいらには必ずしも家なんざ必要じゃなかったんだが、今の人間がパズルのおもちゃで遊ぶような感覚かね。そこそこの風雨や災害に耐えるよう、少しでも強い家を作るんだ、っていう計画や組み立てそのものが娯楽だったのさ」
魔物が酒の代わりにするという果汁を、ライトは一気に飲み干した。ふたつに割った実の、両方共を立て続けに。
「それ以上に、あの頃のおいらには恐れるものなんか何もなかった。まだ若かったから寿命はたっぷり、巨人族に生まれたわが身には災害も他の魔物も怖くない。おまけに自分の生きがいまで見つけちまって、こんな風に充実した毎日が死ぬまで続くもんだと信じて疑わなかったんだ」
ぷはー、っとにおいの付いた息を吐き出し、そう言ったライトは遠くを眺めるような目をした。例えば、今目の前に見えて、しかし実際ははるか遠くにある満月。その向こう側をも見透かそうとするような、遠い遠いまなざしだった。
「こういう振りをしたら、わかるだろう? そもそもおいらはあの頃と同じ暮らしはしていないしな。そういう日々は長くは続かなかった、ってやつさ。こいつ ――いずみと、奴の連れていたひとりの女が、無知で怖いもの知らずだったおいらの、最初の終着点だった。もちろん、その時のおいらはそんなことに気がついていやしなかったけどな。今にして思えばってことだな」
どことなく気落ちしているような話し口でありながら、いつものライトらしくおどけてみせもする。酒に酔っているわけでもなさそうなのに、酩酊しているみたいに不安定で、感情がゆらゆらと漂っている。
「フェナサイトのどこだったか、具体的には覚えちゃいないが、確か北の方だったかな。各地で人間の手助けをしてる巨人、エメラードからはるばるやって来た無害な魔物がいるって噂を聞きつけたとかで、いずみはおいらを探し当てて話し掛けてきたんだ」
ライトはふたつ目の実を割り、一息に果汁を飲み込んだ。
「ぱっと見の印象、いずみは取り立てて特徴のないごく普通の小僧だった。資産家でもなさそうだし、あえぐほどの貧窮にあるわけでもなさそうな。そんな奴が何の用かって思ったらな、エメラードへ行きたいっつう相談だった。いわく、魔物の扱う魔術の知識に関心があって、その勉強をしたいって言うんだ。その目的がいけなかった。あの頃のおいらは人間の建築についての勉強が楽しくて仕方がなかったから、いずみの言い分につい共感しちまったのさ。それが表向きのことであって、本心からの目的は別のところにあるんだってことを疑いもせずに」
「本当の目的?」
「そう。奴はひとりじゃなくて、眠れるお嬢さんを連れてた。何でも、よくわからん魔術をかけられた結果、生きたまま深い眠りに落ちたきり目覚めなくなってしまったんだとさ。彼女にかけられた魔術を解くことが第一の目標だ、って言われておいらは納得した」
眠ったままの人間の女性を連れた状態では、ただ魚にまたがって海を渡るという手は使えなくなった。とにかく確実にエメラードへたどり着くために、ライトは建築で得た知識を活かし、とりあえず個人でエメラードまで渡れる規模の船らしきものをやっつけで開発した。
ばっさばっさ、落ち着きのない鳥の羽音が、物静かな夜の森に響く。ずいぶんと大きな鳥……それにしたって音がでかすぎやしないか? そう思っていたら、
「おーい、ライト―、ソースー」
羽ばたきながら、片翼だけをさらに大きく振りアピールしているのは、ハ―ピーのナウルだった。
「よお、ナウルじゃないか。どうした?」
「さんぽ、してた。そしたら、ソースのにおいがした。だから、きになった」
「気になったって、俺が?」
「そう、おまえ。それ、よこせ」
人間のそれより大きめな青い瞳は、どちらかというと無表情で感情が読みにくい。そんな表情で言われてもちょっと抵抗はあるが、ナウルの指さしている、俺の持つ二つに割った果物をとりあえず手渡す。
「シータ!」
ナウルが小さく叫んだ直後、彼女が鳥の両手のひらに乗せていた果物の、皮の表面が瞬時に凍りついた。
「シータって、ディーヴの奴が手なずけてた虫だっけか」
「そうだ。シータをくってから、こおり、かんたんにつかえるようになった」
言いながら、ナウルは俺に実を返してくれる。エメラードの熱帯の気候の中だから、凍った果実を持つ手のひらへの冷気も大した影響ではない。しかし気温と手の体温は氷をみるみる溶かしていき、ぽたぽたとたれる水滴が俺のズボンに染み込んでいく。
「すこしまえ、ティアーにあって、それをさがすのにつきあった。そいつはこおらせると、うまい。もりのあいす、て、ティアーいってた」
「へえ、そうなんだ。わざわざありがとう、ナウル」
「とおりかかった、だけだ。わざわざ、きてないぞ」
それでも、どうやら親交のあるらしいティアーだったらともかく、俺の食べる果物を凍らせるために立ち寄ってくれたというのなら随分と親切なことだろう。
「森のアイス、かな。もしかしてエメラードで知られてるご当地デザートみたいなもん?」
「いんやー、そんなの聞いたことないぞ。第一、エメラードの魔物はアイスクリームなんか食ったことないだろ。おいらはフェナサイトに寄ったら一回は必ず食べておくけどな!」
なぜか自慢げにライトは語る。そういや人間の島じゃあ、今や一年中いつでもアイスを売ってるな。需要の低い冬場でも一応用意しておく、というのは思えば贅沢な話である。
「ティアー、なんにちもかけて、めずらしいのみつけた。ほかにも、しこーさくご? して、そいつにきめた」
ナウルは言わんとすることがいまいち伝えきれていないので、推測するしかない。要は、ティアーは俺が思っている以上に、苦心してこの果実を提供してくれたってことだろう。エメラードの誰もが知ってる嗜好品ではなく、今回のために、ティアーが新たに発掘してくれた果物だったのだろうか。
「そろそろ、いい、ころあいだ。さっさと、めしあがれー。そうだ、ついで、これつかえ」
「召し上がれって、おまえさんどこでそんな言葉を覚えたんだよ」
召し上がれ、といえば尊敬語だが、ナウルの言い様からして本来の使い方を心得た上でのこととは思えない。
ナウルが両手を自分の目の高さにかざすと、手のひらサイズの小さな氷片が現れる。ナウルがそれを知るはずもないが、コンビニでアイスを買うと貰える木のスプーンを思い出す。すぐに溶けてしまうのを配慮してか、あれより幾らか大きめだ。氷片はナムルの手を介することなく、落下して果物の実に突き立った。
エメラードで暮らしていると、常に清潔を保とうなんて無理な話だ。服も体も、全身が土埃で薄汚れている。これから手掴みで果実を食べるのに、汚れた手をどうしたものかとも思っていたが、ナムルが果実を凍らせたのが溶けだした水滴がうまいこと手の汚れを落としてくれていた。
ナウルに礼を言って、氷片に実をすくう。果肉は白く、まるで呑み込んでいくかのように抵抗なく氷片を食い込ませる。柔らかすぎる果肉は氷片の先にほんの少ししか乗らない。ただでさえ微少なそれを落とさないように、俺は慎重に氷片を動かし、口の中へ運んだ。
「ライトも、どーだ。いるなら、すくうもの、もひとつ、つくってやる」
「いんやー、ティアーが敦のためにわざわざ探してきたもんだろ? おいらは遠慮しとくさ」
などとふたりが話している横で、俺は最初のひと口を味わっていた。ティアーの実は、舌に砂糖のようなざらざらとしたものを残すが、食べ触りはまさしくクリームで、しかも甘さは控えめ。おいしかった。冷やすと美味しいといって表皮を氷で覆ってくれたナウルのおかげで、まさに森のアイスと表するのにふさわし いものになっていた。
「うん、おいしいよ。本当にアイス食べてるみたいだ。……でも、そんなに苦労したんなら、ティアーもそう言ってくれたら良かったのに」
「ティアーはな、ひみつしゅぎなんだ。なー、ライト」
「秘密主義か。そう言われりゃそうかもなぁ」
彼女と出会って一年以上になるが、別にそういう印象はなかったけど。
「おまえ、よろこぶの、そうぞうしてにやにやする。ティアーは、そーいうの、すきなんだって。へんなやつだなー」
言葉足らずな説明なので、聞いてるこっちは都合良く補足してしまう。喜んでいいことなんだろう、たぶん。
どうせなら喜んでるところを直に見れた方がいいに決まってるのに、とおそらくそういう主旨のことを言い残して、ナウルは飛び去っていった。




