11話‐4 純潔・祈り・苦悩
「確かめてくる……」
すっかり打ちのめされた心地で、俺はようやくそれだけ呟き、決意した。
「確かめる? 何を」
「俺が異常なのか。そして、彼女が正常なのかを」
「それは結構。現実を直視してくるわけね」
「エリスが、ヴァニッシュのことを好きなのに伝えられないのも、それが理由か?」
エリスが彼を特別に想っていることくらい、一緒に暮らして眺めていたら一目瞭然だ。おそらく、ヴァニッシュ本人を除いて、みんなが勘付いているだろうな。
俺の指摘に、エリスは肯定も否定もしない。身じろぎどころかまばたきさえせずに、まるで時が止まってしまったかのように姿勢を固くして。出ていこうとする俺を黙って見送るのだった。
「それで、どうなさるおつもりですか?」
サクルドはまだ姿を消してはいなかったのだが、豊との会話からこっち、一言も口を挟まず沈黙していた。彼女が俺の髪の毛の上で横になっている感触があったから、てっきり昼寝でもしているのかと思っていたのだが。
「ティアー、帰りにセレナートのところへ寄るって言ってたろ。水源までなら近いし、俺も道は覚えてるし」
「けれど、敦さまがおひとりで行動されるのは危険かもしれませんよ?」
「全力で魔術壁出しっぱなしにする。そうすればどんな攻撃にだって耐えられるんだろ?」
「それはそうですけれど、防御だけで相手を退けることは出来ません」
「ツリーハウスからそう離れるわけじゃなし、誰か気付いてくれるさ」
「敦さま……そんな行き当たりばったりの策はあなたの性格にそぐわないと思うのですが。むきになっているのですね」
返す言葉が思い浮かばず、まぁね、と適当ににごすしか出来ない。
「一刻も早く確認したい、というお気持ちはわかっています。けれど、とりあえず頭を冷やされてはいかがですか? そんな敦さまの様子を見ては、ティアーが心配しますよ」
「――わかったよ。ありがとな、サクルド」
彼女の顔はうかがえないが、いいえー、という声の調子は弾んでいて、俺への説得が実を結んだことに安心しているようだ。
俺はとぼとぼと歩きながら――サクルドは俺が単身、水源を目指すことに反対しているわけではないのだろう――嫌な感じにたぎっていた心を静めるよう努める。しかし全力で魔術壁を展開することは忘れず、そして……ティアー、あるいは海月涙さんとの思い出を。そんな日々の中で自分が彼女をどう想っていたかを振り返っていた。
始まりは、アネキと彼女の登校するその時間を共有するだけの間柄だった。アネキは二年生になって転校してきた涙さんと友達になってから、学校へ行くのをしぶることはなくなったから、俺は彼女に心から感謝していた。でも、それだけだった。
「円のお家は、子供の頃から何度も何度も引っ越ししてきたんでしょ? 仲良くなった友達とすぐお別れしなくちゃいけないなんて寂しくなかった?」
涙さんは人の話を聞くのが好きだとかで、ほとんど毎朝、こんな風な質問を投げかけていた。
「もう慣れっこだもん。特別な用事でもなければ再会出来ないような人達のこと、いつまでも気にしていられないよ」
「敦君も、そうなの?」
俺は話を振られるまで、ふたりの後ろを黙って歩いているだけだ。けれど結局、涙さんは毎朝欠かさず、俺にもこうやって声かけしていたような気がする。
「そうだなー……やっぱり慣れたっていうか、それが当たり前になっちゃったからさ。新しい土地で新しい友達が出来るとさ、古い友達とのことに固執するのも失礼だと思うし」
そう言ってから、「古い友達」という言葉の響きに、我ながら嫌なものを感じていたりして。
「そっか……あたしは、それでも大好きな人とお別れするのは悲しいな。せっかく出会えたのに、それきりになっちゃうなんて寂しいもの」
「その日」を迎えるまでは、彼女の言葉は俺の中では日常の会話のひとつに過ぎなかった。
昨年の六月の終わり近く、浴衣で縁日に出かける涙さんとアネキの付き添いとして、俺達は三人で出かけた。梅雨が短く夏の到来が早く、六月終わりの縁日でもう手持ち花火がふるまわれていた。俺達が受け取ったのは、線香花火だった。
アネキは線香花火なんてしょぼい、などとのたまい、三人で腹ごなし出来るものでも買ってくると言い残してその場を空けた。俺と涙さんはふたりで線香花火を済ませることになった。
花火は初めてだ、という彼女は、一本目の線香花火の火玉をすぐに落としてしまった。線香花火は他の手持ち花火と違って振動に弱いから、未経験である彼女には難しいんだろう。
手本のつもりで、俺は二本目の線香花火をつけた。じわじわとうごめく大きく丸々とした火玉がやがてはじけ、糸よりも細い火が目まぐるしく飛び散っていく。そんな様子に涙さんは歓声を上げる。
「わぁ、すごい! これ、どうなってんだろう!」
「どうなってるかは知らないけど、花火師さんがなんか細工してるんじゃない? 火薬とか」
「こんな細っこい紐に細工したら、火がこんな形になるの? へぇ~……花火師さんってすごいねぇ」
恍惚とした、この上なく幸せそうな笑みで小さな花火を見つめる彼女とふたりきり。おそらく、この時だ。涙さんと知り合ってから初めて、彼女を特別に、女性として意識したのは。何せ涙さんとふたりきりになったのは最初の出会い以来だし、おまけに彼女は浴衣という、普段と一線を隔した装いでいたのだから。
「あたしね、もうずっとずっと前だけど、火はただ怖いものだと思っていたの」
「そりゃあ、火は人間が生活するのに便利なものだけど、怖いっていうのも正しいじゃないか。ちょっとでも使い方を間違えれば、あっという間に何もかも燃やし尽くしてしまうんだから」
「ううん、そうじゃなくて。たぶん、敦君が想像してる以上の感覚で、あたしは火を怖れてた。理屈じゃない、って感じかな」
そう言いながら苦笑していた涙さんだったが、今ならその心情もおぼろに理解出来る気がする。俺達人間と、獣であり魔物である彼女とは、生き物として考え方が根本的に異なるのだろう。
「人間の発想ってすごいよね。火を、こんな風にきれいな形にして、ただ見て楽しむものにしちゃうなんて」
「確かに、最初に花火を考えた人ってすごいよな。火を見て自分の思い通りの形に変えて鑑賞しようなんて、どうやって考えついたんだろう。第一、思いついたところでそれを実現するのだって並大抵のことじゃないだろうに」
「こればっかりは、人間にしか考えつかないことかもね。きっと、そういうのが人間の島には至る所にあるんだよ。例えば時計なんて、時間を正確な数字にして 目に見えるようにしたものだよね。台所じゃあスイッチひとつで水や火がすぐに出てくるなんて、よくよく考えたらすごいことだよ。それもこれも、燃料や水道の仕組みを考えて、それをフェナサイト中に張り巡らせた人達がこれまでにいたからなんだよね」
現在、人間の島は地域によって人口の格差はあっても、電気水道放送が全域で浸透している。島の中央も、交通もろくに通っていない奥地の村も平等に。 言われてみれば、そんな場所にさえ出向いてライフラインを確保してくれた人達がいるっていうのは、果てしなくありがたいことだよなぁ。
「人間の島ってさ、どこを見ても人間の作り出した物で溢れているんだよ。あたし、そういうのを見るとついああだこうだって考えちゃうんだ。これは誰が考えたんだろう、どうしてこんなこと思いついたんだろう、って。こういうこと言うと、変わってる、なんて言われちゃうけどさ。おかげでちっとも退屈しないんだ。毎日毎日、いつだって新しいものが見えるし、頭を休める暇がないんだもの」
人間の、年頃の女の子の思考としては変わっているという自覚はあるのだろう――というのは当時抱いた感想で、当然、今となってはそれだけではないとわかっている――照れ隠しのように彼女は笑った。
何でもないような物に想いを馳せ、毎日が新鮮で飽きないという彼女は、俺には輝いて見えた。ちょうど目の前で、遠い昔の人間が作り出した小さな花火に魅入られる涙さんの、その花火に照らされた表情は綺麗だった。
ちょうど火が燃え尽きたので、俺は最後の線香花火を彼女に渡す。
涙さんは二度目の線香花火に対し極めて真剣に挑んだようだったが、かえって力が入ってしまい中盤で火種を落としてしまった。
「あーあ、残念。花火って、あっという間だね」
「夏休みになったら、隣町の河川敷で打ち上げ花火の大会があるんだ。そっちだったらたっぷり一時間は花火を見ていられるよ」
「打ち上げ花火? これとは違うんだよね」
使用済みの花火は、別の場所に設置された水入りバケツに捨てなければならない。花火初めてだからそれも知らないのだろうが、涙さんは燃え尽きた線香花火を三つとも、その手に握りしめた。名残惜しそうな感じが明らかだ。
「空高くにさ、観覧車くらいのでっかい花火が打ち上がるんだよ」
「観覧車って何だっけ。車?」
花火も観覧車も知らないなんて、と当時は不思議に思ったものだが、彼女とふたりきりの時間に夢中になっていて不審は感じなかった。
「どれくらい大きいのかは見ればわかるよ。どうせアネキが涙さんのこと誘うだろうから、そしたらまた、今日みたいについていかせてもらおうかな」
その打ち上げ花火を三人で見られる根拠は、あった。アネキは友達を祭やイベントごとに誘うことを「自分には祭に誘える友達がいる」という、ある種のステータスと思っているようなので。涙さんを誘わないとは万に一つも考えられないのだ。
「本当!? やったー、約束だよ! 楽しみだなぁ」
動きにくいだろう浴衣姿も何のその、涙さんはぴょんぴょん飛び跳ねて喜びを表していた。想像以上に彼女が喜んでくれたので、何をしたわけでもないのに俺はどこか得意な気持ちになった。




