11話‐3 純潔・祈り・苦悩
「やっぱり、沈んで帰ってきたようね」
再び小屋へ戻ると、エリスはしれっとそんなことを言ってのける。わかっているならわざわざ豊に訊かせるような手順を踏ませないで欲しかった。俺がベルに気安く話し掛けられないこと、わかってるくせに。
「で、まだあるのか?」
「ええ。この次は、あなた自身にも関わる重要な問題になる」
そうしてエリスが告げた内容は、俺の想像しえる範疇外の問いだった。
「……さっきから行ったり来たり、何をしているんだ」
ツリーハウス前の広場で、日光がさんさんと降り注ぐちょうど中央に座り込んでいるヴァニッシュに声をかける。返ってきたのは、当たり前といえば当たり前の疑問だった。
エリスが解散の号令をした時から、ヴァニッシュは何するでもなくぼんやりとここで時間を潰していた。俺が川へ出かけてすぐツリーハウスへ戻り、また下りてきては豊と数分ばかりの会話を楽しんだらそそくさと縄ばしごを上っていく。傍目には、さぞかし無駄の多い、奇異な行動に映ったことだろう。
「エリスからの課題で聞き込みをしてるんだよ。今度はヴァニッシュに訊きたいことがあるんだけど」
「……別にかまわないが。何の話だろう」
そうつぶやき首を傾げるヴァニッシュの表情には、何となく気が抜けているような気がする。ヴァニッシュは本来、他の仲間以上に気を張り詰めて、周辺に怪しい影がないかと警戒している。そういう性格だ。それがここ最近、こんな風にぼんやりと気を抜いていることが多くなったような。気のせいだろうか……。
「その……ヴァニッシュって、好きな女の子、いるか?」
「……」
返答に、いつも以上の空白があった。
「……質問の意図がわからない。俺は別段、嫌っている相手がいない。女も男も」
意図なんか、俺にだってわからない。何でヴァニッシュに対してだけ質問が個人的なんだ? ひょっとして、エリスの個人的な関心だったりして。
「だからさ、特別に好意のある相手がいるかってこと。同性でなく、異性で」
「……好意に特別も普通もあるのか? どう違うんだ」
心底わからない、というように、ヴァニッシュはすっかり困ったような顔だ。……まさか、本気でわからないっていうんだろうか。
「特別っていうのは、そりゃあ……いつまでも一緒にいたいとか」
「……敦には、今しか一緒にいたくない、なんて相手がいるのか」
「そう言われると何か違うな……ふたりきりになりたい、一緒に暮らしたい……」
とりあえず口に出してはみるものの、これじゃあ明らかに伝わらないだろう。ヴァニッシュに言わせれば、今でもみんな一緒に暮らしてるとか、誰とふたりきりだろうが変わらない、なんて続くのが目に見えている。
誰かへの特別な愛情……親が子供に、親でなくても異性に、あるいは同性でないと駄目だという人もいる。とにかく、友達に対してとは違う愛情を抱く。そういったことを理解出来ないという相手に対して、それをわかるように説明するというのは、こんなにも難しいことだったのか。恋愛感情なんて、ほとんど理屈で語るようなもんじゃないだろうし。
「なあ。もしかして、本当にそういう気持ちになったことはないのか?」
純粋な好奇心から、俺はヴァニッシュに問うた。
「……そういうって、特別な好意ということか?」
「ああ」
「……ない。少なくとも、そんな覚えはない」
嘘をつかない彼のこと、言葉にしているのはまぎれもなく真実なのだろう。そう思いながらも、俺はまだ納得出来なくて畳みかけるように質問をした。
「それじゃあ、例えばティアーのことはどう思う? 他の誰よりも幸せになって欲しいとか、一緒にいたいとか思わないのか」
「……好きだ。幸せになって欲しい。けれど、特別な幸せなんて必要ない。他のみんなと同じに、人並みに幸せになれたらそれでいい」
「その気持ちは、俺や豊やエリスやライトやベルや……要するに、ヴァニッシュが知ってる他の全ての人に対して同じなのか」
「……不幸になって欲しい相手なんか、いない」
「だったら……今日、俺を狙ってやって来た相手に対してはどうだ?」
「……こんな形で出会わなければ、今日、あんな風に命を落とすことはなかったのに。そう思って、悲しくなる」
――唖然と、した。ヴァニッシュは、たとえ敵対した相手であっても、かけらほどの憎しみの感情さえ抱かないんだ。
俺だって、今日ここで死んだ奴らに同情しないわけでない。けれど、そうしないと死んでいたのは俺の方で、見ず知らずの人間に命を狙われるのは迷惑だし、そんな相手に良い感情なんて持てるもんか。
「……どうしてそんな顔をするんだ。俺はおかしいのか?」
俺がどんな顔をしていたのか自分には見えないが、対面するヴァニッシュには何か感じるものがあったのだろう。
「おかしくなんかないよ。ただ、すごいと思って」
「……俺は、すごくなんかない。誰にも不幸になって欲しくないと思ったところで、俺に出来ることなんて何もないんだから」
俺が思ってる「すごい」の意味を取り違えているのだろう、ヴァニッシュはどこまでも沈痛にうめくのだった。
戸を開けて小屋へ入ると、窓のさんに腰かけているエリスと目が合った。あの窓はベルの定位置みたいなものだから、そんな風にしていられるのは今、束の間のことだ。……本当に、今日という一日は、これまで慣れ親しんできた光景を大いに破壊してくれる。正確には、新しい情報を得た俺には、今までと大差ない風景が変わってしまったように見えるだけだろう。
「おかえりなさい。どうだった?」
どう、っていうのは。ヴァニッシュの考え方に対して俺が何を思ったか、ってことだろう。
「ヴァニッシュは誰に対しても、平等なんだな。男女とか、敵味方とか、関係なしに。確かめたわけじゃないけど、年齢も、友達と親友とかそういう微妙な線引きだってない」
「ワ―・ウルフには、異性愛――いいえ、性欲がない。異性愛は性欲に起因するものだから。ご存じの通り、ワ―・ウルフは死んだ狼が人の姿を得て復活する。 だけど、『生き返った』わけではなく、あくまで死体が動いているだけ。ヴァンパイアと違って生殖機能は死んでいるのよ。子孫を残せないワ―・ウルフ には異性愛も親子愛も存在しえない。だからどんな対象にも同じ親愛の情を抱いている。ワー・ウルフということはつまり、ヴァニッシュだけでなくティアーもそうだし……視点を変えればあなたにも同じことが言えるわ」
「俺も同じ?」
言わんとしていることがよくわからない……ヴァニッシュと同じワ―・ウルフであるティアーが、ということはわかるが、それと俺がどう関わるっていうんだ。
「魔物と人間で子を為すケースだってある、エルフのようにね。けれどそれはどちらかといえば特殊なケースであって、通常、魔物が人間に、人間が魔物に欲情することはない。異種族に対して性欲は起こらないのよ。つまり……」
俺はエリスの言葉を追うのに必死ながら、これから彼女が導き出そうとしている事実がおぼろげながら見えてきて。そうして嫌な予感が一気にこみ上げてくるのを感じていた。
「ティアーがあなたに親愛の情を抱いていることは間違いないでしょう。けれど、それは恋愛感情としてではない。そして、それは敦も同じ。あなたが抱いている想いは、女としてのティアーへの愛情ではないのよ」
「そんなこと、どうしてエリスに断言出来る? 俺が彼女と人間の島で一緒に過ごしてた頃のことなんか知らないくせに」
「人間の島での思い出とやらは、『ティアーとの』ものではない。『海月涙との』ものでしょう」
海月涙……その名前を聞いた時、得体の知れない胸の痛みがあった。ティアーと涙さんはまぎれもない同一人物で、何ら変わるものではないというのに、なんで……。
「敦が海月涙に抱いていた想いは、彼女が魔物であり、それもティアーという、幼い頃に面倒を見た狼だったと知った瞬間に失われたはずよ。完全な人型の魔物ならまだしも、正体が獣と踏まえた上でなお欲情する人間はいない。先ほど、ユイノとあの話をした時に、性交の相手としてティアーが思い浮かんだかしら?」
してないでしょう、これっぽっちも。そんな風に付け加えられた一言に、脳が沸騰するんじゃないかってくらいに腹が立った。
「好きだっていうのが、必ずそういうことやりたいなんて言い切れるか? 魔物はどうだか知らないけどな、人間には、本命だからこそかえってそういう想像したくないなんて奴はいくらでもいるんだよ。そんなことが根拠だなんて、俺は……」
絶対認めないぞ、と結論付けるつもりだったのに、その言葉を口にするまでに気持ちの高ぶりが収束していく自覚があった。
まさか、自分自身の思いに確信を持てずにいるっていうのか?




